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第十三話「悪魔」

「……そろそろよろしいでしょうか?」

 二人の話が落ち着いたのを見計らって、葉子が声を上げた。待たされていたせいか、若干声や『線』に棘がある。

「まずは倉凪永久さん、お初にお目にかかります。私は六の魔族『誤解の一族』が二十二位。秋野葉子と申します」

「……」

 永久は無言で葉子を睨んだ。

 彼女が『彰に左腕のことを教えた悪魔』だと察したらしい。

 自分の秘密を勝手に喋られたという不快感、そして悪魔に対する不信感が永久の『線』に見え隠れしている。が、葉子はそれを涼しい顔で受け流す。

「話は既に聞いています。貴女が本当に天魔を目指すつもりがないのでしたら、私も協力させていただきましょう」

「……貴女は親人派、ということかしら?」

「愚かな輩が次の天魔になるのを防ぎたいだけです。六年前のような悲劇を繰り返すわけにもいかない。あの戦争は、我々の側にも甚大な被害をもたらしたのですから」

 葉子は厳かに告げた。

 そのときだった。

 突風が吹き、周囲の木々が強い音を立てて揺れる。

 そして次の瞬間、彰たちの周囲に無数の人影が現れた。

 その数、およそ二十。たった三人を取り囲むにしては多すぎる。

「ベランジェールの"骸"たちかっ!」

 葉子が叫ぶ。

 それに呼応するように、彰たちの近くにいた"骸"が、何人か跳びかかってきた。

「彰っ!」

 永久の呼び声に振り返ると、彼女は『翠玉の太刀』と、紅と蒼の短刀を手にしていた。

 二つの短刀を彰に手渡し、

「約束、守ってよ」

「心得た」

 阿吽の呼吸で言葉を交わすと、永久は敵が密集している地帯へと飛び込んでいく。

 まず最初に正面の敵を斬り裂き、その後足を踏み止め、自分の身体を軸にして太刀を舞うように振るい続ける。

 彼女に近づく"骸"たちは、例外なく斬り割かれていく。

 その姿を月光が照らし出す。まるで、幻想の中の光景だった。

 彰は木に背を預けながら、自分に向けられる『線』を捜すことに集中した。

 敵の数が多すぎるので、どこから奇襲をかけられるか分からない。

 ここに来る途中、彰は葉子から"骸"について聞かされている。

 下級悪魔を創造する際、注ぎ込まれた魔力に器が歪み、不完全な形となってしまったもの。

 それが"骸"だという。

『故に彼らは思考を持たず、司令塔がいなければ動くことも出来ません。全てにおいて下級悪魔に劣る出来損ないですが、唯一しぶといという長所があります。不瞳さんが彼らを確実に倒すには――』

