エピローグ「両手を繋いで」
行方不明者は四十五名。
もっとも、それは現段階で確認されている数字に過ぎない。
「これから、もっと増えるかもしれねぇ」
朝見はうんざりしたようにぼやいた。
その顔には、疲れが色濃く表れている。
トーストにマーガリンを塗りながら、彰は相槌を打った。
「行方不明者には一人暮らしの人が多いそうですね」
「ああ。いなくなっても、さほど気にされないような人たちばかりだ。おかげでこっちも事態に気づくのが遅れた」
短期間で姿を消した人々があまりに多く、涼宮署は事件性を疑って捜査を始めている。
ニュースもそのことで持ちきりだった。
町中を歩いていても、その話題は少なからず耳に入ってくる。
だが、真相を知る者はいない。
たった二人の当事者を除いて。
「……それで、俺に話ってなんですか?」
「察しはついてるだろ。お前に話を聴きたいんだ」
二人がいるのは、以前彰が永久を連れて来た喫茶店だった。
もともとここは朝見から教えられた店なのである。
朝見の視線を受けて、彰は小さく溜息をついた。
「やっぱりですか……まあ昼食奢ってもらえる以上、文句は言えませんね」
ちょうど行方不明者が出る前後に、彰は朝見に斑目のことを尋ねに行っている。
時期が時期なだけに、朝見も無関係とは思わなかったらしい。
「でも最初に言っておきますけど、俺は残りの行方不明者とかは知りませんよ」
「俺が知りたいのはそこじゃない。今回のこれは偶然なのか、事件なのかってことだ」
行方不明者は誰一人発見されていない。
目撃情報も曖昧で、遺体なども見つかっていない。
だから警察にも、実状がまるで見えてこないのだろう。
彰はトーストをかじりながら、曖昧に答える。
「これだけいなくなったんです。偶然じゃないと思いますけど」
「お前には捜せそうか?」
「多分、無理です」
死んだ者は、いくら彰でも捜すことは出来ない。
見失ったものなら見つけ出せるが、本当の意味で失われたものは、どうにもならない。
朝見はその返答に落胆した。
「そうか……」
「……でも、もう誰かがいなくなるなんてことはないと思いますよ」
彰は朝見を慰めるように言った。
ベランジェール、あるいは秋野葉子。
事件の犯人であるあの悪魔は、もういない。
彰でも捜し出せない場所に行ったのだ。
既に事件は、終わりを告げている。
朝見は一瞬、彰に探るような視線を向けてきた。
が、すぐにそれを打ち消す。
「やれやれ。お前の方は解決したのかよ?」
「おかげさまで。いろいろありましたけど、どうにか片付きました」
「片付いた、か……」
しばらくの間、朝見はその言葉を噛み締めているようだった。
やがて、割り切ったように苦笑を浮かべる。
「……ああ、そうそう。辛気臭い話ばっかだとあれだから、いいニュースを一つ」
「なんですか?」
「この前、お前に愚痴った生活安全課の子な。オーケー貰えたそうだ」
「え?」
彰は目を丸くして、食事の手を止めた。
「だって、その人が好きな相手って転勤したんじゃ……」
「したさ。でもよ、それで終わりだと決まったわけじゃねーだろ? その子な、一念発起して転勤した男にラブレター送ったんだってよ。そしたら相手からオーケーの返事があったんだと」
「へぇ……」
彰は素直に感心した。
一度は挫けたにも関わらず見事に復活し、納得のいく決着をつけた。
それだけでも称賛に値するだろう。
「良かったですね、本当に」
「まあな。俺も応援した甲斐があったってもんだ」
朝見は嬉しそうに笑った。
彰もつられて、微笑を浮かべる。
「っと、そろそろ時間だぞ。何か用事があるんじゃなかったのか?」
朝見が腕時計を見ながら言った。
彰も店内の時計に視線を向ける。
午前十時半。
そろそろ出ておいた方がいいだろう。
