12.セオリー
ええっと、昨晩はあの後部屋に戻り、クロリアと交代で睡眠を取っていたはずだ。何かあっても対応できるようにと、一人は起きて見張っているというかたちだった。
昨日、僕の考えでは、あからさまに死亡フラグとかいうやつを残していったコングリーが襲撃されるにちがいないという結論に達していた。
が、その考えは、この目の前にあるクレアの亡骸を見たことによって、否定されてしまう。
僕はクレアの亡骸を見て、悲しい思いと悔しい思いが心の中に込み上げてくる。クレアが襲撃されたのは、弱い僕のせいだ、とでも感じているのだろうか。これは、人狼が人間を襲撃する生き物であることが悪いわけで、僕がここまで罪悪感を感じる必要性なんてないはずなのだが。
そして、クレアは僕の恋人でも家族でも親友でもなんでもない。昨日、初めて会って、僅かばかりの時間だけ話しただけの関係性だ。そう。僕とクレアの関係なんて、それっぽっちの間柄なのである。だというのに、この瞳から、涙が流れ出ようとしている。カアッ、とした何処か怒りに満ちた感情も沸き上がってきた。
血の臭い。腐った肉の臭い。肉片になってしまったクレアを見て、これが昨日、話をしていたクレアと同じものであるということが信じられない。
誰が。誰が、誰が、誰がこんなことを?
どうして、こんなことを?
自分の快楽のため? あるいは、自分が生き残るため? そのために、人狼というものは人間を殺している?
僕は、絶望の眼で、ただただクレアの亡骸を見ることしかできないでいた。
「お、おいおい、本当に俺たちの中に殺人鬼が潜んでいやがるのかよ!?」
「私、もう帰りたい! 嫌だ、嫌だ!」
「くっ……どうして電話が通じないんだ!」
様々な声が聞こえてくる。此処にいる者は、人狼とクロリア以外、全員が混乱していた。
恐怖の声。泣き叫ぶ声。怒声。阿鼻叫喚の図。此処は、地獄か。それとも、それに近しい何かなのだろうか。
殺らねば。僕たちは、一刻も早く人狼を見つけ出して、人狼を殺らなければ。そして、この地獄を終わらせる。僕はそのためにこの世界に呼び出されたようなものなのだ。だから、僕がしっかりしないといけない。
僕は、自分の頬を叩き、怯んでいた心を復活させる。そして、僕はクロリアの方をチラリと見た。クロリアはクレアの亡骸を見ても、顔色が全く変わっていなかった。
常人は、混乱して、生き延びようと必死に踠く。死にたくない、生きていたい、と。あるいは、自分の死を悟って、絶望的な面持ちで受け入れたくないのに、自身の死を受け入れるしかないといった様子でただ佇んでいる。それが常人。しかし、クロリアはこのような状況下に立たされていても、怯む様子を見せていない。冷静だ。とても、冷静だ。
「これは脅しか、あるいは、私たちが混乱する様子を楽しんでいる愉悦に満ちた輩であるか、どっちか、ということか。こんなロビーの中央にわざわざクレアの亡骸を持ってきたのだから、相当に悪趣味な輩だと見て、間違いないだろう」
クロリアはクレアの亡骸を見て、分析をするように拾うことができた情報を僕に伝えてくれる。
クロリアは、真剣に人狼を退治しようと考えているのだ。僕もそれに応えることができる行動をしなくてはならない。
漸く、通常状態の思考に戻ることができたところだったが、此処で、何処からか衝撃的な発言が僕の耳に入ってきた。
「これは、人狼とかいう野郎の仕業だ!」
アントレ・アルバス。昨日、激昂し、僕たち全員に向かって、犯人捜しを行おうとしていた人物だ。
そんな人物から、『人狼』というワードが飛び出してくる。僕は予感した。魔女裁判が始まるのではないか、という予感を。
人狼。そいつを炙り出すためには、僕たち人間は襲撃現場をこの眼で確認することや議論により怪しい者を割り出す等といった方法を一般的には取る。あくまで、『人狼ゲーム』というゲーム内での話ではあるが。
当然、二つ目の、議論により割り出す方法では正しく人狼を追放・処刑することができない場合が多い。故に、一人や二人といった、ある程度の誤った犠牲というものが生じてきてしまう。
それが実に難しいところである。
人間であっても、自分自身が誤解されてしまう行動を取ることはできないし、怪しい者であると他の人間に思われてもいけない。その部分が、余計に混乱を招いてしまう要因となっているのだ。
「意外だったな。人狼という存在は周知されていたのか」
クロリアが僕にしか聞こえないくらいの小さな声でボソリと呟く。感情は込められていないように思える。
「その通りだよ、アンタ。これは人狼の仕業だ」
「ああん? なんだ、このクソガキは。勝手にぬけぬけと出てきやがって。ムカつくんだよなァ」
アダンがアントレに向かって拍手をしていたが、アントレはその様子が気に入らなかったのか、アダンの手を思い切り握って、睨んだ。それを受けて、アダンが痛そうに悶える。アントレが大人げないとはいえ、アダンにも非のある行動ではあったともいえるために、僕はこれに関してはスルーすることにした。さすがに子ども相手だということはアントレも理解していたようなので、多少、手加減はされているみたいでもあるので。
