[六 美杉長政] 届け
ドゥエッジ社で契約を更新したあと、秘書に呼び止められた。博雄社長が呼んでいるらしい。
「聞き間違いじゃなければ、堂安翔也を立ち直らせてほしい、と?」
博雄の用件は、まるで考えもしなかったことだった。なぜ俺が、と思わざるを得ない。
「変な頼みをしているのは、重々理解しておるのだが、結構困っていてね。引きこもってしまって、出てこないそうだ」
「ですが、俺が何かするのは、おかしくないですか。特に接点ないですよ」
堂安翔也と顔を合わせたのは、ロールクエスト1の時だけだ。あとは映像の中でしか、見たことがない。
「本当の事情を知っている者が、極々少数しかいないのだ。私と秘書の常磐君。君と東雲羽瑠。それと堂安君のマネージャー」
「つまり、その事情っていうのは」
聞きたくない。
「ロールクエスト1の報酬絡みだ。東雲君の」
やっぱり。
「靴下だけでなく、下着まで脱がせてしまいましたから。ショックを受ける気持ちもお察しいたします」
秘書が遠回しに表現している。
それと確か、下着を剥ぎ取る許可を出したのは、この人達だったような。
「でも待って下さい。冷静に考えれば、羽瑠にチンコ見られただけですよね?」
「彼は、人気の俳優だ。そんな彼の恥ずかしい姿を、世間に晒されたら耐えられまい。その可能性にずっと苛まされているのだろう。それと彼は、東雲君に見られたという事実を知らない。そういう要望であったからな」
誰が悪いのか。少なくとも長政は悪くない。セーフだ。
諸悪の根源は、変態な報酬を要求した羽瑠だ。それと、変態報酬を許容したドゥエッジ社もアウトだ。許可した堂安翔也のマネージャーも同じくアウトだ。馬鹿、と面と向かって言い捨てたい。
やはり、なんで俺が巻き込まれるんだ。と思わざるを得ない。
「東雲羽瑠に対処させればいいのでは?」
「本人はさすがにまずいだろう」
「堂安翔也のマネージャーはどうなんですか?」
「そのマネージャーから助けを求められた」
「いっそ博雄社長が行かれた方が」
「ドゥエッジ社は、関与できんのだ」
勝手すぎる。しかし、博雄社長に頼まれている。義理がある。一応、雇用されている立場でもあった。しかし、ドゥエッジ社の人間としてではなく、一個人として行けということのようだ。
それにしても、なぜだろう。なぜセーフな自分が。そう思ってしまう。
「話してくればいいんですか?」
「ミッションとしては、彼の社会復帰が目標だ」
「ミッションですか。ゲームみたいですね」
「そのようなものだ。クリアできるかね?」
ほう。クリアできるか、と訊くか。
そう言われてしまっては、クリアしてやろうか、って気にもなってくる。長政は、少しやる気が出てきた。
「じゃあ、羽瑠を連れて行ってきますよ。同行ならいいでしょう。あいつにも少しは、責任を取らせたいと思います」
「まあ、良かろう。だが、注意点がある。ドゥエッジ社の関与は守秘。それと、本件を無関係の者に話してはならない。堂安翔也に情報を与えてもならない。これらは絶対に守ってくれたまえ」
「ちょっと待ってください。それはあの報酬を知らないテイで、どうにかしろってことですか?」
「それは難しかろう。同様の被害にあって、たまたま目撃してしまった。そんなところか」
ハードルが高い……。高すぎる。
「えっと、堂安翔也は、突然目隠しで連れ去られ、靴下とトランクスを剥ぎ取られました。そのあと、どうなったんですか?」
「マネージャーが目隠しで連れてきた。事後は、元いた場所に返し、マネージャーが救出したはずだ」
陥れたのもマネージャーと思えた。
優勝賞金の代わりの報酬だろうから、百万円でやってしまった、ということだろうか。犯罪臭が濃い。
サッカー部のマネージャーといい、俳優のマネージャーといい。マネージャーの肩書がつく人物には、ろくな奴がいない。
「あの、それって、俺がたまたまで目撃する機会がないですよね」
