[一 華道遊々] アイシステムまみれ
自分のベッドから、人の動く気配が伝わってきた。
「おはよ。典ちゃん。起きちゃったね」
華道遊々はそう言うと、そこにいるはずの日向典子に声をかけた。
典子からは、身体を伸ばしているかのような声が、漏れ聞こえている。
「何時?」
アイシステムの眼鏡をズラし、時計を確認する。アナログ時計は、四時をさしていた。
「四時ごろ。寝てていいよう」
ズラした眼鏡を戻すと、ゲームの世界である。眼鏡から視える視界は、アイシステムによって、ゲーム画面となっていた。
「あんたも寝なさいよ。いい加減に」
あくび混じりに典子が言う。
寝たい。寝たい気持ちは遊々にもある。しかし今寝ると、プレイ中のゲームの経過が中途半端だ。
「ん、でも、ちょっといいところでさ」
「それは、あたしが寝る時も聞いたでしょ。いいところが何時間続いてるのよ」
「五時間くらいだよ」
恋愛アドベンチャーは、中盤を過ぎたあたりから、止め時がわからなくなることが多い。クライマックスが連続するのだ。
ゲームよっては、感情を訴え訴え……と続くと、段々と感情移入できなくなってくることもある。しかし今やっているゲームは、アタリかハズレかと言えば、アタリの部類だった。
「だってさー、好きになっちゃった女の子が、とっても可愛くて良い子でさー。見てよ、この子を。超可愛いでしょー。こんないい子が、主人公のトラウマの原因だったことが判明しちゃってさー。かわいそでしょー?」
「ゲームのキャラクターの事情なんて、心底どうでもいいでしょー。今すぐ電源を落として寝るよ。ほら、来なさいよ」
また眼鏡をズラして典子に顔を向けると、タオルケットを広げて添い寝を誘われていた。
確かに限界の眠気を感じてはいた。寝るべきか。
明日は出かけるので、次にプレイできるのは、明日の夜になってしまう。それまでお預けとするのか。クリアまでやってしまいたい。そうは思っても、睡眠欲求には、もう負けそうだった。
寝よう。
決めたら、ゲームをスリープ状態にし、眼鏡を外した。
のそのそとベッドに近づく。転がるようにして、典子の横に落ち着くと、タオルケットが身体にかけられた。典子の温もりが残っており、冷えた感じはない。
「んんんー。ぬくぬくだねー。お肌が気持ちいいねー」
「トラウマの原因でもさ、大事なのは、その時の気持ちよね」
さっきの話が続いていた。どうでもいいとか言っておきながら、ちゃんと話は聞いてくれている。典子の好きなところだった。
「でもほら、トラウマの内容がすごいよ」
「何よ。よっぽどショックな経験でもしたとか? や、聞くのやめておくわ。どうせまたろくでもない内容なんでしょ」
「どうかなー」
いつの間にか眠っていたらしく、目覚めたら昼が近かった。
終わったばかりのロールクエスト2の夢をみた。そんな気がする。二作続けて出場したが、ロールクエスト1に負けず劣らずで、ロールクエスト2も面白かった。遊々自身の活躍の場もあったので、内容については大満足だった。
早くもロールクエスト3が待ち遠しい。必ずしも遊々自身が活躍できるとは限らないが、自分ならやれるはずだ。遊々はそう思っていた。
隣を見ると、典子の姿はない。だが、部屋に近づいてくる足音は、すぐに聞こえてきた。歩き方が典子のものだ。
「遊々ー。そろそろ起きてー。夜に眠れなくなるよ」
「起きてるよう」
遊々は、手を典子に向けて自己主張した。
「おばさんは仕事だってさ。出かけるなら戸締まりよろしくって」
おばさん……つまり遊々の母だ。
家の中には、他に人のいる気配がないので、典子と二人だけのようだ。こういうことは、ままある。小さい頃からなので、父も母も、典子のことは信用しきっていた。娘の遊々より信用しているかもしれない。
朝ご飯代わりの味噌汁を、典子と二人、居間ですすった。
典子は空間ディスプレイを観ていた。ワイドショーが映し出されている。司会者と何かの専門家が意見交換をしているようだった。
「最近でもありましたが、視界映像を悪用されるケースもあります。自衛のためにも、常に視界をレコーディングしておき、誰かと共有しておくことが必要な時代なのかもしれません」
