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プロローグ 物語が始まる少し前に起こった事件

プロローグ その一話  剣士アレサンドロの場合

── 一週間ほど前。王都から行軍で、ちょうどその程度の距離を隔てた、ナンバア湾に浮かぶ魔王島(ディアボライル) ──


 剣士アレサンドロは、死地に向かって駆けていた。


 その規模に()いて、史上類を見ない、魔王軍(ディアポロリウム)を擁する魔王ガレノス。

 未曽有(みぞう)の強大な魔王が巣くう魔王島(ディアボライル)に、御大(おんたい)誅殺(ちゅうさつ)を期してたった二人で乗り込んだ、教会軍(カルタジニアス)の戦士たちを追ってきた。偉大な神の奇跡を行使する、聖人たちの支援が後方にあるといえども、魔王殲滅(せんめつ)は決して容易な業ではない。


 王家伝来の全身鎧(フルプレート)に身を包んだアレサンドロは、事前情報から(うたげ)が行なわれている魔王城(ディアボリオン)前庭の広場に、まったく無傷で侵入をはたした。

 今や島に(とど)まった魔族(ディアボロス)たちほとんどは、味方による魔王島(ディアボライル)周囲三方からの、陽動作戦に()まって島外へ攻め出している。その直後、ここで戦いの狼煙(のろし)をあげた超戦士二人のみが、わずかな残存勢力の目を集め、見逃された幸運に助けられたおかげだ。

 魔王の周辺に残る敵影は、(うたげ)の場所らしき広場を見渡しても、すでに指折り数えるほどまでになっていた。

「ZUIEe!」

「GUOAa!」

 ようやくアレサンドロを見とがめて迫ってきた、魔族(ディアボロス)二体を労せずして切り捨てる。

 振り下ろした帯剣は、国王陛下から賜った王剣(ドミノグラディオ)ビルソロモン ── 魔のものに、忌避の効果も持たせた聖剣でもあった。いかに魔族(ディアボロス)といえども、たかだか門番(クラス)が直接その身に受けては、ひとたまりもないのだ。

「俺の装備(アルミス)を、甘く見たな!」

挿絵(By みてみん)

 この先には、魔王を守護する最強クラスの幹部しかいないはずであり、自分の実力ではとても相手にならないと足がすくみかける。しかしアレサンドロはそこに、酩酊(めいてい)して寝そべる一柱の悪魔を発見した。

 先に潜入した、教会(エクレジア)からの支援軍を率いる最強の勇者(ブレイバリーズ)ゴードフロイは、聖剣バリオルーシを(もっ)てすでに魔王と対峙(たいじ)している。一方そのほかの魔族(ディアボロス)を、魔双槍(まそうやり)と言われる双頭刃式の武器でひきつける、王国近衛隊長のマーガレッタ。

 そしてアレサンドロの目前には、悪魔が一柱、無傷で眠りについていた。想像に過ぎないが、酔いつぶれた場所と身なりから、魔王に並ぶ強者と見える。それがいま目を覚ませば、交戦中の二人が持て余す驚異となるのは間違いない。

 一瞥(いちべつ)してその状況判断ができるのは、命がけで自身が戦いの技を、磨いてきた経験によるものだ。


 現国王、真王陛下の息子と認められているとはいえ、アレサンドロは物心のついたころから、最強の剣士になろうと志した。草原エリア(ゲバラゾーネ)に巨大な的 ── モンスターを求めてだれよりも努力し、剣士として鍛錬を積み上げてきたのだ。


 温血獣(ホモサーム) ── 冷血獣(ヘテロサム)とは違う恒温動物 ── は、最小のものでも人間以上の大きさと高い攻撃力を持つ。わずかに使役可能(リブストック)な少数派を覗いて、一般に野生のそれらはモンスターと言われていた。


 幼い日、自分を鍛えてくれた王国最強の戦士も、そうして強くなったのは聞こえに高い。それを踏襲(とうしゅう)しようと、最初は自分と同じくらいの体高のある、群生モンスターを個別で撃退するところから始めた。


 硬い(よろい)がごとき皮に身を守られた(モノ)。体長が人の倍近いが身の軽い(しゅ)や、気の荒い凶暴な肉食モンスターを倒して行く。さらに巨体ながら速度の速い猛獣たちとも戦い、その速さにも付いて行けるようになった。

(同サイズでもっとも突進力のあるのは暴行性雑食種・巨大猪(カバーン)か。さすがにあれに突っ込まれたときは、息の根を止めたのと引き換えに、肋骨(あばらぼね)四本骨折の重傷を負ったが)


