21.違和感
僕は、ヴェルのところまで駆け寄る。
「ヴェル」
「アキ……くん……」
「命に別状はなさそうで何よりだよ。友達を失いたくなんて、ないからね」
そう、友達。
狩る者と狩られる者。支配する者と支配される者。魔術師と人間。だとか。そういった敵対し合う関係ではない。関係では、なかったはずだ。
この世界に来て、初めて親しくしてくれたのがヴェルで、ヴェルはこの世界での友達。何も、不思議なことはない。
ただ、友達が道を踏み外そうとしているところに、僕は立ち塞がって、お邪魔をしてしまった。それだけ。それだけの話で、それ以上は何もないはずである。
ヴェルは人狼と共謀し、人を殺めてしまった。僕は、その人狼を殺めてしまった。僕たちは後悔や罪悪感、罪といったものを背負っていかなければならない。
「ヴェル。きみは確かに、酷いことを、取り返しのつかないことを、してしまった。僕も、そうだ。だから、これから、罪を償わなければならない」
「そう、だね……」
「過去のこと。きっかけ。同情できなくはない部分はある。でも、犯してはならないことを、してしまった」
しては、いけないことをしてしまったのだ。
「……えっと。ヴェルが何故、イシュさんとコングリーさんと……人狼の二人と手を組んでいたのか、そして何故、このホテルに狙いを定めたのか、いろいろと聞かせてほしいのだけれど……良いかな?」
「…………」
無言。肯定とも否定とも取れない反応をされた。
いや、否定と取るべきなのだろうか。
ヴェルの心は、完全に閉ざしてしまっている。……閉ざしてしまっているというよりも、元から閉ざしてしまっていたが、より自分の殻に籠ってしまった、という表現の方が、正確だろうか。
今はそっとしておくべきなのだろう。強引に話を引き出そうとしたところで、それは却って逆効果になってしまい、時間が経てば聞き出すことができた話も、パアになってしまう。
それだけでなく、ヴェルの心に余計に傷を入れてしまうことにも繋がってしまうかもしれない。
そのために、僕はヴェルのところから、静かに立ち去ろうとする。
確かに、謎が幾つかあって、頭に靄がかかったような感覚になってしまいスッキリしない。
二人と手を組んでいた理由。このホテルを襲撃した理由。バルトアが殺された謎。
イシュとバルトアを殺めてしまった以上、その真相を知っていると思われる者は、ヴェルしかいない。
それを知るためには、ヴェルに訊ねるしかないのだが……それは、ヴェルが落ち着くのを待つことにする。ヴェルの話したいタイミングが来るまで、僕は待つことにしたい。
いや、タイミングか来なかったとしたら、僕はそれ以上深追いはしないことにしたい。
触れてほしくないこと。なら、僕はそれに触れない方が良いはずである。
「唐突に、無理な質問をして、ごめん。気持ちが落ち着いたら、また、出会ったときみたいに、話し合えると、いいね」
「……イシュは。イシュは、人間世界から拒絶されたアタシを拾ってくれた恩人。……いや、恩化け物だよ」
去ろうとしていた僕の背後で、ヴェルが力なく、ぽつりぽつりと呟き始める。
「コングリーは、イシュの知り合いらしい、けど……よく、知らない。このホテルに狙いを定めた理由は……ない。はず。……衝動的。コングリーの……独断によって決められた」
衝動的、か。
クロリアは、確か、こう言っていた。『このホテルの襲撃は計画的ではなかった』と。
計画的であれば、より惨くて、複雑な襲撃になってしまったのだろう。
だが、人狼の知能よりも、人狼であるという本能が勝ってしまった故か、衝動的な襲撃になってしまった。そういったところなのだろうか。
「人狼たちが標的にした相手だけれども、それには意図はあった? 例えば、バルトアさんの死には、不可解な部分があるように、思えてさ」
「……その人が何故、殺されたのかは、知っているよ。その人は、人狼を追っていたらしい。人狼である、コングリーのことを、ずっと、ずっと。それで……」
「それで!?」
「……その、バルトアって人は正体を知ってしまった。人狼の正体を。……だから、殺されてしまったのだと思う」
ふむ。話をまとめると、このようになるだろうか。
ヴェルはイシュに拾われ、そのイシュはコングリーと繋がっていて、イシュとコングリーのどちらかあるいは両方がこの襲撃を企て、ヴェルは襲撃に参加。特に理由もなくこのホテルの人間を襲うことに決まり、そして、実際に、襲撃は行われてしまった。バルトアとコングリーには接点があり、それがきっかけとなって、バルトアは殺されてしまった。
これらから推測できること。
おそらく、理由もなくこのホテルを襲おうとしたこと。これは、嘘である。
そのカギとなるのが、バルトアとコングリーの関係。
これは、僕の想像上の話でしかないのだが、きっと、バルトアは過去にもコングリーに襲われ、バルトアは生き残ったのだ。そして、それと同時にバルトアの正体を知ってしまった。
