幻の英雄の影を踏む
挿絵イラスト:なもまるさま
ある日――目覚めたら、自分のことを、何も覚えていなかった。
木が張られた狭い部屋。古くて薄汚れている壁や天井。だが、きちんと整頓されていて、汚いという印象はない。
と、いうか、物がない。
一人用のベッドに、小さなチェスト。古いがしっかりした作りのクローゼット。だけ。
体を起こして、辺りを見回していたおれは、ガシガシと頭を掻いた。
ここは……どこだ?
そして、おれは誰だ!?
混乱しながらも、部屋を物色して、私物らしきものが一切ないのがわかると、そっと窓を開いた。
朝の空気と共に、ガヤガヤとした喧騒が流れ込む。
どうやらここは、宿の二階のようだった。
町の通りが眼下にあり、活気の出始めた道に、人が行き交うのが一望できる。
しばらく呆然と眺めていたが、ここで過ごしていても仕方がない、と決意して、階下に降りて、事情のわかる誰かを探すことにした。
窓から見て、部屋の反対側にある扉を開くと、似たような扉が並ぶ。その奥に、階段らしきものが見えた。
唾を飲み込み、階下を覗き込めば、宿屋のカウンターがあり、その向こうに、イスやテーブルがあるようだった。朝食をとる人がちらほらといる。
息を吐き、ゆっくりと階段を降りれば、おや、という声が聞こえた。
「起きたのかい? 具合の悪いところはないかねぇ」
溌剌と笑う、恰幅のいい中年の女性が、近付いてくる。
「あたしゃ、この宿の女将だよ。あんた、夕べここに運び込まれたんだ」
彼女はおれの背中を押すと、空いたテーブルの席に座らせ、何か食べられるか、と聞く。
腹が減っていたので、首肯けば、パンとスープ、温めたミルクを持ってきてくれた。
カップに唇を寄せ、ふうふうと冷ましてから一口飲めば、甘味と温もりが口いっぱいに広がる。
ミルクの旨い店は、食事も旨い。
遠慮なく、ガツガツと掻き込めば、ホッとしたように女将が笑った。
「あんた、道で行倒れてたんだってさ。運び込んだ冒険者が言ってたよ」
「行倒れ……」
「近頃、朝晩、冷え込んできたからねぇ。下手すりゃ死ぬよ。運が良かったね」
運が良かった。そりゃそうだ。
冒険者は基本、自己責任。行倒れをただの親切心で、拾って宿に運び込むバカは稀だ。
おれは、慌てて尋ねた。
「その、冒険者の人は? お礼が言いたい」
「もう、出ちまったよ。冒険者統括所に行けば……ううん、もう依頼に出てるかねぇ」
「! 女将さん、その人の名前と、ギルドまでの道を教えてくれよ」
急いで飯を掻き込むと、宿を飛び出した。教えられた道を行けば、冒険者ギルドはすぐに見える。
建物に駆け込み、辺りを見回した。
依頼を受け付けるカウンター。素材の換金所。テーブルを囲んで、作戦を考えるパーティー。壁に貼られた依頼書を、吟味する者たち……。
おれは、依頼書を覗き込んでいたうちの、一人に話しかける。
「あの」
「ん?」
「デリック・リーストリ、という人を知りませんか?」
すると、振り返った男は破顔して、おれの顔を覗き込む体勢に変わった。
「おお! 坊主、目が覚めたんだな。具合悪いとこはないか?」
「へ?」
振り返った男は、栗毛の癖っ毛に榛色の瞳をした、なかなかのイケメンだった。
「俺がデリックだよ。坊主の名前は?」
まさかの、一発目、本人当たりである。と、いうか……。
「いや、坊主じゃねーし」
「? ああ、もしかして、もう15歳になってたのか。わりィわりィ。成人したら、もう坊主じゃねーよなぁ」
「いやいや、おれはいくつに見えてるんだ」
「ん? 13~14あたりかと……いや、失礼」
笑い含みに言われ、カチンと来たが、言い換えそうとして、はたとする。
おれは一体、何歳なんだ。
慌てて回りを見回して、カウンター横に寄贈された姿見を見つける。
怒りに我を忘れた冒険者を、冷静にさせる効果を持つ、それを覗くと、灰色ががった茶髪の子供が映った。
灰色、というより、茶、濃茶、灰色の三色が、雑ざり合うように生えた髪、なのだということが思い出される。
瞳は、赤銅色。光の具合で、茶にも赤にも見える。
間違いなく、おれだ。と思えた。けれど、こんなに子供だっただろうかと、違和感があった。
それをどう思ったのか、デリックが後ろから、なぁ、と慰めにきた。そんなに落ち込むなよ、と。
「なぁ、デリックさん」
「ん?」
「助けてくれてありがとう」
「おう。律儀なヤツだな。どーいたしまして」
「あんた、おれの知り合いだとか、じゃないんだな?」
「違うな。昨日が初対面、喋ったのは今が初めて」
