[八 美杉長政] 傷だらけのコンプリート
「だから、俺じゃないんですって」
「そういう言い訳はいいから。なんで自殺しようとしたのか。早く言っちゃいなさいよ。いくら粘ったってカツ丼は出ないぞ?」
求めてもいない。
聞くところによると、自殺の通報を受けて駆けつけたようだった。駆けつけた時、手すり壁に立ちあがっていたのが、長政だった。すっぽんぽんで。
「自殺を助けたんですよ。俺は落ちる気ないんですよ」
「じゃあ、なんで裸だったんだい。もう死んでもいいと思っていたからだろう」
なんだろう。この抜け出せない罠にハマった感じは。全てをぶちまけてしまいたい。
「あれは成り行きですよ。気持ちが高ぶってたんですよ。あるでしょう、そういうことが」
「ない」
「ないですね」
長政自身も、ないと思った。
「そうだ。ウェブコメンテーターの、林道敦子さんに聞いて下さいよ。あの人なら一部始終を視ていましたから」
「ウェブコメンテーター? そんな目撃者はいなかったぞ」
なんだと。逃げたか。
周囲を見渡した。取調室というわけではなさそうだ。少し広めの部屋で、デスクワークをする人の動きもある。逮捕はされたが、罪人の扱いではないと思えた。
「それから一人、男を殴っただろ。彼は気にしていないと言っていたが、立派な暴行罪なんだぞ」
「そりゃ殴りますよ。飛び降りようとしてたんですよ。フライじゃないんですよ。ドロップですよ。ドロップダウン。そりゃふざけんなってなるでしょう」
「だから、ドロップしようとしていたのは、君だろう。いい加減認めなさい。人のせいにするんじゃない」
駄目だ。どうにもならない。
捕まった時の状況が悪すぎた。この様子だと、真実を話したとて、信じてもらえないかもしれない。
「先輩、その子の言っていること、本当みたいですよ。一応林道敦子を調べてみたら、もう目撃動画が拡散されてますね」
なんだと。
「どれ、見せてみろ」
「俺も見たいです」
据え置き型のアイシステムで、空間に動画が再生された。
長政がマンションに侵入するところから、映像は始まっていた。長政を視界の中心に捉える形で、土面に落ちるまで再生は続いた。
落ちたあとも映像は続いていた。
堂安を殴り、羽瑠に殴られたあとは、手すり壁に隠れて様子が分からない。声も聞き取れなかった。
次に見えたのは、裸の長政である。局所にモザイクはかかっていた。続けて警官に取り押さえられた。
映像の再生が終わると、感心したかのような表情で、署員が口を開いた。
「よく生きてたな」
長政もそう思った。五階から落ちている。死んでておかしくないし、死なないにしても大怪我は避けられないはずだ。
「わかって頂けましたか」
こんな映像で得意顔などできない。目線を落としたまま、口に出した。
「お、おう」
やっと解放された。
室外に出ると、父が来ていた。ご迷惑をおかけしました、と頭を下げている。
「羽瑠、堂安はどうしたんだ?」
「帰ったよ」
「なんで俺より帰りがはえーんだよ。おかしいだろ」
「それより、身体は大丈夫?」
「それ聞くの今かよ。おかしいだろ」
散々だ。本当に今日は散々だ。
ため息を吐きながら、身体の異常を確かめた。
「だってほら。五階から落ちたし」
「んー。ちょっと痛いような気がするが、まあ動くしなあ」
父がやってきた。
顔を見つめられた。殴られるかと身体が反応しかけたが、手も足も飛んでこなかった。
「病院に行くぞ、長政」
「普通に動くけど」
「いいから行くぞ。東雲さんは、もう帰って。今後もこいつをよろしく」
問答無用のようだった。
整形外科で診察を受けた。
せっかくなので、落下の映像は観てもらった。なぜ来院したかを理解してもらうのに手っ取り早い。
映像を観た担当医は、警察署員と同じように、よく生きてましたね、と口にしていた。
レントゲン検査をし、身体を触られたり、器具で叩かれたり、動かされた。その頃になって、身体の各所に異変が起きていることを、やっと実感できてきた。医者に触れられたら、思い出したように痛み始めてきたのだ。