 頭上から『線』が伸びてきている。

 彰はそれを肌で感じ取り、身を横に投げ出した。

 わずかに遅れて"骸"が落下してきた。

 着地後、その動きが一瞬止まる。

『司令塔を倒すか、首を斬るかのどちらかです』

 彰は逃さず、紅の短刀を相手の首へと叩きつけた。

 首筋が大きく裂ける。

 刹那、電池の切れた玩具のように"骸"は動きを止める。

 手に残った感触と相まって、彰の身体が若干震える。

「……びびるなっ!」

 腹に力を込めて大声を張り上げる。

 そうすることで震えを抑え、彰は二つの短刀を再び構える。

 恐れている状況ではない。

 今は戦うときだ。

「不瞳さん、倉凪さん!」

 ナイフを片手に戦いながら、葉子が切羽詰った声を上げた。

「司令塔が……ベランジェールが見当たりません!」

 その言葉に、彰と永久は顔を見合わせた。

 この場にいなければならないはずの敵が、どこにも見当たらない。

「くっ……彰、『線』は!?」

「こんな状況じゃ捜し出せない!」

 戦闘中は否応なく目の前の敵に意識を集中せざるを得ない。

 永久も葉子も、意識は"骸"たちへと向けている。

 それに"骸"たちが発する『線』が入り乱れていて、非常に見難い。

 これでは特定の相手を捜し出すなど到底無理である。

「指示だけ出して、自分は別行動を取っていると考えるのが自然ですね」

 彰の隣へやって来た葉子が、焦った様子で呟いた。

 永久も合流し、それぞれが背中を預ける形になる。

 その周囲を、残った"骸"たちが取り囲む。

「倉凪さん、まさかとは思いますが……この辺りに『右腕』を隠してたりしませんか?」

「……ある」

 戦いでは苦戦した様子もないのに、永久は苦渋の表情を浮かべていた。

「ってことは、あのベランジェールってのが『右腕』のとこに行ってるかもしれないってことか」

「見つかるはずなんてないと思うんだけど……」

「ですが、事実敵はこんなところで襲いかかって来ています。ベランジェールが近くにいることは間違いない。まずい状況であることに変わりはありません」

 葉子はにじり寄ってくる"骸"たちにナイフを構え、

「――行ってください。私が足止めをいたします」

 と静かに言った。

「本当なら自分で行きたいところです。『九裁』などにも渡したくない。我らが種族のことは、我らでどうにかしたいというのが本音です。しかし私ではベランジェールを倒すのは難しい。ここは、貴方がたに行ってもらうのがベストだと判断します」

