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文字の墓場  作者: mesotes
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竪琴の調べと金色の血-0




 鬱蒼うっそうと茂る暗い山の森の中。

 恐ろしい獣の遠吠えや聞くものの心胆を震わせしめる怪鳥の鳴き声が魔の山に響き渡る。

 そこは国ですらおいそれと手を出せぬ人外魔境だった。ただの人間なら咆哮一つで心臓を止めかねない魔物や、街一つをいとも容易く半壊させうる力を持つ魔物が棲む暗黒の森。

 そんな山の森の中で一人の老婆が白い布の固まりを抱きしめながら行き倒れていた。

 見ればひどく頬がやせこけ、腕には黒い斑点が浮かんでいる。

 ここまで奥深くにたどり着きながらも今だ五体満足で襲われずにいられたのは、ただ単に老婆の巡り合わせがよかっただけだ。大抵の山の侵入者は、老婆の道のりの半分も来れずに魔物達の餌食となって骨も残さぬむくろへと変わり果てている。

 しかしそれもここまで。

 お金と食べ物がなくなり、飢餓に襲われた村から抜け出してきた老婆はむせるような濃い緑の匂いと肌を刺すような冷たい霧雨きりさめの中、崩れ落ちて二度と立ち上がることはなかった。後は今まで山に立入った人間と同じ末路、魔物に食い散らかされる未来が待っていることだろう。

 ふと、老婆が固く抱きしめていた白い布の固まりがもぞもぞと動く。布から顔を出したのは人間の赤子だった。知らない場所で見知った家族の顔がどこにもなく、やがて赤子は不安と空腹により真っ赤な顔で盛大に泣き出した。当然それが魔物を呼び寄せる事に繋がるなどと分かるはずもなく。

 必死に何かを訴える赤子の泣き声が魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする魔の山に響く。

 いつ赤子と同じく腹を空かせてギラギラした目の魔物が現れるのか。だがしかし、老婆の今際いまわの際の祈りを慈悲深い始まりの女神が聞き届けたのか、一人残された赤子はその決まりきっていたはずの未来を覆された。

 気がつけば、無人の野を歩くようにその老婦人は森の中から現れた。

 身に着けている衣服は一切の汚れがなく、どこか威厳をかもしだしている。元は輝く金髪であっただろうその髪は、今ではいくらか白髪が混じっている。顔にはいくつかの皺が刻まれ、おそらくは初老の域であろうと思われる。しかしそれでも老婦人の背筋はしっかりと伸び、その目には高貴で強く、それでいて優しい光を湛えていた。

 そう。まるでどこかの女王のようだった。

 老婦人は行き倒れ、既に息を引き取っている老婆の元へと音一つ立てることなく歩み寄る。真っ暗な霧雨の中、老婦人にはまるで濡れた様子もなく、果たしてこの世の存在であるか疑うのも無理のないことであろう。

 しかし実際に老婦人はこの世のものとして存在し、それを証明するように屈みこんでゆっくりと伸ばされた両手は老婆の腕の中から赤子を抱き上げた。

 未だに泣き続ける赤子の顔に老婦人がそっと手をかざすと、途端に赤子は泣き止み、可愛らしい寝息を立て始める。

 老婦人は穏やかな微笑みを浮かべ、立ち上がる。

 周りにはいつの間にか大勢の魔物がびっしりと老婦人と老婆、赤子を遠巻きに取り囲んでいた。森の木々の隙間から三人を窺う魔物たちは、しかし眺めるだけで決して誰一人手を出そうとはしなかった。

 国ですら手を出せば手酷い火傷を負うという魔物たちは、ただ恐れ、萎縮し、歯がゆさに獰猛な唸り声をあげるだけ。

 それに気づいているのかいないのか、老婦人はゆっくりと歩き始める。

 その背を向けた老婦人に隙を見出したのか、一匹のイノシシのような姿をした若い魔物が興奮したまま飛び出す。

 その突進は彼の体に真紅の炎を纏わせながら風を置き去りにし、目を瞬かせる間に数十メートルの距離を詰める。

 例えそびえ立つ堅牢な城壁であろうと、魔獣最強であり鋼鉄の硬さを誇る竜の体であろうとも容易たやすく打ち砕くエネルギーを秘めていた。

 B級モンスター。一体現れれば一つの街を崩壊に陥れる力を持つ魔物。魔獣の中で最高位に位置するそれは幻獣というを与えられ、人々に畏怖されている。

 若きイノシシはその幻獣の銘に相応しい力を誇っていた。

 人間を超えた力を奮う超人たる騎士。彼らは素手で大岩を砕き、草原を風のように駆け抜けるチーターを超える脚力を持つ。その彼らをして、B級モンスターを倒すには一般的に一個騎士団300名もの戦力を必要とする魔物。