「ええ。でもいいんですか、こんな話で」
「いいんだよ、こちとらお前一人に時間割いてやれるほど暇じゃねえんだ」
「いつも暇そうな人の発言とは思えませんね」
「俺はドラマに登場するようなタイプなんだよ。決めるときに決めればいいんだ」
言い訳にも聞こえるが、朝見は確かにそういうところがあった。
いざというときは決めてくれる。
あの晩も、朝見がいなければ彰は動くことが出来なかっただろう。
ただ、同僚にしたいとは思わないが。
「ほれ、何ぼーっとしてやがる。早く行った方がいいんじゃないか?」
「ああ、そうですね。それじゃ朝見さん、また今度」
朝見に別れを告げて、彰は足早に喫茶店を後にする。
店を出た途端、心地よい空気が肌に触れた。
見上げれば、空は雲一つない。
快晴である。
「さて、迎えに行ってくるか」
そう呟くと、彰は駆け足で駅に向かっていった。
急行に乗って移動すること二十分。
涼宮駅よりも数段大きな駅に到着して、彰は新幹線の改札口へと移動した。
新幹線から降りてくる人々の中に、目的の顔がないかどうか探す。
それはすぐに見つかった。
彰の方に大きく手を振りながら歩いてくる。
が、人に道を譲ったりしているせいか、なかなか近づいてこれないようだった。
彰はじっと待つ。
やがて、憔悴した様子の倉凪永久が、彰の前までやって来た。
「久しぶりっ。彰、元気にしてた?」
「ああ。少なくとも今の君よりはな」
「うぅ……。人込みは苦手なのよ」
乱れた髪の毛を手で整えながら、永久ははにかんで言った。
二人は並んで駅の中を歩く。
事件が終わってからは忙しかったため、こうしてゆっくりと並んで歩くのは久々だった。
事件の最中の方が、まだのんびりしていた気がする。
あの後やって来た『九裁』の退魔士は、永久に散々小言を残して戻っていったらしい。
『九裁』本部で、今後彰の処遇をどうするか決めるのだそうだ。
永久曰く、
「多分しばらく監視されることになるけど、大人しくしてればそのうち解放されるわ」
とのこと。
ただ、そう語る永久の表情はげっそりしていたのだが。
そして彼女は、学校が春休みに入ってからは実家に戻っていた。
電話で話すこともなかったので、こうして言葉を交わすのは久しぶりだった。
「彰はどうだった? 今のところ右腕、大丈夫そう?」
「ああ、問題なし。最初は少し気になったけど、もう慣れたよ」
彰はひらひらと右手を振りながら言った。
そこに内包されている『天魔の欠片』は、今のところ落ち着いている。
時折妙に熱くなることがあったが、深呼吸をして心を落ち着ければ次第に冷めていく。
この力を使いこなせているわけではない。
これからきちんと制御する術を身に着けていく必要がある。
魔力なんてものは彰にとって未知のものだが、どうにかなるだろうと思っている。
「そっちはどうだったんだ?」
「友達に、いろいろと報告してきたわ」
「友達?」
「前に言ったでしょ。四年前に器にされたって子」
「ああ……覚えてる」
彰が頷くと、永久は寂しげな微笑を浮かべた。
「ごめん、それ少し嘘なんだ。……その子はね、もともと悪魔だったの」
「え?」
彰は思わず足を止めた。
が、永久がそのまま進んでいくので、慌てて歩みを再開する。
「それって、どういうことだ?」
「言ったでしょ。悪魔にも人間に協力的なのがいるって。その子……梨絵はそういった親人派でね。悪魔としてじゃなく、人として生きていくことを望んでた」
永久の声がわずかに震えた。
彰は黙って話を聞いている。
「けど……梨絵は『左腕』を持ってた。それを狙って、別の悪魔と戦いになったの。その果てに――暴走が起きた」
先日の戦いを思い出す。
木々は次々と薙ぎ倒され、激震の影響で土砂崩れも起きたらしい。
