晴嵐-3
SIさんの物語の第一部終了後、第二部開始前の話という位置づけ。
晴嵐とヒカリの話。
「ヒカリ?」
返事はない。
夜の隠れ家の中、電灯やNSなどの明かりなしに晴嵐は真っ直ぐ進んでいく。
そこにはソファで船をこいでいる彼のパートナーがいた。
「珍しいな」
彼女がこんな姿を晒すのなどは随分と久しぶりな気がした。
「……ったく、風邪ひくぞ」
奥から毛布を持ってきてかけてやる。
「……ん」
その途端、彼女が小さく身じろぎする。
一瞬起こしたかと思った晴嵐だったが、やがてまた可愛らしい寝息が聞こえてきたのでほっと一息つく。
「……」
ふと、晴嵐は思う。
俺はヒカリを止めるべきだったのだろうか。
『あの時』の出来事。ヒカリも晴嵐も、大切なものを失ったあの時の出来事。それが彼女の全ての分岐点だった。
何も知らなかった彼女が『こちら』側へ来る選択をした時、必要なものを与えたのが晴嵐だ。元々自分は裏側の人間に属していたし、彼女の父とまではいかないがその世界をそれなりに渡り歩くだけの力は持っていた。だからそれらを少し手ほどきしながらずっと彼女の面倒を見てきた。彼女がせめて一人立ちできる程度には自分がついていてやろうと。
しかしそれは根本から間違っていたのではないだろうか。最近は特にそう思うようになっていた。
戻れぬ道に引きずり込んだのではないのか。
俺はただこいつを道連れに――
「……ちっ。くそ。俺は何を今更。今更だ……」
物が動く気配がした。
見ると、ヒカリの瞼が開いていた。
「起こしたか?」
「あ……ラン? 帰ってたの」
目をこすりながら起き上がろうとするヒカリを手で制する。
「いいからお前はもう少し寝てろ。ただでさえここしばらくは不眠不休だったんだ。何か起きたら俺が起こしてやる」
「ん? そこにいるのよね、ラン」
「ああ」
「……不思議。ランはこんな真っ暗な中でも私が見えるのね」
多少夜目が利く、などというレベルではない。ヒカリも目の前の青年から夜での活動は問題ない程度に訓練を受けている。それでも彼に比べると児戯と言わざるをえない。いや、ヒカリだけではなく全ての人間が、であろうが。
NSの明かりはおろか、月の光すらない真の闇の中でも晴嵐の目は詳細に部屋の中を見渡せていた。それどころか、今ならば夜闇の空を渡るカラスの姿や弾丸の弾道すら見切ってみせるだろう。
「それが、俺のスキルだからな」
「技能なんて言葉じゃ説明できないと思うわよ」
晴嵐が明かりのスイッチに手を伸ばす。ようやく部屋に明かりが灯り、ヒカリは晴嵐の姿が見えた。
ヒカリはここ最近になってようやく彼のその能力が如何に特異であるかが分かってきたところだ。
NSの力でもない、生まれついてのミュータント。根本的には『魔法』に分類されるが、その発現は身体能力の向上のためどちらかというと『超能力』に近い。
ヒカリは知らない。晴嵐は教えていない。
彼は光の存在しない刻限の間、飛躍的に『視力』の能力が向上する。それはタカ並の解像度であり、昼間ですら星がくっきり見えるほどだ。
更に動体視力。音速で動く物体すら彼の目は捉える事を可能とする。ミサイルに書かれている文字すら読みとってみせるだろう。
それらは腕力やスピードといった直接的な力に結びつくわけではないが、闇に各種の制限を受ける人間という生物にとっては非常に大きなアドバンテージとなる。
太陽の光が照らしている間の彼も強いが、夜……太陽が沈んだ後の彼は更に強い。
そして視界。如何に光の届かぬ場所であろうとも彼の目には全てが映っている。彼の世界には闇などという概念は存在しない。昼も夜も等しく同じ世界なのだ。
彼は光を必要としない。
彼には一日という概念がない。それは同時に時間に対する概念が希薄という事になる。
それをランは決して誰にも教える事はなかった。唯一人、彼の姉を除いて。
「……今日はハズレだった。今度はもう一つの方にも探りを入れてみるが……この分だとこっちもハズレだろう」
「そう」
「眠れ。今のお前は不眠不休の上、この前の影響でまだ満足に体を動かせないだろう。それじゃあ足手まといだ。しばらくは俺一人の方が動きやすいものしかない。お前は不要だ。ここで大人しくしていろ」
「……ううん。私はもう大丈夫よ」
「……」
