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麻冬さんの話

作者: 塩生


 彼女の話をしよう。成績優秀、容姿端麗、クールで人を寄せ付けないオーラを漂わし、美の象徴である黒髪ロングを振りかざして颯爽と歩く香我美麻冬さんの話を。

 まあ、黒髪ロングに美を感じるかは個人によると思うけど。私は好き。

 そして麻冬さんは頭脳明晰で眉目秀麗……ってさっきも同じようなこと言ったな。でも、どれほど称賛の言葉を重ねても麻冬さんの魅力を語りつくすには足りない。

 さらに麻冬さんは……

「おーい、元気なこと以外取り立てて特徴のない三咲ぃー、帰ろうよー」

 と、重ねて麻冬さんを褒めちぎろうと脳を高速回転させていたところに無粋な声が割り込んでくる。

「……民子ちゃん、いまは麻冬さんがいかに素晴らしいかを語ってるの。ていうか、私のことそんな風に思ってたのちょっとショック……」

 麻冬さん談義を中断され、さらに友人の悪意を垣間見てしまった私はションボリと肩を落とす。

「あはは、冗談冗談!そんな気分落とさないで、帰り喫茶店寄ってこうよ」

 そう言って、民子ちゃんは笑いながら私の肩をたたく。たった今あなたのせいで気分が落ち込んでいるんですよ……。

「ほら、行こうよ」

 と、私の手を引く民子ちゃん。

 でも、私にはまだやるべきことがある。

「……ごめんね民子ちゃん。今日もちょっと……」

 引っ張られて立ち上がりかけた私がそう言うと、民子ちゃんは……。

「ああ……なるほど」

 と、察してくれたのか私の手を解放してくれる。

 やっぱり持つべきものは親友。こういう時皆まで言わずとも分かってくれて、静かに受け入れてくれる。

 私は親友の懐の深さに感動しながら席を立ち、さっきから私たちの会話が聞こえてるだろうに、黙々と帰り支度をしている前の席の黒髪ロングの女の子の肩をちょんちょんとつつく。

「ねえ、麻冬さん……今日こそ一緒に帰らない?」

 私に声を掛けられた麻冬さん……香我美麻冬さんはチラッと私のほうを振り返った後すぐにまた前に向き直り……。

「ごめんなさい。先約があるので」

 そう小さく、冷たい声で言うと、席を立って私から離れていく。

 そして二つ前の席の女の子に話しかけた。

「ねえ、今日一緒に帰らない?」

「あ、うん、いいよー」

 その子は二つ返事で了承し、麻冬さんと共に教室を去っていく……。

 ……先約じゃないじゃん、いま約束取り付けてたじゃん……。

 目の前でショッキングな光景を見せられた私は茫然自失の体でその場に佇み……いや、もう結構慣れたんだけどね……。

「で、用事終わった?」

 そう笑顔で訊いてくる民子ちゃんを見て、私はいつものようにため息をつき……。

「うん、じゃあいこっか、喫茶店」

「よし、パフェでも食べるぞ」

 そう言って、民子ちゃんは私の肩に腕を回す。


 香我美麻冬さん。成績優秀、容姿端麗、クールで人を寄せ付けない……寄せ付けてないのは私だけなのかも……。




 喫茶店の窓際の席で民子ちゃんとパフェを食べ、家に帰るにはまだ早い気がしてなんとなく駄弁って時間を無為に過ごしていた頃。

「ねえ三咲、明日提出の数学の課題なんだけどさぁ」

 そう言って民子ちゃんがプリントを差し出してきて、麻冬さんに振られた私の気分がさらに下落する。

「ここまだやってないよね?」

 民子ちゃんが指さしたところを見ると、どうやらただの計算問題ではない証明の問題が載っていた。

「うーん、確かにやった覚えないかも」

 本当はやってない覚えもないのだが、民子ちゃんがやってないというのならやってないのだろう。勉強のことに関しては(それ以外のことでもだけど)民子ちゃんに頼ることの多い私である。

「だよねぇ、どうしよっかなぁ、一応やっておいたほうがいいよね」

 言いつつ、教科書をパラパラとめくる民子ちゃんに少し尊敬の念を覚える。私ならこういう時、その問題はやらないだろう。

「教科書見ながらやればできるかぁ」

「あ、じゃあ今やらない?」

 民子ちゃんの一言で、できればこの場で面倒なことは(民子ちゃんに任せて)終わらせておきたいという寄生木根性が鎌首をもたげてきて、私も教科書を取り出そうとカバンを探る。

 あれ……?

