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第十一話「朝見省吾」

「よう、しけた面してるじゃないの」

 午後十一時という時刻。

 いきなり彰の部屋にやって来た朝見省吾は、人懐っこい笑みでそう言った。

「……何か用ですか?」

「飲もうぜ」

 朝見は買い物袋を持っていた。中身は当然のようにビール尽くしである。

「嫌なことでもあったんですか?」

「まあな。でも、そういうお前もひでぇ顔だぜ。お互い飲んで、ぱーっと忘れようや」

 彰は少し迷った。

 彼がノックの音に反応したのは、また葉子がやって来たと思ったからである。

 そうでなければ、居留守を使っていた。

 今は気分が沈んでいるのである。

 ……ま、いいか。

 一人でいるのもいいが、朝見の言うように、飲んで忘れるというのも悪くはない。

「……でも俺は酒は飲みませんよ。未成年ですから」

「分かってるよ。俺も今日は少なめにしといた」

 それでも缶は五、六本入っていた。

 もっとも、普段十本は平気で飲む朝見にしてみれば、少ない方ではある。

 朝見はテーブルの前に腰を下ろすと、さっそく一本目を飲み干した。

「この前言った生活安全課の子がな、振られたんだよ」

「はあ」

 曖昧に同意しながら、彰は冷蔵庫から炭酸飲料水を出した。

 ビールの代わりである。

「相変わらず、お節介なんですね」

「性分なんだよ」

 二本目を呷りながら、朝見は苦々しげに呟いた。

 朝見は困っている人を見ると放っておけないタイプの典型である。

 あまり人付き合いをしない彰とそれなりに親しいのも、彼の方がなにかと声をかけてくるからだった。

 美徳とも言えるが、それは時によって人の迷惑にもなる。

 朝見もそのことは自覚しているようだが、今のところ改めるつもりはないらしい。

「オチがさ、納得いかねぇんだよ」

「どんな結末になったんですか?」

 彰の問いかけに、朝見は両目を大きく見開いて、

「充分脈ありそうだったんだよ! それなのに、遠慮してるうちに男の方が転勤になってよ。だからもう諦めますって、馬鹿かちくしょう!」

 手にした缶を勢いよくテーブルに叩きつけ、朝見は憤りの声を発した。

「さっさと好きだって言ってりゃ良かったんだ! それなのに、ええ? 最近の若いのは皆ああも引っ込み思案なのか?」

「さ、さぁ。俺は、どっちかっていうとそうかもしれないですけど……」

 夕方の永久とのやり取りを思い出す。

 あそこでもし食い下がっていたら、どうなっていたのか。

 そんなことが思い浮かんだ。

「……だいたい相手が転勤するからって諦めるのか? 相手に婚約者でもいるならともかく、少しばかり遠くに離れるだけじゃねーか。告白するのを諦める理由にはならねぇよ」

「そうは言いますけど、やっぱりそういうときって言いにくいものじゃないですかね」

「そうかぁ?」

「雰囲気とかってあるでしょう。多分、その人は『告白出来るような雰囲気じゃない』って思ったんじゃないですか?」

 相手が遠くに行ってしまうという状況が、告白に相応しいかどうかは彰には分からない。

 ただ朝見の話を聞く限り、問題の女性は相応しくないと判断したのだろう。

 彰には、その人の気持ちが少し分かるような気がした。

 しかし、朝見は赤らめた顔で首を振った。

「そんなん言い訳だ。彰、考えてもみろ」

 酔いながらも、断固とした強さを秘めた眼差しで、朝見は言った。

「雰囲気なんてのは、変えようと思えば変えられるもんじゃねーか」

 その鋭い眼光に圧倒されて、彰は言葉を詰まらせる。

「そういう雰囲気だから、ってのは雰囲気変えられなかった奴の駄目な言い訳だ。雰囲気のせいにしてんじゃねーよ、自分の努力が足りなかっただけだろ」

 そう言って朝見は、ぐい、と三本目を一気に飲み干した。

「でも、それって簡単なことじゃないですよ。下手すると空気読めてない奴ってことで、周囲から浮いてしまう。そんなことになったら、告白しようとしてる相手に悪い印象与えることになるかもしれないじゃないですか」