 葉子は心底嫌そうだった。

 今の言葉は、彼女の本音なのだろう。

「大丈夫か?」

「心配無用です。彼らに私は倒せません」

 氷のように冷たい表情。

 その内に確かな自信があるのを見て取って、彰は永久に頷いてみせた。

「行こう、案内してくれ」

「ええ」

 永久は彰の手をぎゅっと握ると、脇目も振らずに駆け出す。

 彰は少しだけ後ろを振り返った。

 そこでは既に、葉子と"骸"たちの戦いが再開していた。


 漆黒の闇に溶け込みながら、一人の女性が音もなく移動している。

 ベランジェールである。

 彼女は前方をじっと見ながら、気配を極力殺して木々の間を駆けていた。

 彼女の視線の先には、倉凪永久と不瞳彰の後姿がある。

 ただ、かなり離れていた。

 ベランジェールは一定の距離を保ちながら、そっと二人の後を追う。

 あまり近づき過ぎると、不瞳彰の右眼によって気づかれる恐れがあった。

 彰の力がどの程度の射程距離を有しているのかは分からない。

 だから、ぎりぎり見失わない程度の距離を保ち続けている。

 今のところ、気づかれた様子はない。

 二人は右腕の隠し場所に向かっている。

 ベランジェールはただついて行けばいい。

 その場所が分かれば、あとは『右腕』を強奪すればいい。

 と、前方を進む二人の足が、何の変哲もない木の前で止まった。

 永久が屈みこんで、根元を覆う雪の中から鞄を取り出す。

 それを確認し、ベランジェールは行動を開始した。


 雪の下から現れた鞄は、永久と出会った晩と変わっていなかった。

 しかし、その中身を知った上で目の前に出されると、どうにも気味が悪い。

「この中に、天満の魂……その『右腕』が入ってるのか」

 彰がぽつりと呟いた瞬間だった。

 夜風を切るような音と共に、漆黒の影が二人の元へ飛来する。

 まるで矢の如き速さだった。

 長い髪の毛が羽のようにばさばさと広がる。

 ベランジェールだった。

 猛然と迫るベランジェールに対し、しかし二人は動かない。

 無防備に背中を晒す彰に、ベランジェールは必殺の一撃を振り下ろそうとした。

 しかし。

「認識済みだ」

 彰がぽつりと呟くと同時に、ベランジェールの右腕が根元から断ち斬られた。

 彰のすぐ側では、永久が冷や汗をかきながら太刀を振り抜いている。

 彰はとっくに『線』に気づいていた。

『天魔の右腕』の元へ向かうのだから、追跡者に対する警戒心を最大まで働かせていたのである。

 ただ、それがベランジェールの『線』だと確信はしていなかったが。

『右腕』の元にも急ぐ必要があったから、いちいち相手はしていられない。

 そこで彰は『右腕』を餌に、ぎりぎりまで相手を引き寄せて倒すことを提案していたのである。

 彰はすぐに永久に目配せをし、鞄を抱えて身を引いた。

 戦いでは役に立てない。

 援護に徹するのが、なによりの手助けとなる。

 永久は『翠玉の太刀』を構えたまま、慎重にベランジェールへと足を動かす。

 だが、ベランジェールの様子がおかしかった。

 二人はほぼ同時にそのことに気づき、眉をひそめる。

「……ベランジェール?」

 ベランジェールは永久の呼びかけにも応じない。

 腕を斬られた直後に顔を伏せ、そのままじっとしている。

 その姿は、戦いの最中だというのに無防備極まりない。

 ベランジェールの『線』は、じっと彰の方に――否、鞄へと向けられている。

 何か、嫌な予感がした。

「永久、気をつけろ! 何か様子がおかしい!」

 彰の叫びに、ベランジェールが顔を上げた。

 その表情を見て、二人は凍りつく。

 ベランジェールの表情からは、一切の感情が抜け落ちていたのである。

 まるで、あの"骸"たちのように。

 二人が絶句したときだった。

 永久には目もくれず、ベランジェールが彰の元へと跳躍してきた。

「彰っ!」

 永久がベランジェールに向かって太刀を振るう。

 しかし、わずかに届かない。

 彰は鞄を抱えたまま、真横に飛び退く。

 が、ベランジェールは彰の背後にあった木を蹴りつけ、勢いを殺さずに追跡してきた。

「ちっ!」

 鞄を持ったままでは抵抗することも難しい。

 かといって、迂闊に手放すわけにもいかない。

 生気を失くしたベランジェールの顔が、すぐそこに迫る。

 彰は身を屈めてそれをやり過ごすと、永久の元に駆け寄った。

「まずいな……これ、出すべきじゃなかったか」

「いいえ、私が奴を倒せば問題ないわ」

「そうじゃない」

 彰は周囲の木々をぐるりと見回した。

 そこかしこから鞄へと伸びる『線』が見える。

「どうやら敵さん、連中を大量に創り上げたみたいだな」

 彰が呟くと、隠れていた"骸"たちがどさどさと木から落ちてきた。

 その数の多さは、冗談としか思えない。

 永久は顔をしかめて、彰と背中合わせに立つ。

 何が何でも右腕を奪うつもりらしい。

 ここまで強引な手段を取るのは予想外だった。

「……永久、あの女悪魔、おかしいと思わないか」

「ええ。あれじゃまるで"骸"みたいだわ」

 先日会ったときのベランジェールは雄弁だった。

 だが今日は、全く口を開かない。

 幽鬼のような表情を浮かべ、ただ『天魔の右腕』を奪うことだけを考えている。

 まるで、命じられた機械のようだった。

「状況が見えない……どうする?」

 彰は相手を威嚇するように紅の短刀を突き出した。

 彼の問いかけに、永久は歯を食い縛って首を振る。

「彰は絶対死なせない。『右腕』も絶対渡せない。……だったら、頑張るしかないじゃない」

「ハードなことだ……!」

 彰が冷や汗混じりのシニカルな笑みを浮かべる。

 二人を取り囲む"骸"たちは、でたらめに迫ってきた。

 仲間内での連携など一切考慮しない突撃である。

 動きは単純だが、数が多い。

 永久が次から次へと斬り伏せているが、それでもしぶとく起き上がってくる者たちが大勢いる。

 次第に戦いは乱戦の兆しを帯びてきた。

 ……まずい!

