第14話 夏の夜
やけに白さが目立つ瑞々しい肌が目の前にあった。
明らかに男の肌とは一線を引いた美しい素肌。アドレナリンだろうか、エンドルフィンだろうか、心臓は僕の意思とは無関係に早がねを打っている。倒れそうな、意識がぶっ飛びそうなほど、呼吸もまた荒い。
「・・・」
頭では予想していた。何時かはこんなことが起こるだろうと。何時か。きっと人間の考えるいつかなんてものは、人が考える以上に早く訪れるものではないのだろうかと思う。チャンスであれ、死ぬことであれ、あるいはこんな、口で述べるには憚られるような、そんな事態は。
「・・・」
ゆっくりと、しかし確実に僕の手は延びていき、シッカリとその白い透き通った素肌を揉みしだく。
「・・・!」
驚いたことに、その大きく柔らかな女性特有の二つの器官は、僕の想像以上に柔らかい。やましい想像だらけで間違いなく鼻血が吹き出るどころじゃない現状、僕のポジトロンライフルは長きに渡る予行演習の末の実戦に向けた最終行程をたどっていた。・・・おそらく。今宵の今。僕の人生で一番の興奮。生命の神秘のはて、人体の小宇宙へ向けて一筋の発射を穿たんとする。
蝉の鳴き声がジリジリと響き渡る。こんな場所でもこんな時でも。じっとりと湿った夏は主張を続けてる。汗ばんでるせいか、妙な匂いを感じさえする。これが夏特有のものなのか、これが少年期のノスタルジアの匂いなのか、脳髄は陶酔に向けて痺れ、神経は指先に神がかり。
「・・・ん」
女性との密着を、今まさに果たした。この時。溢れる欲望が脳から溢れる。ポジトロンライフルの潤滑油もこぼれてることだろう。痛いほどに右曲がりにそそり立つ兵器は、一手のミスすらもゆるされないほど火薬がつまっており、ちょっとした些細なことですら暴発しかねない。
「・・・」
「・・・ぁ」
肩が震えていた。もちろん、そうだろう。今日の出来事は遠い世界のどこかにあるような物語だった。多くはもう思い出さない、一歩踏み進んだ。それだけだ。他に価値は無いし、それ以外の道はなかった。これしかないって道を進んでく。何回やったってこの選択を選ぶだろう。別に佐伯さんじゃなくってもかまわない。鈴木野だとしても同じ道を進んでたことだろう。
「痛ッ・・・!」
「・・・ごめん」
早く動かし過ぎたせいか、それとも力強かったせいだろうか。仕方がないじゃないか、初めてなんだから。
正直な話、今回の現状、僕は大幅に人生に対して折り合いをつけている。それだけの必要性に差し迫られた子とだし、こうでもないと、きっと佐伯さんの気がすまなかったことだろう。これは彼女が望んだことだったのだ。僕は望んでない。すべきでないことをやったし、すべきでないことに及んでるのだ。間違っても誰が悪いなんてことはない。
「ン・・・気持ち良くなってきた」
早く終わらせるべきだろうか。いや、早く終わらせるべきなのだ。すべきことややるべきことは、まだ先に続いているのだから。
最新話 夏の夜
「ありがとう・・・・・・ホントに感謝してるんだよ」
「いいよ。一肌ってのも必要かもしれないし・・・・・・肩揉みぐらいなら。・・・もう出よう。年頃の男女が浴室で並んで水着でマッサージってのはよろしくないから」
「私って男運ナイな・・・」
「お先どうぞ。母さんの服使っていいから」
「うん」
そして佐伯さんは浴室から去った。マスターベーションでもやってやろうかと思ったけど、これまでの人生で実在の人物をオカズにしたことはなかった。これまでもそうだったから、今回もそうだった。温くなったお風呂に浸かって、さっきまでそこにあった柔らかくて白い素肌の肉体を考えて、それから窓を開けた。
どこまでも夜だった。蝉は変わらずじりじり鳴いてるし、夏特有のどこまでもじっとりとした夜の世界が広がっていた。千葉だけど隣の駅はもう東京。そのせいで星は一等星しか見ることはできない。今はそれがよかった。僕の気持ちにおあつらえ向きかなって思った。
「人生はそれでも続いていくんだ・・・」
そして気合いを入れるため、ヨシっと声を出して立ち上がった。
「それにしても・・・」
洗面台に座って鏡を見た。間違いなく僕だった。