 昔、自分自身が経験したことである。

 彰はややきつい口調で反論した。

「……恐いんですよ、皆。周囲から出来るだけ浮きたくない。変なことして嫌われたくない。悪いようには見られたくない。……そう思う人、きっと大勢いるんじゃないですか?」

 彰の言葉に、朝見は眉をぴくぴくと動かした。

 別に苛立っているわけではない。

 真面目に人の話を聞くときの、彼の癖なのである。

「なるほど、確かにお前の言うことも一理ある」

 先ほどよりも落ち着いたらしく、朝見は静かに四本目の缶を開けた。

「けどよ、やっぱり俺はもったいないと思うぜ」

「……え?」

「そりゃあどうでもいい奴に対しては、お前の言ったように、変に目立たず付き合ってく方が楽でいいだろうさ。そいつは否定しない」

 何度も首を縦に振りながら、朝見は言った。

「でもあの子の場合、相手は惚れた男だったんだ。どうでもよくなんかないはずの相手だったんだぜ? 確かに悪い印象与えたくないってのはあるだろうけど、それじゃ駄目だ」

「……なんで、ですか?」

「だってよ、悪い印象でも相手の記憶には残るだろ。それなら、改善のしようもある」

 だがな、と朝見は続けた。

「何もしなけりゃ印象ゼロだ。――そこから先なんて、ないんだぞ」

 酔って紅潮した顔からは想像もつかないくらい、朝見の声は冷たかった。

「結局あの子は、今の自分って殻に閉じこもったまま動かなかった。逃げたんだ。そうすることで自分を守りはしたが、惚れた相手との縁を断ち切っちまったんだ」

 酒臭い息を吐き出し、朝見は苛立たしげに髪を引っ掻いた。

「……そのことで傷つくのは、結局自分自身なのにな。今頃後悔してるんだろうよ」

 彰には、朝見の言う女性の心境が分かるような気がした。

 相手に拒絶された。

 反論出来るような状況ではなかった。

 下手に食い下がれば、余計嫌われると思った。

 だから、かつては全てを投げ出し、今回はあっさりと永久の提案を呑んだ。

 しかし本当にそれで良かったのだろうか。

 永久の『線』には拒絶の色があった。

 しかし、それは表面的な事実に過ぎない。

 人の思いなど、一つの要素だけで出来ているわけではないのだ。

 あの拒絶は、彼女の本心なのか。

 ……違う。

 彰を突き放すときに見せた辛そうな表情。

 あれは気のせいなどではない。

 ――真実は認識で出来ている。

 彰は既に認識している。

 彼女は無理してこちらを突き放したのだと。

 ――真実から目を逸らさないこと。

 それが事実かどうかは分からない。

 ただの思い込みかもしれない。

 だが、今の彰にとってはそれが真実だった。

 そして、人はいつだって己の真実に突き動かされる。

 永久を助けたいと思う心は――消えてなどいなかった。

「朝見さん」

「ん?」

「もし仮にその人が動いたとして、相手に拒絶されたら、朝見さんはどうするんですか?」

 脳裏に永久の姿を思い浮かべながら、彰は尋ねてみた。

 朝見はやや考えてから、

「一旦動いたなら、半端なところで終えるな。自分で納得出来るよう、きっちり決着つけろ」

 そう言って、朝見は肩を竦めてみせた。

「……そうやってアドバイスしてやるぐらいかね。背中でも叩いてさ」

 人の良さそうな笑みを浮かべ、朝見は五本目に手をつける。

 そんな彼を、彰はじっと眩しそうに見ていた。


 朝見は意外にも、あっさりと自分の部屋に戻っていった。

 沈んだ様子の彰に愚痴とも説教とも取れる話をしたことをすまなく思ったのか、去り際に一本だけビールを置いていった。

 一応、詫びのつもりらしい。

 彰はそれには手をつけず、寝転がりながら携帯の画面を見ていた。

 そこには永久の名前と電話番号、メールアドレスが載っている。

「半端なところで終えるな、か――」

 それは強い人間にしか出来ないことだと、彰は思っていた。

 どう頑張ったところで、納得出来る結末など滅多に訪れたりしない。

 そのことを、彰は身を持って知っている。

 ……だが、あのとき俺は最後までやり通したのだろうか。

 周囲から敵意を突きつけられて、そこで怯えて逃げ出してしまった。

 あれが、最後だと言えるのだろうか。

 半端ではなく、やり通したと言えるのだろうか。

 ……違うだろう。認めろよ不瞳彰、お前は半端なところで逃げた。あのときも、今も。

 だからこそ、もうこれ以上逃げたくはなかった。

 ……だけど、どうすればいい?

