序章::ミリアンルーンの王国
お待たせしました。序章ながらここからが小説です。
序章・ミリアンルーンの王国
── それは、神より啓示を受けた初代女王が、国の祖となす聖泉をお探しになるため、王女殿下マリンバ二世を伴って、北ハルンの荒れ地に立たれたときのこと。
後に王城が建てられる、中庭あたりを覆う森林で、お二人それぞれが護衛とともに散策しておられました。
そこへ王女マリンバ二世を狙った上級魔族と、その使い魔五匹が、王女の穢れない魂魄を奪わんと現れたのです。
天変地異も操る魔族は山を崩し、矢のように放たれる毒牙によって、護衛の者は次々と倒されました。ついに近衛副隊長と、次なる使い手と言われた女剣士の二人だけになってしまいます。
使い魔五匹は残った護衛の二人を取り囲み、あわや王女マリンバ二世が、上級魔族の毒牙にかかるかと思われたときでした。
あにはからんや、聖なる鎧に身を固め、聖剣さえも携えた勇者が、光とともに天から降りて来られたのです。
王女の前に立ちはだかると、巨大な魔族の胸に稲妻の剣をたたきこみ、大穴を開けて滅ぼす勇者。間髪を入れず、無敵の勇者は剃刀の剣で、五匹の魔族を次々に切り倒して行きました。
最後に残った使い魔の一匹から、無数の毒牙が放たれましたが、神の加護を与えられた聖なる鎧に、一片の傷もつけることはできません。
雨のように浴びせられた毒牙もなんなく弾き返し、ついに悪い魔族は、すべて討ち取られたのでした ──
「ミリン、おいミリンったら」
王国に建国時より語り伝えられる、小さいころから何百回も聞かされてきた、『王国建国伝説の勇者』の物語に登場するヒロイン。王女マリンバ二世になったような短い夢から引き戻す、兄アレサンドロの声が聞こえている。
(そうだ、わたし ── 昨夜はアレサンドロの看病をしながら、眠ってしまったんだわ)
草原エリアに棲むモンスターを狩ろうと出かけたアレサンドロは、大けがを負って意識不明となった。そんな兄の看病をつとめ、この三日二晩一睡もしていないミリン。
ついに昨夜、アレサンドロの休むベッド横の椅子に座ったまま、うっかり眠り込んでしまったようだ。
自分に毛布をかけてくれたのは、メイド長か、自分付きのメイド筆頭グラリスだろう。
「アレサンドロ!」
昨日まで、瞼さえ開かなかった兄剣士は、ふだんどおりの元気な笑顔とともに起き上がっている。
(よかった!)
三日間、意識が戻らず、死線を彷徨った兄だったが、今朝は見違えるように生き生きとした顔色で目を覚ましていた。
「もう大丈夫だ。心配かけたね、ミリン」
いつもそうだ。今まで何度かひどい大けがに倒れたアレサンドロは、急に元気をとりもどし、ミリンも周囲も驚かされてきた。そんな中でも、国家の頂に座す母親だけは、いつもにこにこと無茶な息子の復帰を迎えている。
── ・ ── ・ ──
── そこでミリンは、今度こそ本当に目を覚ました。
「夢? 夢を見る夢だったのね ──」
今想起した白日夢は、一年前のミリンの記憶である。
愛称『ミリン』の本名は、ミリアンルーン・カピテーレ・パッセレーレ。今年中にも成人の儀を向かえ、大人として認められる日も近い、この王国の王女殿下、しかも筆頭王位継承者だ。
ミリンの愛する兄アレサンドロは、魔王討伐隊に志願した。
そして一週間前、部隊は魔王城急襲を決行し、作戦は成功。だがアレサンドロは敵地で単身、最強悪魔サタンに挑んで力及ばず、意識不明の重体という悲報がもたらされたのだ。
ほとんど外傷が見当たらないにもかかわらず、聖人ですらお手上げの状態は、これまでのどんな大けがとも比ぶべくもない。母王リリアンルーン陛下からも、さすがに今回は復活させるのは難しいだろう、と諭される。
以来、魔王島から凱旋してくる数日のあいだ、ミリンはずっと泣いて暮らしてきた。
ようやく王城に討伐隊が到着したのが今朝のこと。アレサンドロの、魂が抜けたような身体に会った後、戻った自室で泣き疲れ、しばし途切れた意識の中に浮かび上がった幻視にすぎない。
アレサンドロはミリンの兄だ。しかし、母王の嫡子ではなく、王配である父の連れ子という関係になる。
とはいえ、母がアレサンドロとミリンを分け隔てなく愛してくれているのは、二人が肌で感じてきた。血統の問題というのはたしかにあるものの、それとは別に王国において、建国以来戴冠できるのは女子のみ、と定められている。
男子には、ガニメデの女神が司る聖脈から祝福された恩寵が与えられず、間違っても王位継承の順位に入りはしない。よしんばアレサンドロが、実際母王の産み落とした嫡子であっても。
そんな事情はあるものの、聖泉から次期王位継承者の祝福に与ったミリンを、アレサンドロは妹としてこよなく愛した。そして殿下の衛護にあたり、その盾にならんと、自らを剣士として鍛え上げる。それはひたすら、王国に戻ってきた平安を、一途に維持するためだ。
幼い日、ミリンは呼吸器の持病を持っていた。子供のころに患う一過性のものながら、夜に咳と呼吸困難で苦しむ発作が繰り返すのだ。
それも成長につれ、徐々に起こらなくなっていく。とはいえ幼少から、身体を冷やすと発作も発生しやすいと心配されたミリンのこと。暖かい季節も長袖の、冬に至っては一般でまず手に入らない、野生の獣の毛が織りこまれた寝衣を着て休むのが当たり前だった。