「ん、どした?」

 怪訝そうな顔でカバンの中を覗き込む私を見て、民子ちゃんが訊いてくる。

「……教室に忘れちゃった」

「あー……ドンマイ」

 私はお世辞にも数学が得意とは言えないので、教科書がないとさっきの証明問題はもとより他の問題もできない。いくら民子ちゃんに頼る私というのが二人の間での共通認識として定着していたとしても、ここで全ての問題を教えてもらうというのは虫の良すぎる話だろう。

 私は肩にバッグをかけて席を立ち、

「そんなに離れてもないし、取りに戻るよ。ちょっと待っててくれる?」

「あい、わかった。気を付けて行ってらっしゃい」

「うむ、行ってくるぞよ」

 そう言って、私は店の出口に向かう。

 外から手を振ると、民子ちゃんも小さく振り返してくれる。

 民子ちゃんといると安心する。私が私らしくいられる気がする。麻冬さんに無碍にされても落ち込んだ気分を引きずらないでいられるのは民子ちゃんのおかげだ。

 私はまたしても親友の尊さを思い、感涙にむせび泣きながら高校への道を歩きはじめた。




 差し込む夕陽は教室の雰囲気をガラッと変える。昼間この小さな空間に約40人もの生徒がひしめき合っていたことなど夢であったかのように、いまはただ静寂のみがあり、黄昏が場を支配している。

 ……などと訳の分からない感傷に浸っている場合ではもちろんなく、私は急いで自分の席に向かって、机の中を探る。

 持ってくるのを忘れないために大体の教科書は机の中に入れっぱなしにするという殊勝な心掛け(?)のおかげで、数ある書籍の中から数学の教科書を探り当てるのも一苦労だ。

「あ、あった~」

 やっとの思いで引き抜いた数学の教科書と共に紙きれが二枚、はらりと床に落ちた。

 しゃがんで拾ってみると、近くの映画館の名前と今公開されている映画の名前、上映時間が書かれていた。

 二枚あったことから、私はふと思い当たった。

「あー……民子ちゃんか~」

 実は今回だけでなく、こういったことは度々起こる。映画じゃなくても、水族館であったり、よく知らない舞台であったり、サーカスであったりするけれど……。

 だから、あいつとは何でもないっていつも言ってるのに……。

 こういうことに関して、民子ちゃんは常に知らんぷりを決め込むので、訊いてもわざとらしく顔をしかめるだけでなにも答えてくれない。

 なぜ、民子ちゃんが犯人か分かるかというと、あいつと話しているのを廊下や、踊り場などでよく見かけるからだ。

 こういうお節介まがいの行動さえなければ、民子ちゃんは正真正銘、完全に完璧な親友なのになぁ……。

 それでも、私はいつも頼らせてもらっている身なので、このことに関して強く言えず、いつも甘んじて金券ショップに売るなどしている。

 民子ちゃんが知るときっと怒るだろうから、このことは秘密。

 でも、今回のチケットは金券ショップに売る以外に使い道を見つけられそうだ。

 私はファイルを取り出し、チケットを丁寧にファイリングして、数学の教科書と一緒にバッグに入れた。

 

 喫茶店に戻ると民子ちゃんの姿はもうなかった。

 ………………

 …………

 ……

 民子ちゃあぁぁぁぁん!

