馬がいるの?
一旦佐渡に帰って本間会議を招集し、舳倉島の領有を進めるようお願いしてから、今度は粟島の方に向かった。
粟島にも舳倉島と同じくらいで着いた。
同じように島の周りをクル〜っと一周まわってみたが、こっちには島の東側にちゃんと船がつけられるような桟橋がいくつもあった。
その内の一つに船をつけて上陸する。
ちゃんとした漁師港のようだ。
またまた第一村人を見つけて話しかけようとしたら、
「お侍様、ご苦労さまです」
と向こうから声をかけてきた。
「こんにちは〜、佐渡から来ました。こちらの島の村長さんのような方はおられますか?」と俺がきくと、
「佐渡からですか? そうですか。 どこですか?」と、要領をえない様子だった。
それから、第二、第三村人の後に会った長治さんと言う、いかにも働きざかりな感じの人からいろいろと話が聞けた。
この島には、本土からちょくちょくお侍さんが来て、年貢を取り立てていくらしい。
領主が誰なのかは知らないが本土のお侍さんだとのことだ。
年貢と言っても田んぼがないので、お侍さんが来た日の漁の収穫が年貢だそうだ。
『村上の港から島が見えていたし、おそらく本庄氏あたりの領地なんだろう』
既に領地扱いのところにちょっかいかけるのはダメなのであきらめて帰ろうとしたら、
「滅多に捕まえられないが、馬がいるので、馬を捕まえられたら年貢は免除になります」と、長治さんが言った。
『えっ? この島、馬がいるの?』
「へぇ、そうなんですか…」と、生返事をして帰った。
この間から北からの帰り便で馬を買ってきているが、馬はそこそこいい値がする。
佐渡に帰って、また本間会議を開催して、領主を調べて、粟島牧場を共同開発しようと提案するようにお願いした。
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舳倉島には羽茂から、南原高教殿と言う方が数人を引き連れて代官として赴任していった。
赴任土産に新しい網と干物づくりセット一式(流下式塩田セットも含まれる)を持って。
舳倉島の領有でもめるとしたら能登だろう。
あの辺は誰の領地だったっけ?
畠山だったかな?
まぁ、いずれにしてもあの辺はこれから一向一揆とかでてんやわんやになるはずだから、当分は舳倉島までくることはないだろう。
逆にドサクサ紛れに輪島とか獲りにいってもいいかも…
粟島は本庄氏ではなく色部氏の領地だと言うことがわかった。
外交部門と畜産部門で色部氏と交渉してもらって、「粟島の山の木をガンガン切り出して牧場をつくり、野生の馬を飼い慣らそう計画」を提案した。
これまたかなりの長期計画になりそうだ。
春日山の府中長尾家と、揚北衆とも末永く仲良くしていこう。
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秋の収穫のときに揚北の面々は宮川をはじめ、越後の本間家の領地の田んぼの視察に来ていた。
小さな耕作地ながら、明らかに稲穂の実りが違うのがわかる。
揚北衆はどこも、収穫を終えると兵をあげることなど考えず、来年の種籾を塩水選で選び、雪で作業ができなくなるまで新田開拓に勤しんだ。
その様子を察した上条上杉と上田長尾は、戦での解決をあきらめて春日山との和解の席についた。
その結果、長尾為景は家督を嫡男の晴景に譲って隠居し、越後の国は上杉定実を守護に、長尾晴景が守護代としてまとめていくことになった。
上条上杉家と上田長尾家の領地は一部割譲され、府中長尾家と北信濃の高梨家が治めることになる。
上条定憲の乱は史実よりかなりこじんまりと収束した。
粟島の牧場は、島の山の真ん中から木を切り出して、切り出して、切り出して、切り出して、切り出して、切り出して、切り出して、切り出して…
牧場の家と馬小屋を作って、高めの柵も作り、柵の入口に迷路罠を作ってエサで野生の馬を誘い込んで、罠に馬が入っていたら柵の中に入れると言う、途方もないまったりプロジェクトにした。