同様の被害者を演じるのならば、長政もチンコを晒したテイになる。それは、この際どうでもいい。問題はそこじゃない。同様の被害にあっていながら、たまたま堂安翔也を発見した、という条件を満たす。その方法だ。
今の状況では、ゲームをクリアできない。せめて事情は知っているテイでなければ、核心に迫る話もできない。どうしたの、と尋ねるのが精々だ。
「わかった。少し変えよう。君と東雲君もさらわれた。途中で一時的に逃げた。その時に、たまたま目撃した。再び捕まったので、犯人の情報や場所は、残念ながらわからない」
羽瑠も架空の被害者になっている。加害者なのに。
「頭がこんがらがってきそうなので、もっと色々単純になりませんか。ゲーム的な感じに」
「そうだな。……よし、細かいことは他言無用で、堂安翔也を救ってきてくれ。細かい方法は任せる。それでいい」
随分とシンプルなミッションになった。
内容的には、ゲームの世界にもありそうだ。きっと、なんとかなるだろうと思えた。俺に与えられたミッションだ、と思うと、やる気も沸いてきた。
「わかりました」
いつの間にか出されていた茶を口に含んだ。顔をしかめたくなるような渋味だ。こんなことなら、饅頭を持ってくればよかった。
「心配だな」
「頬を二、三発叩けば、正気に戻りますよ」
「……やっぱり心配だな」
冗談のつもりだったが、あまり通じていなさそうだ。さすがに人気俳優を叩くことは、できるわけもない。
空気をほぐそうとして冗談を口にしても、笑ってもらえたことはあまりない。どうも長政には何かが欠けているようで、真剣に受け止められてしまう。軽口を叩ける人を見ると、素直に羨ましい。
「羽瑠の都合次第ですが、数日中には行くようにします」
「頼む。私は国外に出てしまっている。結果は帰ってきてから聞くとしよう」
「バカンスですか」
「まさか。仕事だよ」
社長という役職は、ゴルフをしているだけって印象があるが、少なくとも博雄は違うようだ。ゴルフが似合う顔にも見えない。
博雄は何歳だろうか。最低でも、長政の倍以上は生きている。もしかしたら、三倍の可能性もあると思えた。
「美杉さん、堂安さんの自宅前には、パパラッチがいるようです。素行にはご注意下さい」
「善処します、常磐さん」
羽瑠に連絡をしたのは、その日の夜だった。
翌日の学校帰りに待ち合わせし、二人で向かうことにした。
翌日は、強い風雨だった。日が昇る前から降り始め、放課後には降り止んだ。雲の切れ間からは日が差し、雨天の終わりを感じさせたが、外を歩いていると、強い風が時々身体を打った。
まだ雨は降りそうな気もしたので、傘は手に持っていた。羽瑠も同様である。
「ねえ、美杉君。事情は分かったけれど、私達が事情を知っている理由はどうするの?」
羽瑠がスカートを抑えながら言う。風が強い。
羽瑠の言う通り、理由が問題だ。
事情を知っている。それを示すのは、最低限必要と思えた。わざわざ自分から、知られたくないことをバラすとは思えない。そして、事情を知らない者に心を開くとは思えない。
堂安翔也が変態の餌食になった。それを知っているのは、現場にいたか、何かから情報を得たか、の二択だろう。
ネットで見たよ、などと言うのは、堂安にとっては最悪だった。堂安翔也が一番恐れている事態と思われるからだ。同様に、誰かから聞いたというのも、避けたほうが良いと思えた。
であれば、現場にいたことにするしかない。
「現場にいたことにすれば、いーんじゃね。実際いたんだし」
「それは……。なんでいたのって話に、今度はなるんじゃない?」
「実は羽瑠が犯人、と言う」
「駄目駄目。絶対駄目」
羽瑠が強い口調で言った。首も振っている。
いくら考えても、これだといった妙案は思い浮かばなかった。体を使うのは得意だが、頭を使うのは苦手だ。
やはり博雄の案しか思い浮かばなかった。少し内容を変更して、口に出す。
「仕方ないな。俺たちも被害にあったことにしよう。次は堂安翔也を狙うと犯人から聞きもした。だから知っている、と」