コングリーはバルトアに秘密を握られてしまったことを焦り、バルトアを消すために、バルトアの所在を確認。
そして、そのついで、で、このホテルでの襲撃が開始されてしまった。
と、考えられはしないだろうか。
あくまで、僕の想像上の話。あくまで、僕が考えた持論、なのだが。
「……教えてくれてありがとう、ヴェル」
僕は、ヴェルにペコリと礼をする。
話し終えた後、ヴェルは、また口を閉ざしてしまっていた。
また、ヴェルの明るい顔が見れたらいいな。
……もしかしたら、ヴェルにとってあの顔は、無理してつくっていた顔で、僕の目の前で見せてくれたあの顔は、紛い物で、ハリボテで、虚ろで、がらんどうで、空っぽで、嘘偽りのある、うわべだけのものだったのかもしれない。
すべてがすべて、嘘だったのかもしれない。
でも。それでも。嘘だったとしても、ヴェルといっしょにいた時間は楽しかったし、心が和んだし、ヴェルと話すことができたおかげで、僕は、救われたような気持ちになれたのだ。
だから、切実に思う。ヴェルと、また笑って話せるときが来れば良いな、と。
「……ふぅ」
僕の横でクロリアが気だるそうに、息を吐く。空気を読もうとしてくれていたのか、クロリアは僕から少し離れたところで佇んでいた。
「キミの疑問は、解消されたかな?」
「うん」
「それは、良いことだ。ああ、良いことだ」
クロリアは、まるで強調するかのように、二回、言う。それに、少し芝居がかっているような言い方だ。
いや、芝居がかっているというか、芝居そのものというか、明らかにわざとらしい言い方。何か、含みを持つような、言い方。
形容しがたい何か……それが、僕の心の中に、違和感を残していく。
一つ、ピースの足りないパズルのような、モヤモヤとした感覚。そんな感覚に、僕は襲われる。
何だ。何がある。何が隠れている。何が潜んでいる。
このモヤモヤは。この胸の奥のざわめきは。いったい……?
「……おい。無事のようで何よりだな」
「! アーノルドさん!」
「怪我はなさそうか、少年よ」
「はい。軽い傷はあるかもしれませんが、とりあえず、僕は無事です」
「そうか。それは良かった。体調が優れなかったら、すぐに知らせろ。先程、暫くぶりに外界と連絡することができた。外にも出られるようになったようだ。直に応援も来る。どうやら、終わったようだ。この地獄みたいな状態がな」
アーノルドはそれだけ言って、僕たちの方から離れていってしまった。
それもそうか。アーノルドは警官である。
非日常から日常へ。世界は普通の世界に戻っていこうとする。
ホテルで起きた、事件。それの捜査、被害者の保護、事情聴取。さまざまなことを、警察たちはすることになる。
故に、警官であるアーノルドは、今、僕たちに構っている暇がない。所謂、忙しい、というやつ。アーノルドは、その状態である。
アーノルドを引き留めてしまうのは、悪い。
だから、「少し話でもしませんか」、なんて僕は言わない。アーノルドの邪魔をするのは、アーノルドの迷惑になってしまうから。
「めでたし、めでたし、という感じではないが、私たちのやるべきことはやり終えたな」
「うん、そうだね。…………?」
……あれ? 何か、おかしいような気がする。
僕は、今のクロリアの発言に、引っ掛かりのようなものを感じてしまう。
『私たちのやるべきことはやり終えたな』……『私たちのやるべきことはやり終えたな』……?
それは――本当に、そうなのだろうか?
クロリアは、人狼狩りをするために、僕をこの世界に連れ出した。
つまり、クロリアは、何かしら人狼に恨みや復讐心や、そういった人狼について良くないイメージを持った上で、人狼狩りをしようと僕に相談を持ちかけた人物である。
やっぱり、おかしい。どう考えても、おかしい。あり得ないくらいに、おかしい。
クロリアから『この』発言が飛び出てきたのは、おかしく思えてしまうのだ。
そう。『私たちのやるべきことはやり終えたな』の『やり終えたな』という部分。この部分は、明らかにおかしいのだ。
クロリアの今までの発言や様子を振り返ってみると、クロリアという人物は『人狼の根絶』を願っていた人物である。
確かに、この名前すら記憶に残るか危うい程のホテル内にいた人狼たちを絶やすことはできた。
しかし、それはこのホテル内にいた人狼たちを絶やしただけで、クロリアの発言や他の人の発言などから、この世界にはまだまだ人狼が潜んでいることを推測することができる。
であれば、『私たちのやるべきことはやり終えたな』という発言は不適当であり、僕とクロリアがやるべきことは、まだまだたくさん残っているはずなのだ。
にも関わらず、クロリアは『私たちのやるべきことはやり終えたな』、と言った。この発言には、矛盾が孕んでいる。
これは、言葉のあや、なのだろうか?
「……ねえ、クロリア?」
「何かな?」
「きみは……いや、ごめん。なんでもない」
「そうか」
『何をしようとしているの』、そう言おうとしたのだが、言えなかった。
言ってしまってはならないような、そんな気がして。