 さらには智恵の回る霊長類種、見上げるほどの巨大猩猩(ガリーラ)を、小隊二軍と魔術師ら支援のもと、自ら考案した(わな)で打ち取ることに成功。とどめを刺す際、獲物の抵抗から左足に大きな裂傷を負ったものの、アレサンドロは見事生還する。これをもって高位モンスターを倒した不死身の剣士と国民からたたえられ、王都では国をあげた祝宴が行なわれた。


 この功により、アレサンドロが王国最強級の剣士として真王陛下から拝領したものこそ、国民栄誉賞ものの王剣(ドミノグラディオ)ビルソロモンだ。だがだれ一人、それに国王血縁の七光りと後ろ指をさす者はない。

 金髪に碧眼(へきがん)、容姿は一般的で身長にもさほど恵まれなかったアレサンドロ。その半生己のすべての時間は、次期国王である妹の盾として、剣の道だけにあてられてきた。天賦(てんぷ)剣才(けんさい)を備えないがゆえに、積み重ねなければならなかった努力と功績から、(にじ)()る男の貫禄(かんろく)。それはときとして、兵士の間で羨望の対象と(ささや)かれるまでになっている。

 ちなみに数か月後、アレサンドロは勇み足で体高が三階建ての聖堂にも届きかねない、巨大牛(カローヴァ)の幼獣に一軍を率いて挑んだ。その際、功に焦った最初の打ち込みの反撃により、命すら危ういほど負傷したアレサンドロは撤退を免れない。

 むろんこの事実は、王国軍内において公然の秘密となっていた。


 あの巨大牛(カローヴァ)の成体と対峙(たいじ)しても、単騎で狩ることができるものさえあるという。そんな魔族(ディアボロス)が相手なのだ。己との実力差を思えば、寝込みを襲うのが卑怯(ひきょう)などと、言える分際ではない。

 ましてや王都は現在、魔王城(ディアボリオン)より出兵した一万七千とも噂された、魔王軍(ディアポロリウム)に包囲されている。あるいは空を飛び攻撃魔法の繰り出す個体(モノ)もある魔族(ディアボロス)。一部は人に憑依(ひょうい)や魅了して操るなど、世界の(ことわり)に縛られない強大な力を備えた圧倒的強者の軍だ。

 予想外に進軍が遅れたのは、魔族(ディアボロス)にありがちな内輪もめによるものと思われた。それでも悪魔有数の知恵者と言われた参謀率いる、一万七千にのぼる異能の軍勢。本気でかかってこられれば王都といえども、三日と持たないだろう。

(そうなれば、妹殿下 ── ミリンの命すら危ない!)


 まもなく成人の儀も向かえるはずである、今年十二歳の誕生日を迎えたばかりのミリアンルーン。兄思いの妹は、巨大猪(カバーン)に負わされた大けがによって倒れた自分を余人にまかせず、三日三晩、寝ずの看病をしてくれた。

 国民の未来の希望であるかわいい妹を、なんとしても魔族(ディアボロス)どもの毒牙から守らなければならない。それが己を王国の盾として厳しく鍛え上げてきた、王国不死身の剣士アレサンドロの使命なのだ。





 かつてこの世界の歴史において、聖泉(ホリフォンズ)を中心に抱く人間の都市が、魔王に襲われる(いくさ)などあったことはなかった。


 魔族(ディアボロス)は、ヒトの世界で魔脈(ディアポラダー)と呼ぶ、土地に固定の魔力源に自生し、その力が満ちたときに魔王が復活する。本来なら、まだ力を蓄えない間に退治しなければならない。しかし、この王国内唯一の魔脈(ディアポラダー)に、魔王が見出(みいだ)されたのが二十三年前だった。その後先代王の治世に国が荒れ、分裂・独立する領主が現れるなど、王国存続の危機とまで言われた期間、ずっと放置されてきたのだ。

 一般的には、魔王が聖泉(ホリフォンズ)の奪取を目論(もくろ)み、都市に侵攻するなど想定されてもなかったため、油断したのが(あだ)になったといえる。


 その魔脈(ディアポラダー)に巨大な力を蓄え、自分同等に強力な悪魔を五柱、五大召喚悪魔として従える魔王 ── ガレノス。きゃつらの布陣を無敵と呼ぶのは決して過言ではない。さらには、現世に存在する最恐(ベイシアウシャ)の悪魔と噂の高い、サタンを客員(ホスペス)として迎える。ついに悪魔やアンデッド、多数の吸血鬼(サングィスガ)なども含めて二万の軍勢を擁する、この世界始まって以来、最強の魔王軍団(ディアポロリウム)と成長していたのだ。