「最近といいますと、ロールクエストで話題になっていた美杉長政君が有名ですね」
「ええ、そうですね。彼のケースでは、たまたま目撃者がいたから良かったですが、仮に目撃者がいなかったら、一方的に悪のレッテルを張られていたでしょう。しかも、不特定多数の無責任な見知らぬ人達からです」
「もはやアイシステムの装用は、必須なんでしょうか」
「監視用の空撮ドローンの巡回なども検討されてはいますが、プライバシーの保護や現行法律の敷居の高さから、難しいと考えられてもいます。そもそもアイシステム関連の法整備も、まだまだ遅れていますからね」
半分くらい、よくわからないことを喋っているが、長政の話が出たことはわかった。美杉長政暴行でっちあげ事件、などと呼称されるようにもなっている。長政の被害を証明する視界映像の中には、遊々の名前も出ており、遊々自身無関係ではなかった。
「あんたんところのリーダーも大変だったね。変なのに巻き込まれてさ。一躍有名人にもなっちゃって」
「ん、そうだよね。あたしも危なかったよ。同じ場所に呼び出されてたからさ」
「え、そうなの?」
「うんー。無視してたけどね」
「うわー、やだやだ。有名税高すぎでしょ」
「有名税って?」
「有名になると色々な問題を抱えるってことよ。それを国に税金を払うように受け入れるしかないみたいな」
「そうなんだー」
忘れそうだ。わからなくなったら、また聞こう。
「あんたも気をつけなさいよ。フォロワー数がとんでもない人数になっているんだから」
ロールクエスト1が始まる前は、SNSのフォロワー数は二万人程度だった。それでも一般人としては、相当に多い。それが今や、二十万人近いフォロワー数になっている。ロールクエスト参加の影響だった。長政と一緒に行動したことも、大きなフォロワー数増加の理由に思えた。
「そうだよね」
「何かあったら相談すること。いい?」
「ん、ありがと、典ちゃん。優しいねえ」
食事が終わると、部屋に戻り、典子とアイシステムのテーマ作成を始めた。典子と二人で作り、売ってみる。そういう試みだった。利益が出るかも、ということで、典子もやる気になっている。
今の世は、デザイナーの需要が高まっている。アイシステムの普及でそうなった。
アイシステムを通して世界を視れば、街のいたる箇所で設定された描写を表示可能なのだった。つまり、遊々が創ったテーマを適用すれば、遊々が創った映像が、その人の視界内に表示されるようになるのだった。
視界内には、広告や宣伝といった類も表示可能なので、企業や行政も取り組んでおり、ユーザーに選んでもらうための決め手となる絵やモデルの魅せ方は、重要と考えられている。
最初は遊々が絵を描いて、それをテーマに組み込んでみようと思っていた。
「遊々の実写の方がいいんじゃない?」
「そかなー?」
「その方が買い手は嬉しいと思うけど」
「じゃあ、そしよっかな?」
絵を描きたい気持ちもあったが、典子が言うならと、あっさりと方針転換をした。
まずは、アイシステムのナビゲートに表示してみよう、という話になった。
アイシステムでは、視界上で目的地までのナビゲートを表示させることができる。その通りに進んでいけば、最短距離で到着できるシステムだ。
そのシステム上に、動く人物を表示させてみる。モデルは遊々自身だ。例えば右折時、右だよ、といった所作を視界上でする。
忙しいのは典子だった。視ることで遊々を撮影し、それを編集しアイシステムのテーマに組み込む。専門家でないと出来ないわけではないが、それなりに勉強をする必要はあった。遊々も手伝っている。
時々おかしなポーズができあがったり、変な動きができあがると、二人で笑い合いながら作業をした。
「暗くなってきたし、そろそろ帰るわ。あとはオンラインでね」
典子を見送ろうと、腰をあげたところで、ふと思い出した。
「そうだ、典ちゃん。饅頭持ってって?」
「なんで?」
「おばあちゃん食べるかなーって買っておいたんだよ。おばあちゃんにあげてよ。きっとおばあちゃん好みの味だよ」
「じゃ、渡しとく」
「典ちゃんの感想も聞かせてね。おいしーって」
美杉饅頭と書かれた手提げ袋を、玄関で典子に手渡した。
ほのかに甘い饅頭の香りが、鼻孔をくすぐっている。