第二弾出航と田植え
パクリ北前船は組屋さんと神屋さんが出資者だ。
前回は先行した鯨波の船に薩摩屋さんが荷(穀物)を出して、帰って来た北からの荷は敦賀から近畿に運ばれた。
敦賀からは川舟屋さんにバトンタッチされている。
今回は薩摩屋さんと川舟屋さんが遠山丸の方に出資(荷を出す)したいと言ってきた。
組屋さん、神屋さんもそれでいいと言っているので、その辺は商人どうしに任せよう。
鯨波の小太郎が、「今回は自分が蝦夷まで行く」と言いだし、それを聞いた松ヶ崎の王仁吉も「ならばわしも行くぞ」と言い出した。
なので、遠山丸は小太郎が、大岡丸は王仁吉がそれぞれの水軍衆を引き連れて行くことになった。
林主計殿と徳兵衛はさすがに交代させてあげないといけないので、第二弾の船団長は藍原蔵人のところから北見茂三郎が、雑太からは坊ケ浦の本間主膳が随行することになった。
シゲサブローは結構おっちょこちょいだが、坊ケ浦のシュゼンはしっかりしているらしい。
組屋さんが連れて来てくれた食い詰め者の中から働きざかりの男を二、三人と、戦争奴隷の後家さんや母子家庭になってしまった母子数人に、小樽かいっそのこと利尻島か礼文島くらいにまで行ってもらって、アイヌの村にホームステイさせてもらうように交渉しようと思っている。
これからのアイヌとの直接交易の架け橋になって欲しい。
蝦夷手当とかいろいろ高待遇にしよう。
北から帰ってきたら、南行きには台湾(高砂島)への入植者を乗せて行く。
琉球や台湾の北の方は、いずれ島津とバッティングするかもしれないが、台湾の南の方なら現地の人と上手くやっていけば開拓できると思う。
忙しい中、神屋さんは度々佐渡まで足(船)を運んでくれる。
入植計画は神屋さんと全面協力で進めよう。
一年、北へ南へと航海を続けた黄門丸と助さん丸、格さん丸はドックに入って整備をする。
夏ぐらいには整備を終えて(整備ってどれくらいかかるのか知らないが)、また北に向かうことになる。
そして今度は安宅クラスの和洋折衷船とヨットモドキより一回り大きいものの造船にもかかってもらう。
スマホに画像があった「ガリオット船」と言うのを目指して造ってもらいたい。
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さて、田植えの時期だ。
塩水選で取り置いていた種籾を苗床で育てる。
苗は4本1束で正条植えをする。
これを農業・畜産部門が佐渡中と越後の領地でも指導、徹底する。
鉱山・林業部門のスコップ部隊はこの時期には田植え部隊になる。
まずは佐渡の田植えを終わらせてから、海を越えて越後側の領地の各村に大挙して送り込んだ。
田植えが終わると、きっとまた戦が始まる。
田植え部隊は、代掻き、縄張り、苗かごとかと一緒に、いつでも戦闘態勢をとれるように、スコップや槍とクロスボウも持ち込んで行った。
残した桃連丸は越後側の領地の村々を警らする御守衛隊を乗せて港から港へと行ったり来たりしている。
村に建てた飲み食い屋(お猪口で飲ませる澄み酒が評判で猪口酒屋と呼ばれるようになった)の店員は諜報部門で養成中の「忍び」を配置している。
越後側の田んぼは去年検地を行って区画整理をしたので、佐渡の田んぼより四角くきれいに正条植えができた。
田植えは終えたので農機具は引き上げたが、塔ケ崎の砦には100人規模の部隊を残した。
さらに渡部と新保の領地は水浸しの沼や潟が多いので、田んぼにすべく、こちらもそれぞれ100人規模の干拓部隊を派遣した。
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田植えが終わると、やっぱりまた戦が始まった。
上田長尾氏が挙兵し、すぐに上条上杉氏も呼応した。
北信濃からも高梨氏の援軍が向かってくる。
そして今年は揚北衆の中から本庄氏、鮎川氏、新発田氏、加地氏が反春日山(府中長尾氏)として兵を集め始めた。
手に入れた綿花の種は、半分は台湾に持って行くために保管して、半分は藍原蔵人の領地で、南斜面の日当たりのいい山肌に直蒔きしてみた。
佐渡では上手く育たないかなぁ…




