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前篇

 赤くににじんだ秋の夕空に、白いテニスボールが舞う。望月吾郎(もちづきごろう)は力強いサーブを打ち、相手の選手がようやくそれを打ちかえした。

 吾郎は海南大学の1年生で、去年も1年生をやっていた。2年生に上がるための必要単位がとれなかったのだ。テニス部では2回生で、副部長を務めていた。

「森下あ。もっと積極的に打ってこい」

 吾郎はどなりつけた。

「だめですよ。先輩のボールに追いつくのが精一杯です」

 森下健(もりしたたける)は1年生で、今年の新入部員だ。自分から果敢に攻めるタイプではなく、相手のボールに振り回される傾向がある。そのうえ体力がないので、すぐ息があがる。吾郎は健をきたえなおしてやるつもりだ。

 健が空振りして、その勢いのまま尻もちをついた。

「だらしねえぞ。もうへばったのか」

「すいませーん。もうへばりました」

 健が愛嬌のある笑顔で、白い歯を見せる。

 テニス部員のわりに肌は白く、日焼けしても赤くなるだけで、小麦色にはならない体質らしい。テニスはへたくそだが、女性部員には人気があった。

 金網フェンスの向こうには、女学生が集まっていた。目当ては健だろう。

 いつものことながら、吾郎はうんざりだった。その目が、人垣のなかの一点で止まる。おさななじみの顔を見つけた。

 ――麻子(あさこ)

 山村麻子は友だちと2人で立ち、吾郎を見て、片手を口にあてている。夕焼けに染まる陸上トラックを背に、ぽっと白い明かりが灯ったように感じた。

 吾郎は、ラケットを持った手を軽くあげた。

 麻子は自分よりひとつ年下だ。家は隣どうしだったが、中学3年のとき、彼女の家族は引っ越した。同じ大学で再会するとは思いもよらなかった。

 吾郎は、麻子を意識するほどに驚きあわてた。ボールの打ち合いに集中できなくなった。健のヘボ球を打ちそこない、もうやめようと決めた。

 吾郎は汗をぬぐい、金網フェンスに向かった。

「ひさしぶりだな。5年ぶりになるのか」

 金網ごしに、吾郎はぶっきらぼうに話しかけた。

「文明概論の授業で、吾郎さんの大きな体を見かけて、ひょっとして、いまもテニスを続けているかもしれないって」

「それでコートまで見に来てくれたのか」

 うなずいた麻子の口もとにえくぼができた。肌は静脈が透けるほど白く、つややかな黒髪が白いセーターの肩に落ちる

 麻子の視線が、吾郎の背後に流れた。

 ようやく立ち上がった健が、吾郎に、照れくさそうな笑顔を向けていた。健のやせた体に、白いテニスフェアがよく似合っていた。

 おれとは対照的だな、と思った。

 吾郎は、浅黒く、あごの張った、ごつい顔をしている。体格もよく、筋肉でふくらんだウェアからは、毛深い両腕と両ももがのぞく。

 顔を戻すと、麻子ともろに目が合った。

 麻子が少し驚いた顔つきをする。くすりと笑った頬が、ぽこんとくぼんだ。とぼけたような口ぶりで、

「どうして1年生の講義を受けていたんですか?」

「おれも1年生だからな。麻子が追いつくのを待っていたんじゃねえか」

 麻子は文学部だという。吾郎は経済学部だが、麻子が吾郎を見かけたという文明概論は、文系の必修科目だ。去年、吾郎はそれを落としていた。 

「また、なにかの授業で会いましょう」

 麻子が友だちをうながしてその場を離れた。2人で話しながら遠ざかる。

 吾郎は、麻子との5年の時間がいっきに縮んだように感じた。麻子の話しかた、笑いかた、しぐさ、どれもみな見慣れたものだった。ついさっきまで話していて、その続きを交したように、2人の会話は自然につながった。

 麻子とその友人のうしろ姿が、陸上トラックに沿ってのびる小道を、体育館の向こうへと消えていく。

 ラケットでボールを打つ音がした。

 いつのまにか健と女性部員とがコートで打ち合いをしていた。健の相手も今年の新入部員のはずだ。健は彼女にいいように振り回されていた。

 翌週、吾郎は文明概論の授業に出てみた。その講義は2限目で、キャンパスの中央にある講堂で行なわれる。講堂内は広く、学園祭では、教壇のある場所にステージが設営され、コンサートが行なわれるほどだ。

