第〇〇三六話 ウロコを欲しがる妖精とうなる小銭入れ
三人が驚いたのを収拾するには、かなりの時間がかかった。ラーゴが聞きたかったのは、『心』に新たな生体呪文を刻むのにどうすればよいか、ということだ。そしてそのためにこの前提は理解してもらわなければならない。
人 ── というか、動物一般 ── は脳がすべてを司り、ラーゴの認識としては自律神経が制御すると思っていた。そんな部分もこちらの世界の理では、『心』に刻まれた生体呪文が魔法的に処理すると考えられる。
たしかにラーゴの千里眼で見るところでも、その説は正しい。ただそうした知識は、どうやら世界に一握りしかいない、高度な医療の高みを極めた者の常識。 ── しかし一部の者だけで秘匿される奥義 ── となっているという。聖霊たちは人を癒やすために必要な基礎知識として、相続者や身近な師、ペスペクティーバから教わったもの。それが分かったのもペスペクティーバが家系的に医学に通じていたおかげであり、その指導で朧気ながら知り得た程度だ。
しかもこれは、長い年月をかけて研究された結果、導き出された仮説のようなモノにすぎないらしい。実際それを見た者には、会った試しがないというのが、三人とも共通する意見であった。
ただし生体呪文による神秘は、人間でも手軽に使える場合がある魔法の呪文暗号とは、別次元のものと信じてきたという。
聖霊たちは、生命を支える奥義に関わる話など、ペスペクティーバから教わったのみだそうだ。オンゴーストにいたっては、『ジリツシンケイ説などというほらを吹く、ゲカイと称する相続者に、真実を説いてやったこともある』 ── と得意満面で語り始めるくらいだ。聖霊自身が生体でないから疎かったのかも知れないが、その外科医がどんな顔でそんな話を聞いていたのか見てみたい。
ともあれ、『心』に刻まれた生体呪文が、魔法道具に書かれる一般的な呪文暗号と同じと云うと、坑道の聖霊あげた大論争となる。
(─ だけど、もともと魔法の呪文暗号が、そこから発祥したとしたら、不思議でもなんでもないんじゃないだろうか?)
だが、そんな仮定を持ち出すと余計に揉めそうなので、彼らの議論をしばらく静観するラーゴ。
一時間以上にわたって論争は続き、ようやく一つの結論が導き出された。それは自力で呪文暗号の詠唱を行なうか、詠唱に代わる魔法行使、また別のプロセスで『心』に生体呪文が刻まれ、書き換わる。
つまり身体や心の不調などは、その方法がわかれば自力で修正できてしまうかも知れない、という仮説であった。
もちろんこれは、ヒトの生命の神秘を司る生体呪文が、呪文暗号を用いて綴られると主張する、ラーゴを信用すればこその話だ。
(─ 自力で詠唱。そこは外部から書き込める、オートマトンとは大きく違うのか。いや、ここまで似てるんだ。同じようにやってみたら、案外可能性はあるんじゃないか?)
そもそも仮定の上に仮説を立てているのだから、できるステージが整ったとき、試してみなければわからない。ただ失敗して人格崩壊とかになったら大変なので、そう簡単に実験するわけにはいかないだろう。
ラーゴは、宿題をもらった聖霊に挨拶すると、いろいろ新しい発見が多かった坑道に別れを告げ、地上の聖泉に戻ろうとした。だがそこへ、人の手のひらに載れる程度の、小さくかわいい聖霊が飛んでくる。水着の女性が羽をはやしたような、ボディコン妖精といった感じの聖霊さんだ。
「ラーゴどの、龍脈の操作に長ける聖霊、といってもノームの仲間ではないが、パルスゴーストという者じゃ。ここには外の神殿の泉へ、投げ込まれた賽銭を貯めたものがある。本日の働きによるせめてものお礼と、これから情報を集めるための資金の意味で、これを貴殿の自由にできるよう、脈庫を用意させた。我らは、人間とのかかわりもほとんどなく、そもそも金銭を必要とせんのでな。邪魔なので、減らしてくれるとありがたい。賽銭を貯めている箱に、脈枝をつないだ簡単なものじゃが、貴殿であれば役立ててもらえるじゃろう」
「よろしくラーゴさま、パルスゴーストです。なにかラーゴさまの ── あ、そちらのきれいなウロコ、二ついただいてもいいですか?」
他の聖霊と比べ、敷居の低いこの妖精さんは、単に敷居の高さに留まらず、きわめてなれなれしく遠慮もない。いつものことなのか、紹介してくれたチーフゴーストが、あきらめたように辟易していた。
「は、はい」 自分の場合、常時結界が張られた体であり、ウロコを取るのであれば結界は解かなければならない。ラーゴは隠してきた爪を伸ばし、一時結界を解除すると、手近なウロコを二枚はがして手渡す。「どうぞ」