鏡に向かったまま、はぁーッ、と大きくため息をつくと、デリックの顔が怪訝なものに変わった。
「おいおい、どうした」
「デリック、おれ、記憶がないんだ」
「ちょ、イキナリ呼び捨て……は?」
「名前だとか、どこから来ただとか、歳は、親はとか、一切覚えてないんだよ……!」
「は、……はァア!?」
知り合いが、行倒れてるのを、憐れに思って、助けたんだと思った。違った。彼は、本物のお人好しだった。
お人好しのデリックは、それから更に詳しく、おれのことを聞いてきたが、一切なにも思い出すことが出来なかった。
― * ―
あれから、半年。
おれは、冒険者になっている。
デリックに、宿代を返さなきゃならないし(お人好しだから固辞されたが、無理矢理返した)、これからの生活費も、稼がなきゃならない。
身寄りも何もない、おれが就ける職は、限られている。
まぁ、たぶん、成人してすぐに、冒険者になるために、田舎から出てきたんだろうと、結論したのもあるし。冒険者は、一般的に田舎者や三男以降が、選びがちな職業だ。
おれは、何か思い出すことがあるかもしれないと、町の中でできる雑用依頼を受けまくり、知り合いを探したが、なんの手がかりもなく、逆に信用を得て、新しい知り合いを獲得していくぐらいだった。
そうなると、自分の過去にこだわるのも、アホらしくなってきて、まぁ、楽しく冒険者暮らしを送っている。
ところがある日、あれ以降、おれの世話を焼こうとするお人好しに、飯に誘われた時のこと。
「なぁ、ベル。俺は旅に出るよ」
おれは『ベル・へルック』(幸運)という名前を、デリックに献上されていた。
口いっぱい麺を頬張ったまま、顔をあげる。
いつもヘラヘラと笑っているデリックの顔は、ひどく真剣で、追い詰められているように見えた。
おれは、ちゅるるん、と麺を吸いとると、そのまま喉の奥に流し込んだ。
「なんだ、デリック。急だな」
次の一口を、フォークに掬いながら、話を促した。
ぞんざいな扱いのようだが、これでおれは、デリックのことを尊敬している。
恩人だし、冒険者としての腕もある。まだC級に燻っているのは、そのお人好しの性格に由来するのだ。
だが、もっと、尊敬する人がいる。
それが、
「英雄、のことなんだけど……」
「うん」
デリックがよく話す、英雄のことだ。
そもそも、デリックがおれを助けたのは、英雄がきっかけらしい。駆け出しのころ、失敗が募って、行倒れたデリックを、助けてくれたのがこの、英雄、と呼ばれる人だった。
以来、この周辺のギルドでは、新人研修が徹底され、行倒れる駆け出しが出にくくなった。
うん。英雄は、この町の冒険者ではない。二つ向こうの町を拠点にする冒険者だ。
彼は、間接的なおれの命の恩人と言える。
彼の功績は、デリックの口以外からも出てくる。
一番多いのは、『愚者の森の大氾濫』の話だろうか。
氾濫は、ダンジョンからモンスターが溢れ出る現象だ。
少し離れた場所にある愚者の森と呼ばれるところにあったダンジョンが、溢れたことがあった。規模が大きく、大氾濫と呼ばれる。
そこで、活躍したのが英雄だった。
人が好いだけではなく、とてつもない強さだったようだ。
20人規模の盗賊を、無傷で捕らえるほどというから、本当に相当。
大氾濫の時に、参加した冒険者で、彼を尊敬しない者はいないと言われていた。
「その、英雄がな」
「うん」
「一年前から、行方不明らしい」
え?
「何人もの人が、探してるけど、音沙汰がない。依頼も受けてないって」
「うん」
「俺、探しに行こうと思うんだ」
「そうか」
そうか……。
「この周辺は、探す人がたくさんいるし、かなり探されている」
「うん」
「だから、俺は、少し遠くを探す。旅に出るよ」
「わかった」
おれは、頷いた。
「……ごめんな、お前のことは、アルに頼んだから……」
「おれも行く」
「は?」
「旅だろ? ちょうどいい。おれの記憶も一緒に探せる」
「おいおい」
口実だ。ちょうどいい。
「英雄は、おれにとっても恩人だ。探すの手伝う」
デリックの目を見て言った。
この半年で、それなりの体力もついた。足手まといになるつもりはない。
「おれは、デリックの旅についていく」
「マジかよ……」
軽い問答のあと、デリックが折れた。
おれの頑固さを、彼はよく知っているからな。
そうして、おれたちの二人旅は始まった。
― * ―
これは、英雄に憧れるC級冒険者と、若返った代わりに記憶を無くした、英雄の旅の物語。
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