「撃たれたよね・・・・・・」
そして僕は死んだ。殺されたはずだった。なのに生きてる。生き返った。間違いなく。佐伯さんも見てるし。
「やっぱりゲームの中のアイテムが現実に効果をもたらしたとしか考えられないよね・・・」
両親が魔族だったという線もまだあるけど。
「ま。いっか・・・」
ヴァミリヲンドラゴン。このきっかけが、僕の世界を大きく動かすことは間違いない。これからが楽しみでもあるし、少し怖くもある。
「だけど・・・・・・」
「ブヒ」
「ひやあああああああああああああああああああ」
走った。浴室から速攻で走った。窓から豚が僕を見ていた。豚だったと思う。窓をふと見たら、豚がいた。間違いなく豚だった。ブヒっと鳴いてた気もする。間違いなく見た。だから走った。
「ハァハァ・・・・・・さ、佐伯さん・・・」
リビングまでやってきた。窓ガラスが割れる音は聞こえない。
「東雲君」
「ハァハァ・・・なに?」
ヤバいヤバい。どうしようどうしようなんだあれは。どうしてなんなんだあれは。わけがわからないよ。
「ちんちん見えてる」
「・・・・・・はい」
その一言で我に返った僕は、脱衣所に向かって歩いて、ついでに浴室をチェックして、それから着替えた。チラリと佐伯さんの制服を見て、後で洗濯機にぶちこむから何かポッケにいれてるもんあるなら出しておいてと言うことを忘れないようにしないといけないと頭の中にメモを叩き込む。
「まぁ・・・・・・いいけどね。忘れよう」
そして頭の中で現実的に何をすべきなのかを考えてから、リビングに向かった。
「・・・・・・出前取ろっか。ピザでいいかな?佐伯さん」
とりあえず、さっきのはなにもなかったという空気でテレビ見てる佐伯さんに話しかける。今の僕は名優のブラピだ。ブラピなんだ。ブラピは些細なことでは動じないんだ。些細な出来事はもう忘れて、僕も人生と向き合う時なんだ。
「東雲君、・・・・・・大丈夫?パニック症候群とかになってない?」
「あっああ。大丈夫だよ。ちょっと幻覚を見てね。だいじょうぶだいじょうぶ。へいきへいき」
「・・・ごめん。あのっ。私・・・・・・」
そして嗚咽が始まった。テレビからどうでもいいお笑いタレントのどーでもいいネタが聞こえてくる。視聴者の笑い声のサウンドがリビングに響いている。
「いいよ。もう。大丈夫。大丈夫だからさ。ちょっとしたことだったんだ。ほらっ、さっきマッサージしてあげて元気になったでしょ?」
「・・・ぅん」
鳴き声が少し収まった。そして。
「ちんちん少し背中に当たってたけど・・・」
「ちんちんのくだりはもういいよ!出前取るよ!一番美味しそうなの頼むからね!」
ちんちんが佐伯さんの背中に当たってたなんて。気づかなかった。一生の不覚。そんなにふっくらしてたのか。もういい。もういい。さっさとピザを注文しよう。これ以上ちんちんのくだりが出てくると、男として好きでもない女性にちんちんをくっつけたなんてことで罪悪感で不眠症に陥りそうだ。
「あっもしもし。出前いいですか?」
「私ピザドリアスペシャルハンバーグデラックスがいい」
「そんなのないよ!!」
「裏メニューであるんだよ」
「すいません、ピザドリアスペシャルハンバーグデラックスってあります?」
なんで知ってんだよそんなメニュー。裏メニュー?しかも、そんなボリュームがありそうな。
「はいーございますよ」
「それの一番でっかいので」
ピザを注文し終わって、肩で息をした。
「今じゃないとダメだから。今じゃないと食べれそうにないから。ごめんね。わけわかんないよね・・・」
「佐伯さん・・・」
「食べてストレス飛ばすタイプなんだよね。ごめんね」
そしてヒザを抱えて泣かれた。わけわかんないのはこっちの方なんだよ。
そしてピンポンが鳴るまで沈黙だった。長い沈黙だった。テレビの雑音がやけに響いた。ピザが届いてもそれは続いた。ピザを食べ終えてから、佐伯さんはやっとポツリと声を出した。
「・・・トイレどこ?」
それから少しばかりおしゃべりをしてから、自分の部屋に戻った。
「寝よう」
の前に。ケータイを取り出し着信のあったメッセージを読み、ベッドに横になって照明を消した。
