第〇〇〇五話 美人聖戦士とくだけた公爵令嬢
珍しい冷血獣は、殿下のペットとして、飼育小屋に飼われることに決定した。
(─ まさに、果報は寝て待て、だな)
しばらく殿下が手に取って観察していたが、眠ったふりを続けるのをみて、ユスカリオに返される珍獣。ほどなく、あらかたの算段を終えた殿下たちは、珍獣の前から立ち去る。
それからユスカリオは、随行していた衛士に連れられて、狸寝入りのままの珍獣を運んだ。しばらく待たされた後、目通りしたのは女殿下よりは数年は年少とみえる少女で、クリム=ハーンナンと言うらしい。
サファイアのような目をくりくりさせる小柄な彼女は、くせっ毛の亜麻色のショートカットを、赤いヘアバンドでまとめたいでたち。
さらに、先の話で出てきた中庭にあると聞く飼育小屋へ、衛士と交代したマーガレッタ隊長という二十代後半の美人戦士と供に足を向ける。
こちらは、ストレートロングのプラチナブロンドに薄い黄金色の眼を持つ大人の女性だ。白い聖衣を纏い、聖女然としたいでたちながら、サーベルふうの剣も帯びていた。
日差しの具合から、今は昼を回ったばかりくらいの時間だとわかるが、それでも季節は冬真っただ中。庭園へ斜めに射し込む日光の、微かな暖かさは感じられるが、凛として張りつめる空気は冷たい。
そして歩みを中庭の奥へ進めつつ、説明に余念がないマーガレッタ隊長はユスカリオとすでに面識があるようだ。
「ユスカリオ、今後は中庭入り口にいる衛士が付き添うことになる」
リムル女史の話からも分かっていたとはいえ、ユスカリオのような奴隷上がりが、一人で来ていいところではないという話なのだろう。
「たぶん当番の衛士と顔見知りになるまでの、数回だけですけどね」
丁寧ながら、少しくだけた感じで話すのはクリムと言われる公爵令嬢だ。
だが聖域である中庭へ貴族、奴隷の身分差でなく、顔パスで入れるという話を耳にしたマーガレッタの雰囲気が険しい。女性ながら隊長と肩書きの付く彼女としては、やや同意しかねている様子がうかがえる。
クリム嬢の父親は貴族の中でも、もっとも位が高い公爵だ。社会勉強のため、王城で行儀見習いのような箔付けに働いている、といった雰囲気だろうか。
といっても、そんな仕事しかなくてやっているようには思えなかった。おそらくは殿下同様、年頃の少女には相応しからぬ趣向を持ち、志願して生き物係の職にありついた口と想像するが、ほぼ間違いあるまい。その証拠として、こんな気味の悪いトカゲの参入を目のあたりにしながら、こちらの少女も喜びを隠しきれていない様子だ。
(─ となると、これから自分を飼ってくれるミリアンルーン殿下は、王女殿下というやつなのだろうか。この王城の殿下で、第何位かはしらないが、王位継承権すらあるのかも知れない。いやほぼ間違いなくそうだろう、公爵の令嬢を使えるのだから)
公爵は爵位の中でも最高位 ── いつもながら、珍獣の一般常識には目を見張るものがある。というか、その自分すら驚くべき知識は、いったいどこで覚えてきたのか。
まもなく中庭という場所に入った。石畳で舗装された道にクリム嬢、珍獣を抱えたユスカリオ、その後ろから監視するように追従するマーガレッタ。
ここが手入れの行き届いている庭園というのは間違いない。ただ木々の多いところで、見つけにくい草むらに逃げられでもしたら、さぞかし面倒な事態になるからと感じられた。
一時は、魔族の食材にされかけた自分だ。王女のペットというセレブな路線に乗れたことに、珍種 ── レアな動物として生まれた幸運を喜ばなければならない、と珍獣は思う。
「結局 ── 、その首輪は外してやれずじまいだったな。せっかくあのようなところから、出られたというのに残念だ。いまだ魔族の奴隷のようで、ミラリキアさまも心苦しいとおっしゃっておられた」
ユスカリオの後ろから、浅黒い首に光る首輪を見とがめて、詫びるように話しかけるマーガレッタ。その声調は、どうも釈然としていない。するとマーガレッタのほうに少し顔を向け、口下手なのか雄弁なのかよくわからない男 ── ユスカリオが答えを返す。
「いいえ、マーガレッタさま。助け出してもらえただけでなく、ここでの仕事など様々な便宜をたまわるなど、有り余る温情までいただいております。ですからご懸念にはおよびません」
その返答に、マーガレッタの声がやや明るさを取り戻し、再度ユスカリオに向かって呟いた。
「ただ、それが魔力の込められた道具のようなので、気になってな ──」
「先ほどは殿下にお目通りする際の、ご挨拶にまでご指導をたまわりました。おかげさまで奴隷にしては通暁していると、いたくお褒めに預かっております」
「そうか、それはよかった」
(─ そうだ ── 。最初に自分を食べかけた、魔族はどうなったんだろう?)
ユスカリオのような、魔族の城で拉致状態にあった者が、ここに保護されているのだ。その状況から判断するに、とりあえずは滅ぼされたと思われる。
とはいえ、食い物の恨みは恐ろしい。自分は、彼らの食卓に上る一歩手前まで行った珍獣。とんでもない魔王とかが復活し、襲ってくることなどないよう祈る他なかった。
(─ ここまで自意識ができたあげく、魔族に踊り食いなんてされるのはまっぴらだからね)
「ハーンナンお嬢様、『小屋』というにはなかなか立派な建物でございますね」
「あたくしのことは、クリムでよろしいのですわよ」
ミリアンルーン殿下相手には、やたらドギマギして活舌の悪かったユスカリオも、クリム嬢が相手なら、流暢に小屋をほめている。
たしかに、貧相な小屋ではない。立派な建築であるだけでなく、屋根の高いさしずめ魔法使いの屋敷とでも言う出で立ち。少女趣味を物語るデコレーションが、お菓子の家を彷彿とさせるような作りだった。
「この聖域に入っても、すやすやか。やはり魔のものではない、というセントニコラさまのお見立てに、間違いはないようだな」
マーガレッタ隊長が、珍獣をのぞき込んだ。この聖騎士がついてきたのは、さらなる魔族チェックを兼ねている、と見て間違いないだろう。ここでいたずらでも、大きな口を開けて『ガオー』とか言ったら、一瞬に銘釼の錆になれるに違いない。そう考えた珍獣は、さらに健やかな眠りを決め込んだ。
「この子はミラリキアさまに、祝福をいただいているのですね」
話の流れから、ミラリキアとセントニコラとは同一人物と思われた。おそらく祝福というのは、魔族検査のようなもの。つまり自分には、聖ニコラ=ミラリキアなる聖人が、すでに何がしかの鑑定をした後らしい。このマーガレッタなどと魔族退治に行った、聖職者と見てよいだろう。
(─ 食材から、お姫様のペットコースに乗る為に、一役買ってくれた人物のひとりということか。覚えておいて、いつか顔でも舐めさせてもらおう。爬虫類、いや ── 冷血獣だったか、それが嫌いでなければいいんだが)
「私も己が直感だけでは、とてもミリアンルーン殿下にお薦めできていなかったでしょう」 と言った後、少し暗澹としながら呟く、小さい声。「いかにアレサンドロさまの件で、失意のどん底になられた殿下をお救いするためであっても ── な」
それはマーガレッタの表情に集中していた珍獣以外、だれの耳に届くこともないようだった。