 押し寄せる敵に集中していたせいで、彰は永久を見失っていた。

 いつのまにか分断されたらしい。

 呼ぼうとも思ったが、彰にはそんな余裕すらなかった。

「く、ぐ……」

 鞄を左手で抱えながら、無我夢中で短刀を振るう。

 リーチが短いせいで相手に致命打を与えることが出来ず、少しずつ彰は追い詰められつつあった。

「不瞳さん」

 そのとき、不意に葉子の声が聞こえた。

 敵から意識を逸らすことも出来ず、彰は声の主を捜したいという欲求を必死に抑え込む。

 と、動かし続けていた右腕が細い手に止められた。

 気づけば葉子が彰の傍らに立ち、群がる"骸"たちを威嚇するように睨みつけている。

 葉子はところどころ傷を負っているようだったが、彰と違ってまだ余裕がありそうだった。

「ここは危険です、一時撤退します」

「ちょっと待て、永久は……」

「彼女にとっても、貴方と『右腕』の方が大事でしょう。……こちらへ」

 その華奢な身体からは想像もつかない力で、葉子は彰を抱え上げた。

 そして高く跳躍し、一気に"骸"たちの囲みを抜ける。

「さあ早く!」

 葉子は有無を言わさず彰を引っ張り、山の奥へと走り出す。

 彰はそんな彼女をじっと見て、小さく頷いた。


 ――ベランジェールは生粋の悪魔だった。

 いつ、どこで、どのようにして生まれたのかは分からない。

 どのように育ったのかも覚えていない。

 ただ、自分がどうしようもない奴だということは理解していた。

 人を堕落させ、仲間を裏切り、そうして自分は楽しむ。

 悪魔と呼ばれるに相応しい所業を、彼女はずっと続けてきた。

 自分以外の全てを馬鹿と決めつけ、常に一人で行動していた。

 自らを創造したであろう一族の長にすら、彼女はろくに会ったことがない。

 ずっと、一人だった。

 ところが、ある日彼女の前に不思議な青年が現れた。

 同種族間にある共鳴現象で相手が悪魔だということはすぐに分かった。

 しかし、天魔だとは思わなかった。

 彼女にとって、彼は天魔などではなく、憧れの相手だった。

 他の全てを蔑んできた彼女が、唯一心を寄せた相手だったのだ。

『君は、寂しい色をしているな』

 ロンドンの道端で出会った優男は、開口一番そんなことを言った。

 そのときの声、仕草、そして瞳に、ベランジェールは完全に魅入られた。

 理屈ではない。

 ただ彼が話しているのを見て「いいな」と思っただけである。

 二人で過ごした時間は、ほんの一時間にも満たない。

 それでも、ベランジェールは彼のために六年間費やしてきた。彼を復活させるために。

 そしてようやく、その悲願が一つ果たされようとしている。

 ずっと捜していたものが手に入る。

 ベランジェールは身体の疼きを抑えながら、誰にも気づかれぬよう静かに微笑んだ。


 彰が葉子に連れられてきたのは、森の広場という言葉が似合う場所だった。

 周りは木に囲まれているが、そこだけぽっかりと穴が空いたようになっている。

 先ほどの戦場から走ること十分。

「ここまで来れば、もう大丈夫ですね」

 葉子は彰の腕を離し、ほんの少し安堵の笑みを浮かべる。

 対する彰も苦笑し、

「ああ、もう大丈夫だろう。……余計な邪魔は入らない」

 と、含みのある声を上げた。

 それを受けて、葉子はきょとんとした顔で彰を見る。

 怪訝そうに眉をひそめて、半歩下がった。

 彰は笑みを消し、葉子に鋭い眼差しを向ける。

「そろそろ演技は終わりにしたらどうだ――ベランジェール」

 その言葉に、葉子の表情が凍りついた。

 緊張感漂う沈黙が訪れる。

 やがて、葉子は口元を三日月の形に歪めた。

 これまでほとんど無表情だっただけに、その変化は不気味だった。

 例えるなら、夜中にフランス人形がニタリと笑ったかのような薄気味悪さがある。

「……いつから気づいていたのですか?」

 声も口調も葉子のまま、しかし雰囲気だけががらりと一変していた。

 そこには、どうしようもないほどの欲望が見え隠れしている。

 彰は気圧されぬように、鼻で笑った。

「怪しいと思っていたのは最初から。確信したのはついさっきだ」

「私の『線』に不審な点があった、ということでしょうか」

「それは半分正解、半分はずれだ。あんたの『線』は実に安定していたよ。鉄の意志とでも表現すべきか。余計な感情を含まず、動揺もほとんどしなかった。俺が右眼の説明をしてからは、より安定したな」