 朝見と話してから、彰はずっとそのことを考えていた。

 永久の役に立てるならば、喜んで何かしたいと思う。

 しかし、良案が思い浮かばない。

 何も考えずに押しかけても迷惑をかけるだけである。

 それでは意味がない。

 戦いでは役に立たない。

 敵についての知識もない。

 そもそも経験が、圧倒的に足りない。

 彰に出来るのは、せいぜい何かを捜すことぐらい――。

 ……待て。

 彰は不意に違和感を抱いた。

 何か、とてつもなく初歩的なことを忘れているような気がする。

 決して見逃してはならないような、大事なことを。

「……そうか……!」

 必死に頭を働かせ、彰はその答えを捜し当てた。

 自分にもあったのだ。

 彼女の役に立てることが。

 それも、おそらくは自分にしか出来ないことが。

 上体を起こし、彰はすぐに永久へ電話をかけた。

 しかし、永久は出ない。

 無視されているのか、出るに出られない状況なのか。

 彰は逸る気持ちを抑えながら、ふと眼帯に手をかけた。

 もし永久がこちらの通信を無視しているなら、彼女は今こちらを意識しているはずである。

 ならば、と彰は眼帯を外し、右眼を開いた。

 途端、外から彰に向かって伸びている『線』が視界に現れる。

 彰は慌てて部屋の外に出た。

 ひんやりとした夜風が流れる中、『線』を辿るように視線を動かした。

「……永久っ!」

 彼女はいた。

 昨日と同じ、アパートの隣にある民家の上に。

 永久は驚愕に身体を震わせ、一瞬だけ彰の方を見た。

 しかし、昨晩と同じように踵を返し、猫のように素早くどこかに逃げてしまう。

「くそっ、そんなの知らないって言っておきながら、きっちり見張りしてるじゃないか!」

 彰も馬鹿ではない。

 二日連続で永久は同じところにいた。

 偶然などではないだろう。

 その理由も、容易に想像がつく。

 きっと、彰と出会ったあの晩からああして屋根の上に陣取っていたのだろう。

「ったく、気を使うなって言っただろ……!」

 今日は黙って逃がすつもりはない。

 彼女と話したいことがあるのだ。

 彰は永久の逃げた方を睨みながら、急ぎ足で一階に下りた。

 そこには、酔い覚ましに出て来たのか、朝見が立っていた。

「どうした彰、こんな時間に急いで」

「すみません、朝見さん。話はまた後で……」

「俺の愛車を貸してやる」

 そのまま走り去ろうとした彰は、朝見の言葉に振り返った。

 ひょい、と放り投げられたバイクのキーを受け取ると、彰はまじまじと朝見の顔を見た。

「朝見さん……?」

「急いでるんだったら速い足がいるだろ。事情は後でいいから、さっさと行ってこい」

「……ありがとうございます!」

 世話焼きの隣人に心から感謝をしつつ、彰は思いきり頭を下げた。


 自分の愛車に乗って走り去る隣人を見送ってから、朝見は煙草に火をつけた。

「やれやれ。また無茶する顔になってやがったな、あいつ」

 シニカルな笑みを浮かべ、自らが吐き出した煙をぼーっと見つめる。

 うじうじしていて、臆病で、おまけに決断が遅い。

 彼はそんな若者だが、いざ本気を出すと普段からは想像もつかないような行動力を発揮する。

「充電期間終了、ってとこか。あんまりかっ飛ばしすぎるなよ、彰」

 そう呟く朝見のすぐ横で、不意に突風が巻き起こった。

 何事かと朝見が首を動かしたとき、突風を起こした張本人は既に遥か先を走っていた。

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