綿の種は採れたけど、お茶の種は採れない
上田長尾家の長尾越前守房長は、揚北衆を焚き付けて反春日山勢力拡大を目論んでいた。
しかし揚北衆は一向に阿賀川を渡ってこない。
上条上杉家の上条播磨守定憲は会津の蘆名や出羽の砂越も引き込もうとしていたが、蘆名氏も砂越氏も揚北衆の動きを見て、この年は動かなかった。
府中長尾家の長尾弾正左衛門尉為景も、自身が守護として担ぐ上杉定実の生家である上条上杉家と同族の上田長尾家を相手に、壊滅的な攻撃は仕掛けずに双方兵を引いた。
〜 〜 〜 ※ 〜 〜 〜 ※ 〜 〜 〜
揚北衆との【宮川協定】のうちの正条植えの指導は、今年の収穫後の種籾の塩水選からなので、まず最初に取り掛かったのは各地の干拓事業だ。
協定に名を連ねた、本庄、鮎川、黒川、色部、中条、新発田、加地、五十公野、竹俣の全ての領内で一斉に干拓事業を開始する。
はやく成果を見せたいので、河川の流れを変えるような大規模なことはせず、各地で沼や潟を区画して土を入れ水を抜く作業を行う。
銭雇いより集めやすいだろうと、戦時と同じように1日2食を食わせるのを条件に人を集めると、戦より多くの人が集まってきた。
揚北の各領主には、自領の倉を開けて集まった人足の食い扶持を賄ってもらうのだが、どこも倉を開けたがらないので、そこで協定の通り本間家から費用を借り受けて米や食料を調達する。
その食料を調達してくるのは組屋さんと薩摩屋さんだ。
灰吹き法の成果は凄まじく、鶴子銀山が産み出す銀は以前の何十倍にもなっていた。
その銀を元手に組屋さんには集められる限りの米をはじめ、穀物を買い漁ってもらっている。
佐渡が金を貸し付けて、その金で佐渡の食料を買わせて、その食料で現地の人を集めて事業を行う、戦国版ODAだ。
府中長尾軍と上条上杉ー上田長尾軍が兵を引いた後は、揚北だけでなく越後中から人が集まってきて、秋の収穫の時期までに思いのほか広い新田耕作地ができた。
先行投資が必要で、貸し付けの回収には時間がかかるが、土地がない佐渡としては、他所の領地を干拓して、できた新田の収穫の一部を年貢としてとりたてることができると言うオイシい事業だ。
揚北衆側としても、戦でではなく自領民に飯を食わせられ、しかも新田ができるので、ウィン・ウィンである。
【宮川協定】のこの部分はかなり上手く進められたと思う。
そして、収穫後の種籾の塩水選もつつがなく終わり、正条植えの指導についても今のところ問題なさそうなのだが…
最後の「茶の種を分け与える」の項目が困ったことになった。
越後の領地に作った茶畑に蒔いたお茶の種は、ヒョロヒョロながらいい具合に育っているのだが、茶葉を収穫できるようになるのは何年も先のことである。
『それはわかる。うん、知っていた』
そしてお茶の種も二、三年から四、五年経たないと実らないものらしい。
『ええ?! それは知らなかったGAVIN><』
お茶は現在、川舟屋さんの伝手でかなり大量に仕入れており、また種も仕入れてもらうこともできるだろうが、自領で採れた種を分け与えようと思ってたので、なんか癪だし勿体ない気になってしまう。
そのかわり、クロードの領地に蒔いた綿の種が、ちゃんと芽をだしてすくすくと育ち、夏には花を咲かせて、秋にはコットンボールを弾けさせた。
日当たりが良ければ越後でも栽培できるのかもしれないので、協定内容を変更してもらって、お茶の分配は先送りしてもらい、綿花の種を先に配ることにしよう。
お茶、収穫まで時間かかるし、綿花のほうがすぐに目に見えてわかりやすいし、いいよね?(;´∀`)
だいたい、この協定内容って、揚北衆側はもらいっぱなしな内容なんだから、ちょっとくらい譲歩してよ〜^^; ^^; ^^;
お茶は上等な一番茶、二番茶ではなく、三番、四番、五番茶を仕入れている。
後、茶葉だけでなく、この頃は捨てられていた茎の部分も安く仕入れている。




