第1話 異世界へ(1)
新作です。
どうぞよろしくお願い致します。
いきなりですが、長くなってしまったので、第一話を二分割しました。
巨大な影が動き、樹木が折れる乾いた音が辺りに響いた。
名も知らぬ鳥が飛び立ち、力のない小動物が算を乱して逃げだす。
距離にして二百メートル。
樹々の間から姿を現したのは巨大な黒毛のクマのような猛獣。
その鋭い眼光が真っ先に捉えたのは、ゴスロリに身を包んだ十二、三歳のたおやかな少女。
次いで、学生服を着た十五、六歳の華奢な少年に視線が移る。
「魔物?」
少年の端正な顔が恐怖に引きつる。
「魔物じゃないわ。普通に猛獣よ」
続く、少女のささやくような声に少年が無意識に後退る。
「いやいや、無理だろ。動物園で見たヒグマの三倍はあるぞ、あれ。だいたい武器の一つもないのにどうやって戦うんだよ」
クマに襲われたジープが容易く破壊されるニュース映像が少年の脳裏をよぎる。
「錬金工房で武器は作れないの?」
「無理だ。使い方が分からない」
無力さを口にした瞬間、少年は自分が何の力もない獲物なのだと改めて自覚した。
心臓を鷲掴みにされたような息苦しさと恐怖が少年を襲う。
「魔力で身体強化を図りましょう。武器はその辺の岩で大丈夫なんじゃないかしら? あ、怪我しても光魔法で治してあげるから安心して」
「属性魔法が使えるって言ったよな? 魔法でチャチャっと片付けられないのか?」
猛獣は少年と少女を視界に捉えたまま、樹木の間を抜けて川沿いの広い空間へと移動する。
「それこそ無理よ。力がほとんど失われているんだから、属性魔法なんて申し訳程度のことしかできないわ」
「それじゃ怪我したって治せないんじゃないのか?」
「それは大丈夫。光魔法だけは健在よ」
恐怖の元凶が少年に向かって、突如、駆けだした。
樹々をなぎ倒し、地面を揺らす。
全身に伝わる振動が恐怖心を増幅させる。
「魔力による身体強化ってどうやるんだ!」
意を決した表情で少女が少年の傍らに駆け寄る。
瞬く間に距離が詰まる。
少年との間に残された距離は百メートル!
「身体強化の方法を教えてくれ!」
切迫した声が響く中、彼女の左手が少年の背中に触れた。
「分かる? いま、強制的に魔力を身体中に循環させて身体強化を施したわ」
咆哮が空気を震わせた。
少年の心臓が跳ねる。
鼓動が早まる。
五十メートル!
迫る巨体が少年の視界一杯に広がる。
全身から汗が噴きだしたような錯覚を覚える。
同時に身体強化とは別の力を感じていた。
少年は身体の奥底に感じる力に意識を集中する。
自分が持つ力を瞬時に理解した。
「これが、俺の力……」
高揚感が少年の中で急速に膨れ上がった。
―――― 少し時間をさかのぼる。
「ハーイ」
ゴスロリファッションに身を包んだ十二、三歳の美しい少女がにこやかに微笑んだ。
その笑顔に心臓が激しく脈打つ。
ダークブラウンの大きな瞳が俺を真っすぐに見つめていた。
穏やかな風がウェーブのかかった黒髪をさらうと、腰の辺りまで伸びた髪が大きく揺れる。
少女の涼やかな声が耳に届く。
「あなたは誰?」
「神薙拓光」
自分の発した声で我に返った俺は、意識を少女から周囲へと移した。
彼女の背後には陽光を反射して輝く小川が流れ、周囲には新緑を茂らせた樹木が群生している。
周囲の景色を認識した途端、疑問が湧き上がった。
何で森の中にいるんだ?
