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青の犬  作者: 停滞
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青の犬 後

 このお話は『青の犬 前』の続きのお話です。

 もしも、あなたが『青の犬 前』をまだ読んでいない場合は、『青の犬 前』を読了後にこちらのお話を読んだ方がよいかもしれません。

十二月 二日


 授業と授業の間の休み時間。青海は僕の隣の席で動画を見ている。○○市で起った火事の動画だ。青海は何が面白いのか知らないが、○○市で火事が起る度にその動画を学校で見ている。

「なんかさー、この火事ってだんだんとこの学校に近づいて来てね? おっかねーなー。今ここが燃え出したりしたら、生徒の大部分が焼死体デビューしてしまうよ」

 青海が学校付近のコンビニで起きた火事の動画を見ながら言った。なんだ、焼死体デビューとは。

 あと、青海が言った、火事が学校に近づいて来ている、という表現は間違っている。確かに、一軒目から始まって、二件目、三件目、四件目、五件目と、火事の発生現場は一件目の地点から、徐々にうちの学校がある方角へ向かっているように見える。五件目までは。

 昨日の深夜に六件目の火事が発生した。燃えたのは住宅街にあった何の変哲もない民家だ。僕は今朝の中にその動画を見て来たから知っている。五件目のコンビニと六件目の民家の場所は学校を挟んでいる。つまり、火事は学校を過ぎている。火事がこのまま進んだ場合、その先には僕や青海の家がある。

 青海のスマホの画面を覗き込む。画面の中では相も変わらず燃えている。そして、犬のような動物の眼光、と思しき二点の白い光と、ぼんやりとした全体の輪郭の影が映り込んでいる。影は動くことなく静かに佇み、視線はこちらを向いている。

 動物の影。視線。眼光。これまでに街で発生した一連の火事の全てに映り込んでいるこれらから僕が感じとってしまった不気味な感覚は、常に僕を苛み続けている。

「なんかさ、どの動画にも必ず犬みたいな動物が映ってるよな」

 僕は不安とか気味の悪さを我慢できず、青海に話を振った。

「え、そうなん? 全く気付いてないわ。どんな奴?」

「どんな奴って……この動画にも映ってるよ。……ほら、ここ」

 そういって、僕は二点の白い光が映っている箇所、画面の右下あたりを指差した。

「う~ん? よくわからん。これと言って生き物が映っている様には見えないけど」

「確かに動物かどうかは微妙なところだけどさ、二つ、白い光の点があることぐらいはわかるだろ」

 動物の全容はくっきりと映っているわけではないが、その眼光だけは判然と認識できる。

「え~、全く分らん。どこにあるんだ、それ?」

 青海はしっかりと僕の指先、画面上の二点の光を指し示す部分に目を向けながら言った。




 僕は自宅に帰って来てから、学校の授業の予習復習をするでもなく、ただひたすら学校で青海が見ていた動画、五件目の火事の映像を見続けていた。自室の椅子に座り、左手にスマホを持つ。再生ボタンをタップして、画面を食い入るように見つめ、動画が終了すれば、再び再生した。それをずっと繰り返していた。

 あの後、僕は青海に、あれ以上動画に映り込む動物の話をすることが出来なかった。話を続けることによって辿り着くかも知れない結末に怯えてしまった。青海は、本当に見えていなかったのだろうか。なぜだ。彼の視覚器官が奇跡的なほど鈍感であっただけか。いや、あいつは目が悪いわけじゃない。が、それだと、それだと……。

 火炎を纏ったコンビニエンスストアの広い駐車場の隅に、犬のような動物と思しき影は映っている。どことなく仄青く、頭部の位置には二点の光。明らかに見えている。映っている。白い光の双眸も、僕を見ている。見ている。見ている。見ている。見ている――――、

 ――――?

 なんとなく、二点の光が大きくなった?

