20.残る謎
鈍い音。それとともに、衝撃が放たれる。僕の拳から。
一回、二回、三回。僕たちを殺しに来ていた人狼は、その衝撃で地面を転がり滑りながら、僕たちから遠ざかっていく。苦しそうに唸りながら。悔しそうに吠えながら。転がり滑っていく。
暫くして、静寂が訪れた。先程までの状態からは、想像もつかないほどの静寂が。
視界をよく確認してみる。
僕の隣にはクロリアがいる。そして、遠くにはピクリとも動かない人狼の姿があった。……絶命している。
人を襲う残忍な獣、人狼。どうやら、それは僕たちの目の前で死んでいるようだった。
これは、僕が……やったのか……?
後からやってくる、罪悪感。後悔。人間ではないとは言っても、人狼という何かを殺めてしまった事実。真実。その罪悪感が、僕の心の中に襲い掛かってくる。
僕が。僕が。僕が僕が僕が僕が僕が、殺して……しまった?
正当防衛。自分の命を守るために仕方がなかった、というところはある。
だが、殺めてしまったのも事実。僕は、一生、この罪悪感を背負ったまま生きていかなければならない、という恐怖。それに怯えてしまっている。
「…………」
「クロリア。本当に、これで、良かったのかな……もっと、どうにかできたんじゃないかな」
「どうにかできた?」
「……うん。話し合いとかで、解決したり、または、何か他の方法とかで解決したりとか……さ」
「……あり得るわけないだろう?」
「……ッ!?」
瞬間、びびっと僕の身体に電流が走った。即答されたショック。完全否定されてしまった故のショック。その痛みが、僕の身体の中を這い回る。
「人狼は人の血肉に飢え、人を狩り殺す。そういう存在だ。そういう、醜い存在なわけだ。だから、絶たなければならない」
「……そっか。そう、だよね」
僕は否定をしない。
「キミには悪いことをさせてしまったとは思っている。私は、現世にて、勝手にキミの手のひらに魔法を掛けた」
「だから、僕の身体からあんなに凄い力を出すことができたんだね」
「そうだ」
僕が、何故こんなにも超人染みた力を出すことができたのかは、わかった。
しかし、わかったのは良いものの、そこで、新たに違和感というか、新たな疑問が僕の頭の中に生まれてきてしまう。
それは――何故、クロリアがこのようなことをしたのか、ということ。
僕を利用したという考え。これについては、べつに僕からはどうも思わない。僕はクロリアを助ける、と誓ったわけであり、利用されることも厭わなかった。クロリアも、きっと僕のことを信用してくれた上で、僕に力を託してくれたのだろうと思う。
話は戻るのだが、本題は、何故、クロリアは態々僕にこのような力を与えて、人狼を倒させようとしたのか、ということ。
思い返してみる。アントレは、確か、人狼であるイシュを散弾銃により、討伐していた。
クロリアは、人狼について、アントレよりも詳しい存在であるはずだ。と、するなら、銃で人狼を撃ち殺すことが可能なことも知り得ていたはずであるし、他の討伐方法も知り得ていたはず。
だというのに、クロリアは、態々、僕の手に魔法を掛けて、『僕自身』の手によって人狼を倒させようとしていた。
理由もなく、そのようなことをする必要性もない。
であるから、これは、明らかに不自然なことなのだ。
何故、そのようなことをしたのか。クロリアに、追及してみるべきだろうか。
「ねえ、クロリア」
「何?」
「……ううん。なんでもない」
「そう」
萎縮してしまう。言うことを躊躇ってしまった。なんだか、訊いては、いけないような気がして。
「クロリア。それより、どうして、此処に……?」
「壁が消えた。どうやら、そこで転がっている魔術師が衰弱してくれたおかげで術が解けたようだな」
「それで、此処に……」
「ああ。激しい音。声。それらも聞こえてきたが……そこのアダンとかいうヤツにもばったりと遭遇してな。で、今に至るというわけだ」
クロリアはフッとクールに笑った。その笑顔を見て、僕は今、生きているのだという実感をする。しっかりと、する。
「お手柄だ。このホテルにいた人狼の生存反応が消えたらしい。そいつが、最後の一匹だ」
「えっと、あれは……あの人狼の正体は……」
「おそらく、コングリーだろう。今回、私たちは謎にこのホテルに閉じ込められ、そして、何故か一階と五階のツーフロアのみに移動が制限されていたな。そして、魔術師であるヴェルは私たちと同階層である五階に宿泊していて、確か、コングリーも五階であったはずだ」
「そうだね」
「そして、不可解な箇所が幾つかあったな。まず、コングリーの部屋の前での死体……バルトアとかいうヤツだったか。何故か、ヤツの死体があった」
「でも、人狼は巧みに嘘を操る存在だよね。それは、あからさまというか露骨すぎて、むしろ、コングリーさんが人狼であるのならば、『私が人狼です』なんて言っているようなことを、しないような気がするんだけど……」
「人間は考える生き物だ。勝手に深読みしていってくれる。露骨なことをやれば、露骨すぎて逆に犯人ではない、と考える人が一定数いるのと同じ。その考えを逆手にとって、あえて露骨にやっていたのだろう。ブラフ、というか、裏の裏の裏の裏をやった結果、露骨になった、と言ったところだろうか」
