第2話 錬金工房、その力の片鱗
「たっくん、避けて!」
ユリアーナの悲痛な叫び声が木霊し、続いて彼女の茫然とした声を風がさらう。
「……え! 消え、た……?」
咆哮も地響きもない。
あるのは草木を揺らす風の音と川のせせらぎだけだ。
俺たちの眼前から脅威が消えた。
成功だ。
理解した通りの能力が発動したことに鼓動がさらに高鳴る。
叫びだしたくなる程の高揚感が全身を支配する。
興奮しているのが自分でも分かった。
俺はそれを気取られないように振り返ると、硬直しているユリアーナに声をかける。
「片付いたぞ」
「何を、したの……?」
疑問と狼狽がない交ぜとなった眼差しが向けられた。
「錬金工房の中にクマみたいなヤツを収納した。さっきユリアーナが口にした異空間収納も同じような機能なんじゃないのか?」
錬金工房の能力を理解した瞬間、ゲームによくある『アイテムボックス』や『ストレージ』と呼ばれる機能が頭に浮かんだ。
さらに意識を集中することでそれ以上の機能があることも瞬時に理解した。
あとは状況に最適な機能を発動するだけだった。
「異空間収納は生きたまま収納することはできないけどね」
「生きたまま収納できるのは珍しいのか?」
「あたしが知る限り、ないわ……」
彼女の表情と口調から容易に想像がつく。
生きたまま収納できるというだけでも驚愕に値するようだ。
「収納以外のスキルでも?」
ユリアーナが表情を強ばらせたまま、ゆっくりと首を振る。
先程とは違った高揚感が襲う。
いや、これは優越感だ。
俺だけが使える能力。
俺だけの力。
綻びそうになる口元を引き締めて提案する。
「他にも色々と試してみたいことがあるんだ。ここで少し錬金工房の能力確認をしてもいいか?」
「他にも?」
「能力の詳細は追々確認するにしても、現状の戦力把握はしておきたいからな」
「賛成よ。あたしもたっくんの能力を知っておきたいわ」
俺は現時点で自分が理解している範囲の能力を伝えることにした。
「錬金工房の中を幾つもの空間に区切って、その空間毎に時間を止めることも、加速することもできるし、自在に重力を制御することもできる」
錬金工房の中で先程の獣が宇宙遊泳をするようにジタバタしている様子を彼女に告げた。
すると、額に汗を浮かべたユリアーナが息を飲む。
「生きてるの……?」
「今のところ元気にしているな。それと、取り込んだモノの鑑定と解体が可能だ」
収納した獣を意識しただけで瞬時に解体したことを告げる。
「自由自在ね」
どこか感情が消え失せたような声のトーンだ。
「異空間収納の上位互換って感じなのかな?」
「まったくの別ものよ」
どこか疲れ切ったような表情を浮かべて頭を振ると、異空間収納の基本的な能力について教えてくれた。
「内部の時間は停止している状態で、収納したモノに対して何か干渉することはできないわ」
「あまり大っぴらにしていい能力じゃなさそうだな」
「それといま、ターゲットから一メートルくらい離れた状態で収納したでしょ」
「そんなものだったか?」
獣との距離を思いだすが、体感では数センチメートル程度まで迫っていたように思える。
どうやら、自分で考えている以上にビビッていたようだ。
「稀に対象物から十数センチ程度離れた状態でも収納できる人はいるけど、普通は対象物に触れないと収納できないから気を付けてね」
「つまり、こういう事はしない方がいいってことか」
数メートル先にある直径一メートル程の大岩と、その隣に生えている大木を錬金工房へと取り込む。
大岩と大木が瞬時に消え、大木に巻き付いていた蔦が地面に落ちた。
バランスを失った鳥が、なんとか空中で姿勢を正して飛び去って行く。
「見事に消えたわね」
大木が生えていた場所に空いた大きな穴を、呆れたような表情で覗き込んだユリアーナが振り向く。
「もう言うのもバカバカしいけど、収納量は魔力量に比例するから、収納量を悟られないように気を付けなさい」
「この世界の住人と比べて俺の魔力量が多いってことだな」
「それも桁違いにね」
「いま収納した獣くらいなら問題ないか?」
「問題ないとは言えないけど、驚かれる程度で済むはずね」
「OK。このクマみたいな獣が収納量の限界って事にしておこう」
次に錬金部分について簡単に触れる。
「錬金工房のスキルで何か作成するには、錬金工房内に素材を取り込んでその中で作成するしかないらしい」
「その辺りは錬金術の方が便利そうね」
早速、試してみるか。
「出来上がり」
俺は鋼のナイフを作成し、それを右手に取り出してみせた。
岩から鋼と軟鉄を抽出して刀身を造り、木で造った柄にはなめした猛獣の革を巻き付けてある。
「それ……」
「材料さえあればその場でオーダーメイドの武器や防具が瞬時に作れるんだ。生活費に困ることはなさそうだな」
