セクシーアンドロイドは三月うさぎの夢を見るか?
リュカ・モルガンは左手を腰に当て、彼が取り上げた瓶から視線が離れないアリスに向かって盛大な溜息をついた。
「ねえ、アリス。食事の時間、ぼくの前ではお酒を飲まない約束だったよね?」
立っているリュカと、ダイニングチェアに腰かけているアリスの目線はほぼ同じ高さだ。だけど今は、まるでアリスのほうが聞き分けのない子どものように唇を尖らせ、リュカを見上げながら涙目になっている。
滑らかな銅色の肌に、体の半分以上ではないかと思うほど長く形のよい脚。絞られたようにくびれたウエストと、形よく張り出した腰と豊かな胸。つややかな黒髪はポニーテールにまとめられ、潤んだ瞳は緑を散らしたヘーゼル。ぴったりとした革のパンツにシンプルな白いカットソーという武骨なファッションながら、その姿は大抵の男なら見惚れずにはいられないだろう程の美しさだ。
だが十一歳のリュカ少年には、その魅力は全く通じない。
今も聞き分けのない妹、いやむしろ娘にでも言い聞かせるかのように優しい口調で、
「や・く・そ・く、したよね?」
と、繰り返す。
「だぁってぇ。それ、メイシャ秘蔵の火酒よ? 貴重品なのよ? めったにお目にかかれない極上品なのよ?」
「うん。そうだね」
「お酒は私の燃料よ? いい燃料は積極的に取り入れるべきじゃないかしら」
「たしか君は、普通の食事でも燃料になるはずじゃなかったかな? せっかくぼくが支度した食事を、アリスはぼくに一人で食べろというの?」
リュカがブルーグレーの目を寂しげに細めつつ首をかしげると、栗色の柔らかい前髪がサラリとこぼれる。
リュカは十一歳にしては小柄だ。顔つきもかわいらしいため、よく女子に間違われる。父一人子一人の生活が長かったため、家事も得意だ。特に料理の腕はその辺の主婦にも負けないという自信がある。そのリュカが用意した食事をほっといて酒に走るなど、彼にとっては悪魔の所業も同然なのだ。
「ごめんなさい。じゃあ食後に一杯だけ。それならいい?」
ねっ? と、おねだりするように首をかしげるアリスに、リュカはにっこり笑って頷いた。
「もちろん食後ならいいよ。これは成功報酬だからね。お祝いにアイゼンのチョコもつけてあげる」
「さすがリュカ、わかってる! 大好き!」
ムギュッと抱きつくアリスの頭を撫で、リュカは配膳をするため台所に戻った。
まったく、どっちが子どもなのかわからないよねぇと、肩をすくめながら。
リュカがアリスと出会ったのは一年前だ。
あの事故の日、リュカはジェームス高校への飛び級試験の真っ最中だった。
この星の義務教育は六歳から十八歳までの十二年間で、四年ごとに区切られている。一から四年生までが初等学校、五から八年生までが中等学校、そして九から十二年生までが高等学校だ。一応就学年齢は決まっているものの試験での飛び級が可能なため、当時中学一年(五年生)だったリュカは高等学校に進むための試験を受けていたのだ。
ジェームス高校は全寮制の男子校だ。事務職員はともかく、教師も男ばかりという男の園であり、中央の一流大学への進学率が高いことも魅力だ。
リュカは、物心ついた時にはすでに母親がいなかった。父は立派な体躯のハンサムな男ではあったが少々だらしない。大方愛想をつかされ出ていかれたのだろうとリュカは考えている。
そんな事情で身内の女性が身近にいないこともあってか、リュカは女子が苦手だ。決して嫌いなわけではない。だが、すぐにリュカを可愛いなどと言うところも、意味深にクスクス笑うところも訳が分からない。物でもないのに取り合われることもうんざりだ。
高校の寮に入ることで、家事もろくすっぽできない父を一人にすることに不安がなかったわけではない。自分がいない間に、父が干からびやしないかと考えたこともある。
だが男しかいない世界に、一日も早く飛び込んでみたい欲求には勝てなかったのだ。教師からもまず合格間違いないだろうというお墨付きであった。
だが最終科目の試験が始まろうとしていた時のことだ。試験会場に一人の男がそっと入ってきて試験官に何かささやいた。するとその試験官がまっすぐリュカの方にやってきて、至急事務室に行くようにと言った。
「でもまだ試験が……」
「緊急だそうだ。すぐに行きなさい」
残りの試験は何かしらの措置を取ることになると言われ、リュカは訳がわからないまま事務室に向かった。
そこでリュカは父が乗っていた宇宙船が大事故にあったことを知った。“よろず事引き受け業”というよくわからない商売をしていた父が、依頼者と乗っていたはずの船は大破し、乗員の生存は絶望的だと。
結局リュカは最後の試験を受けることなく、少しでも情報を得るために何日も宙港の情報ステーションに通い続けた。
