ダブルマチュワードの時間
男は携帯電話を切って無造作のポケットにしまった。
彼女との電話の内容は男をイラつかせていた。
「まったくあいつは何考えているんだ!」
ついつい独り言が飛び出す始末だった。
男は一軒のバーの看板を見つけた。
『Ray』
イラつく自分を落ち着かせる為に扉を開けた。
「いらっしゃませ」
店内はジャズが流れていた。装飾品もジャズの名盤のジャケットやサックスなどで彩られていた。
「ハイボールください。」
男はカウンターの隅に座った。他の客は3人。
静かに流れるジャズは少し男の気持ちを落ち着かせた。
「お待たせしました。」
目の前にハイボールが出された。
レモンピールが効いているせいか、驚くほど気持ちがリラックスした。
「お待ちあわせですか?」
マスターらしき40代半ばのバーテンダーが聞いてきた。
「いえ・・・」
短い返答だった。
「ごゆっくりしてください」
男はさっきの彼女との電話のやり取りを思い返していた。
彼女とは付き合って4年になる。
3つ下の彼女は時に可愛らしく、時にわがままな一面を見せる。
年齢的にもそろそろ結婚を考えなければいけない頃だった。
男は気持ちを固めてその方向で話を進めようと考えていた。
ところが、彼女からの電話は1年間のアメリカ留学だった。
付き合いだした頃から自分勝手な所はあったが、それも可愛いと思っていた。
しかし、今回は自分との気持ちのずれに少しイラついた。
なぜ、今なんだ!
二杯目を注文しようとしたとき、カウンターの上に置かれたボトルが目に入った。
「バルベニーダブルマチュワード」
知らないお酒だった。
「それは何ですか?」
待ってましたとばかりにバーテンダーはお酒を手に男の前にやってきた。
「これはスコッチウィスキーですが、二種類の樽で寝かせた別々のお酒を1つにした物です。」
まるで結婚したお酒みたいだと思った。
「じゃ、それをロックでください。」
バーテンダーは慣れた手つきでグラスに氷を入れてお酒を注いだ。
トロトロとボトルから流れ落ちる琥珀色の液体は、美味しいそうに見えた。
「シェリーとポートに違う個性の樽で寝かされ物ですが、最後に一緒に違う樽で寝かせます。
それぞれの個性が交じり合って新しい個性を生む!素晴らしいお酒ですね」
バーテンダーの言葉が何故だか重く感じた。
違う個性が交じり合って新しい個性を生む!
なかなか難しい事だ。
世間では水と油は交じり合わない代名詞。
男は彼女と自分について考えていた。
自分がイラついているのは、自分の方が勝手な思い違いなのかもしれない?
彼女の今までの人生と自分の人生!
「ダブルマチュワードか」
「これは何年物ですか?」
「12年です。」
12年かぁ、男は一人笑った
「どうかしましたか?」
「いえ、まだまだだなぁって思って、これ美味しいです。」
「ありがとうございます」
彼女とはまだ4年、マチュワードにはまだまだかかるかもしれない。
男はじっくりウィスキーを味わった。
もうと考えるかまだと考えるか、時間は永遠ではないがそれほど短くもない。
いつになったらいい状態になるだろうか?
12年までにはまだまだあるなぁとグラスの琥珀色を眺めたいた。
じっくり生きましょう。そう思ったカウンターでの夜だった。