それはおそらく重要なことではないので置いておくとして、気になったことに焦点を当ててみる。
なんとなくこの人物からはオーラを感じる、なんとなくこの人物はキーマンである気がする、と目星をつけていたアントレとアダンから『人狼』というワードが飛び出してきた。僕の感覚も、強ち間違った感覚をしていないことはわかる。そして、キーマンから重要な情報が手に入った。『人狼を知っている』ということ。二人はどのようにして人狼の存在を知ったのだろうか。それは今、僕たちが手に入れたい情報である。
これらの情報は頭に入れておこう。人狼の存在を見破る上で、大事な手がかりとなるかもしれないのだから。
「人狼って、何の話だ?」
「知らないの、おっさん?」
「おっさんではない」
「そう? おっさんでしょ? おっさーん」
「……知っていることを話せ」
アーノルドが「あーこいつ面倒くせぇ」みたいな顔をしてアダンに言う。アダンは「はいはい」とテキトーに返事をして、話を始めた。
「人狼っていうのはね、人に化けて、人の肉を食べる悪者なんだ。だから、探し出して処刑しないとだね。でも、人狼っていうのはね、完璧に人に変身して、狡猾に嘘をついて人を騙し、欺く、とても怖いものなんだ。ボクらはその人狼ってやつを話し合いをして粗を見つけ、こいつが人狼だ、って者を殺さないといけないね」
「お前は見た目に似合わず、なかなか残酷な単語を言うな」
僕よりも小さい子から、このような言葉が口から出てしまうのは、たぶん、よろしくない。いや、よろしくないというか、よろしくない状況に立たされてしまったので、仕方がない、と考えるべきか。
「っつーわけでだ、オレは勝手に行動させてもらうぜ。いや、既にもう勝手に行動してる奴はいたか。そんなの、どーでもいいが」
「ボクもそうさせてもらうよ」
「おい、さっきお前は『話し合いで』だとか言ってたじゃないか。話がちがうぞ」
アーノルドは呆れた口調で呼び止めようとする。けれども、アントレもアダンもアーノルドのその言葉には従わずに、既に単独行動に移ってしまっていた。
ふむ。アントレもアダンも人狼ゲームであったら、その行動はやってはいけない行動の一つに当てはまってしまっている。僕はこの二人のことを切れ者かと思っていたのだが、案外、そんなことはないらしい。
決まった方針・進行論・行動パターンを取ることを人狼ゲームでは『セオリー』と呼ぶのだが、僕はこの『セオリー』というものを遵守しがちだ。そのため、非常事態には弱いし、この『セオリー』から外れてしまうような者を怪しく思ってしまう傾向がある。この傾向は人狼ゲームであれば、べつに命をかけているわけでもないのだから、重く見ることはないのだが、実際にそのゲームと同じ状況下になってしまったとあれば話はべつ。僕たちには、命がかかっている。故に、間違えることは許されない。そのため、この傾向というものは僕が推理を始める上で、足枷となってしまうのだ。
僕は誰が人狼であるのか特定したいので、一旦、頭を空っぽにして、全員を平等な目で見なければならない。この平等な目で見る、というのは非常に難しいことなのだが、果たして、僕にできるのだろうか。
いや、できるできないではなくて、できなくてはならない。推理や考察を始める上でこれは、必要不可欠なことなのだから。
「苦労しているようだね、アーノルド。まるで、子どものお守りを任せられたかのようだ」
「……皮肉か?」
「さあ、どうだろうね」
軽口を言い合っているような状況ではないのだが。それでもクロリアは、アーノルドのことを嘲笑するようにアーノルドに話し掛けた。
「一部の人間が人狼とかなんとか話し始めたが、いったいなんなんだ?」
「言葉通りだよ」
「言葉通りだとして、言っていることが意味不明だ」
「キミも薄々感じていただろう? 二人の人間の死。あれは事故でも、人間の殺意によって起こった殺人事件でもなんでもない。何か、不思議な力によって殺されてしまった、ということくらい、警官のキミであれば調べれば理解できたことだろうね」
「それは俺のことを煽っているのか」
「さあ、ね」
言い合いが始められようとしていたので、慌てて僕がクロリアの口を塞ぎ、場が余計にひりついてしまうことを防ぐ。
人狼ゲームで一番好ましくない展開。それは、人間同士での言い争いである。人狼は刻々と人間を狩ろうとしているのに、そこを人間同士で争い合って、人狼が襲撃しやすいような状態をつくってしまうことは自殺行為と言い切ってしまっても、構わないくらいだ。それが、一番ダメ。絶対に、その展開だけは避けなければならない。
僕はヴェルに間に入ってもらって、人間同士の衝突を少しでも抑えようと思ったのだが、その肝心のヴェルが、いくら辺りを見回してみてもいない。ヴェルは、何処に行ったのだろうか?
「……ヴェル?」
反応がない。僕が呼び掛けても、ヴェルは姿を現すこともしなかった。
ふと隣を見ると、クロリアが、僕の顔を窺うようにして、僕の顔を見ている。そして、クロリアは、僕の手を優しく握り締めてきた。
これは、何を意味しているのだろうか。