他に身寄りがなく父が仕事で留守にすることが多かったため、ある程度なら一人で生活する事も問題なかった。食事も睡眠も最低限とれていたと思う。だが所詮十歳の子ども。限界がある。
事故の状況から、ほんの数日で生存調査が打ち切られ、父の死亡は確定した。
リュカは完全に一人になった。
一人で留守番ができるからといって、一人が平気なわけではない。大人ではないから保護者が必要になる。だが天涯孤独の身では、しかるべき施設に行くしかない。せめて高校に受かっていれば、法的には未成年ではあってもある程度自立が認められるのだが……。
「結局最後の教科を受け損ねたし、合格は無理だよね……」
今日が試験の合格発表当日だったことを思い出すが、合否を確認する気にもなれない。
だが、何かしら忙しくしていれば余計なことを考えなくて済む。葬式もしなくてはいけないだろう。
そう考えてやることリストを作成することにしたものの、何も書けず時間だけが過ぎる。いつの間にか午後になっていた。
その時、携帯端末が高校からの着信を知らせた。のろのろと通話ボタンを押すと、画面に現れたのは、あの日事務室で対応してくれた男性だった。
「リュカ・モルガンくん。合格おめでとう」
ありえないはずの言葉に一瞬だけ(詐欺?)という言葉が浮かぶが、それは掌に乗った一枚の雪のようにすぐに消えてしまう。
「でも、ぼく、最後の科目は受けていないんですけど……」
どうにかそれだけ言うと、電話の相手はかすかに笑ったようだ。
「そうだね。かなりギリギリだけど、間違いなく君は合格です。今、君の保護者がこちらに来てるよ。君も来るように。急いでね」
そして、こちらが返事をする前に通信は切れた。
「保護者?」
彼は確かにそう言っていた。もしかしたら父は生きていて、先に手続きに行っているのだろうか。
本当に? 死んだというのは間違いだった?
急激に世界が色づく。今まで聞こえなかった音も聞こえはじめ、夢から覚めた心地だ。
それとも今のは、自分の願望が見せた夢だったのだろうか?
だが受信記録は残っている。間髪を入れず今の通話と同じ内容のメッセージも届いた。彼はマメな性格らしい。
リュカは震える指で父親の通信端末に連絡を入れた。だが、反応はないままだ。父はだらしないから、きっと充電が切れているのだろう。
もつれる足を叱咤して、リュカはジェームス高校へと向かった。
事務室に行くと、事務員の案内で談話室に連れて行かれた。
だがそこで待っていたのは、小柄だががっちりとした体格の中年男性と、黒いパンツスーツに身を包んだモデルのような若い女性だった。
「マーティンさん!」
リュカは意外な人の登場に目を丸くし、次に勢いよくその男性の胸に飛び込んだ。
「リュカ! 来るのが遅くなってすまなかった」
父の親友であるアルベルト・マーティンは深みのある声でそう言うと、リュカを力いっぱい抱きしめる。多忙で宇宙を飛び回る彼にリュカが会うのは、実に一年ぶりのことだった。
「マーティンさん、どうして? お父さんが! お父さんが……」
「わかってる。だから来たんだ」
そう言うと、彼は事務員に退室を促し、部屋には三人だけになった。
「リュカ、驚いただろう。お父さんは気の毒だった」
マーティンにはっきりとそう言われ、リュカはゆっくりと瞬きをする。何も言わないリュカにマーティンは少し微笑みかけると、正面にいる女に頷きかけた。
初めてまともにその女を見たリュカは、人というよりも肉食の獣のようだと思った。鞭のようにしなやかな銅色の肌、ヘーゼル色の目は鋭いナイフを思わせる。だがマーティンが自分の肩を抱いているせいだろうか。不思議と怖いとは思わない。
女はマーティンに頷き返すとリュカを一瞥し、自分の胸の谷間から小さな何かを取り出した。
胸の中に収納庫でもあるのかな。
ふと浮かんだ間抜けな考えにリュカは小さく微笑む。自分が笑えることが不思議な気がした。
女が取り出したものは、割と流通している記録メディアの一つだった。それを彼女が作動させると正面に等身大の父が映し出され、リュカはハッと息を飲む。そんな彼に、立体映像で現れた父はニカッと笑いかけた。
『ごめんな、リュカ。お前がこれを見てるってことは、父さんが消えたってことだよな。いやあ、すまんすまん、失敗したわ』
それはいつものように、どこまでもお気楽な父の姿。
『俺がいなくなったら、マーティンが後見人になるから心配するな。一緒にいるのはSBR・A11C。お前のボディーガード兼パートナーだ。どうだ、美人だろ?』
「ボディーガード?」
というか、エスなんとかって何? 名前?
父の陽気な口調に、リュカはキョトンと首をかしげた。
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