 一方教会本部(カルタシーズ)が、ようやくこれに危機感を覚えたのは、ほんの半年前にすぎなかった。従来であれば、魔脈(ディアポラダー)を取り合って小競り合う側杖(とばっちり)、あるいは奴隷や下僕として(さら)われる以外、ヒト(しゅ)にとって実害がなかった魔族(ディアボロス)。それが大軍勢に膨張、ヒト種にとって治世の源、『聖泉(ホリフォンズ)』の取り込みに動き出すという情報が入ってようやく本気になったに違いない。

 これは情報といったあいまいなものではなく、神のお告げ ── 神託として降ろされたと云う。

 すぐさま教会(エクレジア)は、その対抗手段を講じたと言われるものの、教会(エクレジア)側において派兵の詳細が定まったのが一か月前。北の辺境である王国へ、実際に教会軍(カルタジニアス)の出兵が始まったのは、わずか三週間前のことであった。


 教会(エクレジア)からはセントニコラ・ミラリキアと、セントジョーゼフ・クペルチノの二大聖人が配される。軍の統率(とうそつ)にかり出されたのは大陸随一(ずいいち)と呼び声の高い、歴戦の勇者(ブレイバリーズ)ゴードフロイ=ブイロンだ。

 幸いなことに、王国には教会(エクレジア)より不死身の聖戦士、マーガレッタ・アンティオーチが派遣されて久しい。強力な悪魔サタンに対抗し、同時に魔王を始末するには、この超人クラス(インクレディブル)四人で不足なしと量定される。生半可に腕がたつ程度の加勢ではかえって足手まといになって、被害を拡大するだけという判断だ。

 王都から徒歩で約七日離れた湾上に浮かぶ、魔王島(ディアボライル)の牙城に巣くう魔王ガレノス。忠誠を誓う魔王軍(ディアポロリウム)が、王都侵攻を画策しつつあるのは、教会軍(カルタジニアス)の到着以前からわかっていた。

 というのも圧倒的強者である魔族(ディアボロス)は、人間に対して情報警戒を行なわない。王国はアレサンドロの機転で、魔王側のこの計画を数年前から島に潜入させた密偵がすでに察知に成功。おかげで魔王軍(ディアポロリウム)の出征までに内情はある程度つかめている。だが、到着した教会軍(カルタジニアス)はその規模を知り、集結しつつあった王国軍とともに驚愕(きょうがく)した。

 実は魔王の二世が魔王城(ディアボリオン)の祭りの最終日、誕生することが解ったのだ。だがそれは、いままでの魔族(ディアボロス)をはるかにしのぐ、残虐かつ獰猛(どうもう)な個体であるばかりではない。なにより魔族(ディアボロス)の最大の弱点と呼ばれてきた聖脈(ホリアダー)の発現、『聖泉(ホリフォンズ)から湧き出る聖水(ホリアクア)』さえ己が力となす。しかも忠を報じた魔族(ディアボロス)たちにさえ余慶は分かち与えられ、ついには人類未曽有の脅威に成長すると聞こえてきた。

 さらには、かつてすべての予言を的中させてきたと評価の高い、悪魔エリゴス公爵が、『地上の覇者になる存在』と明言したのだ。島じゅうに広まったそれは、すでに配下魔族の一体として知らぬ者がいない。その力を持って、この世界すべての聖脈(ホリアダー)を支配するという計画が進行しつつあった。




 北ハルンの地で、冬を告げる風が身にしみるころ、魔族(ディアボロス)恒例の祭りに乗じて、いよいよ二世誕生の祝宴が開催される。これにあたり、島内で囁かれ始めたのは供物(くもつ)も必要という声。

 魔王島(ディアボライル)が浮かぶナンバア湾を領内に持つ王国は、王都に鴻大(こうだい)かつ良質な聖脈(ホリアダー)()く『ガニメデの聖泉(ホリフォンズ)』を戴くことでも名高い。その両方が魔王の跡継ぎに捧げられる、最初の生贄(いけにえ)として選ばれた。

 ほどなく魔王城(ディアボリオン)の八割以上の兵が、攻め込む準備を開始したらしき情報も入ってくる。王都そのものを奪取し、すべての民を根絶やしにするというのだ。それは有史以来魔族(ディアボロス)が寄りつくことのなかった聖脈(ホリアダー)を、あろうことか魔王の二世に捧げるためらしい。

 侵攻軍の采配として、強力な三柱の悪魔が据えられたが、互いの対立から出兵は遅れる。ときを前後して同列の悪魔 ── ネクロマンサー・サミジナ大公爵も、魔王が欲した食べ物らしき、供物探しに城を出たようだ。