ユリアーナが即座に反応する。
「早い、早い! 普通はナイフ一つ作るのでも小一時間かかるの! この世界の住人でなくても、少し考えれば分かるでしょ!」
まったくもってその通りである。
皮のなめしや鉄の精製、木の加工という前工程だってある。
なのに数瞬でナイフが完成するのはおかしい。
冷静になって考えれば分かる。
「謝るからそう怒るなよ。人前で同じ間違いは起こさないから安心してくれ」
噛みつきそうな勢いのユリアーナにそう告げて、話題を逸らす。
「最後は収納容量がどれくらいあるか確かめたいんだけど、この辺りの岩や木を適当に取り込めばいいかな?」
「収納量は魔力量に比例するから、この世界の住人がもつ異空間収納なんて足元にも及ばないはずよ」
「世界トップクラスの収納量ってことか」
「ええ、恐らくあたしと同程度……。ううん、それ以上の収納量があるはずよ」
「桁外れの異空間収納持ちが二人。これで異世界を巡る旅も、だいぶ楽になりそうだな」
「戦闘もね」
「遠距離からの収納か」
ターゲットを生きた状態で遠距離から収納できる。
この力があれば刃を交えるような直接戦闘をしなくてもすみそうだ。
懸念すべきは射程外からの攻撃と不意打ち。
「遠距離からの狙撃や不意討ちさえ対処できれば無敵なんじゃないか?」
「どんな特殊なスキルを所持している相手が敵になるか分からないのよ。あんまり調子に乗らないでね」
ユリアーナが心配そうに諫めた。
「OK。慎重に行動するよ。俺も死にたくないからな」
彼女が何か言いたげな視線を一瞬向けたが、次の瞬間軽く頭を振る。
「身体強化の訓練をする間に例の獣の血抜きをしようと思っていたけど、それも必要ないようだから移動しましょうか」
「血抜き?」
「そうしないと臭くて食べられないでしょ?」
さも当然という顔で返した。
「ちょっと待て。女神なのにクマを食べるのか?」
「女神だってお腹くらい空くわよ。できればもっと美味しいものが食べたいけど、贅沢が言える状況じゃないでしょう?」
「随分と人間臭い女神だな」
いや、神様って供物を要求するよな。
やっぱり人間と同じように美味いものを食べたいと思うものかもしれないな。
「神界にいればお腹が空くこともないわよ。そもそも不老不死だからね」
違った。
今の状況が特殊なのか。
「もしかして、人間界に降臨した今の状態だと、怪我したり、その、死んだりするのか?」
「そう、そうね。そうなるかしら」
どこか困ったような曖昧な微笑みを浮かべる。
「……ユリアーナ」
「自己犠牲とかじゃないから。その、誰かがやらないとならないでしょ?」
慌てたユリアーナが不意に視線を逸らした。
「……元気出せよ。俺も頑張るからさ」
「ありがとう」
世界を守るために頑張る少女。
眼前の健気な少女の味方が自分だけだと思うと、胸が締め付けられるような気がした。
「その、なんだ……俺がここにいる状況には納得できないところもあるけど、ユリアーナがそんな危険を冒してまで頑張ってるんだ。男の俺がいつまでもグダグダ言っていられないからな」
「たっくんのそういうところ、大好きよ」
不意討ちの笑みに心臓が大きく波打つ。
「お、おう」
ゆっくりと歩きだした彼女の背中を視線で追う。
「それじゃ、移動しながら身体強化の練習をしましょうか」
そう言って不意に振り返った。
「錬金工房が十分に戦力になることは分かったけど、魔物が脅威であることは変わりないわ。自分の身を守る上でも身体強化は重要よ」
不安そうな眼差しが俺に向けられた。
そりゃ、不安だよな。
だが近い将来、それを信頼の眼差しに変えてやる。
「手を抜くつもりはないから安心してくれ」
当面は二人の能力を活かして戦う。
本格的に武器や防具、アイテムが作成できるようになったら、それぞれの弱点を補うアイテムを作成する。
隙が少なくなれば生存確率は上がるはずだ。
そんなことを考えた瞬間、俺の中で何かが閃いた。
「さっき、飛行能力があるとか言ってたろ? なら、俺を抱えて飛べば魔物に遭遇しなくてすむんじゃないのか?」
「空を飛ぶ魔物だっているわよ」
「そう、か……」
「それにたっくんを抱えて飛ぶなんて無理よ。今のあたしが持っているのは低レベルの飛行能力だもの」
「でも、上空から街を探すくらいはできるんじゃないのか?」
大まかな方向が分かるだけでも、無闇に森の中を歩き回るより安全で確実だ。
「エッチ」
「何を言っているんだ?」
「あたしを宙に浮かせて、下から覗くつもりなんでしょ」
恥ずかしそうに頬を染めるユリアーナに俺の心臓が再び大きく跳ねた。
「しないって! そんなことする訳ないだろ!」
「ふーん。怪しい……」
ほんのりと頬を染めた彼女が上目遣いで見つめた。
