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後編

 クリスマスをひかえた学生街は、華やかな彩どりを見せはじめた。街路樹がイルミネーションで輝き、商店ではクリスマスソングが流れる。

 大学では期間外試験の行なわれる授業が増えた。掲示板には試験の日程や小論文の課題が貼られた。

 吾郎(ごろう)は掲示板の前に立ち、試験日程をにらんでいた。今年こそ、2年に上がらなければならない。麻子(あさこ)に学年で追い越されてしまうからな。

 携帯電話が鳴った。麻子からだ。

「吾郎さん。クリスマスプレゼントなんだけれど」

 麻子のはずんだ声が聞こえてきた。

「そんなものいるか。自分の欲しいものを買えばいいだろ」

「吾郎さんのじゃなく、(たける)さんのよ。彼の欲しそうなものを知りたいの」

「そうか」吾郎は、ばつが悪くなった。

「だったら買い物につきあうよ。健も呼んで、3人で銀座をぶらつこう」

「宝石店に連れ込むつもりでしょう。結婚指輪を試してみろって、健さんの手で、わたしの指にはめさせるんじゃない?」

「どうしてわかった」

 吾郎は、自分の計画が見透かされて驚いた。

「なんとなく。結婚指輪なんてまだ早いし、貧乏学生には買えません」

「雰囲気だよ。はめてみるだけならタダだ」

「そうじゃなくて、もっとふつうに健さんが喜びそうなものを教えてください」

 吾郎は少し考え、

「ラケットはどうだ? あいつ、新しいのを欲しがっていた」

「それ。でも、ラケットの選びかたとか、よくわからないし」

「おれが選んでやるよ」

「ありがとうございます」麻子がうれしそうに言う。

「クリスマスには健と過ごす約束をしているのか」

 吾郎の問いに、少し間があった。

「それが健さん、25日に落とせない試験があるそうなの。わたしも小論文の提出期限があるから。試験のあと、昼から会ってプレゼント交換をするつもりなの」

「そうか」と応えて通話を終えた。

 麻子と健はうまくやっているらしい。吾郎は、あれから口を出さないようにしていたが、最近の麻子の表情からも、そう想像できた。

 つぎの土曜日に、吾郎は麻子とスポーツ用品店を訪れた。

 駅前商店街にあるその店は、品揃え豊富で、テニス部員もよく利用していた。店頭には小さなツリーが置かれ、ショーウインドーは銀モールで飾られている。吾郎はふと、路肩に違法駐車された赤いクーペに気づいた。

 店内にはクリスマスソングがうるさいほど流れていた。

 吾郎と麻子は、ラケットのコーナーに向かった。ガットを外した色とりどりの商品が壁にかかっている。麻子は目移りしている様子だ。

「こんなにあるけど、これってなにが違うんですか」

 麻子がたずねた。

「細かく言えばいろいろと違う。ラケットの重さや、フェイス面の広さ、グリップの太さなど様々だ。プレイヤーの好みに合わせて選ぶんだな」

「健さんには、どれがいいかしら」

「280グラムの軽いラケットでいい。あいつは握力が弱く、体力もない。もっと軽量の、女性用のでもいいくらいだ。あまり重いラケットを使うと、それに振り回され、とてもプレイにはならない」

