3.人狼に鉄槌を
「ここは……?」
信じられない光景を目の前にして、僕はやっとのことで出た言葉を呟く。
脳が追いついていない。自分の思考の処理速度が低下している。
わからない。理解できない。空間移動。これは、そういう類のものだろう。
だが、それはお伽噺の中では定番ではあるが、現実世界では到底あり得ない所業。ただの人間が現代の科学技術を用いただけでは、不可能な領域。それをクロリアは僕の目の前であっさりとやって見せた。
たしかに、クロリア自身に溢れるオーラからクロリアがただ者ではないことなんてわかりきってはいたのだけれど、まさか、こんな、所謂、魔法と呼ばれるモノを扱えるだなんて。思ってもいなくて。
……いや、思ってはいなかったけれど、正直言うと、僕は期待していた。期待していた、というか、非日常、それが欲しくて僕はクロリアの居る場所に迷い込んだのだ。だから、非日常に巻き込まれる覚悟はあったはず。
しかし、実際に非日常を目の前にしてみると、驚くほど自分の身体は竦んでいた。まるで、拒絶反応でも起きてしまったかのように、身体が自分の思う通りに動かない。動かせない。
「驚くのも無理はない。というか、無理しか、ない?」
僕の肩を軽くトントンとクロリアが叩く。すると、動かなかった身体が、急に我を思い出したかのように、元通りに動くようになる。
クロリアが傍にいる、という事実を叩かれたことにより認識し、それで、ホッとしたのだろうか。
孤独感は時に、ヒトの心を蝕み、ヒトの制御を支配してしまうものだ。おそらく、その孤独感がなくなったことにより、僕の身体の制御が効くようになったのだろう。
制御を取り戻した僕は、もう一度目の前に広がる知らない街をよく見て、自分のない頭で今の状況を整理してみる。
僕はいつものようにクロリアに会いに来た。そして、クロリアに誘拐されてほしいと言われ、それに了承する。クロリアが空間転移の魔法的なものを使用する。それで、今に至る。
ふむ。なるほど。さっぱり、わからない。結局、僕のダメな頭を用いて思考したところで、今、起きている不思議な現象を理解することも、クロリアの意図を把握することも、どちらも無理なようである。
「考え込んでいる、ようだね」
「まあ、うん」
「……ごめんね。そして、ありがとう」
「? 気にしないで。僕が進んでついてきただけだから」
僕が、クロリアといっしょにいたいから。その結果、ここにいるだけで、クロリアはべつに僕に悪いことをしているわけではない。
と、僕は思っている。だから、クロリアが僕に謝ることではないのだが。それでも、クロリアがやっぱり申し訳なさそうな顔をするので、僕はなんともないといった風な顔をしてみせる。
「それより、ええっと、これから僕はどうしたら良い?」
これ以上申し訳なさそうにされると、今度は僕が申し訳なくなってしまうので、話題を変えてみる。ついでに、一番、僕が気になっていた方向の話題に誘導してみる。
見知らぬ異国風の街に飛び、此処で、クロリアがどうしたいのか。僕はどうすれば良いのか。目的はなんなのか。探りをいれてみることにする。
僕は、誘拐されている身分である。あまり、誘拐されている感じはしないけれども。
誘拐される、ということは少なからず、僕の存在はクロリアがしたいことにおいてのキーマンであることにはちがいないと思う。即ち、僕の働きは結構重要なものだと思われる。
が、それは僕にとっては問題になり得ることで。
果たして、僕はクロリアの役に立つことができるのだろうか。
といった、一抹の不安がある。
不安だらけ。不安だらけだ。
それなのに、何故か、僕の心の中には僅かばかりに『何かに興奮している』節がある。
僕の心がこれほどまでに昂っている、その結果。不安とワクワクがぶつかり合って、僕はより、クロリアの歩むその先を共に行きたいと思っている。
「…………」
「……クロリア?」
「そうだね。うん。それでは、本題を話そうか」
ふぅ、と息を吐き、クロリアは僕の瞳を凛とした眼で見る。それを受けて、僕は一瞬、ドキリとした。
「『人狼』、を退治しに行こう」
「『人狼』……?」
僕はそのワードを聞いただけでも、クロリアの意図を理解することができなかった。
人狼。その名前は知っているけれど、あくまで人狼というものは物語上に出てくる存在であり、現実世界には存在しない。
人の狼と書いて、人狼と読む。狼でもなく、人でもなく。人に扮して人間の住む場所に紛れ込み、人の血や肉を求め、言葉巧みに人間のことを欺き、そして、残酷に人の血と肉を貪り尽くす。
それが、人狼という存在。物語上では、悪しき存在として描かれることが殆どである。
物語以外でも、昨今は異なる媒体のものにも登場し、村人側と人狼側に分かれ、村人側は人狼に殺されないために村人に変装した人狼を議論により特定して処刑し、人狼側は狡猾に嘘をついて村人たちを騙し、村人たちを殺していく。
という、物語の設定に基づいて、各々キャラクターになりきってロールプレイをしながら楽しんでいくテーブルゲームが一部の界隈で流行っているらしい。
僕は、それを少し齧っていた。残念ながら友達が少ない人間であるので、友達同士で、とかではなくて、オンラインゲーム、というかたちではあったのだが。
その。その、人狼というものを、クロリアは今、僕が聞き間違えをしたとかではなければ『退治をしに行こう』と言っていたはず。
退治をする……どうやって?