 前言撤回。どうやら民子ちゃん親友化への道は長く険しいようだ。




 翌日。女子トイレの前でなにか待ちきれなさそうにそわそわしている不審者がそこにはいた。

 ……まあ、私のことなんだけど。

 なぜこんなところで、そして何を待っているのか。

 待っているのは、無論、麻冬さんである。……私にとっては無論だ。

 なぜこんなところ……トイレの前なのか、それは麻冬さんが私を無視し続けるからだ(泣。

 私が麻冬さんに声をかける時、それはいつも私が麻冬さんの背後に立ち、麻冬さんの背中に向かう形になる。つまり今までは向き合って言葉をぶつけていなかったということだ。

 ならば、きっちり真正面から対峙して麻冬さんの目を見て声を掛けたらどうだろう。麻冬さんは私の迫力に、ぶつける感情にコロッといってしまうのではなかろうか。勝算はある。トイレの出口は一つ。武器は私の麻冬さん愛! 槍を持った騎兵がなぜ強いか、それは槍の先端にエネルギーを集中し、一気に貫くことができるからだ。ならば私も愛の槍で麻冬さんの心を一刺し!やってしまおうじゃないか。ふっふっふ~。

 と、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべている私を横目に怯え切った表情で通り過ぎていく生徒たちの流れが途絶えたと思ったら、麻冬さんがフッと華麗に現れ、目の前にいる私と目が合うと驚いて後ずさった。

「麻冬さん!話があるの!」

 自分が優勢であるうちに一気に攻撃をたたみかけようと私は話を切り出した。

「明日!映画!行こう!」

 そう言って私は昨日机から落とした二枚のチケットを差し出してみせる。

「梅木町駅!13時半から!」

 大声で叫ぶ私を見て、通りすがりの生徒たちが何事かをこちらを見ている。けれど、私は体裁などつゆ知らず、ありったけのパワーで愛で眼力で麻冬さんを陥落しようと試みる。

 ……あ、麻冬さん退いてますね……。

 でも、その退きっぷりには多少の嫌悪感は見えるものの、私の話をちゃんと聞いてくれているようにも見える。麻冬さんは感情を表に出さないようなタイプだからそう見えるだけかもしれないけど……。

「あの、ちょっと……いきなりなに?」

 状況が把握できていないのか、麻冬さんはおろおろして周りに目を向けたりしている。

 衆人環視の中で二人だけの世界に持ち込もうとする私と対峙して戸惑っている。

 このまま長引かせるときっと私は負ける。だから今日こそはここで決めないと。

「待ってるから!来てね!」

 私は、ひるんでいるうちに一気にけりをつけんとばかりに、強引にチケットを麻冬さんの制服のポケットの中にねじ込み……。

「あ、え? ちょっと……」

 そんな麻冬さんの言葉にならない呟きを尻目に、その場を後にした。



 昇降口まで下ると、民子ちゃんと、とくに特徴のない、けれどいつも元気に学校に来ている「あいつ」(……ちょっと待ってもしかして私に似てる??)が話していた。

 私が来たのを視認すると、二人は目配せ(?)し、あいつは手をあげて、民子ちゃんは笑顔で私に挨拶した。

「よう、三咲」

「や、妹尾」

 私たちはそうやっていつも幼馴染特有の軽い言葉を交わしてから、会話をはじめる。これはお決まりのもので、これがないとおそらく会話のリズムが崩れてしまう。

 が、今日は悠長に会話などしている時間などない。

「三咲、どうしたの?」

 急いでいる様子の私に民子ちゃんは怪訝そうに訊ねる。

「うん、ちょっと、麻冬さんから逃げてるの」

「え?どういうこと?」

 そもそも追ってきているかどうかも定かではないが、私に追い付いてチケットを返されることは何としても避けたいところだ。いつもは追っている者が今は追われる身。確かに民子ちゃんにとっては不思議な構図だろう。