 出兵後、魔王城(ディアボリオン)に残る脅威は、予言を得意とする五大召喚悪魔のひとつ、側近エリゴス一柱。くわえて魔王掩護(えんご)の将である魔物若干数と、最高位悪魔の噂が高い、客人待遇(ホスピタレイティブ)のサタンのみとなっていた。


 この情報のもと、魔王城(ディアボリオン)より出兵した、八割強の魔王軍(ディアポロリウム)が王都にたどりつく寸前、城に残留する魔王の急襲が計画される。それは教会軍(カルタジニアス)が考案した、魔王の護衛にあたる強者を、サタン一体まで絞り込んだ上の秘策に他ならない。

 両軍の大勢は王都の守りに置き、少数精鋭の急襲部隊は魔王城(ディアボリオン)へ急いだ。

 決行はまさに魔王城(ディアボリオン)で祭りの始まった日。奴隷に紛れて、お祭り騒ぎの魔王島(ディアボライル)へ潜入したのは、マーガレッタとゴードフロイの超人(インクレディーズ)二人のみである。

 夜明けからまもなく、頃合いを計って対岸の浜に、大軍と見せかけた偽装兵団が戦いの狼煙(のろし)を上げた。あわせて島の周り二方から、これまた陽動の船団が姿を現す。

 案の定、これを迎え撃たんと魔船団に乗り込み、三方へ向けて出陣するエリゴス他、強力な残存兵力。こうして陽動は成功し、残された脅威はサタンおよび魔王の二人と、掩護(えんご)の将数体にすぎない。


 ついには、先ほど奴隷に(ふん)し潜入していた、不死身のマーガレッタと勇者(ブレイバリーズ)ゴードフロイが、(うたげ)の広場において剣を抜き放ったところだ。

 海にでた魔船団とともに飛び立った飛行魔族は、陽動の船団が十分引き付けた。その後、超人(インクレディーズ)二人を島に送り込んだ空飛ぶ聖人・セントニコラが、空中戦を開始。さらに引き寄せた魔の船団を、翻弄するのは、セントジョーゼフ操る巨大な奇跡・海神(わだつみ)シンタクロースだ。

 アレサンドロは、魔王城(ディアボリオン)で腕を揮わんと、計画の開始寸前、セントニコラに頼み込み、無理に島まで運ばせた。

 だれよりも妹を(いつく)しみ、王国への愛国心に(あふ)れるアレサンドロである。必ずや自らの手で魔王を撃ち滅ぼして、王国の安寧秩序をこの手で(つか)み ── なにより大事な妹の、笑顔を取り戻さなければならない。

 しかし己が力量では、単騎強力な魔族(ディアボロス)に挑むのが無謀であると、自分だけでなく教会軍(カルタジニアス)のだれもが知っていた。

 そんな腕前しか持ち合わせぬ彼が、今まで幾度も命に係わる重傷を負いながら死に損ない、結果的に強くなって行けたのはなぜか。

 それは、聖泉(ホリフォンズ)を司る真王陛下が彼の母であり、大きなけがをおびても、その力が注がれて治療を施せたから。さらには、死の(ふち)に立つほど傷ついた身さえ癒やす、盟約で結ばれた聖霊より恵み下される力のおかげとは、彼自身知る由もない。


(俺は魔族(ディアボロス)など恐れん! 王国の民と、妹を守るのだ!)

 アレサンドロの愛国心。それはおよそ王国一、といって間違いなかった。












プロローグ その二話  サタンの場合

 サタンは、生まれ持った動物的感で、危険に気付き薄眼を開けた。自分に切りかかってきた(よろい)男の動きは、スローモーションにも見える。ただ振り回すことしかできないぼけた太刀筋を、避けようとしながらもアクビが漏れるのを禁じ得ない。

 そんなとき横からかかる、切羽詰まった女の声。

「いけません! アレサンドロさま! そやつは ──」

 その声には聞き覚えがある。はるか昔、ドラゴンに化けた自分に与えられた餌に混ざっていた。腹に入ったため『不死身になったのはサタンのせい』と言われてきた女だ。サタンには決してそんな覚えはないものの、あの日サタンの力が行使された十字架が、微妙に光っているから本人に間違いない。

 ドラゴンの姿でしか会ったことがないはずの、この女が自分を見極められたのも同じ理由と思われた。その内面に悪霊の力を秘めた、因縁ある()の十字架の輝きが教えたからだろう。


(マーガなんとか言ったかな。あれがいるんじゃ、ちょっとは本気でやらなきゃいけないけど、 ── 今はその魔力が尽きている。完全にダメだわ)

