22.お願い
「さて。そろそろ、時間のようだ」
「時間?」
時間。そのワードの意味がわからなくて、僕はすぐに聞き返す。
時間とは、何のことだろうか。
時間制限、の時間、という解釈で正しいのだろうか。
この解釈を軸で進めていくと、クロリアのこの発言の意図。それは、僕たちがこの世界にいることのできる時間の限界が来てしまった、という風に捉えることができる。
ニュアンス。クロリアのニュアンスから、僕が勝手に考えただけにすぎないことであるが。
「そろそろ、別れの時間が来てしまった、ということ」
「僕たちがこの世界に存在するためには、時間、という項目において、条件があった、という解釈で合っている?」
「その解釈で構わない」
クロリアは、この世界に僕を連れ出そうとしたときは、そのようなことを僕には伝えてはくれなかった。
それは、何故だろうか。
そこに、何か、謎が隠されているのだろうか。知られてはならないような、謎が。
それとも、単純に、信用されていなかっただけか、将又、伝えるのを忘れていただけか、あるいは伝える意味も特にないと判断して僕に伝えなかっただけか。
……いや、それはあり得ないような気がする。
クロリアの口振り的に、この世界に滞在するための時間制限があることを忘れていた様子ではなかった。この要素から、二つ目の説は既に否定される。
そして、信用されていなかった、という説だが、これはもっとあり得ない。何故なら、クロリアは、クロリア自身の護衛として、信用の置ける相手である僕を選んだ、とクロリア自身が話していた。ような気がする。そのため、一つ目の説もこれで否定される。
最後に、三つ目の説。僕は、この世界に来る前に、どれくらいクロリアに誘拐される必要があるのか、と訊いていた。賢いクロリアであれば、僕が『期限』『時間』という項目において、気にしている人物であるということは理解していたはず。であれば、この時間制限があるという制約を、伝える意味がない、と判断するはずがない。以上のことから、三つ目の説も、きちんと否定されてしまう。
すべて、否定されてしまう。
だからこそ、今のクロリアの発言には、謎が秘められているのではないか、と考えてしまう自分がいる。
「……ん。どうした?」
「いや……なんでもないよ」
「もう、この世界から去らなければならない。アキ。別れの挨拶は済ませたか?」
クロリアは、ニヤリと笑う。
僕はそれに対して、引き攣った笑みで返した。
「この世界から去る……って……?」
僕たちの背後から、声が聞こえてくる。悲壮感を微かに感じる声。これは、ヴェルの声だ。
「言葉通りのことだ。アキは、この世界の人間ではない」
「そ、それって……どういう意味……?」
「……キミには、理解するのに少々難しい話だと思う。だから、理解しなくて良い」
クロリアは、ヴェルのことを突き放すようなことを言う。
クロリアは、ヴェルのことを良く思っていなかったから、当然の反応と言えばそれまでか。
いや、それとも、これはクロリアなりの優しさか。親しくなった相手の話を聞けば聞くほど、別れ、が来たとき、寂しいような気持ちが増していってしまう。
だから、クロリアはこの話をすぐに終わらせようとしたのだと思う。
と、勝手に僕が思っているだけではあるが。
「ヴェル。きみと、いっしょにいれて、楽しかったよ。本当に、本当に……」
本当に。この気持ちは嘘ではない。決して。
心が言っている。僕の心が言っている。ヴェルに会えて、良かった、と。
「時間だ。此処を、出る」
「……さようなら、ヴェル」
「……さようなら」
別れの挨拶を済ませて、僕とクロリアはこのホテルから抜け出した。僕たちは、人目のつかないところまで移動する。
幻の世界。幻の景色。幻の人たち。此処にあるものは、すべて幻。此処は、現実世界ではない。僕の、いるべき世界ではない。
人狼も、ヴェルも、アーノルドも、あのホテルも。すべて、僕の世界には存在しない。存在しない、何か。存在しない、お伽噺に棲み着く、キャラクターたち。
あの出会いも、この出会いも、その出会いも、すべてが幻。幻。
幻……?
