第1話 出会い
「――はぁ……っ、はぁ……っ!」
植物が鬱蒼と生い茂る『アスティール大森林』の中、一人の少女が息を切らしながら走り抜けていく。
その数十メートル後ろから、数匹の狼が群れをなして少年を追いかけていた。
日もすっかり沈み、乾いた空気が漂う冬の空。
魔物が少ないこの地域だし、野生の動物も冬眠しただろう。
そう安易に判断した少女だったが、冬眠をしない狼たちは少女のように油断した獲物が来るのをずっと待ち構えていた。
「あっ……!」
狼がいることにいち早く気が付いた少女だったが、足場の悪い地面に躓いてしまう。
そもそも体力的にも環境的にも勝てるわけがないのだから、死が遅いか早いかの違いに過ぎなかったのかもしれない。
「だめ……来ないで……っ!」
倒れた少女の周りを取り囲む狼たち。
少女はゆっくりと後ろに下がっていくが、すぐに背中が木にぶつかる。
そこで、少女の意識は途絶えた。
◇ ◆ ◇
やたらと騒がしい森の様子に、クラレスは目を覚ました。
「まだ朝の四時じゃねえかよ……」
まだ眠たい目をこすりながら時計を一瞥し、悪態をつきながら布団から起き上がる。こうも森が騒がしかったら、二度寝なんてしたくてもできない。
寝間着から着替え、朝食を食べてから森に出る。
クラレスはアスティール大森林の中で暮らしている。
この大森林を抜ければ『アスティール王国』があるのだが、クラレスにとって人間の国は都合が悪く近寄りづらい。
クラレスは数年前に、とある国から追放されている。それ以降、人間の国には入国するどころか近づくことすら許されていないのだ。
だからこうして、大森林に隠居している。
まだ日は昇っていない。
クラレスはそのへんに転がっている木の棒を広い、先端に布を巻き付ける。
そこに炎の魔力を流せば、ぼうっと火が灯り周囲の明かりが確保された。
クラレスは森をかき分けながら、動物たちが騒いでいる方へと進んでいく。
「あー、そういう」
狼の群れの中心で眠る、傷だらけの少女を発見した。
「人間を襲うところ、始めてみたな……お前も不運だったな」
狼は基本的に人間を恐れて生活している。
アスティール大森林の狼たちも例外ではなかったはずなのだが……。
ともかく。
これから少女の身に何が起こるか想像に容易く、それを分かっていて見過ごすこともできない。
クラレスは狼の群れの中を突き進み、少女を抱きかかえる。
これから襲おうとしていた存在が目の前で奪われた狼たちは、クラレスを威嚇するように声をあげるが、
「あまり相手を見誤るなよ」
クラレスは狼たちをギロリと睨んでそう言い残し、振り返ることなく歩き出す。
狼がクラレスに襲いかかることはなかった。
昼下がり。
「あ、れ……、私…………」
「起きたか」
クラレスが珈琲を飲みながら書物を読んで余暇を楽しんでいると、敷かれた布団で横たわる少女がのそりと身体を起こした。
「あなたは……。た、助けてくださったの、ですか?」
「名前は言わん。お前を助けただけの男だ」
「あ、ありがとうございます……っ! 私、本当に死んだかと思って……」
「礼もいらん。元気になったんなら帰ることだ」
「私、ルイ――」
「お前も名乗らんでいい」
クラレスは少女を見ることもなく、淡々と言葉を返していく。
しかし、自分を助けてくれた人のことが気になる少女は、クラレスの態度を気にすることなく話しかけていく。
「あなた様はここに住んでおられるのですか?」
「俺のことは詮索するな。人に質問する余裕があったらさっさと帰れ」
クラレスは空になったマグカップを持ってキッチンに向かい、新しい珈琲を入れるべく、珈琲の粉が入った袋の捜索を開始する。
もちろん、少女のことは見向きもしない。
「……ならせめて、怪我が治るまでの間、泊めさせていただけないでしょうか?」