 記憶が飛ぶくらい、魔力を消費したようだ。それでも足らなかったため、魔王城(ディアボリオン)に残るすべての魔族(ディアボロス)から、相当の力を奪ってつぎ込んでしまった覚えもあった。魔力を他から吸収できるのはサタンの得意技であるものの、膨大な魔力を常に備える自分が、なぜあんなことになったのか ── 。だが想起に集中している間も、アレサンドロと呼ばれた鎧男の剣の切っ先が、鼻先を(かす)めて行くのはわずらわしい。


(あたし ── 俺様が吸血鬼(サングィスガ)なら、目の前に血の通う生きものが来れば、なりふりかまわず押し倒してむしゃぶりつくとこなんだけど)

 通常、ヒトの姿でいるときは『ルシー』と名乗り、女性型のことが多いサタン。しかし今は男性型だったと思い出して、一人称を直す余裕はある。ただ、どうしても長年使いなれた言葉遣いがただちになおらないため、いささかお(ネエ)なオッサンになっていた。

 だがその余裕で広間を見渡しても、すでにまともな魔力の供給源 ── 味方の魔族(ディアボロス)たちが、すべて倒されてしまっているようだ。

 仕方あるまい。自分がなにか大それたことを行なうため、魔脈(ディアポラダー)を根こそぎでは足りず、島中の魔力をほぼ程度もらい受け、使ってしまったのを思い出す。


「くたばれ、死に損ない!」

 なおもあきらめない鎧男が、剣らしきものを振り回していた。それを生来の動体視力によりスローモーションのように見極め、普段から鍛え上げた運動神経で(かわ)して行く。常なら備えた、宇宙一の硬度を誇る金属製の(つえ)さえ持っていれば、結界(オービチェ)を解いてガチでやりあっても、いい勝負に持ち込めるはずだ。

 現在、最低限の物理結界(オービチェ)だけは張っているので、素手でもなんら問題はないとはいえ、 ── それにつけても意識がはっきりしない。完全な、魔力欠乏状態とみてよいだろう。自分の魔核(ヌークレイ)が委縮しているのが感じられるほどのひどい雰囲気は、長い人生の中で記憶がないほどの一大事だ。


 この世界で最高の脅威との呼び声が高く、道理に明るくない多くのヒト族から悪魔と称されるサタン。だがそれは、(いわ)れ無い流言飛語の類にすぎなかった。サタンは人の有史以来、魔力保持限界(キャパシティ)が右に出る者のない、魔法の力を行使する存在 ── いわゆる魔法使いと呼ばれる種族である。

 正確にはこの世界での魔法使いとは、魔力が発動できる希有(けう)な能力をもって、自らの興味ある研究を推し進める究明者と言ってよい。それが評価されることに、これ以上なく生きがいを感じる種族の総称だ。

 そういう意味でサタンは、『不老不死』という究極の研究を完成して以来、これといった究理闡明(きゅうりせんめい)に励まなくなっていた。だから自分が、魔法使いと呼ばれるにふさわしくないとは自覚している。だが現存するその種全体が、魔法使いという総称で称されており、サタンも同種の一端であるのは間違いない。

 断じて生命の起源から外れ、現世と魔界(ディアボレギオ)輪廻(りんね)し、命は持たないが魔力は(ふる)う魂が具現化した存在。つまり魔族(ディアボロス)などでは決してないのだ。



 そもそも人間好きのサタンは、永遠にも等しい人生の間、人間という厄介な生き物に翻弄され、ついに彼らに愛想をつかせた。あげくに悪魔と呼ばれてヒト種の社会すべてからはみ出され、最終魔王の用心棒として、この城に落ち着いたのである。

 そう、ここに自分の愛人(アミ)ともども、安楽に生活させてもらった恩義は返さなくてはならない。そのためにも、今まさに退治されかけつつある魔王を横目に、ふらつきながらこんな青二才の、相手をしている場合ではないのだ。

(たしかに聖剣の端くれのようだけど、こっちは魔物じゃないんだから。そんななまくらでこのサタンさまが、倒せるはずないでしょうに。少なくともあの女の(やり)か、魔王を追い詰めてる男が持つ剣の腕でもないと、かすり傷もつかない)

 この状況下、時代がかった聖剣で王手をかけられている魔王から、さらに魔力を譲ってもらうのは、居候としてどうかと思う。どうも知らないうちに城全体が奇襲を受けており、しかもたかが数人の人間相手に、ずいぶん苦戦を強いられていると思えた。

