北海道物語
北海道のツアーで出会った、初老を迎えた、男女二人の物語です。よかったら読んでみてください。
北海道ものがたり
はるな 赤城
志朗は仕事を退職した、初老の男である。七月二十三日まで、グリーンツーリズムというツアーで北海道にいたのだ。それは、新千歳空港で集合、解散という、農村を見て回るツアーだった。
新千歳空港で、そのツアーが解散したのは、午後二時だった。志朗の便は、午後八時十分だった。まだ時間があるので、空港内の映画館で、映画を見た。「アナと雪の女王」というアニメ映画だった。映画の余韻にひたりながら、ラーメンモールのラーメン店で、塩ラーメンを食べた。
その店を出て、通路にふと目をやると、ツアーでいっしょだった、吉永陽子と目が合った。なんでここにいるのだろう。いぶかりながら声をかけた。
「吉永さん、何時の便なのですか?」
「あら、竹岡さん。わたし、八時十分です。」
「ええ?じゃあ同じだ。よかったら、お茶でもどうですか?」
「ええ。でも、わたし、空港の外の方がいいわ。」
どういう意味だろうと、考えながら、彼は吉永陽子のあとに付いていった。
彼女はタクシーを拾い、志朗と一緒にホテルに向かった。
部屋に入って落ち着くと、驚いたことに、彼女は肉体関係を求めてきたのだ。彼は戸惑いながらも、彼女の乳房を探った。彼女は彼にからだを任せ、声を上げながら果てた。志朗も久しぶりのことに、疲れを感じつつも、満足感に浸ることができた。陽子も志朗も、ふだんの生活に疲れていたのであろう。
空港に戻り、同じ便に乗ったが、成田空港でそのまま別れた。二度と会うこともないだろうと思いつつ。
家に帰ると、ゴーヤーの黄色い花が咲き始めていた。
もう二度と会うことはないと思っていたのだが、再会は思わぬところでおとずれた。
それは北海道から戻って三か月後、志朗が、大きなパン製造会社でアルバイトをしていたときだった。作業は、無菌状態が厳命されていた。そのため帽子、マスク、白衣上下、ゴム手袋、白長靴、そして手洗い、消毒と、厳重な清潔体制がしかれていた。そして、作業中も定期的に、アルコール消毒専任のアルバイトが回ってきた。
志朗が生産ラインに入り、パンのケース詰め作業をしていたとき、その消毒係が回ってきた。消毒係も服装は同じ。ほとんど目のまわりしか見えない。しかし、志朗は、マスクの上のわずかな空間に、吉永陽子を見つけたのである。
「もしかして、吉永さんではありませんか?」
「え?あなたは?」彼女は、驚いて聞き返した。
「竹岡です。北海道でお世話になった。」と志朗が言うと、陽子も彼のことを思い出したらしかった。休憩時間が来るまで、彼はどきどきして待った。
休憩時間が来た。休憩所には、パンがたくさん置いてあり、どれをいくら食べてもいいことになっていた。コロッケパンを食べながら、竹岡は言った。
「びっくりしましたよ。こんなところで、会うなんて。」
「わたしも、驚いたわ。もう二度とお会いすることはないと思っていましたから。」
吉永陽子は、メロンパンを食べていた。ややむせかけて、りんごジュースを口にした。
「じつは、僕は子どものころ、一度死にかけたことがあったんです。」
そう言うと陽子は、興味深そうな視線を投げかけてきた。志朗は、なぜ急にこんな話をするのだろうと、自分でも不思議に思いつつ話し始めた。
「中一の梅雨どきでした。大雨が降りましてね。雨の上がったあと、うちの近くの川の水がすごく増えたんです。それで、兄弟三人で、その川を見に行きました。平沢川という川です。すごい泥水で、ごうごうと流れています。木なども流されて、いくつも橋げたに引っかかっていました。そしてある場所がうずを巻いていたんですね。おもしろいので、兄弟三人で、そのうずを見ていたら、急に足元の地面が陥没したんです。自分たちの立っていた道の部分が陥没して、下に落ちていきました。ちょうど渦のまいているとなりのところへ。びっくりしましたが、現実でした。まわりから石や土なども崩れて、落ちてくるのが見えました。そのうち、自分のからだも、泥の中に沈んでいきます。兄は顔が出ていたようなのですが、僕は体が逆さまになってしまい、顔は泥の中でした。兄が支えて、なんとか沈みこまないようにしてくれていたようなのですが、しだいに息ができなくなり、苦しいので、泥水を吸い込みました。そういう時は、泥水を吸っても意外と苦しくないんですね。そうするうちにだんだん意識が遠のいていきます。(ああ、これで自分は死ぬのかな。)と思いました。しかし、(でも、まだ中一だし、死にたくないな。)と思ったのです。そして、つい〈南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経〉と頭の中で、題目を唱えていたのです。それは、うちで父母がやっていた、信仰です。