金曜日の居酒屋と、届く声【理系くんSide】
【理系くんSide】
文系ちゃんが友人と出掛ける金曜日、僕は彼女と出会った居酒屋にいた。
最初は単発のつもりだったけど、彼女ができてデートにちゃんとお金を使いたかったから、またここに戻ってきた。
「八番さんオーダーお願いします!」
「――はい」
金曜だから、お客さんも多い。
「生ビール二つとポテトフライ、肉じゃがにポテトサラダですね」
僕は伝票に注文を書き込む。
個人経営のこの店には、タブレットも呼び出しベルもない。
接客なんか苦手だと思っていたけど、居酒屋ではパッとしない僕のような男性店員に、みんな興味はない。
雑談を振られることもなく、淡々と業務をこなせばいいから、今では苦手意識も消えていた。
「二番さんお帰りです!」
「はい!」
会計は僕の最も得意とするところ。ほぼ暗算で答えが出ているから、レジは答え合わせだ。
「7820円です」
合ってた。
八千円で180円のお返し。
フロアには、僕と数人の学生バイト。キッチンにオーナー夫妻。
店員数にしては、少し広い店内に、テーブルが十もある。
忙しくて大変ではあるけれど、僕以外の慣れた二人のおかげで店はなんとか回っていた。
「料理できたよ! 八番テーブルさんお願い」
さっきのじゃがいも大好きお兄さんたちか。
テーブルにビール二つ、ポテトフライと肉じゃが、ポテトサラダを置く。
その時だった。
誰かに肩を掴まれる。
「ねえ、お釣り間違ってたんだけど」
さっき会計したばかりの女性。
確かに覚えてる。
八千円で180円のお釣りだったはず。
「……間違ってましたか?」
「一万円渡したよね? 180円しかないんだけど」
確かに八千円だった気がするけど、人間の記憶に絶対なんて無い。
「少々お待ちください」と伝えてレジを確認する。
ちょうどたまった一万円札をオーナーに渡したあとだったから、中には一枚もない。
「確かに八千円のお預かりだったはずですが」
「私が嘘を言ってるって?」
ついに胸ぐらを掴まれる。
感情的になった相手に、理詰めなんか通用しない。
しかも相手は酔っている。
会話が通じるとは思えなかった。
こんなとき文系ちゃんならうまくやるんだろうな。
対応を考えているうちに騒ぎを聞きつけたオーナーが出てきて、一万円札がレジにない件を説明。
さっきまでの怒りはなんだったのかってくらい、相手は簡単に引き下がる。
「気付くのが遅れてごめんな。君は間違ってないから気にするなよ」
オーナーの言葉があんまり頭に入らない。
文系ちゃんやみんなの働きを見てるから、うまくやれない自分が悔しかった。
二十二時。
店が終わったと同時にレジ締めをして、バイトの制服から着替える。
忙しかった疲労と理不尽さに対する心の疲弊が、体を重くさせていた。
「お疲れさまです」と挨拶をして店を出た瞬間だった。
スマートフォンが文系ちゃんの着信を告げる。
『理系くんそろそろバイト終わった?』
「うん、今終わったとこ」
『……あれ、ちょっと元気ない?』
文系ちゃんは本当によく気がつく。恋心も疲労も隠したところでどうせバレてしまうから、感情表現の苦手な自分が、彼女には素で接することができる。
いつもこの声に救われてた。
僕は今日の出来事を隠さずに話す。
『そうか。それは理不尽だったね』
「いや。自分で対応できるようになりたかった」
理不尽を言われたことが悔しいんじゃない。適切に対応できない自分が悔しかった。
『ねえ、理系くん。今ってお疲れだよね?』
「うーん、どうだろう」
『頑張った君に、お姉さんがご飯をご馳走してあげよう』
いつもなら、“一ヶ月早く生まれただけでお姉さんとか”って笑うのに、今は文系ちゃんの優しさが心地よすぎて。
「うん、お願い」
ただ、感謝と親愛を込めて頷いた。
【文系ちゃんSide】
今日は彼氏に振られた友人を慰める会をやることになっていた。
金曜だから絶対に忙しいしバイトを休みたくなかったけど、理系くんが代わりに入ってくれるというので、オーナーにお休みの許可をもらった。
もともとこじんまりとして雰囲気の良い居酒屋だったけど、最近付近にできた大きなマンションのおかげで新しいお客さんも増えた。
お店としては売り上げが増えていいことだけど、バイトとしてはいろんな方が来て大変だった。
友人の話を聞いている間も、理系くんのことが気になった。
理系くんなら大丈夫だろうけど、金曜の絶対に忙しい夜だから、どうしても胸がざわついた。
虫の知らせだったのかもしれない。
ひとしきり話してスッキリした友人を見送ってから、家の最寄り駅でバイトが終わる時間を待って、すぐに電話をかけた。
「理系くんそろそろバイト終わった?」
『うん、今終わったとこ』
「……あれ、ちょっと元気ない?」
普段感情が乗りにくい理系くんの声が、少し沈んでる気がする。
聞いてみれば酷い理不尽。
理系くんが、よりによって会計を間違えるわけないでしょ!
ここはいつもみたいに笑わせよう。
「頑張った君に、お姉さんがご飯をご馳走してあげよう」
ね、いつもみたいに笑って理系くん。
少しの間のあとに、理系くんの声が返ってくる。
返事はこうだった。
『うん、お願い』
私は髪が乱れるのも構わずに、全力で理系くんの元へ走った。
駅からバイト先までの過去最短タイムを叩き出したことを、ここに伝えておきたい。
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オーナー夫妻の反応。
「理系くんがレジやってくれる日は安心なんだよ」
「そうね。早いし間違えないしありがたいわね」