「あ、そういえば民子ちゃん、またやったでしょ!アレ!」

 私がいう「アレ」は昨日のチケットの事だったが、どうやら民子ちゃんにも分かったようだ。だって……。

「え?なんのこと?」

 民子ちゃんはいつものようにとぼけたから。

「アレってなんのことだよ?」

「妹尾には関係ない!」

「……」

 妹尾はショックを受けて黙り込んだようだ。

「……三咲、ちょっとくらい気にかけてあげても」

「でも良かった。おかげで麻冬さんと行けるよ!」

 言ってからしまったと思ったが、私は麻冬さんにチケットを受け取ってもらった(無理矢理持たせた)喜びと高揚感で頭が上手く回っていなかった。

「シカトですか……。ていうかあたしは何にもしてな……って香我美さんと行く……?」

 その時の民子ちゃんの目はなぜか一瞬非難しているようにも、悲しみを湛えているようにも見えた。

「じゃあ、またね!民子ちゃん!」

「……え?ああ、うん……また」

 短い挨拶を済ませて、靴に履き替えると、私は昇降口をかけ抜けた。

「おい柵原、俺に黙ってやったのかよ?」

「……」

「……お前までシカトするのか」

 そんな会話が聞こえた気がしたが、今は早く帰って明日の準備をすることしか念頭になかった。




 この数分で、スマホを取り出してはしまい、また取り出してはしまいを何度も繰り返している。

 集合時間にはまだ早い午後12時40分。時間の進みがいつもより早く感じ、スマホで時間を確認しては、その実ほとんど進んでいないことに気づかされる。

 土曜日の午後。梅木町の駅は、花金が終わっていい感じに酔って帰ったら、なぜか子供が起きてて翌日に映画に連れて行ってくれるようにせがまれ、いい感じに酔ってたノリで承諾してしまって朝起きて後悔しながらも泣く泣く家族を引き連れて映画館までやってきた人たちでごった返していた。

 ……というのは冗談にしても、平日よりは遥かに人が多く、麻冬さんが来たとしても認知できない可能性をはらんでいた。私の麻冬さん探知機は本来信頼性の高い代物だけど、こうまで多いとさすがにジャミングを心配せざるを得ない。

 というか、そもそも来てくれるんだろか、今日……。

 昨日、勢いで渡してしまったものの、普段ガン無視している私と一緒にいきなり映画なんて、麻冬さんが行きたがるわけないよなぁ……。

 渡せばこっちのものと考えていた自分の浅はかさを嘆きながら、またスマホを取り出そうとポケットに手を伸ばした時……。

 不意に第六感が作動し、私の目は自然と改札の方へ向けられる。

 そこには……。

 普通の人には感じられないであろう、しかし私にとっては息をのむには十分なほどに圧倒的な存在感を放つ黒髪ロングがたなびいていた。

 麻冬さんは改札を通り、優雅に周りを見回し、私を確認すると、ゆっくりと、他の人たちの忙しなさも相まってスローモーションに見えるほどにゆっくりとこちらに近づいてきた。

 シックな紺色のコートに身をつつみ、いつもの感情の起伏の感じられない無表情をたたえて私の前に立つ麻冬さんの美しさに、私はしばらくの間見入っていた。

「……いかないの?」

 挨拶すらもまともにすることもせずに見つめている私に、麻冬さんは不思議そうに問いかける。

 その短い問いかけすらも私にとってはクラシック音楽のように崇高なもののように感じられて……。

 ……って今浸っているわけにはいかないので、私は慌てて恍惚な気分を払いのける。

「あ、うん!そうだね!えっと……」

 スマホを見ると13時過ぎ。今から行けばちょうどいいだろう。

「よし!行こう!麻冬さん!」

 私のテンションの高さに辟易したのか、いつものスルーなのか、その言葉を聞くと麻冬さんは小さくため息をついて映画館の方へ進み始める。

 それでも、そんな薄い反応でも、私は麻冬さんが来てくれたことが嬉しくて。

「ありがとね、麻冬さん。来てくれて」

「……暇だったから」

 隣に見える、その端正な横顔に感謝を伝えずにはいられなかった。




 しまった!失念していた!と感じたのは、映画が始まって……いや終わる20分前ぐらいだった。

 評判だけでも事前に調べておくべきだったのだ。微妙なラストで終わってしまって、しんみりしたお通夜のような雰囲気になるのだけは避けるべきだったのだ。

 映画の内容は……友達としての関係だった男女のうち、男性の方が異性に対する好意を見せたことで、関係が壊れていき……まあ、後はこの雰囲気から推して量るべしということですね……。

 だって、ほら二人の間に流れる空気はこんなに……って私ひとり?