これなら共感も誘えるし、うまいこといきそうな気がする。
「で、わたしが助けたってことだよね。わかった」
「なんでだよ。そこは二人で被害者だろ」
「一人でいいでしょ?」
確かに一人でいい。助けた方は、話を聞いたということにすればいいのだ。
「どちらか一人なら、俺が助ける方だろ」
「嫌だよ。見知らぬ人に下着を剥ぎ取られたなんて話、広まったら生きていけないよ」
自分でやっておいて、自分が助けたことにするなんて、虫が良すぎる。
「うるせーなあ。仮想の話でくらい下半身晒せよ。そもそも誰のせいで、今こうなっていると思ってるんだ。全部ぶちまけっぞ。こいつがやりましたってな」
「ぅ……」
泣きそうになりながら、ねだるような視線が送られてきている。本性を知った今、いや本性を知らない時から、そんなものに揺らぐ俺ではない、と長政は思った。サッカー部の奴らは、時々やられていた。
とにかく、これ以上面倒を背負い込むのはごめんだ。
「ここだな」
到着した。アイシステムのナビゲーションがあるので、迷うことなくたどり着いた。高級マンションである。
マンションは十階建てだ。入り口はオートロック。ロビーもある。駐車場が地下にあるようで、丁度出てきた車はピカピカの高級車だった。二階以上の高さの木が数本あり、マンションの外観に緑を加えている。
ここで、堂安翔也のマネージャーと待ち合わせていた。まだ姿が見えない。
マネージャーの代わりに、見知った顔を見つけた。
「なんや、長政やないか」
「パパラッチですか、林道さん」
「ちゃうちゃう。そないなもんと一緒にせんといてーや。たまたまや。たまたま、金の匂いを感じたんや」
「美杉君。知り合い?」
「林道敦子さん。ウェブコメンテーターだってさ」
「ああ、美杉君の動画を載せた人?」
「そうやで。よう知っとるな、嬢ちゃん。あー、東雲羽瑠やったな。あんた存在感薄いな」
よろしくおねがいします、と羽瑠が対応する。
「なんかあるんですか。ここで」
「いや、なんもない。本物のパパラッチは、近くの特ダネに向かったしな」
「林道さんは、行かないんですか?」
「みんな行っとるやろうしなあ」
長政がここに来たことを、この人に知られてしまっても良いのか。少し悩んだ。
「それより二人はデートか? 最近のカップルは、堂安の家がデートコースなんか?」
日を改めた方がいいだろうか。
「堂安翔也に会いにきたんですよ」
うまく言い逃れる自信もなかったので、嘘を吐くのはやめた。羽瑠は黙っているので、長政に任せるつもりなのだろう。
「ふーん」
どうやって、とか、面識あるのか、などと聞かれるとちょっと困る。手に持つ傘をコマのように回しながら、少し構えるような気持ちに、長政はなった。
続けて、林道が口を開いた。
「ここの五階が、堂安翔也の部屋やで。ほら、あそこ。人が飛び降りそうやな。五階からじゃ、ちょっと低いわなー。死ねない可能性もあるやろ」
何を言っているんだ、と思いつつ、羽瑠と二人で五階を見上げた。確かに、手すり壁に乗っている人物は見えた。落ちそうで危ない。
距離があって顔を識別できない。アイシステムの望遠機能をオンにした。
ズーム。ズーム。
「堂安翔也本人に視える」
隣で羽瑠が、悲鳴のような息を吐いた。
見てる場合じゃない。走った。
「ちょい待ちーや。行ってどないすんねん。うちも行きたいねん。でも視て収めないとなんや。ちょっと、なあっ」
後ろは振り返らなかった。
入り口。オートロックが開きそうになかった。
外に出て、外階段の壁に飛びついた。よじ登って中へ躍り込む。全力で階段を駆け上がった。
五階に到着すると、廊下を走った。堂安と目が合った。
「来るな」
「行く」
走る速度は落とさなかった。逆に、さらに加速する。落ちる前に掴んでしまう。それでこっちのものだ。
あと数歩。思った時に、強い風が吹いた。思わず目を閉じる程だった。