俺は……、つい先ほど高校の校門をくぐったはずだ。
「ようこそ、神薙拓光さん。あたしはユリアーナ。あなたの居た世界とは異なる世界の女神よ。あなたは、あたしの助手としてこの世界に召喚されました」
「女神様が俺を異世界に召喚した……?」
「その理解で正しいわ。それとあたしのことは『ユリアーナ』と呼んで。あたしもあなたのことを『たっくん』って呼ぶから」
いきなり『たっくん』かよ。
いや、些末なことは後回しにしよう。
「ここはどんな世界なんだ?」
「ここは科学の代わりに魔法が発達した世界で、最も進んだ文明レベルでも地球の中世ヨーロッパ程度と考えてもらっていいわ――――」
そこから女神様の説明が始まった。
国家形態は君主制がほとんどを占め、王国や帝国が点在し身分制度が存在する。
教育レベルも国家により多少の差はあるが、こちらも中世ヨーロッパ程度と考えて問題ないようだ。
地球との最も大きな違いは住民と魔物の存在。
この世界には人間の他にエルフやドワーフ、幾種類もの獣人が存在し、多少の確執はあるが共存している。
そして、彼らの共通の敵として魔物が存在した。
「――――あとは各地にダンジョンがあるわよ」
魔法のあるファンタジー世界確定だ!
何とも魅力的な世界じゃないか。
彼女の話を聞いているときから胸が高鳴っていたが、拭いきれない不安もあった。
「元の世界に帰ることはできるのか?」
「いますぐは無理よ。でも、あたしが力を取り戻せば元の世界に帰ることは可能よ」
つまりは、彼女に協力するしか選択肢はないということか。
「何れ帰れるならそれでいい。そんなに未練がある訳じゃないからな」
「うわー、寂しい人生を送ってたのね」
彼女の憐れむような眼差しが、イジメられていた中学時代の記憶と入学して間もないが孤独に過ごす高校生活の記憶とをフラッシュバックさせた。
眼差しと蘇った記憶が俺の胸を抉る。
「俺の過去よりもこの世界でのこれからの方が大切だろ!」
「前向きじゃないの。理由は訊かないであげるわね」
一言多いな、この女神様。
それよりも気になるのは魔法だ。
「魔法がある世界と言っていたが、俺も魔法を使えるのか?」
「使えるわ。たっくんからは強大な魔力を感じるもの」
魔法が存在する世界でも俺自身が使えなければ意味がない。
だが、それは杞憂のようだ。
文明レベルが地球の中世ヨーロッパ程度というのも魅力に拍車を掛ける。
俺は心の中でガッツポーズをした。
「それで助手ってのは? 俺は何をしたらいい?」
「実はこの世界はいま未曽有の危機に直面しているの――――」
彼女が言うには、神聖石と呼ばれる神の力を秘めた石が、天界の事故によりこの異世界の各地に散らばってしまったそうだ。
散らばった神聖石は百余。
その一つ一つに世界のパワーバランスを崩すほどの力が秘められている。
この世界のパワーバランスを崩さないためにも早期に回収する必要があった。
「――――人や魔物の手にあまる力よ。可能なら人や魔物が手にする前に、最悪でも崩れたパワーバランスを修復しながら、世界に散らばった神聖石を回収するのが目的よ」
その目的を果たすために女神である彼女が降臨し、助手として俺を地球から召喚したということだ。
想像した以上に危険な状況じゃないのか、これ……。
孤独ではあっても、平和で怠惰な地球での日常が、とても大切なもののように思えてきた。
「世界の危機を救うって? まさか、世界が消滅するなんてこともあるのか?」
「そこまで深刻じゃないわ」
どこまで信用していいか判断に迷うところだが、今は世界が消失する危険がないと信じよう。
俺が考え込んでいると、ユリアーナが先を続ける。
「でも、パワーバランスが崩れて各地で人の手にあまる事件がこれから発生するの」
「これから発生する? 女神様だから先のことが分かるのか?」
先回りして解決するのだろうか?
