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19.その拳に力を

 急げ。急げ。人狼の魔の手は、もう、そこに。命が惜しければ、走り続けるしかない。

 爆音の玩具をあの場に置き去りにしたはずなのだが、此処はいくら走り回っても無限に続いてしまう空間のため、未だに耳に玩具の爆音が響いてくる。これほどまでに爆音であるのならば、アダンにはサインが届いているはず。

 助けが来るまで、どれくらいかかる?

 五分……いや、十分。五分でも厳しい。五分、人狼から逃走しろ、なんて無茶なお題をやらされているわけだが、体力がいつまで保つか。どれくらい人狼がいる地点から離れることができるか。問題が次々と降りかかってきている。

 先程、僕は人狼を一発、拳でぶん殴ることで怯ませたために、多少の逃走時間を確保することはできた。

 しかし、人狼はパワーでもスピードでも人間に勝っている。おまけに、無限空間に閉じ込められてしまったときた。いくら逃走距離を稼げたと言えども、これではジリ貧だ。すぐに追いつかれてしまう。

 果たして、僕は人狼から逃げ切ることができるのだろうか。




「アキ、くん……」


「ヴェル、引き裂かれたところ、痛くない? 大丈夫? 安全な場所に避難して、すぐに治療するから」




 ヴェルの傷。致命傷は避けられたみたいだけど、安静にしていないと酷い状態になってしまう可能性は高い。

 タイムリミットがある。ただ、逃げ続けるだけでは、ダメだ。僕自身のことだけでなく、ヴェルのことも考えないと。

 どうすれば良い。どうすればこの場を切り抜けることができる。どうすれば。どうすれば。

 僕の頭の中には暗号のように『どうすれば』という羅列がびっしりと自分の思考を埋めてしまっている。思考を埋め、頭をショートさせ、自分の思考をバグらせていく。

 システムエラー。僕の頭はいっぱいいっぱいになってしまっていた。




「……おいっ!」




 突然、何処からか声がする。呼ばれている声だ。




「アダン! 助けに来てくれたんだね!」


「喜ぶのは早い。お前はずっと走り続けてきたんだろ? ボクも同じさ。この無限に続く謎の空間から未だに出れていないんだよ」




 走りながら、アダンは冷静な口調で言う。アダンのその言葉を聞いて、僕は絶望する。藁にもすがる思いで助けを求め、アダンと再会し、助けがやって来たのかと思ったのだが、それは一瞬にして否定されてしまった。

 助けが来てくれたわけではなく、困っている同士が増えただけなのである。結局、それは何の解決の糸口にもなり得ない。


 ……などと、僕が思うわけがない。


 強がれ。強がるんだ。むしろ、人が一人増えたということは、人狼に対抗する力や人狼から逃走する知識や術が、少し増えたということ。

 マイナスではない。これはプラスだ。

 状況が変化した。生還の可能性が一パーセントでも高まるというのならば、それを拒む者は基本、いないだろう。アダンがいることで、一パーセント、いや、もっと低い可能性かもしれないが、生還する可能性が僅かながらでも増えたのだ。これはデカい。




「くっそ! 無限に続きやがる!」


「埒があかないね」


「爆音があんなに鳴り響いているというのに、誰も此処に来ない。ということは、此処は完全に隔絶されているというわけだ。チクショーが」




 アダンは立ち止まって思い切り足で壁を蹴った。壁を蹴ったところで、状況は変わらない。




「何かないのか! この無限回廊を抜ける方法がよ!」


「クロリアが言うには、魔術師の仕業、らしいよ。僕たちがホテルの外に出れず閉じ込められてしまったのも、見えない謎の壁が発生したのも」


「ああ、魔術師な。だが、その肝心な魔術師とやらが見つからねえ。魔術師はいったい何処にいやがる!」


「此処、にいるよ」




 僕は首をクイッと後ろに振り、ヴェルのことを示す。ヴェルは完全に気絶してしまっている。この術を解いてもらうためには、まず、ヴェルの意識が戻るのを待たなければならない。そして、ヴェルが僕たちのその願いに応じてくれなければならないという問題もある。

 此処から抜け出すための方法。その答えが出かかったというのに、あと一歩のところで消滅してしまう。

 惜しい。方法を思いついたというのに、その方法を実行することができないというのは、これほどまでにもどかしいものなのか。悔しさも、身体中から湯水のように湧き上がってくる。

 あれでもない、これでもない。惜しいで止まってしまっては、ダメだ。結局、それは解決に至っていないのだから。これは命を賭けた戦いで、命を賭けた戦いに、惜しい、で挑んでしまっては意味がない。ダメなんだ、そこで終わってしまっては。

 僕は悔しくて、思わず、アダンと同じように足で壁を蹴ろうとした。だが、結局、蹴りはしなかった。

 壁に当たり散らしたところで、それも意味がない行為なのだから。




「その女が……魔術師?」


「うん。信じたくはなかったけれど、どうやら、そうみたいなんだ」


「殺してやる」




 殺気立てた声でアダンが言い、ヴェル目掛けて殴り飛ばすような勢いだったので、慌てて僕はアダンを止める。

 僕よりもアダンの方が冷静なように見えたのだが、魔術師の正体を知った途端、感情的になってしまったのだから、アダンは冷静なように取り繕っていただけで、内心は、気が確かではなかったのかもしれない。それは、べつにおかしなことではないし、この状況に立たされたら、誰だってそのようになってしまうと思う。

