10.探偵ごっこ
僕とクロリアとヴェルの三人が、このホテル内にいる人から情報収集をすることにして数十分が経過する。話すことを断られたり、反応がなかったりした人もいたのだが、だいたいの人から話を聞くことはできただろうか。
やはり、僕の感じた通り、このホテル内にいた人は両手と両足で数えられる程度の人数しかいなかった。ホテルに入ってから、今に至るまでに、それ以上の人は優に超えていたと感じるくらいにはいたはずだが。
「話を聞けなかった人間は四人か。ふむ。過半数の人間から話を聞けたのは上々といったところだろう。人はこういった状況下に陥ると、パニックになってどうしたら良いかわからなくなってしまい、まず、自分を防衛することを最優先してしまうからな」
冷静な声音でクロリアが言う。クロリアはトラブルに見舞われたとしても、パニックになってしまうことはないのだろうか。僕だったら、パニック状態に陥ることなど、朝飯前レベルでなってしまうのだが。
クロリアのいつも冷静な態度を、僕は見習わなければ。
何事にも動じず、何事にも対応できる、その姿勢。僕はそれができたらと、何度思ったことか。
思って、思って、思って。しかし、思うだけ。それだけで、終わってしまう。思うだけで、その姿勢に近づくことなんてない。その有り様は、僕の滑稽さを物語っていた。
ダメ。全くと言って良いほどの、ダメダメさ。思いはするものの、向上するための努力をしない。故に、心に虚しさが残る結果となってしまいつづける。
変えなきゃ。変えないと、いけないんだ。そんな、自分を。
だから、僕は人間から滑稽な何かにグレードダウンしてしまわないように、何が何でもクロリアのことを守ってみせる。僕の、命に替えてでも。
「いてっ」
急に、クロリアにパシッと僕の頭にチョップを入れられる。
「そんな、思い詰めた表情はするな。心意気だけでも嬉しい。それで、良い」
クロリアが優しく微笑んだ。
「ひゅーひゅー!」
「……部外者のキミは茶化さないでいただきたいのだが?」
「そ、そんな怖い目で見ないでよクロリアちゃん」
「ふぅ。キミのことは置いておくとしよう。さて、一つ訊こうか」
クロリアが真剣な眼差しで僕とヴェルのことを見つめる。ムードが一変して、ガラリとシリアスなムードに変わっていった。
人狼が襲撃を開始している。というのが、現在の状況。従って、クロリアからのこの問いはそれに関してのものだと推察することができる。
僕たちは、人狼たちを倒す。そのために今、此処にいる。それ故に、僕とクロリアの情報を交換し、共有することはとても大事なことだ。おそらく、クロリアのこの質問には、情報共有をすることが目的としての質問であると考えられる。
さあ。頭をフル回転させよう。頭を使い、この肉体を酷使して、人狼の魔の手からクロリアや此処にいる人々を守り抜き、人狼を殺るのだ。殺らなければ、ならないのだ。奴等から、殺られる前に。何らかの手段によって。奴等の命を絶たねばならない。
僕は反芻するように、自分の全うするべき使命を脳に刷り込み始めた。
「…………」
「……クロリア?」
「ああ、悪い。考えごとをしてしまった。で、キミたちに訊ねたいことなのだが、キミたちは『誰が怪しい』と思っている?」
「えっ……?」
クロリアの言葉のニュアンス的に、これは『誰が人狼であると踏んでいるか』を答えてくれ、ということなのだろう。
ただし、これは僕視点の話である。僕とクロリアには、先程の現象が、人狼の手によるものだと知っている。だけれども、ヴェルはそのことについて、まだ知らない。
よって、この質問は僕には理解できる質問ではあるのだが、ヴェルにはおそらく何を訊いているのか理解することができない質問であるわけだ。
うーん、でも、『誰が怪しい』とか、そういったワードはさすがにヴェルからしたら不審な意味合いに聞こえてしまうのではないのだろうか。クロリアの真意が今一つ理解できないというか、あやふやな感じの部分がある。
ヴェルに変に思われることはなるべくしない方が良いはずだ。それはクロリアなら理解しているはず。故に、この行動は意図してのことなのだろう。
しかし、僕の独断というか、主観的な判断で、ここは不審に思われないように、フォローしておくことにしよう。
「うーん、そうだなぁ。誰が怪しいとかはわかんないなぁ。怪しい見た目の人、いたかな? こればっかりは偏見とか個人的な印象とかが入ってきちゃうし……」
「あ、ああっ!? なんだ、そういうことかー! アタシ、探偵ものの本、読みすぎて、てっきりさっきのアレが『殺人事件』で、その犯人を探してる? みたいな感じなのかと思った~」
「ヴェルは本、読むの好きなの? 意外だね。脳筋……頭が筋肉でできているくらい体育会系の感じの人なのかと思ってた」
「なっ、失礼しちゃう~!」
「ごめん、ごめん」
上手いこと、話題をすり替えることに成功した。怪しまれてなさそうなので、とても安心する。
