第〇〇六六話 裸身の美女の背に聖剣の傷跡
ラーゴが検証ツールの開発を始めたとき、飼育小屋ではちょうどユスカリオが朝のあいさつにやってきた。昨夜も仕込みに遅くまでがんばったはずなのに、さてはクリムとの交代当番なのだろう。
(─ 考えたらクラサビが戻っていなくてラッキーだったかも。あいつが耳の中にいるとき、ユスカリオが自分について真実の出自を語り始めたらたいへんだからな)
今後も、ユスカリオがやってくる時間帯は、クラサビをおつかいに出すか、その間情報隠蔽結界で閉じ込めなければいけない。ラーゴはそう、心に決める。
(─ 魔族が居たら、感じ取ってしまう生来固有能力を持っている人間がいる、とでも言っておこうか)
一方当人は、夜間に食事を済ませる夜行性冷血獣が、食べた皿を回収したり、糞尿などを取り除いたりした後やってきた。ラーゴのほうは状態の確認だけ立ち寄ったようだが、眠りこんだふりを見ると、声もかけずに出て行く。
これから軍の兵士に朝食を振る舞った後、ここへも朝食のエサを持ち込むつもりだろう。
しばらくツールの開発に集中し、ある程度形になってきたとき、クリムが飼育小屋に入ってきた気配がした。
(─ しかし自分は糞尿の類を出したことはない。魔族だからか? 尿くらい出せるんじゃないかと思うけど ── 。万が一がんばってひねり出した、冷血獣らしからぬものがクリムに見つかると、またぞろ怪しまれてしまうかも。それは困るので、糞はなんとか偽装しておこう)
ガニメデの泉の周りには、時々野生と思われる鳥がやってきて、身体を癒やすため小さい糞が落ちている。
外と言っても聖泉の蒸気が充満するエリア内だ。ミリンやマーガレッタの部屋でしたように、脈空間の出し入れ自由を利用し、それを自分のトイレへ置いておく。
尿は、クリムが覗いているときに、わざとらしく足を上げて排尿の格好だけすると、なにか本当に出そうな気分になった。その瞬間アラームが急に鳴って、押しとどめるラーゴ。
(─ なんだ?)
すぐに千里眼の視野をベッドルームに開く。すると未成年の男の子 ── ラゴン ── が、大人のきれいな女性と濃厚なキスをした状態で、押し倒され覆いかぶさられていた。
ただちに異変に気付いたクラサビたちが入室し、数人でかかってやめさせようともみ合い始める。どうやら押し倒したのは8450、ヤスコだ。
彼女は標準の吸血鬼が備える耐久性をはるかに上回る、物理的な丈夫さ『強靭』の生来固有能力に見合っただけの力も持つ。パラメータを一に設定していたラゴンは、キスで興奮したヤスコに力負けしたらしい。
事件発生により、以降は二人一組が部屋に入って吸血配分を行なうことになった。
それにしてもクラサビからの情報によると、8450といえば発足以来、チームを引っ張ってきたリーダー格のはずではなかったか。にもかかわらずご乱心に至ったヤスコは、ずいぶんみんなに怒られている。
どうも魔族というともっと冷徹で無感情かと思ったけれど、けっこう感情の起伏が大きいメンバーもいるようで面白い。ミツを登用したときもそう感じた。
だからといって仲たがいするでもなく、けっして仲が悪いわけではない。しかもこうして自浄作用もあることだし、こんな失敗には目をつぶっておくとする。
さらにこれで、ラゴンがアラームを適確に送ってくるのがわかった。ただ透視するまで、何が起こったのか解らないでは心臓に悪い。さらにラゴンが判断した内容だけでも、アラームとともに送出するよう修正を加えておく。
(─ ヤスコのおかげで本物の一大事じゃなく、テストできてよかったと思うべきだよね?)
