第1話 元勇者さん
あなたは約束を覚えていますか?
大事な約束、どうでもいい約束、たくさんあったと思います。
そして忘れてしまっていることがあるかも知れません。それは仕方ないことかもしれない。
でも忘れないで欲しい。きっとその人は約束が果たされるのを待っていることを。
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次に目を覚ましたとき見えたものは天井だった。
自分は死んだはずだ。とりあえず状況を確認しようと体を起こす。元の体はあの爆発で消滅しているはずで、今どんな状態なのか気になるところだ。
しかし体が起き上がらない、それどころか力も入らない。しかも記憶も曖昧だ。2回目とはいえ今の状態がわからないだけでかなり不安になってしまう。
ふと鏡があるのを見つけた。今の姿を確認できればなんとかなるかもしれない。
鏡に視線を向けるとそこに写っていたのは...どこかの部屋だった。宿だろうか、とりあえず病院ではないらしい。広くはないが清潔で過ごしやすそうな印象を覚える。...じゃなくて、俺はどこだ?もしや魂だから見えないってやつか?
昔読んだ人の映らない鏡のトリックに引っ掛かっているような感覚に陥る。
もう一度鏡をよく見る。自分の位置と鏡の位置的に...これかな?そこにあったのは四角く畳まれた布だった。
...まさか人ですらなくなるとは思ってなかった。
これからどうしようと頭を抱えようとして、抱えられないことに気が付く。
とりあえず今の状況をまとめてみよう。どうやら魔王と戦い死亡、この布に転生してしまったようだ。ここはどこかの部屋のようで身体の方はびくともしない。どうしよう...想像以上にまずい状態かもしれない。
悩んでいると、うめき声のような音が聞こえてきた。
「んむぅ...んんん。」
音の方に目を向けると女の子が眠っていた。見たところ15~16歳あたりだろう。
どうやら目が覚めたようで大きなあくびをしてベットを降りて部屋から出ていった。
しばらくして彼女はスッキリした顔で戻ってきた。顔でも洗ってきたのだろうか。そして彼女は着替えを始めた。もう一度言う、着替えを始めた。
精神的にはまだ高校生ぐらいでいたい男子の前で、女子の生着替えである。もし肉体があったなら鼻血は免れない。
まあ俺は今血を出す鼻もないし、目を塞ぐ手もないし、きっとガン見してても許されるでしょう。(これを逃したら多分一生生着替えとか見れないしなんて思ってないし)
着替え終わったら彼女は手早く荷物をまとめて俺を掴んだ。
バサッと広げられ首に巻かれた時やっと自分の正体に気が付いた。
あぁ...俺って襟巻きなのか...と
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俺の予想は間違っていなかったようで、この建物は宿屋だった。そして外を見て確信した。俺は前と同じ世界に転生しており、自分が死んでから1ヶ月ほど経っているらしい。
彼女は宿屋の1階にある飲食スペースで軽い朝食を取り、行ってきますとそこにいた客に挨拶をして出掛けた。
ごつい男の客達が優しい笑顔で手を振る姿は少し気持ち悪かった。
彼女の向かう先は冒険者ギルド。
冒険者ギルドと言うのはその名の通り探索者や冒険者たちを支援する団体のことだ。始めは探索者達を支援することでこの世界の秘密や新たな発見を求める組織だったようだが、今は個人的な依頼や街や国の大きな依頼までこなすなんでも屋のような感じになっている。
そこに名前を登録しておけば、制限やノルマなどはあるが、どこに行ってもある程度の支援を受けることができる。また、ランク制度がありそのランクによって受けられる依頼や支援が変わってくる。
彼女のランクはE。これでは大した依頼は受けることができない。Eランクとは全6段あるランクの1番下になっている。このランクで受けられるのは...街の店の手伝い、薬草の採取、荷物運び、などともはやアルバイトみたいなものだ。
どうやら薬草の採取に向かう様で受付に手続きをして街の外へ向かう。
この街はアスクル、そこそこ大きい街だ。冒険者ギルドがある時点でそれなりの規模だとは分かってはいたが。
門を出ると平原が広がっていた。街を囲む様に高い壁が立っていて、少し離れたところに森がある。
薬草は大体森の浅いところに生えている。この程度の森ならばほとんど魔物もおらず危険もない。そして報酬もそこそこ良い。Eランクには良い探索の訓練になるはずだ。
彼女はテキパキと薬草を摘んでいく。生態などにも詳しい様で似た毒草を除け、依頼には関係ないが薬効のある植物も集めていく。
ある程度の薬草が集まってきた頃ある異変に気が付いた。それは魔物の痕跡。ごく最近のもので足跡に樹木についた毛。これはアングリ・ボアのものだ。
おかしい。アングリ・ボアは魔物の一種でこんな森の浅いところには生息していない。個体自体の危険度はさして高くはない。上手く誘導して壁や木に突進させれば衝撃で気絶(だいたいは頭蓋骨骨折で死ぬ)させることが可能だからだ。問題なのは向こうもバカではない為なかなか自爆させられないこと、Eランクには厳しい相手であるということ。そして多分彼女は魔物の存在に気が付いていないこと。
ヤツの突進を食らえば普通の大人でも下手をすれば即死だ。このことを彼女に伝えなくては。しかし伝える方法が無い。声は出ない、そもそも身体も動かない。
後ろに気配を感じた。いる、確実に、それに戦闘態勢で。
どうする。このままだと彼女が。...そうかこれなら動かせる。
突進してきたアングリ・ボアに襟巻きを裏拳をかますように叩きつける。もちろん魔力の盾を展開して。
アングリ・ボアは自分の突進の威力をもろに頭に喰らい地面に崩れた。
上手くいった。襟巻きを使う作戦成功!
アングリ・ボアを倒し警戒を解く。もう周りには魔物の気配は感じない。これなら大丈夫そうだ。
そして彼女は驚いたように固まっていた。それもそうだろう。いきなり自分の襟巻きが動いて突進してきていた魔物を弾き飛ばしたのだから。俺でも驚く。
彼女は首の俺を掴んでほどいた。じーっとこちらを見ている。彼女からしたら得体のしれない物になったかもかもしれない。
「何今の!えっ?もう1回、もう1回やって!」
予想と違う反応にこちらが驚く。
「動いたよね?!なんか出たよね!もう1回!」
さっきまでの雰囲気とはかなり変わっていてかなりテンションが上がっているようだ。とりあえずやらないよの意思表示で左腕?を振ってみた。
「やっぱり動いた!でもどうして急に?今までこんなこと無かったのに。」
急に冷静になって考えて込んでしまった。
「もしかしてあれかな?えっと...そう!付喪神!大切にしてた物がなるとかって言う。」
ちょっと違う気がするけど、彼女がそういう風にしたいならそうしておこう。元勇者ですとかって言っても信じてはくれないだろうし。
「そうだ付喪神さん。...うーん名前があった方がいいな。今日からあなたはストール。そのまんまだけど気に入ってくれたら嬉しいな。」
どうやら俺の名前は「ストール」になったようだ。
「私はセレン。今日は助けてくれてありがとう。ストールさん。」
彼女の笑顔が眩しがった。