 急に消えてしまった麻冬さんを血眼で探すために件のレーダーを起動させようとした私だったが、そんなことせずともその見慣れた背中はすぐに見つかった。

「麻冬さーん」

「……」

 なるべく大きい声にならないようにセーブして呼んだためか、気づく素振りもなく、麻冬さんはどんどん先にエスカレーターを下りていってしまう。

「ちょっ、待って待って」

「……」

 急いで追いかけるも、麻冬さんは私を無視して、早足で逃げる。

 逃げる……?

 そう、なんだかその無視の仕方はいつもの受け流す感じじゃなくて、何かから逃げているような焦りが感じられた。

 具体的には私から……。

「さっきの映画、なんか微妙だったね」

「……」

 そう言って、私が隣に並んで歩こうとすると、麻冬さんは足を速める。

「ごめんね麻冬さん、私がちゃんと調べておけば……」

「……」

 声をかけても、その背中にはいつもの飄々とした余裕はなく、明確に拒絶の意思を放っているように思えた。

 だから、私はそのいつもと違う麻冬さんの態度が余計気になって、なんだか拒絶されてるって分かってても声をかけてしまう。

「どこかでお茶しない? 気分転換ということで」

「……」

 映画が微妙だったことに共感を求めて、それを調べていなかったことを謝って、その結果のこの雰囲気を払拭しようとして。そんな、自ら毒をばらまいた後に解毒剤を散布するような行動が空回りであることは明白で。

