デブス王太子妃・無双 ―私が殿方に愛される理由―
「なんであんなデブスな女が王太子妃なの?」
その日も王宮の渡り廊下では貴族の令嬢たちが顔を突き合わせ、ヒソヒソと陰口を交わしていた。
「もっと美しい娘がたくさんいるのにジュリアが王太子妃なんて……外国の大使と会わせるのが恥ずかしいわ」
「でも王太子様はあのデブスにぞっこんよ」
「魔女なんじゃないの? 媚薬でも使ってるにちがいないわ」
と、悪口はいつまでも尽きない。特に怒りをあらわにしていたのは伯爵家の令嬢ベアトリスである。
「許せない! あんな貧乏子爵家のデブスが王太子妃だなんて!」
柔らかくウェーブした金髪、雪のように白い肌、形のいい眉毛の下にはエメラルドグリーンの瞳……多少、目つきの険しさが気になるとはいえ、文句なしの美人と言える。
(本来なら私が王太子妃の本命だったのに……)
ベアトリスの顔に悔しさがにじむ。
王太子のクレイグには、国内の公爵家、伯爵家は言うに及ばず、他国の由緒ある名家の令嬢たちから求婚があった。
なのに、クレイグが選んだのは一介の子爵家の娘だったから、世間が驚きに包まれたのは言うまでもない。
アルフォード子爵家は特に財産があるわけでも、領地に豊富な資源が眠っているわけでもなく、むしろ貧乏貴族だった。
当然、重臣たちは言うに及ばず、王や皇后も反対した。だが当のクレイグは――
「私は絶対にジュリアと結婚します! 他の女性と結婚しろと言うのなら、王籍を離脱し、一介の市民として彼女と添い遂げます!」
そうまで言われては王や皇后も結婚を認めざるを得なかった。それだけ聞けば、世紀のロマンスと言いたいところだが――
問題はその相手だった。子爵系の令嬢ジュリアはとんでもないデブスだったのである。
酒樽のようなくびれのない体型、大砲のような太い足、イノシシのように短い首。顔はパンパンに膨らみ、目は肉でつぶれて一本の線。不格好な団子鼻の下には腫れたような分厚い唇。いわゆる〝無作法な容姿〟というやつである。
これが絶世の美女であれば世間も納得しただろう。あの美しい令嬢なら、王太子が万難を排しても結婚したがるのもむべなるかなと。
だが、実際は真逆だったため、婚約が成立した後も王宮内には不穏な空気が溜まっていた。
特に納得できないのが、王太子妃の候補だった女性たちである。なんであんなデブスが選ばれて自分たちではなかったのか。
王太子は怪しげな媚薬でも飲まされたのではないか、子爵家に何か弱みでも握られているのではないか。あることないことを口にした。
「噂をすればなんとやら……ジュリアが来たわよ」
侍女を引き連れ、今や王太子妃となった子爵家の令嬢がやってくる。他の者にならい、ベアトリスも廊下の端に寄り、頭を下げた。目の前をジュリアが通るとき、ちらっと上目遣いで見た。
(くっ……やっぱりひどいデブス……顔は発酵させすぎた出来損ないパン。太りすぎてドレスはパンパン、まるで肉屋の店先に並んでる腸詰めじゃない……)
美女ぞろいの王宮で、そのデブスっぷりは際立つ。であるがゆえに、またぞろ釈然としない気持ちが湧くのだ。
(わからない……なんでこんな女にクレイグ様はぞっこんなの?……)
クレイグ自身は白皙の貴公子と呼ぶにふさわしい美男子だけに、釣り合いがとれないことはなはだしい。
ジュリアが通り過ぎた後、ベアトリスは仲間の令嬢たちを集めた。
「ねえ、みんな、私たちの力で王太子様の目を覚まさせてあげましょうよ」
「でもどうやって?……」
「今度、王太子妃のお披露目を兼ねた宮廷舞踏会が行われるでしょう? そこであの女に大恥をかかせるのよ」
ベアトリスが意地悪く笑った。細めた視線の先には離宮にわたっていくジュリアの後ろ姿があった。
◇
その夜――王宮では有力貴族や外国の大使たちを招き、壮麗な舞踏会が行われていた。王太子のクレイグが、自身の妃となったジュリアを各国の大使に紹介している。
ベアトリスたちはホールの隅に集まり、国内外の賓客に囲まれるジュリアの姿を遠巻きに眺めていた。
令嬢の一人がため息まじりにつぶやく。
「大使たちもあきれてるでしょうね。なんであんなデブスが王太子妃なんだって……陛下も皇后様も居心地が悪そうよ」
「ふふ、まあ見てなさい。もうすぐあの女の化けの皮が剥がれるわ」
「何をしたの?」
「衣装係に金貨を握らせて、ひとまわりサイズの小さいドレスにすり替えたの。あの体型でしょ? ちょっと力が入れば、生地が破れるか、ボタンがとれたりするわ」
「それは見物ね」
「みんな思うでしょうね。ドレスが小さいんじゃなくて、あの女がデブだからドレスが壊れたんだって……ふふふ」
令嬢たちは部屋の隅から、王太子に寄り添うジュリアに悪意のある視線を向けた。
ゲストへの挨拶も終わり、いよいよ舞踏会が始まった。カドリルという集団で踊るスクウェアダンスから始まり、燕尾服の男性とイブニングドレス姿の女性がホールを華麗に舞う。
やがてオーケストラの楽団が演奏を三拍子のワルツに変える。パートナー交換のタイミングだった。白い燕尾服を着た王太子のクレイグが妃であるジュリアの手をとり、ホールの中央へ進み出る。
金髪の貴公子に手を引かれ、ジュリアがたどたどしくダンスを踊る。
「ぷっ、へったくそなダンス」
「みっともないったらありゃしない」