 吾郎がなかに入ると、階段状に広がった席はほとんどうまっていた。知らない顔が多いなかに、麻子の姿を探した。

 吾郎の目が、教壇に近い、通路よりの席で止まった。

 麻子がいた。友だちと2人で座っている。出入り口を気にしていたらしく、吾郎にすぐ気づいて、軽く会釈をしていた。

 吾郎は片手をあげ、空いた席を探して通路を上がった。

 2段上の席に座ると、他の学生ごしに、麻子のカーディガンの背中がのぞいた。教授があらわれ、講義が始まっても、吾郎はなかなか集中できなかった。

 同じ大学で麻子と巡りあえた偶然に思いをはせる。もっとも、今年に入ってから吾郎がちゃんと講義に出席していれば、とっくに麻子を見かけていただろう。

 授業が終わり、学生たちが講堂からあふれだした。

 吾郎はしばらく待って、立ち上がった。階段通路を降りている途中で、麻子が1人で出入り口で待っているのに気づいた。

「いっしょにいた友だちはいいのか」

 吾郎は大またに歩いて近づき、問いかけた。

「あの娘、きょうはこの授業で終わりだから」

「だったら学食で飯でも食おう」

「いまの時間は大変な混雑よ。すぐに席を取りに行ってください」

「こきつかうなよ。同じ1年生でも、おれのほうが先輩なんだぞ」

「では、おごってください。先輩」

「そこは先輩なんだな。わかった。本日の定食をごちそうしてやるよ」

「ごちそうさまです」

 頭を下げたあと、くすりと笑った。その笑顔も昔と変わらなかった。

 第2校舎の1階部分を占める食堂は、学生であふれかえっていた。なんとか空きを見つけて荷物を置くと、トレーを両手に配膳カウンターに並んだ。

 学生の声でにぎわうなか、吾郎たちは食事を始めた。

 吾郎は、ミックスフライランチをまたたくまにたいらげた。麻子の食は進んでいない。あまり手をつけていない皿から視線を上げ、

「先週、吾郎さんとテニスをしていた、痩せて色白の男性――」

「健か。森下健は新入部員だから麻子とは同い年だな。あいつがどうした」

「どうしたわけじゃないんだけど、どんな人かなと」

「主体性のないやつだ。優柔不断でなんでも人まかせ、誰かが決めてやらなければ、自分ではなにも判断できない」

 吾郎は麻子の真剣な眼差しに気づき、

「――やつだったが、おれがきたえなおした結果、いまでは、あいつの弱い性格は飛躍的に改善した。なにより人柄がいい。屈託のない性格で、誰とでもうまくやっていける。頼りないところはあるが、見どころはある」

「優しそうな人ですね」

「そうとも言える。それがどうした」

「白いテニスウェアがとてもよく似合っていたなって」

「ふうん」

 吾郎は椅子に深く座りなおし、腕を組んだ。

 麻子が視線を落とし、カニクリームコロッケを箸で転がしている。吾郎におごらせたわりには、あまり食欲はないらしい。

「こんど健を紹介するよ」

 麻子が、はっと顔を上げた。その表情が明るくなったようだ。

 部活が始まる前の午後5時40分に、吾郎は健を部室に呼び出した。そこはテニスコートに近い、理学部の一室で、ふだんは部室としてあまり使われていない。いまも室内には、吾郎と健しかいなかった。

