学校に行ってみた
心配する両親に見送られ、学校へと向かう。
まだ、6月になったばかりだというのに、とにかく暑い。
垂れてくる汗をしきりに拭う。
教室の前に立ち、一度深呼吸をする。
緊張しているわけではない。
ただ、なんとなく開けづらい。
ここを開けてしまうと、本当にあの世界に戻れなくなってしまう気がするからだ。
諦めるようにため息を吐き、ぎこちなく扉を開けた。
朝のHR前に、俺の席の前で友達が話していた。
俺に気付いた鈴木が、笑いながら話しかける。
「轢かれるとかバカだな、御堂は」
「うるせぇよ。好きで轢かれたんじゃねーよ」
「太一は少し抜けてるところがあるから、気をつけた方がいいよ」
「ありがとな辰海」
鈴木に悪気がないのは、わかっているが今は少し腹が立つ。
それに比べ、辰海は変わらず優しく接してくれる。
今の俺はうまく笑えているだろうか。
そんなことを考えながら話していると、ふと疑問に思うことがあった。
あと5分もしないでHRが始まるというのに、クラスの3分の2以上の人がまだ来てないのである。
「なあ鈴木、なんでみんな来るのがこんなに遅いんだ?」
「何言ってんだよ御堂は。だからバカなんだよ」
「うるせぇよ。いいから教えろ」
「朝練に決まってるだろ」
朝練だと。
たしかに、うちのクラスには部活をやっているやつはたくさんいるが、こんなに空席が目立つほど多くなかったはずだぞ。
「今まで朝練をやってる部活なんて限られてただろ。なんでいきなりやる気になったんだよ」
「ん? ブカツ? 何を言ってるんだ? 知ってるか荒木?」
「いや、聞いたことないけど。それって何なの?」
鈴木は首を傾げ、冷たい視線を送る。
辰海も頭をかきながら、苦笑いを浮かべる。
「おいおい、鈴木はともかく辰海まで俺をからかうなよ。部活だよ部活」
部活ざんまいのごとく、両手を広げ熱弁する。
「ごめん太一。ほんとうに知らないんだ」
「え? 部活だぞ。辰海はサッカー部で鈴木は野球部だっただろ」
「ヤキュー? サッカー?」
またも二人は首傾げる。
おかしい、さっきから会話が全く成り立たなくなってる。
「それもわからないのか!?」
「う、うん」
「おい御堂、お前事故って頭おかしくなったんじゃねえか」
鈴木に肩を揺すられながら、今起こったことを整理する。
おかしい、絶対におかしい。
なんで野球やサッカーがわからないんだ。
鈴木はともかく辰海は俺をからかうようなやつじゃない。
おそらく本当だろう。
なら、どうしてだ?
俺がグランヴァニアにいる間に何が起きた。
それとも鈴木の言う通り、おかしいのは俺なのか。
「それより御堂は朝練行かなくていいのか? 俺と荒木はサボりだけどお前はどうするんだよ」
「行くも何も、だから何の朝練をやってるんだよ」
「お、おい、そんなに強く言わなくてもいいだろ」
鈴木が困惑した顔でこちらを見る。
その表情は得体のしれないものを見るような目だった。
「すまん」
俺はただ謝ることしかできない。
「……つだよ」
「ん? なんて言った?」
辰海の声は小さく聞き取りにくかった。
「ケンジュツだよ」
「……剣術だと!? 本気で言ってるのか辰海?」
ケンジュツが剣術だと気づくのに少しの時間がかかった。
あたりまえだ。
なんでこっちの世界で剣術を学ぶ必要がある。
どうなってんだ。
「もちろん本気だよ。太一、大丈夫?やっぱりまだ完治してないんじゃないの?」
「いや……完治はしたよ」
剣術ってなんだ?
俺が異世界でやっていた剣術か。
敵を倒すため、殺すため、身を守るための剣術なのか……おかしいだろ。
「ちょっとトイレ行ってくる」
頭を抱えながらフラフラと立ち上がる。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
辰海が手を差し出してくれたが、遠慮し一人で廊下に出た。
ドアの前で、また深呼吸をする。
正直、何が起こっているのか、理解が追い付いていなかった。
なぜ?
ここは現実のはずなのに。
目の前で魔王を殺され、その黒幕を見つけることすらできなかった自分の弱さ、突如、現実世界に戻された世界の理不尽さ、そして現実ではなくなった現実への混乱、あらゆる感情を込めて殴った掲示板に信じられないことが書いてあった。
——君も勇者になろう!
目を疑うことしかできなかった。
かつて、自分のもう一つの名であった「勇者」という文字がここにある。
ここで、俺は一つの結論を出した。
本当に現実はどうかしてしまったらしい。
ただ、今の俺には願ったり叶ったりだ。
だれの仕業か知らないが、とりあえずグッジョブ。
ここは現実であって現実でない。
この世界でならやれるかもしれない。
いや、殺れるかもしれない。
もう一度、勇者になって今度こそ黒幕を倒す。
俺の中にある何かが熱くなり湧き上がってくる。
そして人が増えてきた廊下のど真ん中で叫んだ。
「勇者になるぞ!!!!!!!」
周りの目は得体のしれないものを見る目だった。
得体の知れないものに成り下がった後、鈴木と辰海を問い詰めた。
「廊下にあった『勇者になろう』ってやつの詳細を教えてくれ」
「急にどうしたんだよ。落ち着けよ」
胸倉をつかみ、鬼の形相で尋ねる俺を鈴木が冷静に宥める。
「どうしたの太一? そんなに焦って」
「ごめん、少しおかしかったな。さっき廊下で『勇者になろう』っていう張り紙を見つけたんだが、それについて詳しく教えてほしい」
「詳しくって言われてもな…… そのままの意味だよ。お前本当に大丈夫か?」
鈴木が、顔を青くしながら俺を心配する。
「えーとね、たぶん太一は疲れてるんだろうね。だからゆっくり説明するよ」
辰海が優しく、大きなジェスチャーをつけながら説明を始める。
「ここらへんの街一帯は安全なんだけど、森や洞窟といったダンジョンには危険が多いんだ。そしてその危険の根源である魔王を倒すのが勇者の役目だよ」
辰海が言ってくれた勇者の説明に俺は驚いた。
それはまさに、グランヴァニアで俺がやっていたことと同じじゃないか。
だが、気になる点がいくつかある。
「勇者は世界で一人だけじゃないのか?」
そう。
勇者は一人だ。
たくさんいるのはおかしい。
「そうだよ。勇者は一人だけ。でも他の有力者たちも勇者御一行として活躍することができるんだ」
「俺は勇者なんて無理だから、そのお供を狙ってるんだ」
鈴木がなぜか自慢げに宣言する。
「今はその勇者はいるのか?」
「いや、今はいないよ。だから各学校では勇者育成を最優先してるんだ」
今はいない。
この言葉を頭で何回も反復する。
「勇者にはどうやったらなれるんだ?」
俺は緊張を隠すように、唾を飲みこみゆっくりと聞いた。
この世界で、もう一度勇者になりたい。
そして、必ず……
「各学校で優秀者になると国から選抜されるんだ。その選抜された人たちの中で試験を行い、勝ち残った一人が勇者になれるらしいよ」
辰海の胸の前にある、1本だけ立てられた指をじっと見つめる。
俺の力は残っているのだろうか。
他の人は、どのくらいの力をつけているのだろうか。
まだわからない。
それでも――
「勇者になる」
俺は、力強く友達2人に宣言した。
2人は幽霊でも見たような顔をしたが、本気だということが伝わったのか、それぞれが俺の肩を強く叩いた。