「健さんって、テニスに向いているんですか」

 麻子は疑問を感じたらしい。

「向いていないかもな。テニスの華やかな印象から入部を決めたんだろう。プレイはへたくそでも、おおらかな性格のせいか、気にならないようだ」

「テニスウェアは似合うんですけどね」

「ウェアのモデルには向いているかもしれん。これなんか、どうだ?」

 吾郎は1本を見立てて麻子に渡した。

「23,400円もするんですか」

 値札を見て、麻子が声をあげた。

「20,000円を切るのもあるが、本格的に使うなら、このクラスがいい」

「アルバイトの時間を増やします」

「まずは下見に来ただけなんだから、今日、決めなくてもいい」

 吾郎の視線が店内の一点で止まった。

 テニスウェアの並んだハンガーごしに、健と女子部員とがレジ前の通路を歩いていく。隣にいるのは新入部員の篠原朱美(しのはらあけみ)だ。

 朱美の腕は、健の腕にからみついていた。店内放送のため、話している内容までは聞こえないが、とても楽しそうに見えた。

 麻子は、陳列されたラケットの前で、まだ悩んでいる。

「吾郎さん」

 振り返ろうとした麻子の両目を、吾郎は手でふさいだ。

「だあれだ」

「ドスのきいた声でふざけないでください。吾郎さんに決まっているじゃない」

 吾郎は、ななめ後方のショーウインドーをにらんだ。

 モールで飾られたウインドーごしに、店を出た健と朱美が、赤いクーペに乗り込む。朱美が運転席につき、その隣に座った健が愛想笑いを浮かべる。

 わなわなと吾郎の指に力がこもった。

「吾郎さん、痛い」

「すまん」

 クーペが急発進し、吾郎は麻子の目から手を離した。

「どうしたんですか。こんな悪ふざけをするなんて、吾郎さんらしくないですよ」

「急用を思い出した。今日のところは出直そう」

 吾郎は麻子の返事も待たず、店を飛び出した。

 車道に出て、遠ざかるクーペのリアウインドーをにらみつける。クーペは急ハンドルで交差点を左折し、走り去った。

 吾郎には、ルームミラーで自分に気づき、逃げたように感じられた。健をつかまえて問いつめなければならない。はらわたが煮えくり返っていた。

 翌週、健と朱美は部活にあらわれなかった。

 吾郎は健に電話したが、つながらなかった。麻子にかけて、それとなく訊くと、期間外テストに追われ、部屋にこもって勉強しているという。

 朱美とドライブしてたじゃねえか。吾郎は歯噛みした。

 すぐに健のアパートに向かった。横に長い建物の外階段を、音をたてて上がる。2階の一番奥が健の部屋だ。外廊下を進んで、ドアを乱暴に叩いた。

「いるんだろ。勉強しているんじゃないのか」

 ノブを力まかせに回すが、鍵がかかっている。

 横に風呂場の窓があった。吾郎は、半分開いた窓から、桟ごしに室内をのぞきこんだ。脱衣所の向こうの廊下は薄暗く、人のいる気配はなかった。

 吾郎は窓から離れるとドアをけとばした。

 健と朱美は、テニス用品を買いに来ただけかもしれない。自分の取り越し苦労の可能性はあった。だが、2人のあの様子が気にいらない。直接、健を問いただす必要がある。吾郎はアパートを張り込む決意をした。

 一方通行の道路を挟んで、児童遊園があった。その周囲に木立ちが並んでいる。公園のなかからアパートを見張ろう、そう決めた。

 外廊下を戻りだすと、通りのかどを曲がって、赤いクーペがあらわれた。

 吾郎はとっさに身をふせた。

 車は外階段のそばに止まったようだ。

 吾郎は這いつくばったまま移動し、手すりのあいだから下をのぞいた。

 クーペの赤いルーフがあった。助手席側のドアが開き、健が降りてきた。健は運転席側にまわり、車内になにか話しかけている。

 ドアが開いて、女の頭があらわれた。健が身をかがめ、2人の頭がはすかいに重なりあう。長いあいだ密着したままだった。

 吾郎は怒りで体が震えた。

 音をたてて車のドアが閉まり、赤いクーペは走り去った。

 あの横顔は、間違いなく朱美だった。

 階段を軽やかに歩く足音が聞こえてきた。吾郎は外廊下をほふくした。健の足が上がりきった瞬間、その足首をつかんだ。とたんに悲鳴があがり、のけぞった姿勢の健の見開いた目と合う。

 階段口に這いつくばり、見上げる吾郎の形相はすさまじかったのだろう。健は躍るような姿で逃げようとした。吾郎は力まかせに健を引き倒す。這って逃走しようとする健の背中に、吾郎は全体重をかけてのしかかった。

