ソルティードックの勇気
そのカクテルは僕に大きな勇気をくれた。
シーズンは始まっていた。
僕は今年も二軍スタート
「いらっしゃいませ」
チームメイト行きつけのバーだった。
「こいつにあれ作ってやって!」
バーテンダーはおもむろにグラスに何かをつけ、シェーカーを取り出し、生のグレープフルーツを絞り入れた。
「おまえは一軍スタートでいいよな」
「大丈夫だよすぐ上がって来れるさ」
才能が無いわけではないと思っていた。
「お待たせしました。ソルティードックです。」
何だソルティードックか、と思った。
「ん?これがソルティードック?」
「どうだ、ここのは美味いだろ」
美味かった。他で飲むソルティードックとは明らかに違っていた。
バーテンダーは何も変わった物は入れてませんと言った。
ウオッカとグレープフルーツ
なのに口あたりはマイルドで凄いフレッシュ感がある。
チームメイトが話してくれた。
このお店のバーテンダーの師匠がソルティードックの美味い人だった。
それに惚れ込み、研究し練習した。
その結果、彼にとって、バーテンダーにとってそのソルティードックは伝家の宝刀になった。
だから今、やっていける。誰にも負けない伝家の宝刀をもってるから。
「お前が一軍に上がって来れない理由はそこじゃないか」
グサッときた!
確かに、全体的にはいいのかもしれない。
ただ、これが特にいいと言うのは無かった。
伝家の宝刀
翌日から考えた。
自分が野球を始めた頃の気持ちを。
当時人気のあったリリーフエース。
剃刀シュートが売りだった。
次々に打者のバットをへし折る。
痛快だった。
自分もシュートを覚えた。
理想はバットをへし折るくらいの切れ味。
しかし、剃刀までにはならなかった。いや、しなかった。
これかもしれない!
事あるごとににあのバーでソルティードックを飲んだ、そしてバーテンダーにどうやって近づけたかを聞いた。
毎日、シュートを極める事に没頭した。
少しだが試合で成果をだしてはいた。
「まだまだです。あのシュートにはならない」
頭を抱えた僕にバーテンダーは言った 。
「私はね、師匠のソルティードックに近づける為に、分量や素材はもちろん、注ぎ方や振り方、ときには喋り方までまねしました。」
物真似はいつしか本物になるかもしれない。
「私のソルティードックは美味しいと評判になった。でもね、師匠のお客様は師匠のそれとは違うと言った。」
バーテンダーは饒舌に話した。
「師匠のソルティードックを目指した努力は、いつしか僕のソルティードックになったんです。」
最初、意味がわからなかった。
そうか!目指したものとは全く同じには、ならはないが、それは僕のシュートになっている。
そういう事か!
確かに、最近の決めの一球は自信を持ってシュートだった。
努力は人を裏切らない。
そういう事か。
うだうだ悩まなくなった。
シュートの研究、努力は怠らなかった。
何時しか他の物まで良くなってきた。
「一軍昇格おめでとうございます。」
出されたカクテルは『ソルティードック』
このカクテルに出会い、磨きをかける事を思い出した。
思い描いたものに近づける。えてしてそれには成らないかもしれない。
でもそれは自分の物になる。
そして、伝家の宝刀になるやもしれない。
挑み続ける事!それを忘れてはいけない。
最後の最後まで。