 いや自分が意識を失う前と比べ、ほとんどの味方がやられて消滅してしまったようだ。そこここに倒れ伏している者の数が足りない。

 それでもガレノスの追い詰められようを見る限り、あのごつい筋肉男が、相当名のある勇者(ブレイバリーズ)という可能性は高いだろう。数日前、魔王城(ディアボリオン)を後にした一万七千にも上る未曽有の大軍を迎え撃つため、教会勢力(カルタシーズ)が支援して送り込んできた目玉の一人。 ── たしかゴードフロイとかいう勇者(ブレイバリーズ)であろうか。

 一方で『あの女』は、魔王側近の中でもかなり上位攻撃能力保持者(トップクラス)であろう魔族(ディアボロス)に、とどめをさしつつあった。あれはたしか十三将悪魔が、全員がかりで召喚した化け物のはずだ。

 だが元はと言えば、この苦戦の元を作ってしまったのは、サタン自身か。ならばほとんど魔力が切れた状態で戦うことも、甘んじて受け止めねばならない。そう思い巡らすところへ、目の前の鎧が能のない体当たりときた。


 このとき、ただの人間と侮っていた剣士の身から感じられたのはけっこうな魔力 ── いや、良質の脈のエネルギーだ。身体(からだ)が反射的に得意技を発動し、鎧男から生気も魔力も根こそぎ吸いとる。


 だが ──

「ちいっ!」

 エネルギー吸収はサタンの得意技と言ってよい。にもかかわらず、その身の魔力欠乏が災いした。鎧男の魔力だけでなく、人間としての心や、記憶の中身の情報まですべて吸い上げてしまったのだ。

 また下手(へた)を打った、と思うサタンだが、もう遅い。

 サタンにとって、生体や霊体の保持するものは、エネルギーであれ情報であれ、すべて保持する母体要素の遷移状態である。だから丁寧に行わないと、味噌もクソも同じように吸収しやすいのは解っていた。エネルギーと情報の同一性は遠い昔、千里眼(プレビジオニス)を持つ彼から教わり、以来気を付けて来たのに。

 だからといって、たしかすべての魔力を失っても、人間は死んだりしないはずだ。活動エネルギーである生気を残さず取り上げても、生きものはしばらくは命にかかわるようなことはない。仮死状態でも聖脈(ホリアダー)の恩恵が受けられれば、そのまま何ヶ月も生き続けた例もある。他に致命的な原因がないなら、日にち薬で回復するはずだ。

 ただし心や記憶の情報まですべて吸い取ってしまっては、回復の見込みはゼロに近い。それはヒトが生命体として、生存するための根源システムなのだから。


 実を言うとこの手の後悔も、今日に始まったことではなかった。それでも、ついやってしまうこういう『失敗』を応用研究し、編み出したのが不要な記憶消去による気鬱病(きうつやまい)の治療法。つまり『失敗も成功の母』にまでできるサタンさまであり、ようはとりすぎたものは返せばいいのだ。

 ところが、崩れ行く鎧男との間へ割り込むように、『あの女』が飛び掛かって来て、話は余計ややこしくなる。これが魔王の討伐をかけた戦闘のまっ最中でなければ、『タンマタンマ』と言うところであった。しかしたとえこの女が不死身を誇っても、あちらの勇者(ブレイバリーズ)と二人だけで来たのではあるまい。他にも城内にいた魔族(ディアボロス)に対し、向かった無数の人間は切羽詰まった状態の中、命がけで闘っているはず。

(そうか、きっとほとんどの魔族(ディアボロス)は、そちらに掛かり切りなんだ。おいおいなんてマヌケなの、そんなものは陽動に決まっているじゃない。最も先のよく見える宰相エリゴスが、その程度の子供だましに引っかかったっていうのかしら?)


 目の前ですべての生気エネルギーを、心の中身や記憶情報といっしょに奪われ、あたかも魂不在の人形のごとく倒れこんで行く鎧男。こいつに人間として最低必要な部分を戻してやる、わずかな時間も与えてもらえそうではなかった。

「アレサンドロさま!」

 自分の身の程を、知らない男のことなど後回しだ。このままであれば、もうサタンの力をしても魔王すら救ってやれない。サタンはとりあえず、目の前の不死身女を撃退するには、あれしかないと決断する。現在、サタンの持つ中で最恐最悪(ベイシアウシャ)を誇る、最終兵器(アーマレターラ)の発動。そしてそれに憑依することで、この侵入者たちを牽制(けんせい)・駆逐するほかないと決断した。