 彰の言葉に、葉子はぴくりと眉を動かした。

「……その差異で見抜いたのですか?」

「それもある。それもあるが……そもそもな、俺に見える『線』は人の意識を表すものなんだ。誰が何をどう意識しているか、そこにどんな感情や思惑が秘められているのか、それが『線』という形になって見える」

「それが、どうしたと?」

「意識なんてものは、普通は安定なんかしない」

 前髪を掻き上げて、彰は右眼で葉子を見据えた。

「怒っていたかと思えば次の瞬間後悔したり。泣いていたかと思えば、すぐに憎しみに支配されたり。不安定なんだよ、人の意識――心なんてものは」

 葉子はかすかに動揺したのか、苦々しい顔つきになる。

「それが安定して見えるなら理由は二つ。よほど強固な意志があるか、もしくは……自分の本心を相手に知られまいとしているか」

 最初は前者だと思っていた。

 葉子の話し方があまりに堂々としていて、何かを隠しているような気がしなかったのである。

 しかし、彰の力を知った途端、彼女の『線』はより強固となった。

 まるで、中身を隠そうとする分厚い金庫のように。

「……もっとも、いくら安定していようと目標物が目の前にあればさすがに落ち着かないか。さっきから『線』が乱れてるぞ」

 彰はそう言って、鞄を抱える左腕に力を込めた。

 葉子の『線』は、先ほどから彰と鞄を行ったり来たりしている。

 形も安定していない。

 頑丈な檻から出ようと、本心という名の獣が暴れているように見えた。

 葉子はしばし、彰を憎々しげに見つめた。

 が、不意に再びくすりと微笑む。

 そして、天を仰ぎ、哄笑した。

「は、はは……ははははは――――!」

 その笑い声に、彰は戦慄した。

 どんな意味があるのかは分からないが、少なくともこれは自暴自棄になって笑っているわけではない。

 この状況。考え直す必要すらない。

 追い詰められているのは、彰の方なのである。

 やがてひとしきり笑い終えると、葉子はがくんと顔を落とした。

「大した度胸ですね、不瞳さん。頼れる倉凪さんと分断された状況で、随分と余裕じゃないですか。うふふ、最初は無理矢理支配してしまおうかと思いましたけど……」

 と、葉子はその幼い顔立ちに似合わぬ淫靡な視線を向けてきた。

 彼女が放つ『線』には、今までのような不自然な安定さはない。

 欲望によって荒々しく波打っていた。

「不瞳さん。私に力を貸してくれませんか?」

 葉子は破顔して両手を広げる。

「貴方の『線』を見る力は素晴らしい。度胸もある、洞察力も持ち合わせている。貴方がいれば、あの人を蘇らせることが出来る。不瞳さん、私は貴方が……欲しい」

 彰の背筋を悪寒が駆け抜けた。

 葉子の双眸が放つ怪しい輝きが、どうしようもなく恐ろしい。

「……あの場で俺を殺して右腕を奪わなかったのは、そのためか」

 葉子なら、先ほどの乱戦に紛れて彰を殺し、右腕を奪い取ることなど簡単だっただろう。

 それをしなかったのは、彰を手に入れるため。

 彰の右眼を使えば、残りの『天魔の欠片』を容易に捜し出すことが出来るだろう。

 葉子の狙いは、間違いなくそこにある。

 彰もそのことは予測していた。

 だからこそ、あの場で無理に抵抗せず、大人しくついて来たのである。

「俺に近づいてきたのも、それが目当てか?」

「いいえ。最初は単に倉凪永久を適当に揺さぶってやろうと思っただけです。貴方が捜すことに特化した力を持っているのは知っていましたが、詳細が分からない以上、利用しようとは思っていませんでした。……それに、ここまで上手くいくとも思ってませんでした」

 彰は舌打ちした。

 葉子は細々とした策を用意したのではなく、相手を揺さぶり、その際に出来た隙を臨機応変に突いてきたのだ。

 彰は見事に動揺し、結果的に相手にとって都合のいいように動いてしまった。

 そのことを強く後悔する。

「……さて不瞳さん。そろそろ、返答をいただきたいのですが。もし承諾してくださるなら、魂はそのままに、その存在を我らの同胞に変えてさしあげましょう。人間よりも遥かに強く、長寿で、知識に長けています。ふふ……私と一緒に生きません?」