最後に診断を受ける頃には、包帯を巻かれたりで、かなり痛々しい姿になってしまっていた。片腕と片足はギプスで固定され、腕は首から吊り下げ。松葉杖利用。固定されていない部位も、包帯だらけだった。
「骨折……ひびですが、見えるだけで四箇所。レントゲンに写らなかったものも、きっとあるでしょう。それから足首は捻挫ですね。打撲は十三箇所で、筋肉の損傷も数箇所。他にも擦り傷やらなにやら、怪我だらけですね」
軽症なのか、重症なのか。よくわからなかった。
「さっきまで平気だったんですが」
「交通事故と一緒ですね。事故直後は興奮しているせいもあって、痛みを感じないことも、よくあるんですよ。数日気づかなかったり、気づかないまま治るケースもあるほどで」
「で、先生。治るんですよね?」
一緒に診断結果を聞いていた父が、医師に質問した。
「全治一ヶ月以上でしょう。落ち方が落ち方でしたので、一日か二日は検査込みで入院してもらって、あとは様子を見ましょう。これ以上何もなければ、退院し自宅療養ですね」
入院もするのか。
「あの、先生。俺って、重症なんですか?」
身体を少し動かすだけで、痛みを感じるようになっていた。悲鳴を出しそうだったが、なんとか耐えた。
「個々の患部ごとに診れば軽症ですね。奇跡的に」
こんだけぐるぐる巻きにされて軽症なのか。
入院してしまうと、アイシステムでの暇つぶしくらいしか、やることがなかった。片腕しか自由に動かせないので、アイシステムの操作も億劫だった。
「お、いたいた。ボロボロやんな」
林道敦子が来た。見舞いというより、本当に入院しているか確認に来た、という風に見えた。
「視界映像をアップしたそうで」
「そうや。いい映像をもらったわー。感謝するで。なんか欲しいもん、あるか? 大抵のもんは、なんでも買ったるで」
「素っ裸の映像まで晒されたんですよ。ひどいじゃないですか」
「何言っとんや。先日リンチされた事件、誰の記事のおかげで救われたと思っとるんや。ウチやろ? つまり長政は、ウチに貸しがある。その貸しを返してもらっただけや」
「殴ったシーンも写ってましたし、また広告の提携解除ですよ、きっと」
「いや、今回は大丈夫じゃないか? 多分逆や」
「そんなわけが」
「いやいや、マジやって。今回は人助けの結果やからな。最後の真っ裸は、理解できんかったけど。あれ、なんやったん?」
「勢いで」
「なんや、理由ないんかい。自殺するくらいなら、これくらいできるやろーって示すためにやったんかと思ったわ。記事にもそう書いたやんか」
「あ、じゃあ、それで」
「適当やんなー」
見舞いには、他に公平と羽瑠が来た。遊々とその友人の日向も来た。
聞くところによると、堂安の落下を助けた動画は、爆発的な速度で再生数を伸ばしているらしい。だが、自分ではもう観る気にならなかった。改めて見ると、恐怖を感じそうな気がしたからだ。
退院の日。堂安翔也とマネージャーが来た。
「申し訳なかった。この通り、許して欲しい」
堂安とマネージャーが深く頭を下げた。
堂安の瞳は、生気を取り戻していた。死んだような瞳ではなくなっている。
「ミッションだったからな」
「え?」
「いや、こっちの話」
「もう大丈夫だから。いずれ恩を返したい」
「大丈夫なら、それでいい」
大丈夫というなら、ミッションはクリアというわけだ。払った代償は大きかったが、失敗するよりかは良かった。
「そうだ。羽瑠とは、どう?」
なんて聞いたらいいか分からず、ぼかしたような聞き方しかできなかった。
「彼女は強くて優しい。素晴らしい女性だ。彼女と一緒なら、困難を乗り越えられそうな気がするよ」
「お、おう。そっか」
自分と堂安、どちらが可哀想か。つかの間、長政は考えた。
東雲羽瑠被害者の会を結成するとしたら、堂安と以外は考えられない。