第〇〇一四話 真王陛下と鑑定の奇跡
珍しい冷血獣ラーゴは、王城の長い廊下を王女殿下の腕に巻き付いたまま、マーガレッタ隊長の物欲しそうな視線を受けて進んで行く。
数歩遅れ、リムル女史がやや難しい顔をして付きしたがっていた。
ラーゴの身体の全長は、少女の肘から先ほどの長さにも満たない。直径は太いところでも、華奢な彼女たちの手首と比べて半分ほどの太さである。動いた感じでは申し訳程度についた足も含め、たいして重さは感じないはずだ。とはいえ身体を鍛えた経験も、力仕事の機会もないであろう女の子に、ずっとぶら下がっているのはどうかと思う。ところが新しいおもちゃに夢中の少女は、これを離そうとしなかった。
目を閉じたまま、しばらく進んで行くと城中の明るく広い廊下に出る。そこで女性からかけられた声に、ラーゴはゆっくりと目を開けた。
「ミリン、また新しい獣を手に入れたのですね。あなたは父君に似て、冷血獣への寵愛が並外れているようです」
「まあ、お母様」
やや小柄で少しふくよかな、そして殿下よりも煌びやかな衣装を身にまとった以外、髪の色も目の色も同じ中年女性。その女性は廊下のずいぶん向こうから、従者を何人も従えてやってきた。
母と呼んだのも納得できる。声もトーンの違いさえあれ、ミリアンルーン殿下 ── 愛称はミリンというらしい ── が、落ち着いてしゃべった声と酷似していた。
しかも内面より発せられる、殿下に初めて遇ったときにも感じた、慈愛のエネルギーにも思えるオーラは、より温かく大きい。とくに大きな好意を示されているようでもないのに、強い近親感を彷彿とさせる感覚は、殿下以上のものがあった。
「真王陛下、ご機嫌麗しゅう存じます」
マーガレッタ隊長は、殿下の挨拶にあわせて立ち止まり、臣下の礼をとる。真王とはどうやら彼女の母親、つまりは女王陛下だったのかと、ラーゴは認識を改めた。しかも自分をペットとしてくれた、ミリアンルーン殿下は嫡子の王女殿下で、現在母親が王だという。どんなシステムになっているかはわからないものの、それは彼女の王位継承が、絵空事でない証しである。
(─ ミリアンルーン殿下 ── ミリンに何人の兄弟、あるいは長姉がいるかにもよるけどね)
だが、王の威厳と言うものはバカにできない。彼女から強い慈愛のかたまりが、オーラのごとく発散されているのは、王という立場に起因する威光とやらなのだろうか。
「ミリアンルーン殿下。新しい冷血獣は、ガニメデの聖霊の祝福を得られましたでしょうか?」
真王陛下と呼ばれた女王の後ろに続いてきた、白い聖衣をまとう、白髭の背の高い初老の男が、陛下とともに近寄りながら訪ねてくる。
それに答えたのは、マーガレッタ隊長だ。
「大司祭オンドーリアさま、ただいま私も立ち合いの下、ガニメデの泉において垢離をとらせました。昨日の聖水の試飲とあわせ、まずは魔の気についての憂慮は不要と判断し、殿下の帯同で参殿いたしております」
「それは重畳、ではわたしどもの鑑定を受けさせたいと、おっしゃるわけでございますね」
「はいオンドーリアさま、よろしくお願いいたします」
「陛下、至高評議の前ではございますが、すぐに終わりますのでよろしいですか?」
「異存はありませぬ。大司祭のご寛容のままに ──」
女王陛下からお許しが出て、ラーゴはマーガレッタ隊長に預けられ、鑑定をするというオンドーリア大司祭の前に差し出された。陛下も、初めて身近に見る冷血獣の幼獣に、穴が開くのではないかと思うほど、興味津々といった目で見つめている。いや、陛下の取り巻きほとんどが、そういった顔つきだ。
「オーセンティケイト 魔性鑑定」
奇跡 ── 神の教えによる魔法のようなもの ── の呪文が書かれた巻物を片手で持ち、ラーゴの上でもう一方の手をかざす大司祭。彼の口から、呪文の言葉が発せられた。すぐに両掌からピンク色の靄が発生し、ラーゴを包んだかと思うと、大司祭の手に吸い込まれるように立ち消える。
「まあ……」
「魔性鑑定は、魔族の体内にある魔の力や、悪の思考と相反するエネルギーを発現。その力が取り込まれたり、利用されたりすることがないかを、試すと言われる奇跡です」
魔法については、多くを語らなかったマーガレッタの説明が入っても、ラーゴはいったい何が起きたのかしばらくはわからなかった。しかしラーゴが信頼する首輪の恩恵により、完全に隠蔽または封印されている魔の力には、まったく干渉しなかったようだ。かくして及第点を与えられる。
「 ── これだけでは生来固有能力、つまり先天的に備わった特殊能力などは判りませんが、たしかに、魔の力などはなさそうですな」
後付けの首輪でごまかせてしまい、その奇跡が大したものでないか、この首輪がすごいのかラーゴには判断できない。しかしとりあえず三回すべての試験に合格し、これでラーゴの無罪放免は確定した。
(─ 意外とごまかし通せてしまったようだ)
この上は、自分が魔族であることを忘れ、誠心誠意殿下 ── ミリンのかわいいペットとして人生を全うする、とラーゴは心に誓う。
「ミリン、お気に入りのアクセサリーが増えてよかったですね」
「はい真王陛下、ラーゴと名付けましたら、似たような声で鳴いてかわいいのです。まもなくレオルド卿のところで産み落とされた、両足蛇の卵も孵るでしょうし、年齢の近い子ばかり仲良しに育てたいと思いますの」
レオルド卿と聞いて、女王の眉がぴくりと動いた。あまり好きではない人なのだろうか?
