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その夜は、一睡もできなかった。
目を閉じると、いや目を閉じなくとも、力無くベッドから垂れている紫色の腕と、敷布に大きく滲んだ暗い色が、静かな暗闇に浮かんでくる。息苦しさを覚え、ダンは枕を、壁に向かって放り投げた。
アキは、死んで当然。無理に思考を切り替える。幼馴染みである俺を裏切り、俺を疎んじていた父の側についたのだから。それでも。悔恨の念が、何度も、ダンの心を苛んだ。
何故アキは、俺を裏切ったのだろうか? 取り留めの無い思考に、柔らかい布団に押し付けた頭を横に振る。今は亡き師匠と、幼馴染みのダン以外、アキには、大切な人などいなかった、はずだ。それなのに、……この俺を裏切った。冷たくなった胸に、ダンはもう一度、首を横に振った。人間は皆、自分自身を、一番大切にする。冷め切った祖父の言葉が脳裏を過ぎる。死にたくなかったから、アキは、権力者であるダンの父に屈した。胸の痛みを、ダンは何とか飲み下した。
父から向けられた憎悪に対する、冷たい熱が、ひたひたとダンを満たす。魔法は、知識と、術者の想いの強さに依存する。かつてダンとアキに魔法の技を教えてくれた師匠の言葉に、ダンは重い頭を抱えたまま、脱ぎ散らかした制服を手に取った。祖父を憎んでいた父は、おそらく、祖父が傾倒していた魔法も学問も憎んでいた。だから、アキがいない今、父を守る魔法は、おそらく皆無。今こそ、このくすぶる思いを、晴らす時。気配だけで、ダンは手垢のついた件のノートを鞄から取り出した。
呪文を唱えると同時に、夏の日差しが、斜めにダンの目を射る。
慎重に降り立った倉庫から女召使い用の服を盗んで羽織ると、既に勝手知ったる石畳に、ダンは歩を進めた。目標は、もちろん、父を弑すこと。
だが。
廊下の途中で、鱗鎧の、金属が擦れる音がダンの耳に響く。おそらく、王を守る近衛兵。音からすると一人で王城を見回っているようだ。召使い用の被り布で顔は隠れているから、身を隠さなくてもやり過ごせる。そう判断し、ダンはその身を半回転させて廊下の隅で頭を下げた。次の瞬間、通り過ぎたと思った近衛兵がダンの腰を強く抱く。あっと声を上げる間もなく、ダンの身体は、ダンと殆ど変わらない背丈の近衛兵によって廊下の暗がりへと押しつけられていた。
こいつは。ダンの腰に自分の腰を押しつける近衛兵に、頬が熱くなる。俺を慰みものにするつもりか? 面白い。ダンの目線すぐ下に見える、近衛兵の顔を隠す兜を、ダンは素早い動作で剥ぎ取った。
「……なっ!」
兜の下に見えた、見慣れた丸顔に、全身が硬直する。こいつは。いや、こいつは、……死んだはず、では? 混乱のままに、ダンは、にこりともしないアキの、青白い顔を見つめた。
「僕を殺せば、陛下のこと、諦めてくれると思ったんだけど」
そのアキの、柔らかな唇が、静かな言葉を吐く。
一瞬にして、辺りの空気は、夏から冬へと変わった。




