帰ってみた
——魔王は貫かれた。
「え?」
何が起こった……
魔王はどうした……
どうなっているんだ……
「サターン!!!!!!!!」
大声で叫んだ。
無我夢中で叫んだ。
ただ、叫ぶことしかできなかった。
その場において、俺はそのぐらい無力だった。
「全員、戦闘態勢!」
クレアが瞬時に指示を出す。
こういう冷静なところに俺は何度も助けられた。
そして今回も。
俺はいまだ目の前にある血だらけの、無数の穴が開いた、重力に従い続ける、魔王の姿を受け止められずにいた。
「魔王様!!」
配下たちが大勢駆け寄り各々想いを告げながら涙を流す。
サターンは好かれているのか。
こんな状況で再確認させられた。
なあ、俺ともっと話をしよう。
「……サターン」
霞む声でその名を呼ぶ。
「タイチ、ボーっとするな。お前もやられるぞ」
クレアの忠告もいまいち耳に入らない。
「タイチ!」
「え?」
「……………………」
クレアは黙った。
何も言わなかった。
その代わりに俺の頬を撫でた。
クレアの跡をたどるように頬を撫でる。
人差し指に生温かい水滴が触れた。
俺はサターンの死を憂いていた。
世界のために、自らも犠牲にする正義感。
みなに好かれる存在感。
敵である俺たちの前で自ら交渉する覚悟。
そして、温かい父親の一面。
短い時間しか会っていない魔王だったが、その存在は確実に俺の中に残った。
俺の中で思いは熱くなりやがて感情になる。
流れる激情を拭い、咆哮のように叫ぶ。
「お前ら! 魔王の敵を討て!!」
俺は勇者だ。
すべきことをやらねば。
魔王の後ろで、真紅に染まった手を震えながら眺めている男を睨む。
「「「おーーーーーーーーーーーーーー」」」
両軍が高らかに雄叫びを上げる。
力強く掲げた拳にそれぞれが想いを込める。
だが、結末は熱も持たない虚しいものだった。
その羊のような見た目の男は、何度も聞き取れないほどの小さな声で呟きながら泣いていた。
他の部下に捕らえられ、連行されていく。
そして、悲しい目で俺たちを見る。
「私じゃない! 私が魔王様を殺すわけがない! 信じてくれ! 私が……私がああああああ…魔王様……」
「黙れ! 早く歩け!」
泣き崩れていく男を、引きずるように連れて行った。
そんな姿を見ながら、事の呆気なさに違和感を抱いていた。
そして俺たちは悪魔側の不祥事ということで一旦帰された。
「なあクレア、あれは本当に家臣の裏切りだと思うか?」
帰り道、俺は耐えきれず疑問をぶつけてしまった。
「たしかに、あの呆気なさには違和感が残るな。なにせ、あの魔王があんな簡単に死んだんだ。だがあれは私たちの目の前で起きたことだ。あれ以上はないと考えるしかないだろう」
「……そうだな」
しばしの沈黙が流れる。
たしかにクレアの言うことはわかる。
だが、何か大事なことを見落としているような気がする。
「そうだ! サターンの娘だ!」
魔王の娘も命を狙われるんじゃないのか。
なら、俺たちが助けないと。
「魔王の娘も狙われる可能性はあるな」
「クレアもそう思うか。なら助けに行こう」
「無理だ」
「なんでだよ?」
「魔界は今、混乱状態にある。その中で、たとえ私たちが魔王の娘に会い、助けに来たと言っても理解してくれないだろうし、信用もしてくれないだろ」
「そんなこと言ったって……」
「今の私たちにできることは、事が落ち着くのを待つだけだ」
納得はできない。
だが、理解はできる。
できるからこそ、何も言い返せない。
今は、今だけは、我慢するしかないのだろう。
だが、帰ってきた俺たちを待っていたのは、沈着でも落着でもなく、さらなる混乱だった。
俺たちはなぜか魔王を討ちとったことになっていた。
そして、グランヴァニア王国総力を挙げての感謝祭を強いられた。
国民は口々に感謝の言葉や賞賛の言葉を送ってくれるが、それを喜ぶことはできなかった。
おっさんはまたも涙を流しながら、有り余る称号と財産をくれた。
冷静に諭そうとするも、みな興奮して話が通じなかった。
本当のことを信じてくれたのはただ一人、リルだけだった。
魔王の意志、想いを熱く語った。
そして俺の考え、覚悟も。
「サターンを殺した本当の犯人を見つける。あんな呆気ない終わりを信じられるはずがない」
「そうだよね! あんな殺され方したんだから、もっと複雑な何かが介入してるはずだよね。一緒に探そう」
共に誓い合う。
ずっと一緒にいたからこそ、分かり合えるものがある。
俺はクレアたちにも、今回の黒幕を探すことを伝えた。
納得していない様子だったが、俺の熱意が伝わったみたいだ。
そして、俺とリルは見慣れた天井におやすみを告げてから目を閉じる。
虚無感ばかり溢れる感謝祭に疲れた俺は、秒針が一周する間に眠りについた。
目が覚めて、目に映ったのは見知らぬ天井だった。
白く、そして随分と見ることはなかった、蛍光灯のある天井だった。
まだ完全に起きていない頭を無理やり起動させる。
「リル。おい、リルいるか?」
リルの定位置である胸ポケットに向かって呼びかける。
「ん~、いるよ。朝っぱらからどうした?」
大きなあくびをしてから返事をする。
「どうしたじゃねえよ。ここどこだよ?」
「どこって家でしょ。何言っているの?」
目をこすりながら生返事を返す。
「家じゃないから戸惑っているんだろ。お前もよく見ろ」
リルを自分の顔の高さまで持ち上げて、確認を急かす。