「そ、そうなのかな。うーん」
ブラフ。と考えるべきなのか、単純に、思考することを得意としていない人狼であったのか。僕は正直、自分が人狼であるのならば、偽装工作などを用い、自分が安全ゾーンに行けるように仕向けた上で、容疑者をべつにつくることができるような方法を考える。その方が、誰が人狼であるのかを特定することが容易ではないだろうし、自分への容疑を向けられるリスクを回避した上で、襲撃を行うことができるからだ。
計画的にやるのであれば、そちらの方が確実であるはず。時間があれば、僕であったら、そのような方法を取っていた。と、思う。あくまでこれは、僕なりの考えではあるのだが。
「まあ、アキの考えることもわかる。時間があれば、そちらの方がより良かっただろう。充分な時間が用意されていたのだとしたら、ね」
「えっ、それって、どういうこと!? というか、クロリア、なんで、僕の考えていたことがわかったの!?」
「キミの考えていたことが、すべて、キミ自身の口から漏れていたぞ」
「えっ!?」
しまった! まさか、先程考えていたことが、全部、口に出ていただなんて。
ということは、つまり、僕は先程、自分の考えを独り言でブツブツと呟いていたということになる。
なんということだ。想像しただけで、恥ずかしくなってくる。あわあわ。あわわ。
僕は、恥ずかしすぎて、俯いてしまっていた。
「で、で、で、どういうことなの?」
「ああ。私が何を言いたいのか、ってことか」
「う、うん」
「このホテルの襲撃は計画的ではなかった。要は、即席で考えられた襲撃だということだ。故に、時間が多分に用意されておらず、このようなお粗末な襲撃に終わってしまった、ということさ」
クロリアは、唐突にパンッと手と手を叩き合わせた。それに僕は少しビックリしてしまう。
「次の不可解な箇所だが、それは、コングリーが単独行動……もとい、部屋に閉じ籠っていたことだな」
「それがどうして不可解なの?」
「一人きりで部屋に閉じ籠っている。これは、人狼からしてみれば、良い獲物、良い標的ではないか? だと言うのに、彼は平然と生き延びていた。これは自分自身が狙われないとわかっているか、あるいは、人狼であるから狙うも狙わないもない、と考えることができないだろうか」
確かに、コングリーは典型的な死亡フラグを立てていた。
しかし、コングリーは、その死亡フラグとかいうものをへし折って、生存している姿を僕やアダンの目の前で見せていた。
だが、それはあくまでフラグというものはフィクションの世界の中に存在するものであって、現実では『死亡フラグ』も『生存フラグ』も『恋愛フラグ』も、如何なるフラグであっても、『フラグ』という言葉を借りているだけで、それに近い状況になろうが、それは『フラグ』とは言えないのである。
何故なら、フィクションの世界ではこれからの展開が用意されていて、どのように進んでいくのか話が進むにつれてわかっていくものだが、現実はこれとは異なる。現実とフィクションは、大きく異なり、現実では、未来がどうなるかなど、わかりっこないし、不確定要素というものが多分に潜んでおり、実に、不確かで、不確実で曖昧なものなのだ。
不確かだから、不確実だから。故に、人間は将来のことについて、悩む。将来、自分はどうなるのか。どんな風になれるのか。悩んで、悩み抜く。
……さて。話は脱線してしまったのだが、その死亡フラグを立ててしまっていたコングリーは、見事にその死亡フラグをへし折り回避し、生き残っていた。
しかし、これはフィクションの世界でのみ通用する、ただの『フラグ』というものであって、それがへし折られるのも回避されるのも、べつに違和感はない。不思議に思わないのは、違和感を感じないのは、至って変なことではないはずなのである。
であるはずなのに、コングリーが死亡フラグを立てても尚生き残っていることに、不思議に思わないと、違和感を感じないと、変に思ってしまうこの矛盾。この、おかしな矛盾。
この、胸の奥でつっかえてしまうような矛盾が、クロリアの発言に説得力を持たせてしまっていた。
「そして、最後に、キミとアダンは人狼に襲撃される直前にコングリーと会っていた、というところ。果たして、此処までの偶然はあるのだろうか。はてさて。これらの不可解さを合致させると、やはり、あの人狼の正体はコングリーと言えるだろう」
「あの人狼の正体はわかったよ。……でも、一つ、気になることがあるんだ」
「ふむ? 聞かせてくれ」
「何故、バルトアさんが、殺されたんだろう……? 誰でも良かった、と言われたらそこまでだし、人狼は人間の血肉を喰らうのが目的なのだから、べつに変なことではないけれど、単純に……気になっちゃってさ。ほら、バルトアさんって体格は良さそうだから僕みたいな非力な者を相手にするよりは危険度があるし、怪しい見た目の人だから容疑者として仕立てあげるにも人狼にとっては都合の良い存在に見えるからさ」
「それは……今、そこで治療を受けているヤツから話を聞けば、わかるのではないだろうか?」
クロリアはくるりと後ろを向いて、その人物を指差す。
クロリアの差した指の方向にいた人物とは、ヴェルのことだった。