(まだ死にたくない。助けてください。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……)ととなえているうちに、誰かが自分を泥の中から引き出してくれました。そして、竹の棒が目の前に出されたので、夢中でつかまリました。その棒につかまって、必死になって穴の上にあがりました。弟は、前歯を折って、救急車で病院へ運ばれましたが、兄と自分はケガはありませんでした。父も母も、働きに出ていていなかったため、近所のおばさんが、全身泥だらけになっていた私たちを風呂に入れてくれました。温かいお湯がとてもありがたかったのを覚えています。あとで、病院へ行くと鼻の穴からも、耳の穴からも泥が、ザラザラと出てきました。このことは、翌日の上毛新聞に載ったのです。『お手柄、○○さん!』という見出しで。そして、私たち兄弟三人の顔写真がなぜか掲載されていました。今でも、あの泥水のにおいをかぐと、嫌な気持ちになります。もしあの時死んでしまっていたら、今僕はここにいません。あなたと会うこともなかったでしょう。人生って不思議ですよね。」
吉永陽子は、神妙な顔をして聞いていたが、「じつは、わたしにも同じような経験があるのよ。」と、話しはじめた。
「わたしたちは、家族六人で、千葉から、群馬の父の実家に行きました。雨のあと、滝を見に行ったの。船尾滝という滝よ。」
「え、船尾滝?」と志朗は声をあげた。船尾滝なら志朗の地元である。陽子は話を続けた。
「ええ、船尾滝といったわ。谷の奥に滝があり、下流の河原では、バーベキューをやっている人たちもいたわ。父は、ふるさとの滝を家族に見せたいと、はりきって、谷をさかのぼりはじめたわ。家族はそのあとからついていきました。母と妹と弟二人、そして私。私たちは四人きょうだいだったのよ。」
陽子は、遠い幸福な日々に、思いをはせるような表情を見せた。
「谷を歩いていくと、突然両側の崖の上の方から、石がガラガラと落ちてきました。石といっても、一抱えもありそうな石や、人の頭くらいの大きさの石でした。そういう石や岩が、真上から、ばらばらと落ちてきます。当たったらおしまいです。父は「伏せろー!」と叫び、家族みんな川の中に身を伏せました。幸い、直撃はなく、わたしのメガネはどこかへ飛ばされましたが、こめかみのところを、ちょっとすりむいた程度で済みました。あとで念のため病院に行ったのですが、軽い打撲で、心配ないということでした。」
二人は、「水難」の経験者同士ということで、さらに親しくなった。
アルバイトが終わり、志朗と陽子は、すき家で牛丼を食べ、ノンアルコールビールで乾杯をして別れた。二人とも、家族との夕食が待っていたのである。こんどは、メールと、携帯番号を交換した。
光太郎は、なんだか、その昔、彼女がごく近くに住んでいたような感じがしてきた。
やがて秋が過ぎ、冬が来て、年が明けた。志朗は吉永陽子にメールを送った。
「明けましておめでとうございます。また、会いませんか?」
返事は、一日おいてから携帯に入っていた。
「今は、忙しいです。でも、少しくらいなら。」ということだった。
(少しくらいなら、か。どういう形がいいかな?)と、志朗は考えた。そして、
「では、千葉のポートタワーで、一月四日の午後二時にどうでしょうか?」
今度の返事はすぐにきた。
「結構です。赤いワンピースで、待っています。」
一月四日の午後二時がやってきた。志朗はうすいみどりのスーツを着て、ポートタワー一階の玄関にいた。そこへ赤いワンピースの吉永陽子は、時間どおりあらわれた。二人は、エスカレーターに乗って、十三階の喫茶店「みなと」に入った。広い窓ガラスから千葉の港が見えた。左の方には製鉄所に原料を下ろす貨物船が停泊し、手前には輸出される車が小さく並んでいた。右の方には、港の遊覧船が走っていた。かすかに白い富士の姿も見える。
「千葉に住んで、もう三十年になります。早いものですねえ。」
と志朗がいうと、陽子は、
「私はもうずっと千葉よ。千葉はわたしのふるさとなんです。」と言った。
「そうですか。僕は二十五の時にここに越してきて、もう人生の半分以上は千葉に住んだことになります。」
「お国は、群馬でしたわね。じつは私も群馬に三年ほど、父の仕事の関係で、住んでいたことがあるんですよ。」
「そうですか、群馬のどのあたりに?」
「渋川市というところです。中学校の三年間でした。」
「ええ? まさか? それは本当ですか?」彼は驚きのあまり、コーヒーカップを思わず置いた。渋川といえば自分の町である。そして、まじまじと吉永陽子の顔を見つめ、必死に何かを思い出そうとしていた。そして、「あっ」と声を発した。
まさかと思った、そのまさかであった。彼女の顔の中に、中学生時代の、えらの張った、知的な、旧姓田中陽子の顔がまざまざと浮かび上がった。
