15.正当性
鼓膜を突き破ってしまいそうなくらいに激しい音。それが脳を揺らし、頭を混乱させる。
散弾銃。アントレはそれの引き金に手を掛けて、弾を発射していた。僕の記憶が正しければだが。
どうなったのだろうか。僕たちは、アントレの手によって殺されてしまったのだろうか。人狼と疑われて。あるいは、アントレが魔術師で、僕たち、人間を駆逐するために。殺された。
……殺された?
僕はハッとする。
何故、思考ができている? 何故、僕の耳には、未だに銃声が残って消えない?
僕は目を見開いた。生きている。生きている。どうやら、僕は、アントレに殺されたわけではないらしい。
隣を見る。ヴェルもまた僕と同じように恐る恐る目を見開いて、アワアワとしていた。僕たち、二人は無事であるようだ。
では、先程の銃声はいったい何処に向かって放たれたものなのだろうか。
アントレが撃ち漏らしたとか? あるいは、僕たちを牽制するための発砲であり、銃殺するためのものではないとか?
そんな疑問を抱きつつ、前方を見ると、その疑問の答えがそこにはあった。
「イシュさん!?」
アントレのツレ。彼女らしき人物である、イシュの顔が、アントレの散弾銃によって吹き飛ばされていた。
地獄も地獄。超地獄。としか、形容できないほどの大地獄。イシュの状態を見るだけで、僕の心がギュッと締めつけられるような感覚がある。
何故、アントレはイシュに向かって、発砲したのか。どういうわけで、僕たちの目の前でイシュの顔目掛けて、散弾銃をぶっ放したのか。
頭に次々と浮かび上がる疑問。これらを一旦無視して、僕とヴェルはイシュの方に駆け寄る。イシュは呻き声を上げ、苦しそうにのたうち回っている。
非道。残虐非道。横暴。アントレは、見た目通りに荒々しい気性であり、何を考えているのかわからない人物だ。
とりあえず、イシュの手当てをした方が良いだろうか。いや、僕たちの目の前にアントレがいる。アントレという、暴虐の悪魔をどうにか片づけなければいけない。
もしかしたら、アントレというこの人物は人間であるがために、怪しいと思った人物……このホテル内にいるすべての者を殺害して、生存しようと考えているのではないのだろうか。
クロリアの占いではアントレは白であり、人狼ではないらしい。魔術師も白と判定されるらしいのだが、クロリアの占い結果により、アントレが人狼であることは否定されている。
一見、残虐な行いのように見えたアントレの行動。たしかに、残虐な行いではあるのだが、この行動は実に人間らしい行動であると考えられる。
人狼に殺されてしまう前に、人狼である可能性がある人物をすべて殺す。それは、アントレの生存欲というか、人間であるために生存したいという気持ちが如実に表されていた。
だが。
「アントレさん! ダ、ダメですよ! 落ち着いてください!」
「医療知識とかわかんないよぅ。ど、どうしたら良いんだろう!?」
「……あ? おい、離れろ。勘違いするんじゃねぇ。それを見ろ」
促され、アントレが指差しをしている方向を見る。それは、先程、アントレの手によって顔を吹っ飛ばされてしまった、イシュのことを指していた。イシュのことをよく見てみる。何故か、湯気が立ち上っているのを確認しながら、衝撃的なものを見てしまった。
「えっ……?」
思わず声が出てしまう。
あれ。どうしてだ。おかしい。
ぞわり、ぞわり、と恐怖が心に押し寄せてくる。
イシュは、先程、アントレの散弾銃によって顔を吹き飛ばされていた。これは何度も確認したはずだ。
だと言うのに、今、イシュのことを見てみると、イシュの顔から何か赤とか緑とかの液体が舞踏を踊っているかのように謎の動きをし始め、少しずつ、イシュの顔が元のかたちに戻ろうとしていた。
到底、人間ではあり得ないような、光景。
イシュは、人間ではない?
僕は何が真実で、何が嘘であるのか、わからなくなってくる。
正常な思考をしないと。狂わないようにしないと。でなければ。でなければ、生きて帰ってくることはできないだろう。
「ええっと……」
「見なかったことにしておけ。コイツは、オレが始末してやる」
話が見えない。僕はアントレとイシュはカップルで、所謂、おアツい関係であるものなのかと思っていたのだが、どうやら、ちがうらしい。
複雑な関係? って、そんなことを思っている場合ではない。イシュのことを治療してあげないと。
いや、その前に、イシュのところで謎に起こっているこの現象をどうにかした方が良いのだろうか。
何故か、謎にイシュの顔が再生していっているために、頭が混乱してしまう。理解できないものには、首を突っ込まない方が良いだろうか。僕やヴェルが乱雑に弄ってしまったところで、却って、状態が悪化してしまうかもしれないし。
「見なかったことにしておけ」と、アントレは言うが、この光景を目の当たりにして、見なかったことにすることなんて、できるわけがない。トラウマものである。既に、脳裏にこの光景が焼きついてしまった。
そのために、何かしなければならないと、思ってしまい、放っておくことができないでいる。
「早く、去れよ」
「で、でも……」
「コイツは『人狼』だ。目の前の、人間では絶対にあり得ない光景があって、それでもまだオレの言葉が信じられねぇ、って言うのか?」
言われて、息を呑む。
イシュが人狼?