彼女は俺の質問を『まあ、そんなところね』、と軽く流して先を続ける。
「召喚者であるたっくんには特別なスキルが備わっているはずよ」
強大な魔力に特別なスキル、か。
なんて魅惑的な響きだ。
自然と口元が綻ぶ。
そんな俺の様子を見たユリアーナが文字通り女神のような笑みを浮かべた。
「少しはやる気になったようね、嬉しいわ」
落ち着きかけていた鼓動が再び早まる。
自分の鼓動が耳を打つ。
彼女の笑顔に胸を高鳴らせていることを悟られないようにしよう。
「頼まれたら断れない性格なんだよ」
「理由はどうあれ、やる気のある助手は大歓迎よ」
こんな美少女と一緒に魔物を撃破して悪を懲らしめる旅をするのか。
いいねー。
女神様を背に庇って悪を懲らしめる自分の姿に胸が躍る。
俺の中にある天秤の傾きがさらに大きくなる。
「それと『女神様』はやめて。一緒に世界を巡るのよ。それなのに同行する男の子に『女神様』、なんて呼ばれたら周りの人が不審に思うでしょ」
確かにその通りだ。
同行する少女を『女神様』なんて呼んでいたら、いろんな意味で不審に思われそうだ。
「OK。これからはユリアーナと呼ばせてもらうよ」
「よろしくね、たっくん」
世界を救う重大ミッションの人員が二人だけ、なんて事はないよな。
他者と上手くやれるか一抹の不安がよぎる。
「それで、他の助手は?」
「それがさー、最後の力を使って召喚したから、追加で誰かを召喚するって無理なのよねー」
形の良い唇から小さく舌をだして笑う。
「ちょっと待て。最後の力だって? それじゃ二人きりで世界を救うつもりなのか?」
「そうなるわね」
俺の中で何かが弾けた。
「無理だ! 絶対に無理だ! 俺を元の世界に帰せ! いますぐ帰せ!」
「いますぐ戻すなんて、それこそ無理よ」
「俺の輝かしくなるはずの高校生活を返せ! 未来の彼女とリア充生活を返せ!」
「空想の産物でしょ? 空想ならこっちの世界でもできるわよ」
いま、鼻で笑ったな。
なおも俺が抗議をしようとすると、突然その手に炎を出現させる。
「魔法、使いたくない?」
使いたくないと言えば嘘になる。
だが……。
「命が惜しい」
「冷静になって考えて。元の世界に戻るにはあたしが力を取り戻すしか方法はないの。そして、力を取り戻す方法はたった一つ。この世界に散った神聖石を回収すること」
「二人きりで何ができるんだ?」
現実を見つめようぜ。
力を失った女神と高校生のコンビだ。
「言ったでしょ。召喚された者は特別なスキルを手に入れられるって」
「この世界で戦い抜けるだけの力が俺の中に備わっているとでも言うのか?」
「あたしが選んだ助手よ。自信をもってちょうだい」
マジか!
口車に乗せられている気もするが……、チート能力があるなら美少女と二人きりというのも悪くはない。
俺が思案していると女神が先を続ける。
「この世界を救う過程であたしも本来の力を取り戻せるから、必要なら途中で追加の助手を召喚してもいいかもね」
本当に必要になったらそれもありだが、無理に俺以外の助手を召喚してもらう必要はないよな。
願わくは俺一人で対処することだ。
そうすれば役得は独り占めできる。
思案する俺の耳に女神様の魅惑的な声が響く。
「ミッションコンプリートの暁には、元の世界に戻るときに魔法を使えるようにしてあげるなり、この世界で面白おかしく生きるなり、好きな方を選ばせてあげるわよ」
文明社会に戻ってイジメた連中に仕返しをする未来も捨てがたいが、中世ヨーロッパの領主のように贅沢三昧は得難い魅力があるな。
俺の中で天秤が振り切った。
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