「レヴィアターン!」


 その昔、いまだに上手(うま)く動かせないオートマトン『拾弐号』をくれた、世界一の錬金術師(アルケミスト)の手による最強の大怪物、『レヴィアタン』。創作者自慢の異形が魔王島(ディアボライル)の近くの海から浮上し、城の外壁越しに凶悪な顔をのぞかせる。単純な動作しかできないが、呪文操作を標準とする拾弐号とは違うのだ。憑依して操作すれば膨大な魔力を持つ、サタン専用の究極の破壊兵器 ── のはずであった。

 しかし良質と思った鎧男のエネルギーは、質はいいものの生気まですべて取り込んでも、サタンにとっては微々たる量しかない。おそらく聖脈(ホリアダー)の支配者から、命の危険などがあって直接分け与えられたそれに違いなかった。

 これではレヴィアタンに憑依して、その巨体を自在に動かす魔力としては不十分だ。せめて最恐(ベイシアウシャ)の脅威に、敵がなすすべがないと畏怖して退散してくれることだけを願い、サタンはかなり不安なまま憑依の呪文を唱える。自らの肉体(からだ)が消えて行く感覚と、同時に視点が切り替わり、広がったのは魔王城(ディアボリオン)を上から一望する視界。

瞠目(どうもく)するのよ、わが恐ろしき姿を ──)

挿絵(By みてみん)


 威嚇 ── 残存魔力ではそれしかできないので、すべての腕らしきモノを振り上げて咆哮(ほうこう)する。これで逃げ出してくれることを祈りながら。

 すぐに侵入者たちと魔王、魔王城(ディアボリオン)の残存部隊たちの注目が集まる ── いや、彼らの視線は自分にではない。サタン ── 今はレヴィアタン ── が、その視線を辿(たど)るように振り返った先。そこには、魔王島(ディアボライル)に現れたレヴィアタンに、パワーも大きさも勝るとも劣らぬ怪物『海神(わだつみ)シンタクロース』が向かってくるのが見えた。そしてついに、サタンは絶望する。


(そんなのって、ありなの ──)
















プロローグ その三話  勇者ゴードフロイの場合

 ゴードフロイは、ついに魔王を追い詰めていた。


 奴隷として忍び込んだため、自慢の『白銀の鎧』なしで戦った全身は、擦り傷や切り傷だらけである。この(うたげ)の広場で最初に剣を抜いた際、魔王側近の悪魔たちが立ちふさがり、その(つの)や爪でつけられたものだ。

 ただしすでに魔王を守る魔物たちは、二本に分けた魔双槍(まそうやり)を揮う、友軍マーガレッタが引き受けられるだけの数に減った。さらに、魔王には相棒の聖剣バリオルーシで本体に三太刀以上斬りつけ、そのうちの一太刀は間違いなく致命傷かそれに近い。

 膝をついて動きの止まった敵将は片角が折れ、片腕が深手をかばった(てい)だ。それでも、いまだもう一方の手は力強く魔剣を握りしめる。そして二メートルに及ぶ大男のゴードフロイをけん制していた。


 意外にも、想定したよりかなり(もろ)い。 ── というのが、先祖代々の勇者(ブレイバリーズ)の家系に産まれ、百戦錬磨を切り抜けてきたゴードフロイの持つ、現在偽らざる感想だ。


 予想外に飛び込んできてやられた真王陛下の息子、剣士アレサンドロが心配ではあるが今そんな余裕はなかった。ほとんどの魔王軍(ディアポロリウム)を、ひきつけるため(おとり)となった王都はもちろん、この急襲部隊もすべてがギリギリでここまで来ている。

 一刻も早く、ガレノス(こいつ)を葬らねば、他所(よそ)で戦う味方の損害が計り知れない。

「もはや観念しろ、魔王ガレノス! お前はもう終わりだ!」

「ヌハハハ‥‥サタンが今レヴィアタンを起動した。お前たちも道連れにしてやろうぞ」

 致命的な深手をかばいながらも、不敵に笑う魔王。流れる血を持たない魔族(ディアボロス)の王は傷口から、消えかかった炭が醸し出す煙のように漏れ出るのは、体内の魔脈(ディアポラダー)でつきかけた魔力だ。


 いつの間にそれほど魔力消費をしたのか、と疑問に思うところはあるが、一刻一秒を惜しむゴードフロイにもはや躊躇(ちゅうちょ)はなかった。そう、この魔王さえ倒せば、その魔力によって召喚あるいは合成された、すべての魔族(ディアボロス)は立ち消える。