僕は疑問に思う。本当に、幻なのか、と。
ヴェルと出会ったことも。アーノルドと出会ったことも。人狼と遭遇したことも。全部、全部全部全部、嘘ではない。僕が、本当に体験したことだ。
これが、全部、幻、だって? そんなはずがないじゃないか。
そんなはずが、ないんだ。
「酷い顔だ。何か、思い詰めているかのような、そんな顔、している」
「そ、そ、そ、そうかな?」
「ああ」
クロリアに見透かされている。どうやら、僕は今、酷い顔をしているらしい。
考えない。考えないことにしよう。考えすぎて、自分自身が破滅していってしまうことだけは、避けたいから。避けなければならないから。
だから、僕は前を向く。
「さあ、帰ろうか。キミの、いるべき世界へ」
クロリアがそう言って、懐からステッキを取り出す。そして、この世界に来たときのように、ステッキは独りでに動き出し、また、あの謎の裂け目をつくり出していく。
その数秒後。僕のいるべき世界と、この幻の異世界を繋ぐ、奇妙で奇怪で異様で珍奇なオーラを放つ、ドア、のようなものが僕たちの目の前に姿を現した。
仕事を終えたステッキは、独りでに、クロリアの元に戻っていき、平然と「自分はただのステッキである」と主張するように、普通のステッキの姿に戻っていた。
「こっちへ」
クロリアが先にその空間に入っていき、僕をその空間に入るよう促す。僕はそれに従って、空間の中に入った。
「先導する。私から、離れるなよ? 迷子になったら、元の世界に戻れないどころか、この謎の空間に呑まれて、存在ごと消失してしまうぞ?」
「は、ははは。それは、怖いね……」
なかなかの脅しである。でも、それほど危険であるということだ。
「アキ。目を瞑って」
「うん」
言われた通り、目を瞑る。視界に闇が広がった。
暗い。暗い。暗いから、恐怖心が増していく。
だが、心配はない。僕のすぐそこにはクロリアがいる。クロリアが、いてくれる。だから、怖いことなんて、ない。
クロリアが、いてくれるから。
そこで、僕の意識は途切れてしまっていた。
◇
不安。絶望。謎。蠢いている。正体不明の、何かが。僕の心の中で。頭の中で。僕の気持ちを焦らせるために、蠢いている。蠢き、蠢き、僕のことを困らせようと、苦しめようと、それらは、僕の中で暴れ回っていた。
謎。謎。謎。何かが存在しているというのに、虚ろな感覚。矛盾している。
なんだろう、これは。これは、なんだろう。
僕の気持ちを、さらに焦らせていく。僕のことを、苦しめるために。
予感がした。ある予感。僕のもとから大事な何かが消えていってしまうような、そんな、予感が。
嫌だ。嫌だ。
と、願ったところで、意味はない。意味がなかったのだ。
だって、それは――必然的に起こってしまう『別れ』とかいうやつなのだから。
「……ッ!?」
目を開ける。僕は、真っ先に、自分が本当に自分なのか確認し始めた。
思考。身体。思い通り。自分の身体の中に、しっかりと魂が宿っているという感覚を得る。僕は、僕だ。
自分が本当に自分だったのだと確認できた後、僕は目をキョロキョロとさせ、此処が何処であるかを確認する。
見慣れた景色。見慣れた場所。見慣れた世界。僕は、無事に現実世界に戻って来れたということを理解した。
「やあ、おはよう。お目覚めかな?」
「クロリア……」
いつものように、クロリアは僕のすぐそこで佇んでいる。いつものように。普段通りに。
でも――何か、ちがうような気がする。
何か、が。異なっているような気がする。
雰囲気。空気。何もかもが、何か、少し、ちがう。そんな、気がする。
これは、僕の気のせいなのだろうか。否。気のせいであるように思えない。心の中で、その違和感を否定をしようとも、モヤモヤが消えない。消えてくれない。否定されてくれない。
否定されて、くれないのだ。
「どうした、アキ? 怖いものでも見たような顔をして。ふふっ。まさか、私が怖く見えるのか?」
「…………」
僕は、クロリアのその問いに答えない。
いや、答えられなかった、という表現の方が適切だろうか。
何故、答えられなかったのかは、わからない。わかりたくない。わかりたくはないけれど、少し考えると、わかってしまうような気がする。そんな、気がする。
だから、僕は今、考えないようにしなければならない。気がする。
それは、何故?
……あれ、何故、考えないようにしなければならないんだっけ?
何故、何故、何故だ?
……ダメだ。何故、考えないようにしなければならないのか、考えることもやめよう。でなければ、負のループに、はまっていってしまう。
思考停止。今、僕に求められていることは、それだ。それである。
「……アキ」
「う、うん……」
「キミに、一つお願いがあるのだが……聞いてはくれないだろうか?」
唐突に、クロリアが言う。
お願い。お願い。お願い……とは、いったい何のことだろうか。
瞬間、僕の中で、嫌な胸騒ぎがした。
この、クロリアの頼みを、聞いてしまってはいけないような気がする。
「…………」
クロリアは無言で僕の方に近づき、僕に何かを手渡してくる。
固い感触。冷たい感触。僕の手より大きい。何か、複雑な形状をしている。
僕は、クロリアに手渡された何かを恐る恐る、確認してみる。
細長くて、何やら黒色をしている。何処かで、見たことのあるような、かたち。何処かで、見たことのあるような、何か。
これは――。
……ピストル!?
僕は、クロリアに手渡されたものが何かを理解した瞬間、驚くと同時にクロリアが何を考えているのか、それを考え始めてしまっていた。
クロリア。きみは、これからいったい、僕に何をさせようと言うんだい……?
「アキ」
「……う、うん」
「どうか、それで、私のことを撃ち殺してくれないだろうか?」
「……え?」
僕は思わず、自分の耳を疑ってしまった。