 それは、まさしく悪魔の誘惑だった。

 気づけば、森の広場は黒い霧に覆われていた。

 甘ったるい香りが彰の鼻腔をつく。

 気を抜いた瞬間に意識がとろけてしまいそうだった。

 葉子は妖艶な仕草で彰に熱っぽい眼差しを送る。

 そして、くすくすと楽しげに笑っていた。

 この空間にある全てが、彰を誘惑しようとしていた。

 常人ならば、五秒と持たずに陥落するだろう。

 しかし彰は、それら全てを一笑に付した。

「――断わる。俺は永久を助けると約束したんだ」

 自分が窮地にいることは分かっている。

 それでも彰は、全く迷わずに言い切った。

 葉子の目的は天魔の復活にある。

 それに協力するなど、永久に対する最悪の裏切りである。

 そんなことは、絶対に出来ない。

 彰にきっぱりと断わられ、葉子の表情は急速に冷え込んでいった。

「……そうですか。残念です」

 告げる声に無念の色はない。

 本当に残念と思っているのかどうか、怪しいところだった。

「では、当初の予定通りに」

 葉子は軽い足取りで彰に近づいてきた。

 彰は警戒して後ろに下がろうとしたが、

 ……動けない!?

 全身の感覚が、足元から徐々に薄れてきていた。

 既に下半身は完全に動かせない。

 葉子はそんな彰の前に立ち、するりと抱えられていた鞄を取る。

 その鞄を我が子のように両腕で抱きかかえ、

「ああ……」

 と恍惚の声をもらす。

「やっと見つけた、私の大切な人。……もう二度と、死ぬまで手放したりは致しません」

 そう言って、葉子はおもむろに鞄を開けた。

 そこからは淡い光が漏れている。

 葉子はためらうことなく中に手を入れると、顔をしかめながらある物を取り出した。

 それは長方形型の水晶だった。

 強い輝きを放ち、異様なまでに透明感がある。

 そしてその中には、水晶の輝きを侵食するように真っ黒な球体が入っていた。

 水晶を取り出した葉子を包み込むように、電撃が発生する。

 水晶が、天魔を復活させようとする者を拒絶しているのだろう。

 葉子は苦痛に顔を歪め、しかし決してそれを手放そうとはしなかった。

 声一つもらさず、葉子は黙って水晶を抱きしめる。

 彼女を襲う電撃は一層激しさを増した。

「……我らが王。貴方は、私が復活させます。私が、貴方の器となりましょう」

 いとおしむように、言葉を紡いでいく。

「我が力。我が魂。全てを貴方に捧げましょう。そして共に生きましょう。貴方は、そんな狭いところにいるべき御方ではありません」

 ぴしりと、嫌な音が聞こえた。

 水晶に小さな亀裂が走ったのである。

 それは次第に大きく、そして枝分かれしながら広がっていく。

「私の声が聞こえますか、我らが王……」

 水晶の中央部に、一際深い亀裂が生じた。

 そこから、膨大な量の霧が溢れ出てくる。

 それに触れた瞬間、以前永久が見せた灰色の霧と同一のものだと理解出来た。

 ……まずい……!

 本能が警報を鳴らす。

 あれを解放してはいけない。

 危険すぎる。

 脳裏に、焼き尽くされた町並が浮かび上がる。

 死体と瓦礫で埋め尽くされた、地獄と呼ぶに相応しい光景が。

「ぐっ……」

 彰は必死に身体を動かそうとした。

 だが、首から下の感覚がほとんど残っていない。

 どれだけ脳が命令しても、それが身体に届くことはなかった。

 そして――

「聞こえているのでしたら……どうか、呼びかけにお応えください」

 戦慄する彰の目の前で、水晶が音を立てて砕け散った。

 水晶の中にあった球体が、葉子の身体へと吸い込まれていき、

「ああ……ようやく会えました、我が王」

 その瞬間、葉子の存在感が爆発的に膨れ上がった。

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