「おまえ、つきあっている女はいるか」

 のんびりした様子で健があらわれると、吾郎は前置きなしに訊いた。

「そういえる特別な人はいないですよ」

「麻子は覚えているか。先週、おまえをコートできたえてやっていたとき、見学していた学生だ。金網フェンスごしにおれと話していただろ」

「あの、白くてきれいな」

「そうだ。おまえもきれいだと思うか?」

「そうっすね」

 吾郎は健の胸倉をつかんで窓枠に押しつける。

「あれはいい女だぞ。料理はうまいし、手芸もできる。つきあう女としては理想の相手だ。そうは思わんか」

 えりをしめあげられた健が、うんうん、とうなずく。

「だったら麻子をデートに誘え」

「えっ。どう誘ったらいいか、どこに連れて行ったらいいか、わからないっすよ」

「なら、おれが誘う。おまえは準備だけしておけ。普段着で来るんじゃねえぞ。白いタキシードがいい。おまえは白が似合うからな。タキシードは持っているか」

「そんなの、あるわけないですよ」

「しょうがねえ。なにか白いものを着て来い。テニスウェアで来るんじゃねえぞ。運転免許はあるか。車は持ってるか」

「どちらもないっす」

「両方ともおれが準備する。おまえは体ひとつで来い。デートの日取りが決まったら連絡する。予定は空けておけよな」

 吾郎は念を押して部室を出た。こんどは麻子の番だ。

 廊下で女子部員と鉢合わせた。テニスウェアを着て、ラケットをわきに挟んでいる。先週、健と打ち合っていたのを思い出した。新入部員の篠原朱美(しのはらあけみ)だ。

「望月先輩。みんな、コートに集まっています」

 朱美がさいそくした。

「おれは遅れる。部室に健がいるから、あいつもコートに連れていってくれ」

 吾郎は携帯電話を耳にあて、廊下を突き進んでいった。

 翌日の昼休みに、吾郎は麻子とキャンパスの談話室で会った。

 健とのデートの話しを聞き、麻子は驚いた様子だ。困ったような表情をしながらも、瞳は生き生きして見えた。料理はできるか? 手芸はどうだ? とたずねると、あっけにとられていたようだ。

 デートの日をつぎの日曜と決めると、吾郎は健に電話した。待ち合わせ場所を指定して、遅刻するんじゃねえぞ、と太い釘を刺しておいた。

 木枯らしが枝葉を揺らしていく。吾郎は携帯を手に、テニスコートわきの並木道にたたずんでいた。黄昏の迫るテニスコートには、ネットがまだらな影を落とす。胸にぽっかり大きな穴が空いた気分だった。

 デート当日の朝、吾郎はレンタルした車を飛ばして、健のアパートに向かった。時間にルーズなやつだとわかっていた。デート初日から遅刻されたらかなわん。麻子とは都内の駅ビルの前で待ち合わせてあった。麻子は実家で暮らしていて、東京から2時間かけて大学に通っていた。

 健の部屋のカギは開いていた。不用心なやつだな、と吾郎は玄関にあがり、リビングに進んだ。健はパジャマのまま、寝ぼけた顔つきでコタツに入り、テレビを眺めていた。予想どおりだ。

「おまえ、なにやってんだ。これからデートだろ」

 吾郎はどなりつけた。

「なんにもやってない」

 のんびりした応えが返ってきた。

「身支度ぐらいしておけよな。心配していたとおりだ。待ち合わせ場所には、おれが車で送る。さっさと着替えろ。麻子を待たせるんじゃねえぞ」

 健をコタツから引きずりだした。

 吾郎は黒いダブルのスーツを着ていた。浅黒い顔とあいまって、その姿はいっそう黒ぐろとして見えるだろう。

 吾郎は、健のパジャマを脱がせた。白いワイシャツを着せ、薄茶のジャケットとズボンをはかせる。健を白ずくめにしたかったが、理想の服がなく、あきらめた。

 健をアパートから連れ出し、車の後部席に叩き込む。吾郎は運転席にまわり、エンジンをかけた。ルームミラーのなかでは、健がシートに頭をもたせ、のんきそうにうたた寝をしていた。

 吾郎は苛立つ気持ちをおさえ、車を運転した。

 駅には待ち合わせの10分前についた。

 吾郎は車をロータリーにまわす。駅舎の入り口では、すでに麻子が待っていた。白い毛糸の帽子に白いハーフコートで、焦げ茶色のブーツをはいている。

 吾郎は警笛を鳴らして合図した。

 パワーウインドーから吾郎が顔をのぞかせると、麻子は驚いたらしい。電車で来ると思っていたのだろう。まさか吾郎が、車で健を連れてくるとは予想していなかったに違いない。