まあ、正直、ヴェルのこの様子なら「僕たちは人狼を倒すために此処にいるんだ」と素直に話しても理解を示してはくれそうに見えるのだけれど、念のため、このことについては知らせないでおく。忘れてはいけない。人狼は人に扮することを得意としているのだから。
「アキ、はぐらかさないでほしいのだが」
「クロリア。それは一応二人きりのときに話すことにしようよ。不審に思われちゃうかもしれない」
クロリアが不満そうに訴えてくるので、僕は小声でそれに返答した。
すると、クロリアは小声で「ならば、此奴の話を利用しよう。先程のアレが『殺人事件』と仮定して、私たちは『探偵ごっこ』をしている、という体にするのはどうだろうか?」と返してきた。
たしかに、それなら不審度は少し下がるだろうけれども、それでも、まだ不審な箇所が残ってしまうような気がする。
けれど、僕の思考の先をいつもクロリアがいるわけであり、僕はあくまで自分の意思でクロリアについてきたわけなので、今はクロリアのやりたいことを尊重することにした。
「ヴェル。私たちは今、探偵ごっこをしている。そうすれば、キミの気も紛れると思ってな。どうだろう? キミも、するか?」
「……それは、嘘だよね」
「……ッ!?」
ヴェルの目が急に冷めた目をして、スンッ、とした態度に変わったことを、僕の目が見逃さなかった。
先程まで、あんなに明朗だった女性が、突然、本性を露にして、此処まで圧力のある態度に急変するだなんて、僕は予想だにしなかった。
感じた。人間には、誰しも表と裏があるのだということを。
上っ面と本性。現実世界でも散々見掛けたことのある光景。頭の中に、過去の記憶がフラッシュバックしてくる。
うんざりだ。もう嫌だ。逃げたい。怖い。……そんな記憶が蘇ってきた。
「……あっ。……なんでもない。ごめんね。アタシ、ちょっと、頭冷やしてくる」
ヴェルは申し訳なさそうな顔をして、走り去ってしまった。
急変した、ヴェルの表情、様子。僕は選択を間違えたのだろうか。
僕はクロリアに従順である。と思っている。だが、時折、従順のままではいけないように思うこともあるのだ。
ケースバイケース、とかいうやつ。要は、従わずに、クロリアの命に反したことをした方が良いのではないか、なんて思ってしまうのだ。
「アキ。あれが去ったな。これで、不安視することはないだろう」
「それは、そう、なんだけどね。でも、心が痛むかな。もっと、べつのやり方があったんじゃないかな」
「何の話だ?」
「僕はね、クロリアは、何かを知って、さっきの話をヴェルに振ったんじゃないの、って思ってるからさ」
「深読みしすぎだ」
きっぱりと言われた。僕の深読みかどうかは、定かではないけれど。
僕は深読みをすることは多い。故に、クロリアの言ったことについて、べつに納得できてしまうところはある。
だが、意味深長な行動をしていたクロリアという存在が、何処か引っ掛かってしまう違和感というものを僕の心の中に生み出してしまい、納得できてしまうのに納得がいかない、といった矛盾した状態をつくり出してしまうのである。
仮に、本当に僕が深読みしていただけだとする。だけれども、僕の中のクロリアのイメージは、この僕の深読みの遥か先を行き、僕がわからないようなこともわかった上で、行動を選択している。その結果、クロリアには何か考えがあるのではないか、と僕は思ってしまうわけで。
ということは、僕はクロリアのことを過大評価している、ということになるのだろうか。
いや、それはあり得ない。
何か考えがあるのではないか。と、僕が思ったときには、クロリアには絶対に考えがあるのだ。僕には、それがわかる。
前述した仮の話など、結局、『僕が深読みしていただけ』という状況をぶち壊して、クロリアは僕の深読みを越えてくるので、この仮の話など、意味がない。クロリアとは、そういう存在だ。
「話の続き。話し合いに応じてくれなかった人物が四人程いたが……キミは誰が怪しいと感じた?」
「やけに、急かすね」
「答えてほしい質問だからだ」
「うーん、偏見は良くないけど、見た目的に一番怪しいのはバルトアさんかな。でも、挙動不審だったコングリーさんも怪しいし、蛇みたいに威圧感のあったアントレさんとそのツレのイシュさんも怪しく見えるし……全員、怪しい、のかな?」
「なるほど」
クロリアはニヤリと不敵な笑みを溢した。いったい、この質問をすることで、何をしようと考えているのだろうか。
悪戯、の可能性とか? クロリアにからかわれているだけとか。
いや、僕に答えを急かしていたのだから、それはないか。
怪しい人。それは、わからない。全員怪しくも見えるし、怪しくもないようにも見える。人狼は既に紛れ込んでいるのだろうが、パッと見、誰が人狼かなんて、わからない。区別のつけようがない。
僕には、全然わからないことだらけなのだが、クロリアには既に誰が人狼であり、誰が人間であるのか、見極めることができているのだろうか。
「ねえ、クロリア、きみは――」
僕は頭の中に浮かんできたことをクロリアに聞こえるか聞こえないかくらいの声で言いかけたのだが、やっぱり言わないことにした。