まず、人狼というものが存在するのだろうか?
そもそも存在したとして、どう退治をする?
というか、僕は役に立つことができるのか?
疑問だらけだ。ずっと、疑問ばかり。
頭に、ハテナマークが生い茂る畑の出来上がりである。
「不安、か? それとも、やっぱり……嫌、か?」
「ああ!? いや、そんなことはないよ!?」
取り乱す。下手な否定の仕方だ。
あえて何度も強調しておくが、嫌ではない。でも、不安かと訊かれたら、それは不安ではある。クロリアに図星を突かれてしまい、咄嗟にあんな反応をしてしまった。
どうやら、僕は顔や自分の動作に、自分の気持ちが表れやすいようである。
なんという、単純な身体なのだろう。ポーカーフェイスで、何があっても微動だにしない人間であったのならば、こんなとき狼狽えることはしないのだろうけれど、僕はその真逆だ。すぐに、狼狽えてしまう。
「それで、えっと……人狼? を、退治しに行くって言ったけど、人狼って存在するの?」
「勿論。『キミの世界』には現物は存在しないだろうけれどね」
クロリアの発言を聞いて、やはり、僕は異次元の世界に入り込んでしまったのだ、ということを再確認させられることになる。
此処は、通常はいけない場所。僕みたいな、常人では、絶対に到達することが不可能な、場所だ。
「キミにお願いすることは、ただひとつだけ」
「ひとつだけ?」
「私といっしょにいてほしい。ただ、それだけ」
「クロリアと、いっしょにいることが僕のやるべきこと?」
「ああ。まあ、いっしょにいる、というか、所謂、ボディーガード的な。要は、私の傍から離れずに、私のことを護衛してほしいってことさ」
僕が連れてこられた理由。それは少し理解できた。
だが、引っ掛かることはあって、僕は護衛できるレベルの格闘術を習っていたり、何かあったときのために対抗できる頼もしい武器を持っていたりするわけではない。
それが不思議に思うところで、何故、クロリアは僕を選んだのだろうか、と引っ掛かってしまう。
僕は、クロリアのことをちゃんと護衛することができるのだろうか。
脳内イメージをしてみる。
クロリアが襲われそうになる。それに僕が気がつき、両の手でつくった拳を思い切り動かし、相手にぶつける。
ぽすっ。
ぽ、ぽすっ?
ダメだ。これ。思い返してみれば、僕はそれほど力がない。非力である。拳を振り上げてクロリアのことを守ろうとしたところで、返り討ちにされてしまうイメージしか、頭の中に浮かんでこない。
「僕、できるかなぁ……」
クロリアに聞こえないくらいの小さい声で弱音を吐く。
何をやっているのだろう。何を、弱気になっているのだろう。
『できるかなぁ……』だって? やるしかない。クロリアが、直々に、僕にお願いをしてきたというのであれば、僕は頑張って、それを成し遂げる。
成し遂げてみせる。僕だって男だ。最悪、全身を使ってでも押さえつけて、クロリアが逃げることのできる時間を確保してあげる。
例え、僕がどうなったとしても。
そう思ったとき、僕はハッとする。僕は何故、ここまで必死になっているのだろうと。
それはきっと、僕の数少ない友達のため。僕みたいな奴と友達になってくれた者のため。それ故に、僕はこんなにも必死になっているのかもしれない。
気がついたら、僕の身体の中にはやる気が漲っていた。さっきまでの弱気は何処に行ってしまったことなのやら。
「僕のやるべきことはわかった。クロリア。僕は、きみのことを絶対に守るよ」
自分で言っていて、なんかキザったらしいセリフを言っているような気がした。
「ふふ。嬉しいよ。とても」
クスクスと笑ってくれる。その反応を見せてくれることは、僕としても嬉しく思える。
「それでは。始めようかしら。人狼狩りを」
一変して、今度は僕の背筋が凍る。クロリアが言い終わって僕の手を掴むのと同時に、クロリアの瞳が冷たい瞳に変わったのを僕は見逃さなかった。闇、というか。目にあったハイライトが消え失せて光を失った感じ。
ねえ、クロリア。きみはどっちの顔が本当のきみなんだい?
いつも僕といっしょにいるときの、にこやかな顔。それと、たまに見せる、負の感情が剥き出しの顔。
きみの気持ちはいったい……?
謎は増えていくばかり。これでもか、というほどに増えていく。
考えない。考えないことにしよう。考えると、また、不安が増幅してしまう。
今は目の前のことだけを考えることにしよう。目の前のことだけでも、僕にはいっぱいいっぱいなのだから。
「人狼に、鉄槌を」
明らかに穏やかではなさそうなワードをクロリアが呟いたが、僕はそれをあたかも聞こえていないというような感じで、自分の心に言い聞かせる。
その行動が無意味なものであると自分でわかっていながら。