「王子と白ブタね、あれじゃ」
恐らくは一回りサイズの小さなドレスのせいだろう。ジュリアの動きはぎこちなく、早くもハァハァと息が乱れている。
くるっと一回転したときだった。ビリッと音がして、ジュリアはその場にうずくまった。破れた背中の生地から生身の肌とコルセットがのぞいている。
周囲がざわめく中、王太子のクレイグが白い燕尾服の上着を脱ぎ、妃の肩に羽織らせた。
「殿下、申し訳ありません」
詫びるジュリアの肩にクレイグは手を回し、立ち上がらせる。
「君が謝る必要はない。さあ、別室でドレスを着替えよう」
周囲の人々に「みなの者、騒がせてすまない。舞踏会を続けてくれ」と声をかけ、妻をホールから連れ出す。
ベアトリスたちは、してやったりとばかりにその様子を薄笑いで眺めている。
「ふふふ、見た? あのみっともない姿! 宮廷舞踏会の最中にドレスが破けるなんて、赤っ恥もいいところよ。陛下や皇后様、外国の大使たちもあきれているでしょうね」
溜飲を下げた令嬢たちは自らも舞踏会に参加し、ダンスや歓談を楽しんだ。
ほどなく新しいドレスに着替えたジュリアが、王太子にエスコートされてホールに戻ってきた。
クレイグが指をパチンと鳴らすと、楽隊がテンポの速いワルツに曲を切り替え、二人は曲に合わせて踊り始めた。
先ほどとは別人のように、ジュリアはその体型には似つかわしくない軽快なステップを踏んだ。
右回りと左回りのステップでクルクルと回転し、まるでフロアに大輪の花が咲いたようだった。
曲が終わると、ジュリアがスカートを持ち上げ、王や皇后、大使たちに向かって一礼をした。参列者から盛大な拍手が起こる。
椅子に座っていた老齢の王が立ち上がり、王太子妃に近づいていく。
「見事な踊りだった。なんというか……先ほどとはまるで別人のようだ」
ジュリアは恥じらいながら告げた。
「陛下、それは私が今着ているドレスのせいかもしれません。これはシルクではなく、綿花を使った生地なのです」
「ほう、綿花とな……東洋由来の植物と聞くが」
「民たちはコトンと呼んでおります。とても丈夫で動きやすい生地です。踊りが軽快に見えたのはそのせいかと思います」
隣にいた王太子のクレイグが後を継いだ。
「実は……このコトン生地のドレスは、ジュリアの提案で職人に作らせたものなのです」
「妃が?」
「陛下、この国の産業は現在、絹や羊毛に支えられていますが、他国でも安価で質のいい生地が手に入るようになっています。コトンの衣服は、我が国の新たな産業に育つ可能性があります」
「なるほど……そういうことか」
ジュリアが各国の大使たちに笑みを向けた。
「皆様、コトンは肌触りもよく、とても上質な生地です。もし、我が国でコトンが生産されるようになりましたら、ぜひお買い求めください」
大使たちが、ははは、と大声で笑った。
「これは見事な売り込みですな。さすれば、先ほどドレスが破けたのも、王太子妃様の演出ではありますまいか」
「いえ、あれは単に私が太っているからでございます。ドレスに罪はございません」
その言葉に周囲がどっと沸いた。自らの体型もネタにする王太子妃のユーモアセンスに脱帽している。
ドレスの生地を一目見させてほしいと、王太子妃の周りには人だかりができた。特に女性たちは興味津々といった様子だ。
まさかの事態にベアトリスたちはあ然としていた。赤っ恥をかかせたと思ったのに、評価が逆に上昇しているではないか。
「なんと賢く、ユーモアのある妃だろう」
「クレイグ殿は良い妃をもらったな」
「我が国にもああいう機知に富んだ妃がほしい」
宮廷舞踏会は盛況のうちに終わり、出入り口にでは王太子夫妻がゲストの見送りをしていた。ベアトリスは平静を装いながらそちらへ向かった。
「王太子様、王太子妃様、今夜はとても楽しい舞踏会でございました」
悔しさを押し隠し、ベアトリスが礼を述べる。会釈をしてその場を離れかけるとジュリアが彼女を呼び止めた。ドレスのポケットから何かを取り出した。差し出されたそれは金貨だった。
「私の衣装係がベアトリス様からいただいたと……こういったものはいらぬ誤解を与えるので、お返しいたします」
ベアトリスが金貨を手にとる。
「……あなた、知ってて?」
自分が衣装係に金を握らせ、ドレスをすり替えたことを知っていたというのか。困惑するベアトリスに、ジュリアがおだやかに微笑んだ。
「はい、存じておりました。もう一つ言えば、ドレスが破れやすいよう裂け目も入れておきました」
「な、なぜ?……」
「もちろん、舞踏会の最中にコトンのドレスに着替えるためですわ」
ようやく気づいた。ジュリアは最初、あえてたどたどしくダンスを踊ったのだ。着替えた後に軽快にステップを踏めば、いかにもコトンのドレスの機能が良かったように見える。
実際、コトンの売り込みは大成功だった。他国の大使からコトン生地をぜひ輸入したいと申し出があり、王も王太子も大喜びだった。
肉でつぶれたジュリアの目がニタリと笑った。
「ベアトリス様、殿方に愛されるには美貌よりも機知でございます」
では、失礼いたします、と優雅に頭を下げ、次のゲストに声をかけていく。その場には呆然としたベアトリスが残された。
デブス王太子妃無双――こうしてジュリアの快進撃は今日も続くのであった。
(完)