 それが今、枯れ枝のような老婦人へと牙を向かんとする。

 あと一息。その背に牙が届こうとした時。

 イノシシの体が純白の炎に包まれる。それは星が一度瞬くだけの間の出来事だった。

 本来、火には強力な耐性を持ち、高温度の真紅の炎を身に纏っていたはずのイノシシは、純白の炎が消えた後には骨はおろか一切の肉片すら残さずに消滅した。

 老婦人はそれを一瞥すらすることなく、その場に老婆の骸だけを残して何事もなかったかのように悠々と山奥へと姿を消した。


 行き倒れた老婆のいた麓の村では山の魔女という言い伝えがあった。

 目の前にそびえ立つ魔の山には『金色の魔女』が住むと。

 それがいつから囁かれはじめたのかは分からない。老婆の曾祖父母が赤ん坊の頃から既に語り継がれていたとのことだ。



 ★★★★★



 魔境の奥深くには一つの大きな山小屋があった。

 そここそが『金色の魔女』の住処であり、今そこには二人の女性と一人の赤子が顔を突き合わせていた。

「で、この子どうするの?」

 藍色の髪と目を持つ若い大人の女性が赤ん坊を覗き込みながら金色の老婦人に尋ねる。唐突に山小屋を訪ねてきた客人の彼女のその目は強い嗜虐しぎゃく心に濡れていた。

「私の血を、この子に与えようと思っております」

「え? それって死ぬんじゃない?」

「或いは。ですが、世に流れた最近の我らが血はあまりにも薄くなりすぎました。このままでは遠くない未来、いつか『秘宝』も扱えなくなるでしょう」

「あー。それは確かに困るね。まだ世界に穿たれた『くさび』はろくに取れてないのに今からそんなザマじゃあねえ。『彼』の目覚め云々を言い争う以前の問題だね」

「はい。ですのでここでこの子が私の手元にきたのも何かの思し召しと思い、この子の命を使って新しい血をまた入れなおそうと思っております」

「うーん、それでもし成功してこの子の事知られたらアスリア連合国なんてひっくり返りそうだね。面白そう、あははは!」

 藍色の女性が何も知らずに今なお安らかに眠り続ける赤子の頬を人差し指で撫でる。ただ触れるだけのはずのそれは、どこか息を呑む艶かしさを伴っていた。

 道具として扱われようとしている赤子は当然周りで交わされている二人の恐ろしいやり取りが分かるはずもない。

「もし私の血に耐え切れたのでしたら、私の子として育てましょう」

「ふふ。そっかぁ……ねえ、懐かしい?」

「……ええ」

 老婦人が思い出すのは記憶の彼方。

 炎に包まれた家と切り伏せられたある青年の姿。そして忌まわしくも懐かしい紅の炎の紋章。

「そうだ。なんだったらボクも祝福してあげよっか。そうしたらきっとすごく面白い子になりそうだし」

 藍色の女性が名案だとばかりに顔を輝かせ、手を合わせる。

 しかしそれを老婦人は渋い顔で首を横に振った。

「どうかお止めください。私のはまだともかく、貴女様の血は人間にとっては致命的な劇物です。到底耐えられないでしょう。あまりお戯れをおっしゃらないでください」

「はいはーい。残念。ボクも誰かにツバつけておきたかったんだけどなー」

 藍色の女性が子供っぽく肩をすくませ、不満げに口を尖らせる。

「じゃあさ、これくらいならいいでしょ」

 そう言い終わる前に、白い布に包まれた赤子の背中にうっすらと藍色の痣が浮かび上がる。それはまるで何かの花のようだった。

「また『覗き』ですか。貴女様が楽しめるか保障はできかねますが……恐らくはどこかの町で普通に一生をすごし、骨を埋めることになるかと思いますよ」

「だーいじょうぶ。そんな退屈な事ボクがさせないよ、『妖女』の名にかけてね。クスクスクス。この子は無理矢理にでもボクが楽しめるよう介入してあげる」

「……どうかこの子が血を残せる程度にお願い致しますね」

 何かを諦めたように重い息を吐く金色の魔女。

「じゃあボクはもう行くね。クスクスクス。その男の子、ちゃんと生き残って元気に育つといいね」

「はい。ツァルフォルネ様……」

 言い終わるや否や、藍色の女性の姿が消える。まるで夢幻ゆめまぼろしのように、淡雪のように、一切の残り香も温もりも残すことなく。

「さて。では久方ぶりに下界へ下りる準備をしますか。この子のためにも下で暮らすとなると色々と物が入用になりますね。確かこの通貨は500年は前の物でしたか……まだ使えるといいのですが。これから忙しくなりそうね。

 本当、何年ぶりになるのでしょうね……」

 赤子は知らない。

 本来なら村に生まれ、そこから出る事無く辛くも平穏な一生を終えるはずだった人生。それは村を襲った天災により閉ざされる。そして人外魔境の山の中で祖母にあたる老婆と共に魔物に喰われて終わるはずだった短い人生。それは何の運命のイタズラか、藍色の『妖女』と悠久を生きる『金色の魔女』の手によって書き換えられてしまったことを。

 胸の痛みに目を伏せ、赤子を抱き寄せる。ふと昔を思い出す。あやすのは自分の子供らを抱いて以来だった。

「勝手な願いですが、どうか生き残ってください。可愛いぼうや」

 人なら生命と創造を司る女神などに祈るところであろうが、老婦人はそうしない。

 それが意味のないことだと知っているからだ。

 『金色の魔女』。それは世界の真実を正しくる者の一人なのだから。







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