永久に言わせれば、きちんと制御して、ようやくあの程度の被害に抑えられたらしい。
もしあの力が暴走すれば、どれほどの被害が起きるのか。
想像するだけで寒気がした。
永久は彰の方を振り返り、懺悔するように言った。
「私は、暴走を止めるために梨絵を殺したの」
彰は何も言えなかった。
永久が背負っているものが、想像以上に重かったからである。
「……最期に梨絵は私に頼んできた。『左腕』を受け継いで、他の誰にも渡さないでくれって。ごめんなさいって、自分を殺した相手に謝りながら、申し訳なさそうに頼んできた」
そう言って、永久は自分の左腕をそっと撫でた。
「だから、これは私にとってあの子の形見みたいなものなのよ。それに、罪の証でもある」
「それは、罪なんかじゃないと思うぞ」
「ううん、私は……私自身が、そう思ってるから。それを背負っていこうって決めたから」
永久はかすかに微笑を浮かべた。
彼女自身がそう言っている以上、余計なことは言うべきではない。
きっと、それは彼女の『真実』なのだろう。
「そうか」
と、彰は小さく頷いた。
「……でも、ありがと。彰に聞いてもらったら、少しすっきりした」
「話ぐらい、いくらでも聞いてやるさ」
仲間だからな、と彰は胸中で呟く。
さすがに恥ずかしかったので、それは口に出さなかったが。
「それが、永久の戦う理由か。なんとなく、納得したよ」
「そう?」
「いつもどこか辛そうだったからな。本当は悪魔と戦うことなんて、望んじゃいないんだろ」
斑目のときも、童女のときも。
おそらくは、あの女悪魔のときもそうだったに違いない。
永久はいつも、戦うたびに辛そうな表情を垣間見せている。
それでも戦うのは、受け継いだ『左腕』を守るため。
そしてなにより、自分の周囲にいる人々を守るためなのだろう。
「そんな立派なものじゃないけどね。ま、あんまり積極的に悪魔狩りする気にはなれないけど。だからか『九裁』にはくさい顔されてるけどね」
「それぐらいでいいんじゃないか。永久は永久だ、そいつらに合わせる必要はない」
「ん……そう言ってもらえると、ちょっと安心する」
「そうか。そいつは良かった」
二人は顔を見合わせて笑った。
「その子には、何を報告したんだ?」
「頑張ってるよって。あと、これからも頑張るよって」
そして、永久は彰の前で立ち止まり、
「それから……助けてくれる人が出来たよって、教えてきたわ」
駅の窓から差し込む光が、永久を包み込んだ。
その姿を、美しいと思った。
その隣に立っていられることに、彰は密かに満足する。
これからのことは分からない。
だが、一人でいた今までよりは、きっと充実した日々になるだろう。
「彰?」
ふと我に返る。
目の前では、永久が怪訝そうな表情でこちらを見ていた。
「ああ、なんだ?」
「もう、聞いてなかったの? 向こうに着いたら特訓よ。きちんとその力を制御出来るようになってもらわないと、こっちも心配なんだから」
頬を膨らませる永久に、彰は思わず笑みをもらした。
永久を助けるという約束は既に果たした。
しかし、彼はまだこうして彼女と一緒にいる。
思い返せば、彰が『天魔の欠片』に手を伸ばしたのは、彼女との繋がりが欲しかったからなのかもしれない。
彼女との繋がりが、『線』が途絶えてしまわないように。
もう、一人きりにならないように。
だから、彰はとびきりの笑顔で彼女に応えた。
「ああ。……これからよろしく頼む」
「こちらこそ」
永久も笑って、左手で彰の右手を掴んだ。
彰も永久も、もう一人ではない。
同じものを背負う仲間がいる。
駅はいろいろな人で溢れかえっている。
その中で、彰はたった一人の大切な仲間と、手を繋いで歩き始める。
これから続くであろう長い道への第一歩を踏み出す。
――そこに確かな『 線 』があることを、認識しながら。