 本当は麻冬さんの態度の原因がそんなところにないなんてことは分かりきっている。

 でも自分の行動を一から振り返ってみても、どこにも原因が見つからない。

 だから、今は一向に答えのでない問いについて考えるよりも、共感したり、謝ったり、気分転換を持ち掛けたりした方が効果的な気がした。

 それで、いつものように私のことを受け流してくれるのなら。その刃のように尖った後ろ姿ではなく、飄々とした後ろ姿に戻ってくれるのなら。

 けれど……。

「待ってよ麻冬さん!」

 映画館を出て、駅に至り、ついに改札までくぐろうとしていた麻冬さんの手をつかんで、なんとか引き留める。

「どうしたの麻冬さん……なんか変だよ……」

「……別に、変じゃないわ」

 その落ち着いた声ですらもいつもの透き通るようなものではなく、今は重く、腹の底に響いてくる。

「絶対……絶対おかしい……」

「あなたに何が分かるの……?」

 その声音は胸の中にダイレクトに入り込んできて、私の心臓をキュっと締め上げた。

 だから思わず顔を上げて……。

 そして、息ができなくなった。

 だって、そこには……。

「あなたに……あなたにだけは分かってほしくない……!」

 涙で頬を濡らした麻冬さんの顔があったから。いつも無表情の麻冬さんが、瞳に怒りと憎悪を湛えていたから。私の浅はかな考えを非難しているように思えたから。

 その完全な予想外に、私は目を見開いて立ち尽くすことしかできず……。

「……離して」

 その静かで、けれど雑踏にかき消されることなく私に届いた拒絶の意思に抵抗することなんてできなくて。

 私はそっと、掴んでいた手を放した。

 そして、麻冬さんは改札をくぐると、すぐに大勢の人に紛れて見えなくなった。




 月曜日。またもトイレの前で何かを待ち続ける不審者こと戸倉美咲こと私がいた。

 なぜこんなところで、そして何を待っているのか……もういいか、ご存知の通り、香我美麻冬さんを待ってます。

 土曜日の、去り際に見せた麻冬さんの表情は、私の日曜日を全く無為なものに変えてしまった。

 彼女の、あの頬を伝う雫の、負の感情のこもった瞳の理由を考えて、考えて、それでもやっぱり分からなくて。そんな思索に浸っているとなんにも手が付けられなくて。

 生産性の欠片もない休日を過ごしたのだった。

 逆に考えれば一日中麻冬さんの事を考えていたということでもあり、それは私にとっては有意義だったのかなとも思ったけれど。

 でもやっぱり、麻冬さんの泣き顔や怒った顔のことなんかじゃなくて、いつもの無表情で飄々とした彼女を思い浮かべていたい。

 だから、あの涙の理由を絶対に聞き出さなきゃいけないって、そう思ってるんだけど……。

 ……麻冬さん、全く取り合ってくれないんだよね……。

 朝からずっと声をかけてるけど、すぐに私の前から逃げて行ってしまう。その背中には、やっぱりまだ拒絶の意思が張り付いていた。

 その麻冬さんの態度の微妙な変化に気づいたのか、民子ちゃんも怪訝そうに「何かあったの?」と訊いてきて、その心配そうに私を見る目にいたたまれなくなりつつも、苦笑いして「ううん、いつものことだよ」と返すことしかできなかった。

 だって、これは私と麻冬さんの問題だから。こんなことまで民子ちゃんに頼ってちゃいけない気がしたから。

 これだけは、この問題だけは、自力で解を求めることに決めた。

 と、決意を新たにしたところで、目の前に艶やかでサラサラの黒髪が舞う。……ああ、いつ見てもどの角度から見ても綺麗だなあ……ってうっとりしている場合じゃなく。

 私は一歩前へ進みだすと、あの時と同じように迫力満点に叫ぶ。

「麻冬さん!」

 そのただ大きいだけの騒音のような声に、麻冬さんはビクッとなり、周囲の人はこちらに目を向ける。

 それでもいい、騒音でも麻冬さんが注意を向けてくれれば。

「話があるの!」

 私の眼力に、一瞬たじろいだように見えた麻冬さんは、フッと視線をそらすと、私のことなど眼中にないかのように去ろうとする。

 まただ。また、あの棘のある無表情だ。

「待ってよ!」

 その私の声も聞こえていないかのように、麻冬さんは階段を下り始める。

 そして、私はまた彼女の手を掴もうとして……。

 途端に麻冬さんはこちらを振り返り、あの、低くて腹の底まで響くような声音で、言った。

「話なんか……ない……!」

 その心臓を締め上げられるようなむき出しの嫌悪に、明確な拒否に、私はまた、その場にくぎ付けにされそうになったけど。

 そんな堂々巡りはしたくなかったから。先に進んで答えを見つけるって決めたから。

「麻冬さん、私―――あっ!」

 と、私が話しかけようとしたのも束の間、麻冬さんは背を向けて、階段を駆け下りる。

「待って!待ってよ!」

 なんで?なんで逃げるの麻冬さん。話し合わなきゃ絶対にお互い辛いままだって。麻冬さんが私の何から逃げてるのか、私には分からないけれど。でも、麻冬さんが苦しんでるのは分かる。ずっとあなたを追いかけてきた私にはわかる。

 だから、逃げないで、私と向き合って、私にぶつかってきてよ!