「消え去れ!」

 ゴードフロイの太刀筋に迷いはない。魔王であれば魔族(ディアボロス)の核があるはずの場所、右胸上部に渾身(こんしん)の力を込め、容赦なく必殺の聖剣を突き立てた。

「ゴゥアア‥‥」


 神の加護(ホリーグレイス)で勢いを増した聖剣バリオルーシは、最後の力を振り絞って受け止めようとした魔剣すら、鋭い金属音とともにはね飛ばす。

 魔族(ディアボロス)の急所と言われる部分に聖剣が突き立つと、城全体に響き渡る断末魔の悲鳴。それでもなお瞬時に消え去らないのは、魔物といえども、さすがに王者の貫禄(かんろく)と言えよう。

「俺たちにはセントジョーゼフ操る、海神(わだつみ)シンタクロースがいるのだ! レヴィアタンなど、恐るるに足らん」

「お、おのれぇ! この上は ── 『正当にわが資を継承する名も無き姿をわが子と認め、引き継げる権能と権限のすべてを譲渡する。我に召喚されし(しも)べよ、わが子がこの世を支配するために、絶対服従を持って仕えよ。そして、わが子の呼びかけがあるまで、力を封じ元に返れ!』」

「な、なにぃ?」

 (たち)の悪い遺言に一瞬ひるんだが、その叫びを最後に(かすみ)のように消えて行く魔王。ゴードフロイの握りしめる、聖剣バリオルーシだけが空中に残されてかき消えた。ほぼ同時に魔王の最後の呪文に呼応し、虫の息で姿形をとどめていた、魔族(ディアボロス)の体が次々と消えて行く。


「ゴードフロイどの!」 その声に振り向くと、マーガレッタが魔王の王座の横に置かれた、ゆりかごのような器の中に魔双槍(まそうやり)を突き立てたところだ。緑のしぶきがほとばしるとともに上がる、くぐもった悲鳴。何かが絶命する。「これですべて終わりです」

 槍の穂先をマーガレッタが持ち上げると、そこに貫かれたのは、まがまがしい角に大きなしっぽという悪魔らしい幼生体だった。ゴードフロイの知識からは、マンモンと呼ばれる悪魔に似た姿だ。そんなふうに思えたが、その姿も一瞬でかき消える。

 それが人類未曽有の脅威 ── 全世界のヒト社会の()りどころ、聖脈(ホリアダー)すべてを支配下に置こうとした、『魔王の中の魔王』だったのか。そう思ったとたん、安堵のため息が漏れるのを禁じ得ない。今、この機会でなければ抹殺しえなかったものを、始末できたという思いが醸す、気の緩みのひと息だった。


 万が一魔王の遺言どおり、その幼生体に覚醒と言われる刻が満ち、一言呼びかけられたらヒトの世は終わる。よしんば世界中の勇者(ブレイバリーズ)と聖人の団結を持っても、すべてのヒト種に明日という日はやってこない。

── ゴードフロイは、ガレノスがそれほどの脅威であると教会(エクレジア)から諭されて、この地に足を運んできたのだ。


 次の瞬間、いっそう大きな音が周囲に響き渡り、今まさに、海神(わだつみ)シンタクロースの手によって倒された巨大悪魔レヴィアタン。魔王城(ディアボリオン)に覆いかぶさるように倒れて行く。同時に城全体が音を立てるのは、地盤が沈下しつつある兆候だった。

「マーガレッタどの、この島は沈むぞ!」

「では、奴隷たちの避難を急がなければ」

 見れば魔族(ディアボロス)との戦いを目の当たりにし、そこここに縮こまっている奴隷。アレサンドロのように、倒れて動かない者もいるようだ。

「とにかく、みんな連れて海岸へ走らせろ!」


 ゴードフロイは、奴隷たちにも助け合って行くよう呼びかける。同時に自らもアレサンドロを抱え、海岸に向かって駆けた。マーガレッタの担ぎ上げているのは、奴隷にしてはこぎれいな衣装に包まれ、生気のかけらもない一人の若者。どう見ても傷も受けず、意識を奪われたアレサンドロと、同じ症状としか思えない。

 魔王城(ディアボリオン)の崩壊はどういう仕組みか、レヴィアタンが押しつぶすような形となって、城から真っ先に地下に沈んで行く。城のあった島の中心部は、内海に姿を変えつつあった。

 捕らえられていた奴隷や下僕たちは、沈没に巻き込まれることなく、すべて脱出させられたようだ。この作業には、王国の諜報・隠密警護部隊(ニンジャ) ── 影鍬(かげくわ)たちが一役買って、なんとか成功したらしい。

 外周を取り巻く形で残された海岸までたどり着き、全員無事助けに来た偽装船団に救出させられたのは、不幸中の幸いであろう。


 ゴードフロイたちは、勝ちどきをあげた。


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