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エピローグ

河井くんとよしこの接点は、それだけだった──。


……はずだった。


高校を卒業して、何年かたったある日。

私は、さちと久しぶりに対面で話す機会があった。


高校を卒業した後、関西を離れた私は、さちとは電話で時々話すくらいだった。

たまには会っていっぱいしゃべろう、ということで

どうせなら旅行に行こうという話になり、一緒に沖縄に来ていた。


沖縄のホテルの快適な部屋で、

ひとしきり、お互いの近況を報告しあったあと、

さちが思い出したように言った。


「そういえば、よしこ、河井くん……事故で、亡くなったって話きいてる?」

「あーうん。聞いてる。仕事忙しくてお葬式とか行かれへんかったけど。連絡きたで」

「実はな、うち、お葬式に行ってんけど、河井くんの知り合いの子から、話聞いてん」

「話?」

「うん。河井くん、お酒入るとな、よしこの話してたらしいで」

「え?なんで、うちなん」


私は思わず聞き返した。

まさか飲み屋でまたあのブス連呼したんか。


さちは、私の心の声が聞こえたみたいで、苦笑いしながら言う。


「小学校のときの話やって」

「小学校?」


心のどこかで、封をしていた扉が、かちゃりと鳴る音がした気がした。

さちは、まるで誰かから聞いた台詞を、そのままなぞるみたいに話し始めた。


「小学校のときな。転校生いじめあったんやろ。

 そのとき、あんた、クラスの真ん中でいじめはくだらん!てキレたんやてな」


さちの言葉に、小学校の教室の嘲笑が、蘇ってくる。


「あんた、言うたんやて。自分がされて嫌やったこと、人にせんときって。

 でな、河井くん、いつもな、その話してたらしいわ」


さちは、両手を膝の上でぎゅっと組み合わせながら、続けた。


「自分がいじめられんのやめてもらえたんは、よっちゃんのおかげやって。

 ほんで、次にいじめられそうになった子を、よっちゃんがかばったん見て、

 『かっこええなぁ』って思ったって」


「は?」


「よしこの一件から長く続いたいじめも止ったらしいな

 『よしこは、俺のヒーローやねん』て言ってたらしいで。」


さちは、少し笑いながら言った。


「特攻行く前とか、タイマンはる前とか、びびるときあるやん。

 そういうときは、いつもあの教室のこと思い出すねんて。

 あんとき、よしこはたった1人でみんなに向かっていってな、めちゃくちゃかっこよかってん。

 あれ思い出したら、不思議と力わいてくんねん、て。自慢しとったらしいわ」


「……なにそれ」


笑おうとしたけれど、口元がうまく動かなかった。


「あいつ、人のことブスブス言うてたやん」


「せやな」


さちは肩をすくめる。


「でもさ、あれ、たぶん照れ隠しやろ。真正面から『かっこいい』とか、よう言わんタイプやん。

 せやから、言葉はあれでも、やってることは優しいやつやったんちゃうかな」


私は、体育祭の日の学ランを思い出す。


「おまえの足が皆の目に触れんでよかったわ。

 あんな短いスカートはいて、顔ブスブスで、見た奴後悔するからな」


あのとき、私は心の中で全力でツッコミを入れた。

親切に感謝した自分を、盛大に呪った。


でも、さちの話を聞いたあとだと、あの台詞の響きが、少しだけ違って聞こえてくる。


「学ラン貸したるなんて、照れくさくて言えへんから、

わざと一言多くしてしまうんかな。」


さちは「せやろな」とうなずいた。


「うちらの時代ってさ、ヤンキーにちょっとした憧れやったやん。

 でも、あいつがそこまで突っ走るまでに、なんかいろいろあったんかもしれんよな」


私は黙っていた。


ヤンキーになるってことは、世間からはみだすってことや。

怖がられる代わりに、ちゃんと話を聞いてもらえる大人も減るってことや。


あの色白の頬の少年が、どういう道を歩いて、暴走族の旗を持つようになったんか。

そのあいだに、私の知らないたくさんの夜や喧嘩や、笑い声に沈黙があったんやろう。


そのどこかで、彼はときどき、小学校のあの教室を思い出してくれていたらしい。


『よしこは、俺のヒーローやねん』


自分の名前に「ヒーロー」という言葉がくっつくなんて、考えたこともなかった。

それを本人には一言も言わず、陰で自慢していたなんて、もっと想像もしなかった。


「……かっこつけすぎやろ」


小さくつぶやくと、さちが「ほんまにな」と笑った。



旅行が終わり、さちと別れてひとりになった瞬間、

ふいに、昔の河井くんの姿が頭の中に浮かんだ。


小学校の教室で、長いまつ毛の影を落としていた、あの横顔。

転校していく私に、「元気でな」とだけ言って、頬を赤くして笑った顔。


高校の入学式で、「おまえみたいなブス」と言い放った目つき。

長すぎる学ランを押しつけてきた手の感触。


走るバイクの後部座席で、暴走族の旗を持って背後を支えたという、噂の中の姿。


いろんな河井くんが、時間を飛び越えて、胸の中でごちゃごちゃに混ざる。


「河井くんて、かっこよかったんかな」

ぽつりと声に出してみる。


「ブスブス言うたことは、絶対に許さへんけどな。

 あれは一生根に持ったる。」

思わず声に出してしまう。


私の中で、紅顔の美少年の河井くんが、

ちょっと恥ずかしそうに笑ったような気がした。

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