 その慌てぶりが、不実のなによりの証拠だ。

 健の体力はすぐに尽きた。吾郎は健を立ち上がらせ、本人の部屋に連れ込んだ。観念したらしく、健はおとなしく従った。

 吾郎は健とコタツをはさんで差し向かいに座った。

「おまえの言いぶんを聞かせてもらおうか」

「なにを話したらいいんでしょうか」

 健は神妙な顔つきで肩をすくめている。

「朱美とは、どういう関係なんだ? つきあっているのか」

「2人でごはんを食べたり、買い物をしたり、ドライブをしたりするだけです」

「それをつきあっているとは言わないのか」

「それほど深い関係じゃありません。そういう女なら他にも……」

「朱美だけじゃないのか」

 吾郎は、こぶしをコタツ板に叩きつけた。

「いえ、特別な人はいません」

「じゃあ麻子はどうなんだ? 特別な人じゃないのか。はっきり言ってみろ」

 身をのりだした吾郎は、自分の目に殺気がはらむのを感じた。

「麻子さんは特別な人です」

「わかった。だったら朱美とは別れろ。わかったな」

 吾郎は鋭くにらみつけた。

「別れるもなにも、そういう関係じゃないです。朱美がどう思っているかわからないし、どう別れを切り出したらいいか、見当もつかないですよ」

 健の顔は困り果てていた。

「だったらおれが話をつける。すぐに朱美を呼び出せ。この場で話し合おう」

「いまはちょっと。試験勉強があるし、朱美も試験で忙しいって言ってたし」

「2人でドライブしてたじゃねえか」

「あれは息抜きで、これから猛勉強です。1年生のうちは選択した授業が多く、試験がたくさんあるのは、望月さんも知ってますよね」

「知っている」

 それをないがしろにしたから留年したのだ。

「いつならいいんだ」吾郎は訊いた。

「12月24日だったら、朱美と会う約束があるので、ちょうどいいです」

「翌日は試験じゃないのか。なんで朱美と会うんだ」

「朱美にイブを祝おうと言われ、フレンチビストロを予約してあります」

「おまえ、なに考えてんだ。麻子はどうする?」

 吾郎は声を荒げた。

「麻子さんとは、クリスマスに会う予定です」

 ふたまたをかけるつもりか、という言葉を吾郎はのみこんだ。朱美にいいように振り回されているのかもしれない。ともあれ、麻子には知られないように、うまくおさめる必要があった。

「そのビストロの予約に1名追加しておけ。その場で話し合おう。逃げるんじゃねえぞ。おれは地の果てまでも追いかけるからな」

 吾郎は脅しをかけて立ち上がった。

 翌日から吾郎は試験の準備に追われ、健の動きを監視できなくなった。麻子とはたまに授業で顔を合わせた。麻子の様子から、健の浮気には気づいていないようだ。クリスマスまでに、なんとしても話をつけなければ。

 12月24日になり、吾郎はフレンチビストロに向かった。

 その最寄り駅は、大学のある沿線の2駅先だ。駅前の商店街からひとつ裏道に入った、ビルの地下1階に、そのビストロはあった。

 吾郎は黒いダブルのスーツをきめ、早めに店を訪れた。着いたのは予約した時間よりも30分早い、午後6時だった。

 予約は健の名前でしてあると聞いていた。近づいてきたウェイターに、そのむねを告げると、うけたまわっています、と4人がけのテーブルに案内された。

 1人で席についた吾郎は店内を見まわした。

 おさえられた間接照明のもと、ゆったり間隔をあけてテーブルが配されている。4、5人の客がすでに食事を始めていた。

 吾郎は、どうやって話をつけようかと思案した。

 まずは健に、男女のつきあいのなんたるかを教えよう。それから、麻子と健がいかに似合いの2人であるかを言おう。朱美のような蓮っ葉な女は似合わない。だいたい朱美はどういうつもりなんだ? 麻子と健がつきあっているのは知っているはずじゃないのか――。

