ドロシーレス・ウィザード
削除されないか不安です。が、これが僕なので。歯に衣着せず、投稿いたします。
言葉を失う。
我を失う。
色を失い、青ざめて、気色ばむ。
僕は今、霧のような顔色をしているでしょう。
ショックを受けて帰宅しました。
茫然としています。
なぜかと言えば、見舞った母がどうにも、はや。いわゆる認知症の症状を強めていたからです。
このたび、僕が二度目となる結婚をして、屋を去り、独居高齢者となって一年余りの母が、胆石を患ったのを機に手術目的で入院してみれば、入院先の病院で本当に激しい物忘れや、奇異な振る舞いを顕しているようなのです。
孤独が人を蝕む。
実にそうなのでしょうか。
夜尿、徘徊、失認、精彩も繊細さもかいた振る舞い。
一年前、ともに暮らしていたころの母とは別人です。入院したことで環境が変わり、たまたま顕れた一過性のもの、と、そう考えてみたいところですが、さように生易しい感じではない。言うこと為すこと、すべてに取り留めというものがない。
聞けば、手術前というのに病院を抜け出して、誰もいない自宅へ帰ってみたり、糖尿病のコントロールが必要だというのに、クリームパンなんかを買い込んで病室へ戻って来てみたり。
問い質したところで、糠に釘。ポヤンとしてい、張り合いも手応えもなし。なにやら悲しいものです。
思えば、先日、入院先へ車で送るさ、彼女の話す言葉の端々が、もうだいぶヘンテコでした。
病院に通いだした時期を不思議に勘違いしていましたし、肝心な病院の位置もてんでチグハグに憶えていました。こちらは割りとキビキビした母をイメージしていましたから、助手席の彼女が入院先を案内してくれる筈というのに、やけにシドロモドロになるので、奇妙な感を受けながらも、ちょっと不承不承、カーナビを作動させたのでした。
まさか、こうとは。
霜降の母。
言ってみるのは簡単ですが、実際に味わうと苦しくて堪らないものですね。遣り切れない。
これで酒でも飲めれば精神の痛覚を鈍磨せしめられようものですが、生憎と断酒生活者ですからね。修行僧同然。砂漠の上、業火の上でキリキリ舞いです。まさしく火宅です。
なにより、付随して心配ごとが出来しはじめます。
今後、独居してもらうことの不可能性。
つまりは僕の甲斐性、経済的逼迫。
まして、妻はそう容認性が潤沢な女性ではありませんから、たった一年少々で、せっかくの再婚生活も暗礁に乗り上げたのかもしれない。既に、です。同居をうべなう性格ではない。
こう考えると凹む。
白髪三千丈、青息吐息、顔面蒼白です。
もう少し、ひたひたとシアトリカルな言葉を連ね、例の青臭い泉に浸りたかったのですが、マスターベイションどころではなく、ドメスティックな話に尽きてしまいました。
情け無いことですが。こういう時、比喩ではなく、青臭い泉を僕は求める訳です。先述しましたね。ひそかな不思議の国。虚構の市。煌びやかな。
もしくは、若い(もちろん成人した)女性のいる場所へ繰り出したでしょう。しかし今はそれも出来ない。糠味噌くさい話ですが、サイフを押さえられています。また小市民的な僕にはしれっと何食わぬ顔で息抜きも出来ない。
冒頭では殊勝らしくしていましたが、またぞろ、化けの皮がはがれはじめました。尾籠な、くだらぬリビドーが渦を巻く。実にこの青臭い曼荼羅が僕を形態している。以上でも以下でもない。白濁した渦潮がたまさかマントラとなるのが、僕である。僕という形態である。ただのシェイプだしシェイド。伽藍堂な。
俗に、三十路まで女を知らないと魔法使いになると言いますが、僕はそれより更に業が深いのかもしれません。
実際には存在しえない、空気の精でしかないドロシー・ゲイルを、虚空に探す淋しい魔法使い。
母と、僕と、どちらが寂寥とした「恍惚のひと」なのであろうか。
リアルではない。マジックを、イリュージョンを、僕は唯一のよすがとしている。まあ孤独ではある。だけれど、ほかに術を知らない。