ヒカリは頑なに晴嵐の言うことを聞かず、起き上がろうとする。晴嵐はそんな彼女の側に歩み寄り、懐から取り出した彼の愛用のナイフで問答無用とばかりに押さえつけ、組み伏せる。
「く……」
速く鋭いその初撃は相手が何者であれ、そうそう受けれるものではない。それをヒカリは咄嗟に近くに置いていた銃を手にとって弾いてみせた。しかしできたのはそこまで。次の晴嵐の一手でヒカリは喉元にナイフを当てられていた。
至近距離で二人が睨み合う。
「卑怯よ。私、まだ身を起こしてない状態だったんだから。こんな体勢じゃすぐに詰まれて当然じゃない」
「死者は死者らしく口をつぐんでいろ。これで文句はないな。お前はここにいろ。お荷物はお荷物らしくじっとしているんだ。いいな」
「はぁい」
晴嵐は有無を言わさぬ強い調子でヒカリに言った。
そんな晴嵐に、ヒカリは不満げに頬を膨らませる。
それは、唐突に昔の彼女の影を思い起こさせた。
「……」
それから目を逸らすようにして晴嵐はヒカリから離れる。
「ったく、この頑固さはどうにかしてほしいぜ。恨むぜ旦那」
晴嵐はヒカリを外に出す時は必ず自分と組ませていた。ヒカリを一人で行動させるのは決して許さなかった。それでは行動に厳しい制限がかかる事は分かっている。それでも晴嵐は頑なにその事だけは譲らなかった。
それではいけない、という事は分かっている。いつかはヒカリにも単独で行動を任せる時が来るし、そうしなければいけないという事は分かっている。でなければ、いつまで経っても一人前にはなれないし、自分に何かあった時にヒカリは何もできないという状態に陥りかねない。ヒカリも随分と成長した。そろそろ一人でやらせてもいい頃だろう。
それでも――
「……もし、何かあったら死んだフェイの旦那に何て言やいいんだよ」
それはトラウマにも似た傷跡。
大切な人が死んだ時、何もできなかったかつての自分。
だからこそ、今度こそは決して失わないように。間違えないように。
自分が彼女の身を預かったのだ。絶対に、彼女だけは何かあってはならないのだ。
例えそれが借り物の守るべきものであろうと、代償行為であったとしても。
いつか彼女が一人立ちをするその日まで自分が守るのだ。
――だって、それすらできなければ自分は一体何だというのか。
「……そろそろ食料も補充した方がいいな。また闇市で仕入れておくか。例え全世界の配給制とはいっても、いつの時代も必ず抜け道はあるからな。
ほら、起きたんならそんな所で寝るな。ちゃんとベッドを使え」
「もう、いちいちうるさいわね」
ヒカリはえいっ、と側にあったクッションを晴嵐の顔面に投げつける。それを晴嵐は片手で受け止め、そのまま返す。
「わぷっ!?」
「物を投げるな。行儀が悪いぞ」
「……それはランもでしょ」
晴嵐は今でもヒカリが元の明るい真っ当な世界へいつでも戻れるよう、あちこちに働きかけて手を尽くしている。そのために積んだ金はとんでもない額に上る。無論、ヒカリには秘密にしているが。
ヒカリ一人なら手配書の方はもう少しでなんとかできそうだ。一度出された手配書を
撤回させるのは容易ではないが、完全に不可能というわけでもない。住民コードは問題
ない。この前あてができた。住居はまだだが……これも手配書と住民コードさえなんとかできればそう難しくはないだろう。後、働き口はヒカリの意志が必要だが、一先ずはこっちで何か用意しておくつもりだった。
これらはヒカリにとって裏切りになるのかもしれない。
バカな事をと自分でも思う。そんな事をした所でこの数年間は消えないというのに。むしろヒカリにとっては消えない傷跡となるかもしれない。自分は憎まれるかもしれない。
偽善か、と問えば十人が十人とも「YES」と答えるだろう。
それでも晴嵐はいざとなったら問答無用でヒカリを追い出すつもりでいた。
ヒカリはまだ気づいていない。
目の前の青年がどれほど自分を気遣っているのか。
どんな苦悩を抱えているのか。
ヒカリが気づいているのはその表層にすぎない。
けれど、晴嵐にしてみればそれは気づかなくていいものだ。
ただこうした時間が晴嵐にとっては何よりもありがたいものだから。
「あ、そうそう。ラン」
「ん?」
「毛布、ありがと」
「……ほら、とっとと部屋に行け」
シッシと犬でも追い払うように手を振る晴嵐。
「ランって可愛くない」
「それはお互い様だ」