「どれだけ長居しようと思ってるんだ。それに……どこにも怪我なんてしてないだろう?」
「え……って、な、なんで!?」
少女は真っ白で綺麗な腕をまじまじと眺め、そして服をめくりすべすべのお腹を優しくなぞる。
日光などまるで知らない白さと血色の良い肌に、少女の言う『怪我』など一切存在しなかった。
「回復魔法……でも、」
こんな芸当ができるものなんて限られてくるのだから、少女はその存在にすぐに辿り着いた。
しかし、回復魔法はそんな簡単に使えるような魔法ではない。
教会で何年も修行を積んできた一流の聖職者のみが使える魔法なのである。
ますます謎が増えるばかりであった。
「寝ぼけていたんじゃないか?」
詮索するなと言われた手前、そう返されてしまえば何も反論できない。
「その……実は助けていただきたい理由がもう一つ、ございまして」
「……はぁ、なんだ言ってみろ(泊めて、じゃなくて助けて、か……また面倒くさいことを)」
狼に襲われていた人をすぐに見放すなんて! という抵抗だと思っていたクラレスは、何か面倒事が始まりそうな予感にため息をつく。
長い話になるだろうと思い、少女に聞き返しつつも、未だ見つからない珈琲の粉が入った袋を探す手は止めない。
「実は私……アスティール王国のテレーゼ男爵家に身分があるのですけど」
「はぁ……だから名乗らなくていいと言っただろう。貴族サマだからって特別扱いはしないからな」
「その口ぶり……もしかして気づいてました?」
「身なりを見れば一発だろ」
平民には持ち得ない、生活に無駄な装飾がいくつか施された衣服。首にかけられたネックレスには、金属で作られたアスティール王国の国章がキラリち光る。
今は森を抜けた際に少し汚れてしまっているが、どこかの貴族であることは明瞭であった。
「たしかに……っと話がそれました。それで私、その家を飛び出してきたんです。まぁ……俗に言う『家出』というものなのですが。今帰されてしまうと行く宛もなく、どうか、どうか私がまたこれからの道を決めていけるまで――」
「どうして、家出したんだ?」
袋を探す手を止めて、初めて少女の顔を見たクラレスは、さらに詳しい話を聞くため少女の話を遮って質問した。
少女は、今日初めて自分の話に興味を持ってくれたことに驚きながら答える。
「なんというか……親の言いなりになってるのが嫌だったんですけど、自分を出そうとしたらきつく怒られてしまって」
「あるあるだな」
「そうかもしれません。でも、私にはそれがきつかったんです」
少女は俯き、悲しそうな声で言った。
その少女の姿は、クラレスの過去に酷似しているように思えた。
それだから、なのだろう。
「失礼なのは百も承知です……ですがどうか、どうかもう一度、私を助けてくれないでしょ――」
「あー、珈琲の粉無くなったんだったっけ」
「え、えっと……?」
「予備も無いし買いに行かないとな……」
「す、すみません。私の話を――わぶっ!」
関係ない話を始めたクラレスに少女が必死に訴えていると、突然布のようなものを顔面に投げつけられる。
手に取って広げると、小汚い衣服であった。
「王国までかなり距離があるよな……誰か話し相手になってくれる人でもいれば、気が楽なんだけどな」
クラレスは硬貨の入った巾着袋をバッグに入れ肩に掛ける。
短剣を腰についた鞘に刺し、玄関へと向かった。
少女はクラレスの意図を察し、その瞳を潤わせる。
急いで着替え、走ってクラレスに追いつく。
「あなた様は本当にお優しいのですね」
「クラレスだ」
「名乗らないのではなかったのですか、クラレス様?」
「様をつけるなと言っているんだ。むず痒い」
「ふふ、わかりましたクラレスさん。私はルイン、とお呼びください」