 麻冬さんの背中が近づく。

 必死に、懸命に、足を回して、私から遠ざかろうとしている。

 でも、私の方が足の速さはちょっと上で。

 昇降口まで来たときには、麻冬さんの手をしっかりと掴むことができていた。

「はぁっ……はぁっ、麻冬、さん……」

 息を切らしながら、麻冬さんの名前をかろうじて紡ぎだす。

 麻冬さんは私の方を見ないまま、じっと私に手を握られている。

「教えて、あの時のこと……なんで……」

「……チケット、間違えて入れてたの」

 静かに、そして決意のこもった声音で、麻冬さんは呟いた。

「間違えて……入れた……?」

「渡そうと思って……タイミングが掴めなくて、決心も揺らいでて……」

「だって……あれは……」

 民子ちゃんのいつものお節介で……。

「違う……あれは、私が、失くしたはずの物だったの……」

「そんな……」

「失くした後で調べて知った、あの映画の内容……」

 友人関係の崩壊。

「……だから、あなたは何も悪くない。全部私のミス……でも」

 麻冬さんは鋭く、そしてあの時と同じような目で私を見て、

「あなたのことは、許せない」

 重くのしかかってくるような声で言った。

 でも、私はひるむわけにはいかない。彼女の心の叫びを、謎を解くカギとなる彼女の負の感情の発露をこの身で受け止める必要がある。

「あなたが……私と友達になりたいっていう真っすぐな心を向けてくるあなたが……憎い」

「どうして……」

 聞きたくはなかった。これ以上麻冬さんが苦しむ姿を見たくなかった。

「私たちは、友達になんかなれない……なれるわけない……」

 感情を吐露することで自ら傷ついていくのを見るのは耐えられないと思った。

「だって、私は、あなたのこと……」

 麻冬さんの目からポロリ、と雫が落ちる。

「一目で好きになった……でも、あなたは、私と友達になろうとして……」

 ポロポロとこぼれていた雫は、いつしか頬を濡らし、両頬に涙の川を作り。

「あなたが私に声をかけてくるたびに、自分の『好き』の有り方があなたのとは違うって思い知らされて、醜くて、恥ずかしくて、苦しくて」

「麻冬……さん……」

 ずっと気になっていた。なんで私にだけ、素っ気ない態度取るんだろうって。他の子たちとは普通に話してるのになんで私には冷たいんだろうって。

「仲良くなんてなったら、いけない……。きっと最悪の形で壊れちゃう……」

 その麻冬さんの心の奥底にわだかまる闇に、感情の静かな爆発に私は言葉を発することなどできず……。

 自分は麻冬さんのこと、本当はどう思ってるんだろうとか、すぐには答えが出そうもない思考に苛まれ……。

 何か言わなきゃ。麻冬さんになんでもいいから言葉をかけてあげなきゃ。

 そう思った途端に、自分がこの場を上手く切り抜けるための、おためごかしの虚言を吐こうとしていることに気付いて、自己嫌悪に駆られて。

 結局、窒息しかけているかのように口をパクパクさせることしかできず、自分が麻冬さんの気持ちに向き合うのを恐れているんだということに気づかされて。

 そんな私の情けない姿を見て、なにかを諦めたように、吹っ切れたように麻冬さんは息を吐いた。

「あーあ、言っちゃった……」

 その表情は私の知っている、麻冬さんのどの無表情とも違って、眉を八の字にして、自分をあざ笑っているかのようにも、何もかも終わってしまった後のような清々しい表情にも見えた。

 やめて……。そんな……そんな顔、しないでよ……。

「あ、あの……麻冬、さん……」

「……私、帰る……ついてこないで……」

 そう言って私の前から立ち去っていく麻冬さんの顔にはもう涙の跡はなく。

 ただ、伏し目がちな横顔に諦めと憂いと悲哀が浮かんでいた。




 私は考えた。麻冬さんの気持ちを、そして自分の麻冬さんに向ける気持ちのことを。

 麻冬さんは私のことが好きで、でもその『好き』は私が麻冬さんに抱いているものとは違ってて。

 じゃあ、その私が麻冬さんに抱いている感情ってどんなものだろう。

 一緒になにか食べたり、一緒にどこかで遊んだり、一緒に笑って……そんな想像が一番最初に出てくる。

 尊敬や崇敬などとは別の、もっと、もっと近くに寄り添いたい欲望。

 それじゃあ、麻冬さんが私に抱いてるのは、それよりも、もっともっと近くにいたいってこと?

 その、あの、あ、ああいうこととか、したりしたいってことだよね?

