嘆きの軍神
「我らには軍神がついておる。皆のもの、恐れるな。軍神や英雄のように戦え!」
戦争の度に、戦う者らを鼓舞するためにあげる軍神や英雄は、たまったものではない。
「死を恐れるな! 勇敢に戦った者は必ずや、軍神の楽園に逝けるぞ!」
楽園? あれを楽園というのか? 白と黒、それから炎と血の赤しかない世界を。
だが、その男の言葉は、多くの戦士の心を鼓舞し、狂気へと変貌させる。
(ねぇ、その戦争を止めようとした者はいたのかしら)
我の内なる乙女がたずねた。我は答える。戦争を回避しようと苦心した者は確かにいた。だが、その多くは、戦争で何かを得たい者らによって、その口を閉ざされてしまったと。
(……そう……)
遥か昔、我の内なる乙女が、ニンゲン達に少しでも安定した生活が出来るようにと、火と作物とそれから鉱物を見つけやすい場所に出現させた。
乙女の願いどおりに、ニンゲン達は火と作物とそれから鉱物を手に入れ、道具を幾つも造り出すようになった。
だが、同時にニンゲン達は、さらに作物が育てやすい土地を求めて、あるいは鉱物を得るために移動し、各地で争いをおこすようになった。
「全軍前進!」
きらびやかな武具を馬にも己自身にもまとった男の合図で、大軍が動き出した。
――そう、この戦争も何かを得るために始まったのだ。その何かを得る。が、今ではそれが何であったのか忘れられつつあるのだが。
対する相手から、甲高い音と共に金属の筒が空を切り裂き、前進する大軍のあちこちで破裂した。
馬という馬は暴れだし大軍は乱れた。そこへ空飛ぶ金属の筒を撃ち込んだ方の軍が、一鬨の声をあげ、一斉に襲いかかってきた。
「あれはもう戦争とは言えない! ただの殺戮だ!」
混乱の渦中から抜け出し、青銅の兜を放り投げ、我の側でうずくまり嘆くのは、ニンゲンが軍神と崇めるその者だ。
「ニンゲンという奴は、戦争を起こす度に新たな戦争の道具を産み出し、それによって戦士が戦士でなくなっていく」
軍神が言うように、戦争がおこる度に新たな武器が開発され、その武器が使えば使うど、互いの戦う相手の顔が遠退いている。
そう、軍神の好む命と命がぶつかり合う戦争でなくなり、同時に我の仕事が桁で増えていっている。
「我は戦争が嫌いだ。まだその命が尽き果てる時ではない者らの命を刈らねばならぬからな」
我は戦場に降りて、深手を負った者達に痛みと苦しみから解放する為に、命を刈る鎌を振わねばならない。
「軍神よ、まだ生きたい者達の為に路を切り開いてくれ。……と、我の内なる乙女が頼んでおる」
軍神は涙を拭いながら頷いた。
我らは知っている。この戦争が終わっても、この戦争は次なる戦争を呼び起こす火種になるであろうことを。
軍神は我の手を借りて立ちあがると、投げ捨てた兜を拾い上げ、かぶり直した。
「死神よ。我は忘却の彼方に去ろう」
ニンゲンが造りあげた神や英雄が忘却の彼方に去るとき、それはニンゲンの世から、祈り称える必要がなくなった時でもある。
「戦士達よ。さあ、わたし好みの戦士らしい死に様を与えてやろう。そしてわたしと共に楽園に赴こう」
軍神は統率が崩れ、乱れる軍の中心へと歩を進める。死神は、その背に陽炎のような炎が現れるのを認めた。
軍神は地に倒れている指揮官に近寄り何やら囁くと、その指揮官と溶け合い、一体になって立ち上がった。
「戦士として死にたい者はここに集え!」
戦士の何人かが、軍神と一体となった指揮官の元へと集う。逆にそんな戦士らの列に加わらず、逃れようとする者もいる。戦士の一人がその者を切りつけようとするが、軍神と一体となった指揮官はそれを止めた。
「逃げたい者は逃がしておけ。この戦場を生き延びるのもまた戦いだ。そんな者を少しでも多く逃がすのが、我らの最期の役目だ」
(あなた、代わって)
我は内なる乙女の懇願に外と内を入れ代わった。たちまち、我の姿は白いローブを身にまとったうら若き乙女になり、乙女は静かに歌を歌い出した。
軍神に引き連れられた一団は、戦場から離脱する者らを護りながら退路を切り開き、見事に散っていった。
乙女の歌が終わり、我は内と外が入れ代わり、再び黒いローブに骸骨の姿になった。
「……寂しくなる……」
(……そうね……)
死神は内なる乙女と共に空を見上げた。空から黒い雨が静かに降りだしてくる。