 気のせいか? いや、明らかに先ほどよりも大きくなっている。膨張している。徐々に、徐々に、肥大している。動物の身体と思われる青い影が、揺らり、揺らりと歩を進めているかのように動いている。今までこいつが動画内で動いたことは一度もなかった。なのに。

 白い二点の光と仄青い獣の影が、画面に接近してくる。その近寄り方は奇怪だった。画面内で一歩一歩アスファルトの上を歩いて来るのではなくて、仄青い獣の影だけに、カメラのズーム機能を使ったかのように、対象が画面を占有していく。

 なんだ、これは。僕は数日前にこの動画を見た。今日の昼間にも青海のスマホで見た。家に帰って来てからは何回も見続けている。そして、その中で、このようなシーンは一度も見ていない。

 仄青い獣の影は、宙で空を足場に歩行をするかの様な奇妙な動きを伴いながら近づいてくる。画面内での獣の姿が拡大されたことによって、その全貌が露わになった。

 眼光を放っていたその眼球は鮮やかな琥珀色の光彩を有して、瞳の中に僕の姿を映している。鼻は黒く、鼻水で湿り気を帯びている。歪んだ口もとから白い牙が見えた。

 何より特筆すべきはその体毛だった。白い毛は、その一本一本の毛先に、仄青い何かを纏っており、それがゆらゆらと揺れている。そう、それは、まるで青い炎の様だ。

 獣の姿が画面全体を埋め尽くす。そして、

 ぶわりと、

 画面から青が飛び出す。

 熱い。反射的に目を瞑る。痛い。熱い。熱い? なんで? 青い何かが画面から盛り上がるように飛び出して、僕の顔を貼り付くように包んだ。それは固いとか柔いとか、さらさらしているとか粘ついているとかそう言った質感を全く有さず、全てが熱だけで構成されている。圧倒的な熱だ。人間が耐えることの出来ない様な灼熱。咄嗟に手に持っていたスマホを放り投げる。スマホと共に熱は顔から剥がれた。顔面が痛い。スマホを持っていた左の掌が焦げたように痛い。なんだ? ひりひりと、顔の皮膚の痛覚に焼けたような感覚がこびりついている。何が起った?

 瞼を開く。嗅いだことの無い様な、熱された異臭が鼻先を撫でた。前髪が焦げたように変質している。臭いはその前髪の先から漂っていた。

 一体何が起った? 事態の発生は突発的だった。僕はすぐに目を閉じた。何一つ確認できなかった。そのような余裕はなかった。さっきのあれ、動画内の一連の現象の後に、まるで映像の続きのように飛び出した青。あれはなんだ? 

 咄嗟に放り投げたスマホ。どこへ行った? スマホを持っていた手を振った方向、左に首を向ける。

 スマホは、ベッドのちょうど真ん中あたりに、画面を表にして落ちていた。僕はそのスマホを拾おうとして、椅子から立ち上がり、手を伸ばそうとする。が、その動きを制止した。

 何か、仄青い何かが画面から湧き出した。

 それは炎だった。青い炎だ。霧のように画面の表面に、ゆらりと漂ったかと思うと、見る見るうちに燃え上がる。膨張した青い炎は頼りなく揺らめきながらも、不自然な形状で一つの纏まりになった。その形状はどことなく、犬のように見える。

 ベッドの青い炎が触れている部分から、赤い炎が上がる。それは弾けるような音を立てながら瞬く間に広がり、増大する。

 なんだこれは。なんなのだこれは。いや、いい。いい。今はどうでもいい。今はこの火をどうにかしなければ。どうにか? どうするというんだ? 水を掛ける? 水道は一階にしかない。いや、間に合わないだろう。違う。違う。これはもう手に負えない。消防車だ。消防車を呼ぼう。電話は? 電話はどこだ。駄目だ。スマホは赤い炎に囲われて、青い炎の下にある。

 青い炎が、まるで犬が後ろ足で地を蹴るように、ベッドの上から飛び跳ねた。青い炎の身体がカーテンに触れる。緑色のカーテンが橙の炎に染まる。飛び跳ねた炎は僕のすぐ真横、机の上に着地した。僕は慌ててその場から離れる。机の表面から煙が燻る。机の上に置いてあった古典のノートから火が上がる。