 アダンは大人びた部分を前面に出していたから、あの玩具と言い、年相応の仕草・反応・感情などを見ることができたのは、少し安心してしまった自分がいる。なんというか、アダンは僕よりも幼いのに、大人になろうとする振る舞い、冷静沈着に行動をするその姿は、僕にはとても眩しく見えてしまったのだ。僕の瞳には、アダンが眩しく見えてしまい、自分自身の劣等感を余計に感じてしまう。感じてしまっていたのだ。

 故に、僕は焦ってしまう。僕がダメダメな人間であることに気がついてしまい、アダンと自分を見比べたとき、少し、嫉妬してしまっている自分がいた。

 僕は最低な人間なのかもしれない。自分が凡人であり何も才がないということを自覚したくなくて、才ある者の『普通』の部分を見て、卑しそうに安心してしまうこの自分。劣っていると思いたくなくて、他人の粗を探して、自分自身を優位に思おうとするこの自分。

 僕は、このままの僕で良いのだろうか。


 ……わからない。




「……退けよ!」


「いや、ダメだよ。魔術師を殺したところで、この術が解除されるとは限らない。だから、悪いけど、乱暴な行為は止めさせてもらうよ」


「……それは筋が通っているな。悪い。ボクが冷静じゃなかった」


「兎も角、僕たちがこの無限に続く場所から抜け出す方法を見つけないと――」




 ゾワリ。

 突然、背筋に悪寒が走る。この世の恐怖という恐怖を詰め込んで、それを放出したかのような恐怖が僕の心に襲い掛かってくる。

 ゾワリ、ゾワリ。

 近づいてくる気配。殺気。獲物を求めて、それは近づいてくる。

 ゾワリ、ゾワリ、ゾワリ。

 既に、僕たちのすぐ後ろに、そいつはいる。美味しそうな血肉を見て、舌舐りでもしているような音が聞こえてくる。緊張と恐怖で、身体の震えが止まらない。




「お、おい。走れるか? 生き残るためには、逃げるしかねえ」




 小声でアダンが僕に向かって言う。

 僕たちは、果たして、この執念深い獣から、恐ろしい獣から、逃げ切ることができるのか? この至近距離で?

 ……無理だ。この距離では、もう、戦うしかない。




「ふぅー……」




 僕は深呼吸をして、後ろを振り返った。やはり、そこには人狼が、いる。




「お、おい! どうするつもりなんだよ!?」


「殺るしか、ないよ。この距離じゃ、もう逃げられない。逃げ場だってないんだし」


「殺るって、武器もないのにか!?」


「うん……」


「勝算は!?」


「……大丈夫。僕が時間を稼ぐ。その間にきみは逃げるんだ。さあ、早く」




 凡人にできること。それは才能ある者の盾となること。自己犠牲。

 僕はダメダメな人間だ。けれど、そのままで終わってしまってはいけないような気がする。

 そのために、僕は逃げずに戦わなければいけない。




「死んでくれるなよ」




 アダンはそれだけ言って、人狼がいる方向とは逆の方向に走り始める。無限に続く空間は不確定要素を多分に含んでいるために、どれくらい離れることができるのかはわからない。

 しかし、何もしないよりはマシだ。何もしなければ、人狼に殺されてしまうのだから。




「クロリア。ごめん。あとは、きみに託した」




 死の覚悟をして、僕は人狼の方を睨み、拳をつくる。

 落ち着け。怯ますことができれば、時間を稼ぐことができる。

 アダンが背負うには大変そうだし、アダンに背負わせてしまうと、逃走距離を充分に確保させることができないので、ヴェルには申し訳ないけれど、先程、ヴェルを横に寝かせた。僕が死ぬということは、ヴェルも危険に晒してしまうということ。

 死の覚悟はしたが、死ぬことはできない。最低でも、相討ちに持っていかないといけない。




「強がるしかないよ、ねっ!」




 僕は呟いた後、全力で走り、人狼目掛けて拳を当てる。

 先程、人狼を怯ませることに成功したのは、偶然、人狼の急所に命中させたからなのだろうか。全く手応えを感じなかった。

 僕はあっさりと人狼に首根っこを掴まれてしまう。苦しい。息ができない。

 僕は自分の死を悟った。

 僕はこんな情けなく死んでしまうのか? こんな、呆気なく最期を迎えてしまうのか? それで良いのか?




「こんなところでくたばってくれるな! 拳を握れ!」




 走馬灯が見えかかっていたそのとき、何処からか声がする。

 聞き慣れた声。僕がよく耳にしたことのある、その声は、僕の背後から聞こえていた。




「クッソォォォォォッ!」


「……ッ!」




 今度はまたちがう声。その声の持ち主が、此方に迫り、瞬間、グラッと身体が揺れ、僕は地面に転がり落ちた。

 状況がよくわからない。

 僕の目の前で起きた光景をよく確かめてみると、僕の目の前には逃げたはずのアダンがそこにいて、アダンが人狼に対してドロップキックをかましていた。

 どうやら、僕はその衝撃で地面に転がり落ちたようである。




「無事のようだね、アキ」


「…………! クロリア!」


「話している暇はない。さあ、その手で人狼を穿て」


「僕が、人狼を……?」


「ああ、できる。私といっしょなら」




 クロリアは僕の手を取り、人狼の方を向く。




「さあ、フィナーレにしようではないか」




 クロリアは指を鳴らした。

 その刹那――倒れていたはずの人狼が僕たち目掛けて飛び掛かってくる。

 まずい。このままでは、あの鋭利な爪で僕たちは切り刻まれてしまう。

 咄嗟にそう思った僕は回避行動を取ろうとした。

 けれど……それで、良いのか?

 僕は、そんな逃げ腰なままで良いのか?

 僕は変わらなければならない。

 僕は強くならなければならない。

 だから――。




「やあああああぁぁぁぁぁっっっ!」




 僕は、拳を振るった。

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