疑惑の眼差しだと分かっていても、えも言われぬ幸福感が襲ってくる。
心臓がまるで早鐘を打つように高鳴る。
「違うから。やましいことは考えてないからな。俺は純粋にお互いの弱点を補えればと考えただけだから」
自分でもしどろもどろになっているのが分かる。
「そう言うことにしておいてあげる」
「そう言うこと、ってなんだよ――」
なおも抗弁しようとする俺の言葉を遮る。
「この話はここまでよ。少し離れているけど雑魚を見つけたわ」
「魔物か?」
神妙な顔でうなずく彼女の視線の先に意識を集中する。
「無理よ。まだ視認できる距離じゃないから」
「どうして分かったんだ?」
「魔力感知よ。さっきの獣は魔力がなかったから、近付かれるまで分からなかったけど、魔物は魔力があるから分かるの」
魔力専用のセンサーみたいなものか。
「距離は?」
「およそ一キロメートル。敵はまだこちらに気付いていない、と思う」
俺は取り込んだ樹木で全身が隠れる大きさの盾を二つ作成し、一つをユリアーナに差しだす。
「少しはマシだろ」
「ありがとう」
盾を受け取ったユリアーナが、お礼の言葉に続いて選択肢を示す。
「隠れてやり過ごすか先制攻撃をかけるかよ」
「先制攻撃を仕掛けよう」
即答した。
「敵の正体が分からないのに?」
「こちらが敵の正体を確認する手段は視認しかないんだ。もし敵が犬やオオカミみたいに鼻が利く魔物だったり、聴覚が異様に優れた魔物だったりしたら、隠れても発見される可能性が高いんじゃないのか?」
「ええ、それはそうだけど……」
ユリアーナが不安そうに言い淀む。
「だったら見えるところまで近づこう」
「その選択肢は身体強化をそれなりに使えるようになってからにして欲しかったわ」
「百メートルだ」
百メートル程先にある、直径二メートル程の大岩を収納してみせた。
「え?」
「百メートルまで近寄ることができれば、錬金工房で確実に収納することができる」
重量物を収納できた距離。
それが魔物だとしても生きた状態で収納できると直感的に分かる。
俺の言わんとしていることを理解したのか、ユリアーナが静かに首肯する。
「いいわ、やりましょう」
俺たち二人は、ユリアーナの魔力感知を頼りに、風下から敵の側面へと回り込むように近付いて行く。
しばらく進んだところで彼女の動きが止まった。
大木に身を隠して一点を見つめる。
「ゴブリンよ」
彼女の視線の先を見ると、深緑色の皮膚をした小柄な魔物が周囲を警戒しながら進んでいた。
「数は分かるか?」
「魔力感知に引っ掛かったのは十二匹」
自分自身が敵の位置を把握できていないことに多少の不安はあったが、恐怖で足がすくむこともなければ混乱することもなかった。
普段以上に頭が冴えているのが分かる。
「本当に一人で大丈夫?」
「問題ない」
「弓矢を持っているのが三匹と片手剣を手にしているのが二匹」
彼女の視線の先に目を凝らす。
弓矢を手にした三匹のゴブリンと、その両側を挟むようにして二匹のゴブリンが歩く姿を捉えた。
「OK。こちらでもその五匹を視認した」
言葉と同時に錬金工房を発動させる。
弓矢を手にした三匹のゴブリンとその両側を歩いていた二匹のゴブリンを瞬時に取り込んだ。
成功したことに俺は胸を撫で下ろす。
「鮮やかなものね」
感嘆の声に続いて、ゴブリンの位置を知らせるささやきが耳に届く。
「左の方に三匹。もうすぐ茂みから出てくる」
的確な指示だ。
すぐに三匹のゴブリンが茂みから姿を現し、そして消える。
あと四匹。
突然ゴブリンたちが騒ぎだした。
「異変に気付いたようね」
「十二匹のうち八匹が忽然と消えたんだ、そりゃおかしいと思うだろ」
「ちょっとしたサスペンスね」
彼女が笑みを見せた。
「ユリアーナはゴブリンだけでなく、周辺を警戒してくれ。クマも見逃すなよ」
言外に魔力感知だけでなく視覚での周辺警戒もするよう告げる。
「言うじゃないの」
そう言って口角を吊り上げると、
「任せてちょうだい」
愛くるしい大きな目でウィンクをした。
それとほぼ同時に四匹のゴブリンが姿を現す。
ゴブリンたちは周囲を警戒しているというよりも、何が起きたのか分からずに慌てふためいているように見える。
「警戒していても慌てふためいても一緒なんだけどな」
独り言を口にしながら残る四匹のゴブリンを錬金工房へと取り込んだ。
下記の作品もご一読頂けると幸いです。
『転生! 竹中半兵衛 マイナー武将に転生した仲間たちと戦国乱世を生き抜く』
https://ncode.syosetu.com/n0681de/
『おっさんと女子高生、異世界を行く ~手にした能力は微妙だったけど、組み合わせたら凄いことになった~』
https://ncode.syosetu.com/n9097ek/