半開きだった目もしばらくすると大きく開いた。
「え!? ここどこ!?」
リルは大きな声で驚嘆の声をあげる。
「どうかしました? 御堂さん? 目が覚めたんですか?」
ドアの向こうから女の人の声が聞こえた。
「い、いえ、なんでもないです」
誰なのかも、そもそも、ここがどこなのかもわからないが反射的に誤魔化してしまう。
ドア越しにいる女の人は何者なのだろうか。
もしかしておっさんのメイドの一人が来てくれたのかもしれない。
いや、おかしい。
俺を「御堂」と呼ぶ人間はグランヴァニアにはいない。
何かがおかしい。
「え、ちょ、タイチ! こっち来て! すぐ!」
リルが足をパンパン叩きながら執拗に俺を呼ぶ。
何をそんなに必死になっているのかわからないが、あまりにも呼ぶ声がうるさいのでリルが待つ窓際に向かう。
「うそ……だろ……」
俺の目に映ったものは懐かしき光景だった。
ビル、ビル、マンション、ビル。
そして車、電車。
ここは文化の遅れたグランヴァニアじゃない。
近代国家ジャパンだ。
「戻ってきたああああああああああああああ」
膝から崩れ落ち、頭を抱える。
もちろん、決して戻りたくなかったわけではない。
だが今だけはダメだ。
「おい、どうなっているんだよ。なんで俺が日本にいるんだよ?」
「いや、僕にもちょっとわからないよ」
鼻息を荒くして接近する、俺の顔を抑えながらリルも困惑する。
なんで日本にいるんだよ。
俺はグランヴァニアでサターンを殺した黒幕を探さなくちゃいけないのに。
「偉い人に確認してくるよ」
そう言ってリルはいったん姿を消した。
偉い人がどういった人かはわからないが、俺のことを転生させてくれた人らしい。
このまま日本に居続けるのだろうか。
そして、勇者ではなく普通の人間、御堂太一として生活するのだろうか。
普通に就職して普通に結婚、そういう人生を歩むのだろうか。
「って俺死んでるじゃん」
パニックになりすぎて肝心なことを忘れていた。
そもそも、俺は死んだからグランヴァニアに行ったんだった。
ならば、ここにいる俺はだれなんだ。
もしかして3度目の人生を歩まなければならないのだろうか。
「どうなってんだよ……」
額からは嫌な汗が流れ落ちる。
その落ちた雫をただただ目で辿っていた。
「確認してきたよ」
返ってきたリルはどこか元気がなかった。
きっと悪い方向にことが運んだんだろう。
「どうだったんだ?」
好転することを諦めた俺は、無理やり優しい笑みを浮かべる。
「天界もタイチが魔王を討ちとったと思ってるらしい。それでその褒美としてタイチを元の世界に蘇生させたんだ」
「元の世界に…… でもあの時たしかに俺は死んだ実感があった。言ってることはおかしいかもしれないけど、たしかに死を悟ったんだ」
随分と昔のあの日のことを思い出す。
今でもはっきりと覚えている。
暑い気温、柑橘類の香り、そして痛み、悲しみ、憂い。
「この日のためにって死なないようにしてくれていたんだ。だからタイチは死んでいない。御堂太一は十七歳として人生を再開できる」
リルはうつむいたまま淡々と話していく。
いつもは大きく綺麗に広がってる羽もこの時は小さくなっていた。
「余計なお世話だよ……」
肩を震わせ小さく嫌味を吐く。
「天界ってのは何でもありじゃねえか。神様か何かなのかよ……」
ぶつけようのない怒りが、握った拳に集結する。
「世界のバランスを保つ、所謂タイチたち人間が神と呼んでるのは僕たちのことなのかもしれないね」
「そうか……」
短く返事をするとベッドに戻る。
目的も目標もなくなってしまった。
この世界の俺は勇者でもなんでもなく、ただの無力な凡人だ。
今の俺に何ができるんだ……
「ここでお別れだね」
リルは悲しそうに嘆く。
「そうだな」
ベッドに横たわったまま、右手を挙げさよならを示す。
「天界にはもう一度直談判してみるよ」
うつむいたリルからは、小さな水滴が零れ落ちる。
「ありがと。頑張ってくれ」
リルの顔を見ようともせず弱弱しい、別れの言葉を吐く。
世界は変わらない。
結局、俺は無力だった。
全てが虚しく感じてしまう。
それが、例え二年間連れ添った友との別れだとしても。
「お別れだね」
「ああ」
何度、言おうが気持ちは変わらない。
「それじゃあ、またね」
最後に目にしたリルは満面の笑みを浮かべていた。
その笑みは脳裏に焼き付けられ、心を苦しめた。
その後、ここが病院だということを、ドア越しに話しかけてきた看護師によって聞かされた。
そして、久しぶりに会った両親は号泣しながら、俺を熱く抱擁した。
だが、俺はその抱擁に応えることはできなかった。
2日後、すぐ退院した俺は帰り道の車の中で、母親から1週間眠ったままだったことを聞かされた。
母親は1週間の長さを涙ながらに語る。
車は時々、蛇行運転になっていたが気にはしなかった。
「1週間……」
「なにか言った?」
「いや、なにも」
たった1週間、俺の2年は空白の1週間へと塗り替えられてしまった。
久しぶりに自宅に帰った。
何日振りの帰宅かは、もうわからない。
俺の家、俺の部屋、そして俺のベッドに横たわる。
ここまで、何も変わっていないと、やはり夢だったのではないかと考えてしまう。
だが、それだけは認めたくなかった。
あの時間を無かったことにしたくない。
脱力しきった体に委ね、そのまま眠りについた。