「そうですね。午前中の慰霊祭も無事終了いたしましたし、これで魔王城討伐についての公ごとも、まずは一段落。そういう運びになりますので、今後のことを踏まえ、これから至高評議が開かれます。その子の鳴き声はまた後で、聞かせてもらうとしましょう」
(─ 慰霊祭、つまり魔族との戦いの犠牲者が出たために、お昼までそういう会があったから ── 二人は黒衣だったんだ)
「殿下、お健やかに」
大司祭はじめ、その場から離れて行く人が次々に声をかけて去る。ミリアンルーン殿下 ── 愛称ミリンに対する、心からの忠誠と敬愛を感じさせた。
「大司祭は、わたしが『生来固有能力』も知らないと、思っていらっしゃるのでしょうか」
余分な説明だったと言わんばかりに、独り言を漏らすミリン。しかし、その結果には満足気だ。
「殿下、これでラーゴは王城内往来自由となりましたね」
「殿下とご一緒であればです。 ── もちろん隊長ともですが」
マーガレッタの賛辞に対し、やや悔しそうに、リムル女史が付け加える。
「では、ラーゴに王城を、嚮導してあげましょう」
ミリンは、まず自分の自室や寝所、マーガレッタの居室もある城内の聖堂、位の高い者が優先的に利用できる大浴場を案内して行く。
ちょうど至高評議が開かれていたので、そういった場所には近づけない。あちこち見て回るうち、リムル女史は評議会場の裏方に面倒ごとが起こったと連絡が入る。すぐさま、女史はマーガレッタ隊長にミリンを頼んで、ラーゴと二人の元から去って行った。
こうなると歯止めのきかないのは、王女の暴走ぶりだ。ただあちこちに配置されている城内警護の衛士や、メイドにとっては慣れたものっぽい。それでも王家の秘宝と言われる武具展示室にまで、トカゲを連れ込もうとする暴挙には抵抗が大きかった。
そこは武具とは名ばかりの、古ぼけたフルプレートとか、鐵より柔らかく役に立たない、青銅の剣などが並んだ博物館だ。
ラーゴはどちらでもよかったが、ミリンと隊長を宝物庫に入室させるのも、支配人からの管理状況説明という体をとるそうだ。それでなんとか見せてもらえることになったらしい。
そのため、交渉よりも、管理状況の説明を長々と聞くのに時間がかかってしまう。
ミリンがラーゴに見せている場所のほとんどが、王城の中において、だれでも出入りできる場所ではない。衛士に守られ、そこへ近寄るだけでもそれなりの身分や、引率者が必要なところばかりだ。
いずれの場所にも、すべて聖泉から聖水が引き込んである。そのため王城内のこういった主要エリアにも、魔のものは絶対侵入できないようになっていた。
そんな内容を説明するミリンの言葉に呼応し、マーガレッタ隊長はミリンの手に巻きつくラーゴに向けて、独白のように語りかける。
「実は ── ここだけの話だが、私は昔、傷だらけの身に悪魔の変化したドラゴンの血を浴びたのだ。そのとき血が混ざったためだろう。それ以来、魔の力を持つと言われてきた。そんな私でもここに出入りできるよう陛下から、聖泉由来の身を守る奇跡により降された、恩寵をこの十字架にいただいている」
「マーガレッタ!」
「いいのです、殿下。たまには口の堅いだれかに打ち明けないと、心苦しいので。 ── だから聖泉が魔除けと言っても、完璧なものではないのですよ」
秘めた力を感じるとは思ったが、マーガレッタにそんな秘密のあったことを聞いてラーゴは驚いた。腕がたつうえ、その身に魔の力も持っているという。
なるほど直感がおびえて当然で、恐ろしい人なのだ。そのくせ自分には気を許し、このエリアに入っても注意しろと優しく教えてくれたのである。理解できないと思われたとはいえ、信用された上の言葉をかけられたラーゴは心の中で謝っておいた。
(─ すいません、結界とか、魔除けをごまかす手段があるのは知ってます)
しかし今日も、とくに黒を基調とした聖衣の大きな胸の上で弾む、プラチナ色の十字架。その大きさに違和感を覚えていたのだが、そんな恩恵に与る秘密道具だったようだ。
「でもね。その十字架に与えられた恩寵は、教会本部から王国へ派遣されたマーガレッタ。あなたへの信頼の下、ガニメデ神の聖霊様が呪文を刻まれたものと聞きました。そこに聖泉の力を、おつなぎになったのは真王陛下です。そんな祝福、だれでもが受けられるものではありませんから、大丈夫ですよ」
ミリンがフォローに入るが、結界の力を知っているラーゴとしては、心許ない。
(─ 自分程度の魔族にでも、ごまかせそうなんですけどね)
だが ── マーガレッタはよく見ると本当に美人で、強くて優しくて、ときにはひょうきんな一面も持ち合わせる。
身にまとうのは、わざとボディーラインが目立たないようデザインされた聖衣。その上からではわかりにくいとはいうものの、出るべきところはしっかり出て、スタイルもよさそうだ。
よく知りもしないで言うのもなんだが、男っ気がなさそうなのは、おそらくそんな因縁で、恋に落ちることに抵抗があるのかも。いや、たぶん間違いないだろう。
だがまったく事前知識がなければ、一瞬でメロメロになりプロポーズを二晩待てない男の姿も想像できるのに、もったいない話だ。
(─ 美人薄命、生命短し恋せよ乙女って、どこかで聞いたように思うなぁ)