(こんなところで出会うなんて。ましてや、ああいう形で。やはり彼女は昔どおりの大胆な人だった。……)志朗は、北海道のホテルでの彼女との体験を思い出していた。(そんなことがあるのだろうか。あっていいのだろうか。)志朗は、現実を疑ってみたが、それは現実に間違いなかった。
中学生時代、田中陽子は男っぽい可愛い女生徒で、頭もよく、運動能力も抜群で、生徒会の副会長であった。比べて、志朗は、成績は中の上だったが、運動はからきしダメで、気の小さい少年だった。彼女は彼にとって、高嶺の花ながら、あこがれの的だった。
志朗は科学部の部長をやっていた。部員は男ばかりだった。その科学部に彼女はいきなり入部してきた。生徒会の予算会議のとき、光太郎は「科学部はがんばります。」といった。それで興味をもって入ってきたのかもしれない。しかし、他の男子部員が、女子と話すのが恥ずかしかったのか、何かと彼女を避けるので、疎外感を感じたのか、すぐにやめてしまった。かわいそうだった。光太郎は年賀状を出し、返事が来て小躍りした。しかし、そこに書いてあった「I see you.」の意味がわからなくて、それ以上の返信ができなかった。(今調べると、「あなたが見えます」「あなたを見ています。」、といった意味があるらしいが、その頃は「私はあなたを見る」くらいにしか理解できなかった。)また、あるとき、
いきなり彼女の自宅を訪問したことがある。その時は留守で、内心ほっとしたのだが。ときにはそんな大胆さも彼にはあった。いってみれば、ある時期の志朗の心のかなりの部分を占めていたのが、この人なのであった。
しかし、あまりに変わった。あのころのハツラツさはほとんどなくなり、辛さに耐えて生きているように見える。この人は、どういう人生を歩んできたのだろう。ところでこの人は僕のことを気づいているのだろうか? ちょっときいてみたくなった。
「あの、僕のことを覚えていますか?」
「もちろん、覚えているわよ。中学校時代の竹岡くん!」
「ええ!!」
(すべて覚えていて、ホテルに誘ったのか。なんということ……。)
「で、今はどこで、どんな暮らしをしているの?」
「そんなことは言いっこなしよ。竹岡くん!」
志朗は、それ以上は聞くことができなくなった。しかし、どんなふうに生きているのだろう、この人は。その疑問は、彼の心の中で、どんどん大きくなっていった。
「さあ、帰りましょ。もう遅くなるわ。」そう言って陽子は、腰を上げた。その腰には、まだ中年女性の色香が十分にただよっていた。志朗は、腰掛けたまま、立ち上がった彼女の腰を両手でそっとおさえた。彼女の視線が、志朗の顔に注がれた。
「今日も行こっか。」彼女は、そう言って、先に立って歩いて行った。
駐車場で志朗の車に乗り、市内のホテルに入った。
六十歳近いというのに、陽子のからだはまだまだみずみずしかった。ことが終わり、陽子は志朗にきいた。
「ところで、崎山パンのアルバイトには、まだ行っているの?」
「いやあ、腰が痛くてねえ。社会体験のつもりでいったけどね。もうこりごりだよ。雅子さんは?」
「私は、生活が苦しくて、やめるわけにはいかないわ。ほかのアルバイトもやってるし……。」
「そうなんだ。」と、志朗は神妙な顔をして見せた。
彼女の言葉の奥には、深刻な状況があったことを、彼は知らなかった。彼女は、暗い顔をしながら話し始めた。自分が夫からDV(家庭内暴力)を受けていること。夫は働かず、生計は自分が立てていること。子どもは二人いるが、一人は幼いころ病気で亡くしてしまったことなど。
話を聴いて、志朗はベッドの中で彼女をもう一度抱きしめた。(かわいそうな人。なんという過酷な運命にさいなまれているんだ。)と思った。そして、彼女の横に身を横たえながら、(でも、あのころあこがれたあの人を、今こうして、自分の横において話をしているなんて、なんと不思議なことだろう)と、強く思った。この人には申し訳ないが、自分はなんと幸せなのだろうと。
支払いを済ませ、ホテルの玄関を出た。車で陽子を駅まで送り、自分は自宅に向かった。車の中で、ポールモーリアの曲を聞きながら、人生というものは、不思議なものだという感じに彼はとらわれていた。三十年の時の流れは、それぞれの人生を大きく変化させていく。朝日はやがて夕日となり、ビルのあいだから、夕焼けが見えた。高校のグランドから野球部の練習の声が聞こえてくる。
あの高校生たちもいつか大人になっていくんだなと思いつつ、志朗は左右をよく見て、注意深くアクセルを踏んだ。 (完)
少し体験を織り交ぜて、ほとんどはフィクションですが、人生というのは、ふしぎなものだということを 表現してみました。しばらくぶりに読み返し、少し書きなおしてみました。人名を変えたり、無駄を省いたりして、ちょっとはよくなったかなあと自己満足しています。