表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死者へのセレナーデ  作者: 愛理 修
6/8

6 川原

 喉がつまり、鵜次は咳き込んだ。体を捻ろうとするが自由がきかない。首を動かすと後頭部に鋭い痛みが走り、彼はゆっくりと意識を取り戻した。

「やっとお目覚めか」

 上のほうで声がし、薄目を開くと、仰向けになった自分の上に冴木が馬乗りになっているのが見えた。冴木はウイスキーのボトルを手にしている。鵜次がなにか言おうとして唇を開きかけると、そこにボルトの先を突っ込まれた。ウイスキーが容赦なく流れ込み、口の端から溢れ出る。声にならない悲鳴を上げながら、鵜次は首を激しく振った。冴木がすごい力で顎を押さえつける。手を動かそうとするが、どういうわけか両腕は、バンザイの形で動こうとしない。ボトルが口から抜かれ、息をつくと、ふたたびそこにボトルが突っ込まれた。苦痛とアルコールで、鵜次はいまにも気を失いそうだった。胃が狂ったように痙攣を起こしている。ボトルが抜かれ、冴木が鵜次の頬をはたき、またボトルが突っ込まれる。それが繰り返され、終わりがないように続く。

 ようやくそれから解放されたのは、冴木がウイスキーのボトルを三本空にしたあとだった。鵜次は息をつき、何度も咳き込んだ。それを面白そうに、馬乗りになった冴木が見下ろしている。苦しかった。それに、一刻も早く休ませてもらいたかった。

「どうだった。俺と実嶺のショーは気に入ってもらえたかな」

 冴木が言うと、実嶺の白い顔が、闇をすべるように鵜次の真上に現れた。両腕が動かないのは、彼女が押さえているからだと鵜次は気づいた。実嶺は冴木と同じ黒いキャップをかぶり、赤く濡れたような唇に冷ややかな笑みをたたえている。

「この間はごめんなさいね。裸も見せてあげれなくて。でもわたしも、友だちがあのころくるのがわかってたから、時間を稼ぐのに大変だったのよ」

 鵜次を見つめたまま実嶺は眉根をよせた。

「今夜はあの赤いワンピースできたかったのだけど、いくらなんでも目立つでしょう。だから、この口紅の色だけで我慢してね」

 最初、冴木と実嶺がなにを言っているのか鵜次には理解できなかった。しかし自分が横たわっている場所が夜の川原であるのに気づくと、彼は断片的に思い出した。あのとき死んだはずの実嶺が生き返り、その途端頭を殴られて気絶したのだ。あれがすべて芝居だったとは。助けてくれと声を出すと、まるで自分の声じゃないみたいに、弱々しく嗄れていた。

「しかしおまえも、よくよく運の悪い男だよな」

 冴木が哀れむように鵜次を見つめた。そのまま経緯を話しかけるが、いまの鵜次にはとらえどころがない。

「話しても無駄よ。それより、早くしないと」

 実嶺が冴木を急かす。

「そうだな――ま、とにかくこうなった以上おまえには死んでもらうぜ」

 鵜次は悲鳴を上げた。冴木が左手でその口を押さえ、声が出ないようにハンカチを押し込んだ。そして鵜次の頬を思い切り平手で叩いた。

「往生際の悪い奴だ」

「だめよ。やさしくしてあげて」

 実嶺が言い、鵜次の顔を覗き込む。

「ねえ、鵜次さん。いまでもわたしが好き」

 鵜次はすでに返事ができるような状態じゃなかった。アルコールが脳を麻痺させ、すべてが夢のようにつかみどころのないものとなっていた。

「鵜次さん、キスしてあげようか」

 実嶺はそれでも問いかける。まるで、人形遊びをしている少女だ。

「やっぱりだめよ。だってそんなことしたら跡が残っちゃうかもしれないもの。それにわたし、あなたのことが大嫌いなの。残念だけど鵜次さん、これでお別れね」

 実嶺が右手で鵜次の薄くなった髪を撫でつけ、冴木に目で合図する。

 冴木はキャップを被りなおして立ち上がると、ズボンが下がったままの鵜次の足のほうにまわった。そして二人で鵜次の体を抱え上げた。

 鵜次は抵抗を試みようとしたが、酔いがまわって手足がゴムのように感じられた。それにアルコールで意識が朦朧とした鵜次には、話がよくわかってなかった。聞いているときはわかるのだが、つぎの瞬間にはわからなくなってしまう。いまはっきりとわかっているのは、逃げなくてはということだけであった。しかしそれも、懸命に念じなければすぐに忘れてしまいそうだった。

「あとのことは心配いらない。俺と実嶺は大丈夫だ。おまえのことは、きっと事故死として扱われる。酔ったあげくに、川に落ちたってな」

 声が遠くのほうでしている。川に落ちたとか事故死とか、なんのことだ。ああ、飲み過ぎた。気分が悪い。こんなに飲んだのは初めてだ。鵜次は首を動かして先を見た。川が見える。夜の川だ。月の光が川面を照らし、きらきらしている。セレナーデという言葉が唐突に思い浮かんだ。どういうことかわからない。セレナーデ、なんだったっけ?

 川がどんどん近づいてくる。どうやら自分は抱えられて、川のほうへと運ばれているらしい。セレナーデ。なんだったっけ。なにか大事なことのような気がする。

 冴木と実嶺は、川べりで抱えていた鵜次を下ろした。

 鵜次には、動きが止まったのが感じられ、川がほんのそばを流れているのがわかった。地面に下ろされて、口の中からハンカチが抜き取られる。鵜次は大きく息をついた。外気が肺に染みわたり心地よい。セレナーデ。そうだ。実嶺と約束したんだ。ええっと、約束の日はいつだったか。その日彼女は俺のものになるんだ。そう思うと、鵜次は満ち足りた気持ちになった。約束の日がいつかは、あとで調べればいい。とにかくいまは、すこしでいいから休ませてほしい。

 夜の川原の静けさのなかで、冴木と実嶺はあたりをうかがい、誰もいないことを確認し合うと、鵜次の体を川へと転がしていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