薔薇色ではない日々
真夜中に目覚めた。
僕は今、真夜中に目覚めました。
そうして部屋の中に居すわる虚空を眺めています。うつろに。または、普段ながらと同様に。
真夜中に目覚めた。
こんな言葉から書き出してみます。
確か、僕がつねづね敬愛するロックバンド、BUCK-TICKの歌詞にそういった一節があったと記憶しています。原型はもう少し違うのですが、とにかく真夜中に目覚めた、というシチュエーションの描かれた一節があるのですよね。
薔薇色の日々。
そんなタイトルの曲でした。
真夜中に目覚めた僕は、あと一月も経たずに四十歳を迎えます。
しかしながら何者でもない。脆弱な自我を抱えながら市井をうろつく者。自我の弱さゆえでしょうか、未だに十代の混乱じみたものを脱しきれていません。
冒頭に引用するのが、よりによってBUCK-TICKというところがその証左と言えましょうか。文学作品でもなし、蒼古とした金言でもなし。チープとさえ言えるかもしれませんよね。あるいはレッド・ツェペリンやビートルズ。カート・コバーンらの引用ならば一種のオーラを備えたかもしれませんが。
しかし僕はBUCK-TICKを頭に掲げておきます。裸になりたいのですから。チープさも含めて、いわば素でいたいのです。
漠然とした文が続きましたね。まずは、はじめに断っておきましょう。僕はアルコール依存症であり、断酒生活を余儀なくされています。ですが、アルコールの病については伏せながらに暮らしています。妻にすら伏せていますし、社会生活の上でも伏せています。伏せざるを得ない奇妙な事情があり、それゆえにAAなどの自助会とも距離を置いてしまっています。
これは僕自身でもカテゴリーを括るのさえ難しい雑多な、目鼻のつけようもない、撒かれた砂みたいな文章ですが、きっとアルコール依存症者の告白文めいたものと自身では考えています。さらには、実はとある性癖を抱えています。すぐさまにでも露呈することでしょうから、ここでは敢えては申しません。その告白文としての色彩も備えていくことでしょう。
ともあれ。
四十を迎える僕ですが、バタバタと時が過ぎただけの気がしています。
アルコールにまみれながら、カオティックな感情をダラダラ引き摺り、また、自身の魂に絡まる抜け殻の、その半ばスクリューに絡んだ藻のごとき鈍重な、ぬらぬらした輝きに魅入られるようにしつつ、ただひとしお、馬齢を重ねただけのように思われますね。
このサイトに手を伸ばしたように、昔から表現というものに憧れて、絵画に没頭してみようとしたり、あるいは文章書きのまねごとをしてみようとしたり、そんなことをしてはみましたが、堂にいる筈もありません。ただただ寒いアパートで胸の内そっくりな青い虚空と対峙しています。仕事もうまく行かず、気の萎えることが続いています。索漠とした青い部屋の闇。それは僕自身の感情が顕現しているかのごとしです。
折しも今は冬。部屋飼いの犬も寒がり、身を丸くしています。
目に触れるものひとつびとつが、何とも寒々しい。
薔薇色の日々、というタイトルとはまるで逆。皮肉なものです。
これから書き殴ってゆく告白は、まさしく薔薇色の日々などという言葉とは裏腹になる筈です。
さて安易に、一瞬の思いつきから、まあ格好良く言えばインスピレーションというところでしょうが、もちろん、そんな風采はありませんからね。ザツな思いつきながら、僕はこれから綴りゆくだろう一連の文章に対して、青い秋、と名をつけておきますね。一応、名は要るでしょうから。消極的に、タイトルめいた銘を打っておきましょうか。
青い秋。
言うまでもなく青春のさきの像を表しています。成れの果て。ゆくすえ、青ざめた、ゆくすえ、です。
ブルーな秋冷という感じでしょうかね。
このまさに思いつきじみたザツさ、やっつけた感の安っぽさも含め、僕という存在に宿る感情を見事、格好と表している気もします。
おっと。つい、のめり込んでしまいました。
書くという作業には解毒作用、カタルシスがあるようですね。書いているうちに一時間ばかり経過していました。
明日は仕事です。このへんで筆を置きましょう。
語り出しておきながら、淀みがちに口ごもり、何一つも語り起こせていませんが。まあ、それこそが、なろうという媒体でしか有り得ない妙味でありリアリティであり、おまけに青い秋などと気の利かないタイトルを銘打つ僕らしさであり、御愛嬌であり肉薄さかと思われます。
一種の告白を綴りたい訳ですが、まだ、その鳥羽口にも至りません。そうであるのに筆を置きます。遠慮なく。
なにしろ自分語りに過ぎない、まあマスターベーションに過ぎないシロモノではありますが、連綿と綴りたい所存です。
今宵は筆を置きますが、これが自慰行為である以上は間歇的に、しかも痙攣に似たスパンの短さを以て、そうですね、敢えてこう言いましょうか、連載されて行く筈です。
ひとまず、お休みなさい。