「まあ、きれいなウロコ。じゃあ、あたしが見えなくなったら一呼吸置いてから、こちらのウロコを探してください。もう一つは、あたしのコレクションにしますね。きっとラーゴさまの千里眼なら、すぐ見えると思います。そしたら『はい』とでも口に出していただけますか?」
そう言うと、パルスゴーストはかき消すようにいなくなる。多分先ほどラーゴもやった、脈を利用しての転移というやつなのだろう。
言われた通り、ラーゴは一呼吸おいて自分のウロコの一つを探す。といっても、見たい! と強く思うだけだ。
(─ 見つけた)
箱というより倉庫の入り口のような扉が見え、その前にラーゴのウロコを張り付けたパルスゴーストがいた。『はい』と声をかけると聞こえたようで、すぐに視界からパルスゴーストがよける。渡したウロコを伝って、声がしたらしい。
「ここが、賽銭の貯金箱です。この中に ──」 扉を開く。そこにはたしかに金貨、銀貨、銅貨などさまざまなお金が、まさにうなっていた。「お金が結構たくさんありますので、自由に使ってください。あ、今これを見ているまま、手を伸ばして取ろうとしてもらえますか? それでオーケーです」
言われた通り前足を前に出して、何枚かのお金を掴もうと動かすと、触感がある。さながら四次元ポケットから、何かを取り出す感じがした。そのとき出した前足は、消えているのだろうか? と思うが、そうでもないようである。
こちら側のビジュアルとしては、掴んだ手の中に急に小銭が現れた感じで、さながら手品を見せられたようだ。つまりここや霊廟前へ転移したのと同様に、『龍脈でつながった場所』とは、ラーゴ自身も直結している。 ── ということなのだろうか。
それはさておきラーゴは、この白紙の小切手のような報酬について心苦しく感じ、それを口にする。
「いくらなんでも、まだ何の役にも立っていないのですから、こんな報酬を受け取るわけにはいきません」
それに、チーフゴーストが応えた。
「いや、人と交流を持たない我らにはほとんど使い道のないモノであり、我らのオフィサーには使う権利がある。もしも、アレサンドロの復活につながる可能性が一縷でもあるなら、この何倍を用意してもその恩義には報いることはかなわない」
たしかにお金などというのは、ヒトの世でこそ役に立つものであり、ここに積み上げられていても邪魔な金属だろう。使うあてのないのは、ラーゴも似たような立場であるのだから、ここでこれ以上固持すると失礼にあたるのかも知れない。
「了解しました。ボクも飼育 ── 殿下の温情により、いわば保護されている身分ですので、利用する機会があるかわかりませんが、お預かりします。その代わり使わせてもらったお返しは、何かでしますから」
「それはありがたい。次期王盟が貴殿の正体を、秘匿されているのも理解した。とは言っても、これはもはやオフィサーである貴殿のもの。返礼など考えず、好きなだけ使ってほしい」
飼育されているというと、ペット丸出しと思って繕った表現だった。しかし『飼う』を言い替えた、『保護』を『正体の秘匿』と、微妙に意味を取り違えてくれたようだ。
「それと一つ、いいですか ── ?」
ラーゴは興味本位で、余っているという『ペイストボウド』を、賽銭貯金箱に入れておいてもらう約束を取り付けた。それを口に出すと、聖霊たちはたいそうウケたようで、オンゴーストが腹を抱えながら、一人の聖霊をつれて来る。
その聖霊はコピペゴーストといい、どうも覇気のなさそうな聖霊だ。それでも、実際に第八階位の魔術道具を持ってきて、具体的な全コピーや、範囲を指定した部分コピーの方法も教わった。
違う呪文なら、ペイストボウドに追加されて行くのだが、同じ呪文は上書きされると、元々あったものを書き換えてしまうそうだ。あるいはコピー実行中は絶対魔力供給を切らさないように、と注意も受けた。途中で魔力が途絶えると、場合によってはシステム全体の記憶に障害を起こしかねないという。この勝手も、ラーゴは自分の不思議記憶に、合致するものを持つようだ。
こうして『雀のお宿に潜り込んだトカゲは、金銀財宝がうなる大きな葛籠を、めでたくゲットしてきました』。 ── でいいのだろうかと思いながら、ラーゴは聖泉に戻って行く。それにしても、この坑道訪問で、自分の目に宿る生来固有能力の力と異世界の記憶らしきものを持っている、と判明した成果は大きい。
ラーゴは賽銭を預けられた葛籠よりも、突然明らかになった自らの秘密に、いまさら興奮が沸き上がってくるのだった。