そんなミリンは健康な身体を手に入れてから、就寝時に寝衣の類を身に着けなくなって久しい。絹で作られた毛布だけで眠る習慣も、婚姻している夫婦などでは普通と知ったからである。
だから仲のいい兄との同衾が禁じられて以来、シーツを汚すあの週間しか下着すら着けないことにしたのだ。それは、そろそろこの国における女の成人を向かえる、ミリンなりのささやかな成長の主張といえた。
とはいえ、聖泉を引き込んだ温熱で、真冬でも暖かい寝所では、朝たいへんな光景になることが少なくない。それを引き起こす、ミリンの寝相の悪さは、毎朝起床を告げに訪れるミリン付きの筆頭メイド、グラリスだけが知っている秘密であった。
(でも、そのグラリスも婚姻の段取りが整ったら、実家へ戻って嫁入り準備に入り、もう起こしに来てくれはしないのね)
物心ついて以来、ミリンの記憶にある限りで、もっとも長く自分に仕えてきたグラリス。すでに、いつでも里帰りできるよう手続きも終えており、実家からの迎えを待つのみの、言わばフリーの身にしてある。こんなときに寂しいが、一両日中には城を去るだろう。
グラリスがいなくなっても養育係に教育係、メイド、執事と、王女殿下の世話を焼く人間にはこと欠かない。こうして多忙な女王、真王リリアンルーンは、ミリンを国の宝として立派に育ててきた。
とは言っても、忙しい母には週に数回、遠方に領地を持つ貴族の父に至っては、年間通じて数えるほどしか会うこともかなわない。ただし父が所用で、王都の自邸にとどまる期間は、足しげく城に通って、親子の絆を深めてくれた。
ミリンに物心が付いたころ、発作が起きた翌日、国に帰る日となっていた父親から、はじめて冷血獣がプレゼントされる。
それは小さなミリンの、手のひらに載るほどのカメレオンだったが、始めて見る小動物に、ミリンの心は強い愛情を感じた。その日以来、ミリンは冷血獣が大好きになってしまったのだ。
そもそもこの国の人間は、概して冷血獣が好きであり、裕福な家でペットにするといえば、すべて冷血獣と決まっている。なぜならそれ以外の獣は、家畜化されたわずかのものを除いて、モンスターと言われる巨大で狂暴な怪物であるから。
一方冷血獣は、比較的人間よりも小さい個体が多い。とくに大陸北部であるこの王国では、掌サイズの大きさの冷血獣しか育たず、寿命も十年たらずの短い個体ばかりだ。
南国には人と同じか、それ以上の種類も生息する。十年以上生き続ける種もざらにいるとは聞くが、年間の寒暖差の激しい北国では飼育できない。だから王国で冷血獣というと小動物の代名詞となっていた。
(小さいというだけで、ひとはかわいいと感じてしまうものね)
ミリンが二歳になり、しばらくたったころだろうか。父の領土から連れてこられ、紹介されたのが新しい冷血獣と、腹違いの兄、アレサンドロである。
そのとき、この国では珍しい両足蛇を、持ってきた義兄は当時五歳だった。すぐにミリンは、やはり冷血獣好きな、たったひとりの義兄になつく。
また嫡子でないアレサンドロを、女王自身の口から己が息子と公言して憚らない。以後、アレサンドロは王城での居住を許され、いつでもどこでも一緒の兄妹生活となったのだ。
ミリンが十歳を迎えたとき、あまりに兄べったりの様子を見かねた母親に、『アレサンドロはお前の兄であって兄ではない』と諭される。それをミリンは、王位継承権がなく女王の嫡子でないため、歴然たる身分差があるという意味だと納得した。
そう。いつでもそしてだれからも、アレサンドロは『殿下の兄』扱いしかされないことは、ミリンもアレサンドロも解っていたのである。
そんな境遇でも、アレサンドロはミリンを心から愛してくれた。
身体が弱かったミリンのためを思って、心底妹を外敵から守る、盾となろうと一身に打ち込み、厳しく自分を鍛え続けたのだ。ついにはミリンのいる王都に、迫りくる敵魔族の根源を討ち果たさんと、敵わぬまでも魔王の城へ乗り込んだのである。
彼にとっては、ミリンを明確に狙ってくる敵に対する『初陣』であった。その結果、今は霊廟前の部屋に、聖人ですら手の付けようのない仮死状態で横たわっている。
そんなアレサンドロも好きだった冷血獣の珍種が、魔王島で助け出された奴隷が持ち出した、食材の卵から孵って出てきたそうだ。兄とともに、討伐隊を率いて発った王家の近衛隊長、不死身の聖戦士マーガレッタが見出した。人の身の理を超え、悠久のときの流れに生きてきた彼女をしても、かつて見たことがない姿の珍獣らしい。
アレサンドロの容態に、落ち込むだろうミリンを察した、周囲の気遣いが痛いほど伝わってくる。
「みんなが心配してくれているのよ。泣いていても、アレサンドロは喜んだりはしないわ。アレサンドロが大好きな、元気なわたしの姿を見せるため、その珍獣と会わなければ」
ミリンの王国は、母である真王即位にあたり改名された。『国祖の示した真実』の意を与えられた国名は、グラン・シァ・トゥル。
だがここは古来より、北ハルン王国と呼びならわされてきた。三十年前ごろまでハルン地域の北に広がる、恵まれた楽園として栄えていたこの国を知らない者はない。
そして今また、数多くの困難に立ち向かいながら、過去の栄光を取り戻しつつあるのだ。
お待たせしました。ようやく次回から本編が始まります。