 私はそれを想像しかけて、頬を熱くする。

 でも、麻冬さんに、求められたら、私……。

 嫌とはいえないかもしれない。常識的に考えればきっとおかしいことなのかもしれない。その常識から外れてしまうことは恐ろしいことなのかもしれない。

 けれど、きっと拒絶することなんて、できない。

 そういう関係が最終的にどこへ行き着くのかは想像できない。でも、私が受け入れることで、今の状態から少しでも進むのなら。

 ……私は、麻冬さんの欲望をこの身に背負おう。

 それで、麻冬さんが楽になるのなら。自分が麻冬さんに与えてしまった苦しみを癒すことができるのなら。

 せめてもの罪滅ぼしとして。

 だって、「一緒にいたい」って気持ちは二人とも同じだ。





 寒風吹きすさぶ屋上には私たち以外、誰もいない。

 それもそのはず、こんな真冬にこんなところに来ているのは、宇宙人と交信している電波系ヒロインか、タイムリープを繰り返すSFの主人公か、風を全身で浴びて世界の黄昏を背景に儚げに微笑む終末系ヒロインぐらいのものだ。

 ……ちなみに上記の三つの例は現実世界には存在しないため、この季節に屋上に来る人などいないも同然。

 なぜそんな場所で、私と、そして風にたなびく黒髪ロング……麻冬さんが対面しているかというと……。

 ここなら、誰にも見られずに済むから。

「麻冬さん」

 そう言って、私は一歩、距離を縮める。

「……もう何も話すことなんてないはず」

 麻冬さんは、近づく私から目を背けて……。

「私のこと、嫌いになったでしょ?」

 自分を卑下するように、皮肉のこもった声音で言う。

「……もう放っておいて。いまはもう、なんだかスッキリしてるの」

 じゃあ、なんで、そんな悲しそうな顔をするの。心残りがあるかのように、私の方をチラチラ伺うの。

「麻冬さんの気持ちは……分かる。それが私の麻冬さんに対するものとは違うってことも」

「そう、分かってるならいいじゃない。それじゃ……」

 捨てるように言って、麻冬さんは踵を返す。

「それでも……!」

 私の声に、麻冬さんはピタッと足を止める。

「麻冬さんと一緒にいたい」

 その言葉に、麻冬さんは振り向いて、

「だからそれは……!」

 この期に及んでまだ麻冬さんを傷つけようとする私に、憎しみをこめた目を向けてくる。

「私は、麻冬さんを、受け入れる」

 その、私の決意をはらんだ宣言に、麻冬さんはさっきまで向けていた怒りの表情をフッと和らげる。

「あ、あなた、それって……」

「麻冬さんの醜さも恥ずかしさも包み込んでみせる」

「それで……本当にそれでいいの……?」

「だって、麻冬さんの気持ちを知ってもまだ、私は麻冬さんと仲良くなりたいって思ってるから」

「そんなの……そんなの……」

「『一緒にいたい』って気持ちは二人とも同じでしょ?」

 言いながら、私は一歩、また一歩、麻冬さんに近づく。

「……バカぁ……大バカ者ぉ……」

 麻冬さんの瞳から、一滴、また一滴と大粒の雫が落ちていく。でもその目には以前のような憎しみや悲しみや怒りの色は浮かんでなくて。

「だから、ほら、手始めに何して欲しい?」

 それは単純に嬉しさなのか、これから先の未来に対する不安なのか。

 おそらく、そのどちらも含まれた涙だった。

「抱きしめて……ギュって、強く、抱きしめてぇ……」

 私は、麻冬さんの背中に手を回して、ゆっくりと引き寄せて、最初は軽く、徐々に力を入れて麻冬さんと体を密着させた。

 麻冬さんの涙が、私の肩口を濡らし、麻冬さんの熱い吐息が、制服越しに肌に感じられた。

「……三咲……さん、私……好き……あなたのことが、大好きなのぉ……」

「うん……私も好きだよ、麻冬さん……」

 二人の『好き』は全く違う物なのかもしれない。あるいはちょっと違うだけでほとんど同じものなのかもしれない。でもどちらが正解なのかを明らかにするには、まだちょっと早い気がした。

  

 この歪んだ関係がどこへ向かうのかなんて、分からない。

 天国か地獄か。最後の審判の時まで、きっと、それは分からない。

 けれど今は、今だけは、二人でいられるこの時間を大切にしたい。


 彼女の話をしよう。成績優秀、容姿端麗、クールで私だけを寄せ付けてなかった、美の象徴である黒髪ロングを私にクシャクシャにされながら、私の胸に抱かれる、香我美麻冬さんの話を。

 








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