「・・・」
うん。
「・・・・・・」
眠気がおそってこない。なにやってるんだ、僕は。
「・・・・・・・・・」
やはり眠れない。照明をつけなおした。
「いくつか確認をしておくか」
指先を軽く噛んだ。うっすらと血が出たが、すぐに治った。
「やっぱり」
本当に治癒している。間違いなく、僕には再生能力が発現している。これはおそらく、致死量のダメージすらも問題なく・・・。
「・・・」
案外こんな事態でも呑気に構えてられる程、僕の胆力はでっかいらしい。これはゲームの影響なのか。
「検証してみる必要があるな・・・」
それに。この能力。ヴァミリヲンドラゴン。マスターの話では国家レベルのデカイ話にすらなっていた。
あの世界。暗黒と混沌が渦巻く欲望の社会。この世界よりも、よほど人間が人間でいられる場所。闇と光と。
「潜るか」
VR接続のヘッドギアに手を伸ばしたその時。
「東雲君起きてる?」
ノックと同時に佐伯さんの声。
「寝てるよ」
裏声になった。
「少しだけ・・・話せないかな?」
「ちょっと待って」
電気を消して、ドアを開けて、ドアを閉めて、さも寝ている時に佐伯さんに起こされたかのような寝惚けた態度で。
「なに?」
「あのさ」
「佐伯さん。近い」
「・・・今後のこと、少し話したいって思って」
「明日にしよう」
もう眠いしオーラを爆発させながら、ブラピを意識して声をイケメン風にして全力全開でかっこつけた。
「東雲君さ。今日のこと・・・」
「明日に」
「人、殺したよね。私たち」
「人じゃない」
「人じゃなくても、私たち、殺しちゃった・・・」
問題はない。問題はないはずだった。それは僕の都合で、まさか佐伯さんにとっての都合じゃなくって、佐伯さんの重荷になっているのか。
「佐伯さんは関係ない、全部僕がやった。それでいいし、実際そうだし、もし佐伯さんがなにか問われることがあるとすれば、警察への報告義務ってだけ。それも大丈夫。なにか問題がある?」
「・・・ぇっと、あの」
「問題はなにもないよ。けどさ。佐伯さんの気持ちもわかるよ。不安だって思う。だけど信じてほしい。なにも問題はない。なにもね」
「あのさ、東雲君」
「もう寝よう。もう遅い」
「あの」
「断っておくけど、僕は佐伯さんだから助けたわけじゃないよ。他の誰かでも同じことをやった。それは僕の自分の都合なだけ。その勝手な都合に佐伯さんの入り込む余地はないから」
「何が言いたいの?」
「僕に対して何か負い目を感じる必要はないってこと」
「そうことを全部わかってても、心はざわつくんだ。私のことを考えてみてよ」
「僕たちはクラスメイトだし、それ以上でもそれ以下でもない。僕は白馬の王子さまなんかじゃないし、ただの誰か、そこらのモブに過ぎないんだ。佐伯さんにとって、僕は人助けのモブに過ぎないんだ。それでいい。そしてここから人生が始まってくんだ。良い人生を送ればいい。僕もそうする。話は以上だ。よくあるストーリー通りの展開が進むことなんか決してない」
「東雲君。私のこと・・・」
「クラスメイト」
「カロリーメイトみたいにポンと言わないでよ・・・あの、その、チャンスとかも、ないかな・・・?」
「・・・・・・えーっと」
ヤバい。ブラピを意識しすぎてついついブラピになってしまった。チャンス?えーっと。チャンスチャンス!えーっとこれって何チャンスなんだろうか。つまり。つまりつまり。えーっと。
「続きは日が上ってから。今は頭を休めよう。ソファじゃ寝れない?」
「そういうわけじゃない」
「続きは明日だ。明日少し話そう。喫茶店で。どうかな?」
「あっ・・・うん。それなら。それで時間つくってくれるなら」
「オーケー、それじゃおやすみ」
「おやすみ。東雲君」
自分史上最高のブラピっぷりを発揮して、なんか高校生のリア充ライフを放棄した気もするけど、僕はこれでいい。一日の大活劇で陥る恋なんてたかが知れてる。お互いも知らないのに、すべきことじゃないことをすべきじゃない。
「潜るか」
後ろ髪を引かれるような青少年の欲望をぶっちぎるように、ヘッドギアを手に取った。