 室内は僕が今までに体験したことのない高温で満たされていた。全身の汗腺から汗が噴き出す。額から汗の雫が一筋流れて、それが左の眉に吸い込まれた。ベッドやカーテン、机の近くの物が燃えている。それらの炎から壁やカーペットの一部などにも火が移った。煙っぽい、それでいて喉や鼻を刺激するような臭気の元の物質が、炎の根元のあちこちから撒き散らされている。室内は、至る箇所が赤い火炎に蝕まれていた。

 駄目だ。これは、駄目だ。逃げなくては。青い炎が揺らめき、動く。犬のような形状の、頭部に該当する箇所が僕に向けられたような気がした。僕は部屋のドアを開け放って駆けだした。

 部屋の外に出て、落ちるように階段を降る。居間に出て、固定電話の前に駆け寄る。消防車、まずは消防車だ。受話器を取る。ボタンを押す。押す。押す。押せない。動揺して手元が狂う。受話器を叩きつけるように置く。再び取って、再度ボタンを押す。押せた。暫しの間があって、電話は繋がった。人の声だ。

「……ええ、……はい、そうです。○○丁○○番…………」

 電話の向こうからの質問に、一つ一つ答えていく。ああ、こんなに悠長にしている場合ではないのに。緊張と、動揺からか、汗が止まらない。早くしてくれ。受話器を持つ手の平にはじっとりと手汗が滲んで不快だ。ああ、熱い。すごく熱い。熱い?

 会話に集中していた意識が分散する。何か、弾けるような音が聞こえる。ちがう。受話器の向こうからじゃない。熱い。背中にはびっしょりと汗を含んだ衣服が表皮に貼り付いている。そう、背後が熱い。振り向く。

 居間は、至る所に赤い炎が灯って、その灼熱で僕を囲い込もうとしていた。テーブルの上には犬のような形の青い炎がいる。なんで? ああ。部屋の扉。閉めていない。

 突然、青い炎が躍動して、弾丸のように僕へ向かって迫る。僕は咄嗟に飛び退く。青い炎が電話台になっているキャビネットを包んだ。たちまち赤い炎がキャビネットから湧いた。青い炎がこちらに目を向ける。

 玄関へのドアを開けて、居間を出る。今度はドアも閉める。ドアにはめ込まれた磨りガラスの向こうで青い影が揺れている。三和土に置いてある靴をつっかけて、外への扉の鍵を開ける。扉を開いて外へ出る。左足の靴が外れた。僕は左足の靴を置き去りにしたまま、扉を閉めた。




 夕暮れの住宅街。日が隠れた直後の藍色の空の下で、盛る火炎が赫赫と煌めく。炎が餌にしているのは僕の自宅だ。僕は家の正面に茫然と立ち尽くして、ただただその燃えゆく様を眺めていた。風が吹く。鮮やかな火の粉が宙に舞う。コートも何も羽織っていないが、近くに巨大な熱源があるから寒くはない。左の足の平は靴下越しにアスファルトの荒い表面を感じている。

 背後に集まった近所の人々のざわめきの、その向こうに微かなサイレンの音を聞き取る。消防車か。やっと来た。 僕は振り返る。

 白く光る二つの点。

 疎らな人垣のその隙間、人の足と足の合間から、動物の姿が覗いた。犬のような動物で、空仄青さを帯びた白の体毛を有している。鮮やかな琥珀色の光彩を有する眼が、僕の家を燃やす炎の光を反射して、白く瞬いた。犬のような動物は僕を見ている。僕は犬の瞳を見つめ返した。

 僕は犬をじっと見据え続ける。一寸たりとも逸らすことはない。サイレンの音が段々と近づいてくる。

 犬が動いた。ゆっくりとその場で踵を返す。犬はのろのろと、こちらに尾を向けて、のろのろと歩いて離れて行った。


 『青の犬』はこのお話が最終話です。

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