再びラーゴは、趣味の呪文暗号作成に戻るのだった。
クラサビには、半数の魔力充てんが終了した時点で、十人ほどにスーツケースをエリートのもとへ届けるよう指示してある。どうやら、次の一組が終わった時点で動くようだ。すでにエリートの指示で、面接前の薄暗がりの中、けっこうな数が引っ越しできたらしい。
だがこの際、草原エリアへ連れて行けそうな残存カマールは拾って行ってもらい、残りは今夜にでも移動してもらえばいいだろうか。後の親衛隊メンバーは、充てんが終わり次第、ロノウエの探索に動いてくれることになっている。
(充てん? じゃないか。吸血だよね)
ラーゴが再び意識を飼育小屋に戻すと、自分のところにもクリムが餌を持って入って来ていた。
「ラーゴ、ユスカリオは軍のみなさんにモテモテで、食事どきはこちらに来れないようよ。材料も少ないのに、朝食の追加を作らされているわ。たいへんよね」
(─ なるほど、それでクリムが冷血獣たちの食べものを運んできたわけだ)
獣によってエサとなるものが違うらしく、いろいろと気使いながら餌を配り終えた後、クリムが再び戻ってきた。ラーゴも、早く食べてやったほうが片付いていいだろうと気を回し、さっさと食事を済ませる。
「そうそう、ラーゴは今日、殿下と一緒にお出かけみたいよ。殿下が、ラーゴをレオルド卿の邸にいる、卵を産んだ両足蛇に遇わせに行くって。朝から急なお出かけ準備に、王城中てんやわんやみたい」
そりゃあ、次期女王である殿下の外出が急に決まれば、さぞかしたいへんなのだろう。城内の様子を千里眼で見ると、ミリンの部屋では ──
(─ ‥‥)
着替え中だった。
マーガレッタたち、近衛の部隊もバタバタと落ち着きがない。聞きかじったところでは、護衛の議論が沸騰の様子で、これなら出発もすぐの話でないと思われた。
そう漏らしたクリムが出て行くと同時に、またラゴンからのアラームが鳴る。内容は『要検討事項』だ。ラゴンが、重要な自己判断をしようというときのアラームである。
今度は千里眼をラゴンの視界で開くと、目の前にミツがいた。
「 ── ミツ?」
「主様、今ずいぶん血をいただいたので力が戻り、お見苦しい姿ではなくなりました」
なるほど彼女の言う通りだ。顔の窶れや痩せ細った肉体はふっくらとし、こんなに胸があったか? と思うほど、服の下で隆起しているものを感じる。さすがに人間以下まで魔力貯蔵量が枯渇すると、いかに変身しても原形をとどめるのが難しくなる、ということなのだろうか。
「きれいに ── なったね。で、どうしたのかな?」
どうも百里眼の能力が回復したミツには、自分が今までこちらを関知していなかったなどお見通しと感じ、素直に聞いてしまう。
「はい、実は‥‥」 ミツは後ろを向くと、簡易な農作業着の上着部分を脱いで上半身裸になった。
下着の類はつけていないようで、きれいな背中が現れると、ひどい。肩甲骨の下あたりから腰へ、そしておそらく見えてない臀部にまで、焼き小手ででも切りつけたような、深い裂傷の跡があった。ミツは脱いだ服で前を押さえて、こちらを向くと続ける。「魔力が戻ったのですが、この傷は癒えてくれません」
「これはどうしたの?」
「実は‥‥」
王都総攻撃のとき、後方支援にあたったミツは、聖水に浸した武器も備えた敵が迫ってきたのを百里眼で察知、知らせに飛び出した。だがわずかのことで間に合わず、仲間のやられかけたところをかばって、背中から斬られたのだそうだ。切りつけると同時に脆くなった部分が破壊する、特殊な聖剣の攻撃で、結界の防御もきかなかったと云う。さすがに聖泉の直接攻撃はウイプリーには応えたらしく、少々の魔力の回復程度では言えないと見えた。
(─ ラゴンの残りの血はどうだろうか?)
調べてみると、まだまだ余裕がある。みんな、遠慮して吸血したのだろうか。仲間思いのいいチームだと喜びつつ、ラーゴはミツに、もう一度同じくらい吸うよう指示をした。
(─ もしガス欠になっても、結界を張ってクラサビに持ち帰ってもらえばいいだろうしな)
黒目黒髪は王国ではみすぼらしい風貌と低評価ながら、ラーゴにとってはこのほうが親しみやすく魅力的に感じる。どうも髪が黒くないとか、瞳の色が薄いカラーという風貌に、実は違和感があった。これは、相続者の残滓からくるものかも知れない。
(─ チャパツとかキンパツに染めてる、すなわちトンガってるって記憶があるから苦手なんだろうな)
その黒目黒髪の超絶美人 ── になったミツが、上半身裸のまま両手で胸を押さえ、自分からラゴンに顔を寄せてくるのはドキドキだ。思わずミツの、細い肩をつかんでいる。これは吸血の針が刺さった後、ぶれないために必要な行動なのだと言い聞かせながら。
つかんだ肩は服を脱いだままだから柔らかいはずで、ぷっくりとした唇が合わさり、濡れた舌が絡む。そんな淫靡な時間ながら、残念なことにラーゴはその感覚を共有できない。だが目の前の超絶美形 ── ミツは、当然のように十分感じるようで、顔が離れた後も少し赤い顔になってもじもじしていた。
やはり吸血鬼は首筋に牙や針を立てるものなのだろうが、穴を開けたら修復できるかどうかわからないオートマトンである。今のところ、この供給方法は我慢してもらおう。
「 ── 駄目のようです」
残念そうに報告するミツ。たしかに、背中を見ても変わりはない。というより先ほどと違って、傷口に顔を近づけると、そこから小さく煙のようなものが立ち上がっている。これは、吸血して変換された魔力が、体内に充満した結果、傷口から漏れた残滓だろうと思えた。そのとき、まだラゴンの口の中に吸い切れないで残っていた血が、偶然背中の傷に落ちる。そしてビクンと身体が反応したかと思うと、傷口からの魔力蒸発が止まり、見るみるうちに傷が元の皮膚に戻って行くようだ。直接血が当たると刺激が強いのか、ミツはうめき声を抑えきれない。