状況があまり理解できないが、アントレの言っていることが嘘ではないことくらい、わかる。
僕たち人間を脅かし続けていた存在、人狼。その人狼が、僕たちの目の前で転げ回っている。アントレは、人狼であるイシュを見て、何を思っているのだろうか。
悔しさ。怒り。憎しみ。悲しみ。さまざまな感情が入り乱れているはずだ。
人の心を持っているのであれば。
僕は目の前の状況を見て、怒りとか憎しみとかは抱かなかったが、悔しさと悲しみは何処か、心の片隅に存在していた。
僕にもっと、力があれば。状況は変わっていたかもしれないし、もしかしたら、イシュという者も、話せばわかる存在であったかもしれない。
などと思っていたが、それは愚考であることくらいわかっている。
人狼は人間を襲う存在だ。故に、人間は人狼の手から身を守らなければならない。時には、人間が攻め、人狼の命を摘み取ることも必要とする。躊躇うことなど許されない。許してしまったら、殺られてしまう。現実とゲームは、それほどちがうのだ。
「ガキ。昔話をしてやる」
「…………」
「オレは名家の三男として生まれた。階級社会。カースト制度。まさにその単語がぴったりという環境で育ってきた。ありがちな話だが、オレだけ、落ちこぼれ。兄貴二人は優秀。クソみてぇな父親も母親も兄貴二人に構ってばかりでオレは蔑ろにされていた。学校なんかに通っているときも同じ。皆が、白い目で見てくるし、落ちこぼれに居場所がねぇ。で、グレた。したら、『あいつみたいにはならないようにしましょうね』みたいな目をして全員がこっちを見ている。あるとき、集団でリンチを受けたときもあった。もうダメだ、と思って刃物をな、そいつらに向けたんだが……今思えば、刺してしまえば良かったと思ったが、まぁ、できなかったな。逆に、ボコられた」
「えっと……」
「話は最後まで聞いてくれ」
「あっ、はい」
「んで、オレは遠い離れの屋敷に隔離された。本当は人に刃物を向けるような奴の扱いがわからなくて施設に入れようとしたらしいが、隔離して、学校も行かせないってかたちだったな。クソうぜぇ、って思ってそこを抜け出してプラプラ流れるように生きていたら、コイツに出会った」
「それが、イシュさんとの出会い、ですか?」
「あぁ」
アントレはイシュの方に顔を向き直して、散弾銃の銃口をイシュの方に向ける。後悔も怒りも、感情という感情を一つも前面に出さずに、ほぼ再生しきったイシュのことを見て、ただただ銃をぶっ放すことだけを考えているようだった。
「お前に救われた気分になっていたが……あれは勘違いでお前にただ騙されていただけみてぇだな。なぁ、イシュ。安らかに死ね」
「……アントレ。騙していたわけじゃ――」
イシュが何かを言い終える前に、アントレは散弾銃の引き金を引き、再び、弾を思いっきり目の前のイシュ目掛けてぶっ放した。アントレはすかさず、今度は再生できないように、即座に弾を銃に込めて、また、イシュ目掛けて、発砲した。イシュだった者の肉片等が辺りに飛び散り、見るも無惨な状態になってしまう。
アントレは容赦がない。撃ち終わったあとも、悲しい表情や悔しい表情、怒った表情、何一つ見せずに、ただただ肉片になってしまったイシュのことを見て、呆けていた。
僕にはアントレとイシュの関係がどういうものであって、二人の間にどんなエピソードがあったのか正確なことは知らない。それは、赤の他人であり、昨日初めて出会った人物であるのだから、当然だ。
でも、これだけは。これだけは、二人の様子を見たりアントレの話を聞いたりして、わかった。
二人は、依存の関係にあったのだ。
はみ出し者であったアントレと、人間を襲い人間に憎まれる存在の人狼であるイシュ。その二人は意気投合したのか、お互いの利害が一致したのか、お互いがお互いのことに惹かれるようになった。
これは、あくまで僕の憶測上の話であるが、おそらく、二人はそういった関係であったのだろうと思う。
そして、その関係は、あるとき崩れてしまった。
どちらかが……いや、どちらも、お互いのことを信じ切ることができなかった故に。
「…………」
「……ヴェル?」
「……あ、ありぃ? ど、どうしたの?」
「ごめん。何かあったのかなと思って」
ヴェルは戸惑っていた。無理もない。情報が一挙に押し寄せてきたのだから。
イシュが人狼であり、その人狼であるイシュをアントレが撃ち殺した。
字面だけ見れば、人間である、僕たちが悪いように思える。だが、人狼は狡猾に嘘をつき、騙し、化かし、人間の血肉を貪る存在である。故に、アントレが行ったことは、決して間違ったことではなくて、むしろ、正当性のあることだと考えることができる。
そう。これは悪いことではない。決して、悪いことではないはずだ。
僕は、人間という存在を悪い存在にしないために、心の中で、必死にアントレの行いを悪くないことなのだと、自分に言い聞かせていた。