「吾郎さん」

 視線を上げると、麻子の驚いた顔があった。白いダッフルコートに、茶色いマフラーを巻いている。その顔は、ひどくうろたえているように見えた。

「麻子、どうして?」

 吾郎もあわてた。麻子が来るとは思ってもいなかった。

「わたし、きょうここで健さんと会う約束があるから」

「健とはクリスマスを過ごすんじゃないのか。あいつとはなんの用で会うんだ?」

「恋人どうしが会うのに理由なんていらないでしょ」

 麻子が顔をそむけた。

 様子がおかしい。麻子の表情には不安とあせりが感じられた。

「とにかく座れよ。なにか手違いがあったらしい」

 コートを脱いだ麻子が、吾郎と差し向かいに座った。

「どうして、吾郎さんがいるんですか。健さんはどうしたんですか」

 麻美が差し迫った声で訊いた。

 吾郎は言葉につまった。健と会う、本当の理由を言うわけにはいかない。これはいったい、どういうことなんだ? 黙り込んだまま思案にふけった。

「健さんは、来ないんですか」

 麻子がたまりかねた態度で訊いてきた。

「間違いなく来る。おれは健に、そう、3人で食事をしようと誘われたんだ」

「健さんからなにか、聞いていませんか」

「いや。健と話でもあったのか」

「そういうわけじゃ……」

 会話がなかなか噛みあわない。なにしろ状況がまったくわからないのだ。麻子も健の名前を出して、このテーブルに案内されたのだろう。あいつがどういうつもりなのか、見当もつかなかった。このさい、本人を直接、問いつめるしかない。

「健のやつ、遅いな。なにしてんだろう?」

 ポケットの携帯電話をさぐろうとして着信した。

 携帯を取り出すと健からだ。

「おまえ、なにやってんだ? いまどこにいる?」

 つい、声を荒げてしまった。

 麻子の顔つきから、電話の相手が健だと気づかれたらしい。

「いま病院にいます。妊娠5週間だそうです」

 健が応えた。

「おまえがか?」

「違いますよ。妊娠したのは朱美のほう。おれ、子供産めないし。朱美、なんか予感があったらしく、妊娠検査薬で調べたら陽性反応が出たそうです」

「おまえが朱美をはらませたのか」

「おれ、パパになっちゃった。そういうわけなので、本日のディナーは、おれも朱美も欠席ということで」

「それですむ問題じゃないだろ」

 電話が切れた。むなしく通話音が響く。

 はっ、と吾郎は麻子に視線を向けた。

「やっぱり、本当だったんですね」

 麻子は意外にもすっきりした顔つきをしていた。

「知っていたのか」

「健さんの子供を妊娠したみたいって、朱美さんから電話があったの。それで健さんに連絡したら、くわしい話をするから、今日、ここで会おうって言われました」

 それで――。

 吾郎は、麻子の表情の意味がわかった。

 麻子が店に入ると、健ではなくおれがいた。おれは健と麻子の共通の知人だ。自分で別れ話を切り出せない健が、おれに仲介を頼んだと直感したのだろう。

 あいつは逃げたんだ。ディナーの予約はそのままに、おれと麻子を引き合わせ、おれにあとしまつを押しつけやがった。

 吾郎は立ち上がった。テーブルを回り、麻子の座る椅子のそばに両手をつく。頭を深く床に押しつけた。

「すまん。おれの人間を見る目が甘かった。あんないいかげんなやつと引き合わせたおれが、全て悪い。このとおりだ。健のことは忘れてくれ」

「――どうして、わたしのためにそこまでしてくれるんですか」

「テニスコートで麻子と再会したとき、麻子と健を見て、なんてお似合いなんだろうと見とれた。2人とも白くて、きれいで、まぶしいくらいだった。恋人になってくれたらいいと本気で望んだ」

「それで、あんなにいろいろしてくれたんですね」

「これであきらめられると確信した。麻子に似合うのは、真っ黒なおれじゃない。健のようにきれいな男なんだ。だから、2人が幸せになってくれないと、おれは困る。そうじゃないと――」

 吾郎は顔を上げた。

「期待してしまうだろ」

 麻子が立ち上がった。吾郎の前にしゃがんで、白い指を肩にそっとのせる。

「吾郎さん、ありがとう。いまはまだ吾郎さんの気持ちをじっくりとは考えられません。心の整理がつくまで、もう少し待ってください」

 吾郎はうなずいた。

 いくらでも待つさ。何年も待ちつづけてきたんだから。

「クリスマスイブをいっしょに祝ってくれますか」

「もちろんだ」

 吾郎と麻子はそれぞれの席についた。

「メリークリスマス」2人で声を合わせる。

 吾郎は少しだけ麻子の気持ちに期待をかけてみようと胸をはずませた。



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