 後部ドアから入ってきた麻子が、健と並んで座った。

「吾郎さん。どうして」

「健は運転免許を持っていないんだ。これからデートに出発する」

 ルームミラーごしに応えると、吾郎はギアを入れた。

「そうじゃなくて」

「きょうのところは、おれにまかせておけ。プランは立ててある」

「おれたちのために考えてくれたみたい」健が口をはさむ。「望月先輩がそう言っているんだからさ、ここはおまかせしようよ」

 うん、と麻子が座りなおした。納得はしていない様子だ。

 吾郎はかまわず車をスタートさせた。

 向かったのはホテルだった。車をエントランスの前に止め、麻子と健をうながして、なかに入った。麻子がなにか言いたげだったが、吾郎はフロントに向かった。

「予約しておいた望月だが」

 吾郎の問い合わせに、フロントマンが電話で確認をとる。ほどなく係りの女性があらわれ、こちらです、と案内に立った。

「ホテルに連れてきて、いったいどういうつもりなんですか」

 ついに麻子がたずねてきた。

「このホテルには結婚式場もあるんだ。ちょうどいま、ブライダルフェアをやっていたから、参加を申し込んでおいた」

「ブライダルフェアって、わたしたちにはまだ早いじゃない」

「早すぎることはない。これから会場見学をするんだ。いろいろ参考になるぞ」

 吾郎は足早に歩きだした。

 案内された控え室には、すでに数組の男女が待っていた。

 係員が説明を始める。

 午前10時から式場の見学、ウェディングドレスの試着、披露宴の料理の試食、そして挙式相談というコースになっていた。

「こういうデートもいいもんだろ」

 吾郎は得意げに言った。

 初デートでブライダルフェアに参加させられ、麻子は困惑しているらしかった。健は楽しんでいる様子で、ホテルのあちこちを見まわしている。

 時間になり、参加者は係員のあとについて歩きはじめた。式場はホテルの最上階にあるという。エレベーターを降りると、白一色の廊下が延びる。そのさきの両開きドアの奥が式場になっているらしい。

 ドアが開かれたとたん、白を基調にしたチャペルが広がった。

 大理石のバージンロードが白くきらめきながら、一段高い聖壇まで続いている。左右の壁はアーチを描いて高い天井まで届き、正面のステンドグラスからは、色とりどりの柔らかな光りがあふれる。

 吾郎たちは聖壇の前に並んだ。

 パイプオルガンから流れる荘厳な音色が、チャペルを静かに包む。結婚予定のカップルたちは、その場の雰囲気にのまれている様子だ。

 麻子に目をやると、まんざらでもない表情をしている。連れてきて正解だった、と吾郎は満足した。

 続いてブライダルサロンに案内された。ショーケースのなかに、ウエディングドレスやタキシードが飾られ、自由に試着できた。

 麻子は、急に言われても、と最初はこばんだ。吾郎は、ドレス姿をぜひカメラに撮りたい、と拝みたおした。麻子はそれでも、ケースにずらりと並んだウエディングドレスを見ているうち、さすがに心が動いたらしい。

 健はもとから乗り気で、面白そうじゃんと麻子をうながした。その気になりかけていた麻子は、健さんも着るならと、ついには承知した。吾郎は、健の単純な性格に、このときばかりは感謝した。

 着替えを終えた麻子と健が、ブライダルサロンにあらわれた。

 麻子の白い肌に、純白のドレスはとても似合っていた。雪のように白い胸もとから、パールをほどこした複雑なレースがあふれる。スカートはすっきりと足先まで流れ、シルクの質感で自然なボリュームがつけられていた。

 吾郎は息をのみ、デジカメで撮影するのも忘れて見とれてしまった。

 健の白いタキシードもきまっていた。もともと色白で白の似合う男だ、2人のツーショットは、吾郎の想像した以上に素晴らしかった。やはりこれで正解だったんだと、1人でうなずいた。

「望月先輩、ちゃんと撮ってくださいよ」

 健にさいそくされ、吾郎はシャッターを切った。

 麻子とタケルはなにやら楽しそうに話している。互いの手が自然に触れあう。吾郎は、まぶしくて目をそらした。

 腕時計を確認し、用事を思い出した。

「わるい。バイトが入っていたんだ。あとはうまくやれよな」

 吾郎は2人の返事も待たずに、ブライダルサロンをあとにした。

 白いものどうし、お似合いだ。まっ黒いおれには似合わない。全身黒づくめのおれは、2人から伸びる影――それでいいんだ。

 肩の重荷が下りた気分だった。ずいぶん長いあいだ背負い込んでいたな。



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