それは刹那のことだったが、目を開いた時、堂安は傾いていた。外側に。
堂安の姿が、手すり壁の向こうに消えていく。
クリアが不可能になってしまう。思った時には跳躍していた。絶対クリアする。集中力が高まったその瞬間から、全ての動作がゆるやかに感じられた。
身体を投げ出し、落ちる堂安の足を掴んだ。さらに手すり壁に自分の足を引っ掛け、落ちないようにぶらさがろうとした。
とっさに思ったのは、ここから引き上げるのは無理、ということだ。壁に打ち付けられる勢いのままに、堂安を一階下、四階の通路へ投げ込んだ。
投げ込んだ反動で、長政の足が手すり壁から離れた。浮遊感に身体が支配される。
下。このまま落ちれば、コンクリートの地面だ。
反動で身体が手すり壁から離れてしまっている。四階の手すり壁にも、手が届きそうにない。
傘。もう片方の手に持ったままだった。
とっさに傘の手元側を伸ばした。四階の手すり壁に、なんとか引っ掛けた。しかし、次の瞬間には折れた。落ちる身体を寄せることができただけだ。
三階。
足が手すり壁に届きそうだった。叩きつけるようにして、手すり壁に片足を乗せる。全力の力を込めた。
落下が止まった。
体勢は、手すり壁の外側に、ほぼ真横の角度で立っていた。
これはもたない。半呼吸も持たない。
二階の通路に飛び込みたい。しかし、無理がある。
また下を見た。この高さなら、助かるだろうか。
視界の端に、土面が見えた。土面から伸びる木。
考えるより先に跳んだ。
届け。届けよ。
枝に届いた。折れた。次の枝を脇挟みしようとしたが、それも折れてしまった。
落下速度を落とす必要がある。とにかく手足をぶつけながら落ちた。
土面。かろうじて受け身を取る努力をした。かなり強かに打ち付けたので、一瞬呼吸が止まりかけた。
「うおおい。長政ー、大丈夫か?」
林道の声で、周囲の速度が戻った。
生きている。
立ち上がった。
怒りがこみ上げてきた。
再びマンション内部に侵入した。階段を駆け上がっていく。
四階。立ち上がったばかりの堂安がいた。その面を全力疾走のまま殴った。堂安が転がるように倒れた。
「てめえ! 落ちるなら、人がいねえところでやれや!」
後ろから駆け足が聞こえた。振り返ると羽瑠だった、と認識した瞬間、長政は殴られた。踏ん張りが効かず、転がるように倒れた。
ついでのように、堂安も羽瑠に平手されている。
「羽瑠、てめえ、何しやがる」
「何やってるの、二人共」
羽瑠は大粒の涙を流していた。
「俺は違うだろ」
「なんで自殺なんて、しようとしたの。下着を取られて、下を視られただけでしょう!?」
「おい、俺を殴るのはおかしいだろ」
「まさか。なぜ、それを」
長政は無視され、堂安はやっと反応した。
「わたしも被害にあったから!」
すげえ。迫真の表情で言い切りやがった。
感心している場合じゃない。
「君たちには、僕の気持ちはわからないだろ」
「うるせーな。下出したくらいでガタガタ抜かしてるんじゃねーよ。なら俺はな、全裸になったらあ」
バッと服を脱いで全裸になった。手すり壁に跳び上がり、指を突き上げてポーズをとる。
風が全身を打った。チンコが揺れる。
「どうだ! 勝ったぞ!」
「やめて! やめて美杉君! 何も勝ってないから! 恥だから!」
「危ない」
堂安と羽瑠に、足を抱きかかえられた。
その時、下にいる人物と目が合った。林道敦子。
「あ」
さらに、別の人間とも目が合った。フロートムーバーで直接四階に向かってきている警官が二人。
警官に両側から身体を捉まれ、四階通路に降ろされた。続けて、手錠で繋がれた。ガチャリと。
え。
「はい。公然わいせつ及び自殺からの保護ね」
「いや、俺じゃないですよ」
「その格好で、こんなところに上がってて、何を言っているんだ」
すっぽんぽんである。
「話なら署で聞くから。とりあえず下をはいて」
「俺じゃないですって」
そんな馬鹿な。人助けをして捕まるなんて、聞いたことがない。