第十二話 私刑執行人
すべき事をやり終えた時とすべき事を成し遂げる隙間、ぽっかり空いた時間によく夢想をする。
家事と家事の合間や、授業の休み時間、朝起きた時、それからすべき事がわからなくなった時だ。とんでもなく突拍子も無い空想を心に思い描く。暗闇から邪悪な幽霊が僕を睨んでたりだとか、重力が逆さになって全てが崩壊してしまうだとか、もし超能力で空が飛べたらどうしよう、そういった他愛もない空想だ。ぽっかりと空いた時間。僕はこの時間が嫌いじゃない。こんな想いを描けるという事こそ、生きているという事ではないだろうか。ろくでもない事を考えてるつまらない人間なのかもしれないけど、僕にとって、そんな時間こそ人生の中でほっと息つける大切な時間だ。例え死んでゆく中でも、そんな空想の中で死にたいものだと思う。胃に穴が空き肺と片目が潰れた時にすら、そんな事を思い描くのかもしれない。
第十二話
喫茶店から出ると、電話が鳴った。直ぐに取った。鈴木野からだった。
「東雲、佐伯の場所だけどよ。新宿のゴジラタワーあんだろ!?そこのデカイ道路確かセントラルロードっつったか。そこだ。歩いてる。新宿駅から」
そこは今の僕と目と鼻の先。
「どーして鈴木野が知ってんだよ!?」
「佐伯のスマホにGPSアプリみてーなの仕込んでたの忘れてた。つか仕込まされたんだけどさ。俺も今から向かう!お前授業サボってどこいんだよ!?っつーかよォ!」
今、この瞬間、居る。有象無象のヒトの群れの中に、居る。
「ケータイ切ってるみてーだしよォ。今から佐伯の場所へ行く。っつーかそこ。歌舞伎町のホテル街、兄貴の組事務所の倉庫があんだよ。大麻とかも栽培してるマンションの一室があってよ。ハァハァ。間違いなく呼ばれてる。兄貴も電話出ねェ!!クソ!」
「僕が近くに居る!」
今、居る。近くに。セントラルロードを見渡すために、近くの雑居ビルに登った。誰かにぶつかった気がした。息も切れた。太ももに体重を乗せて階段を駆け上がる。キャッチの兄ちゃんが制服姿の僕を物珍しそうに一瞥した。三階まで登ると踊り場から、目を皿のようにしてセントラルロードを見渡す。見渡す。目に全身の血を集めるように。
「居た」
思いの外早くに見つける事が出来た。あっけないほどにあっという間に、まるで目が何個もついてるように。
「鈴木野、見つけた!」
電話を切って、全速力で階段を駆け下りた。ボブカット、僕の高校の制服。間違いない。佐伯さんだ。
「佐伯さん!」
正直周りの目なんてどうでも良かった。とりあえず腹から声を出しあげた。
「…東雲君?」
一気に傍まで走った。そして肩を掴んだ。―――やっと間に合った。
「ハァハァ。……今日のパーティは仕舞いだって。まだ遅刻で済むでしょ。あのろくでもない学校、行こ」
「え~~~っと。君さぁ。ダレよ?」
息を切らしながら右を見た。ガタイの良い金髪のチンピラ風の男と目が合った。
「クラスメイトです。今日のパーティは無いでしょう」
ビビった。多分、僕は今かなりビビってる。どうしようもないほどの戦力の差を感じる。そして威圧感。胸元から鎖状のネックレスが見えてるし、半袖からはドクロのタトゥーがみえている。タッパ、身長差も歴然。迫力のある180センチは超えてるだろうか。そして僕は170センチに満たない。ローファーを履いてて尚もこの開き。相手はさらにサンダルだ。そして顔。―――その生き様が顔に出ていた。
僕は人の顔なんてどうでもいいって思う。心底どうだっていいって思う。恋人でも正直そう思ってる。アニメゲームの顔形に僕は興味が無い。大切なのは、心だ。それ以外はどうでもいい。
しかし、この男は。なんて醜いのだろうか。世間風に言えば整ってるイケメンだ。しかし。どこかからか。その姿、姿勢から、負のオーラが滲み出ている。酷い。酷すぎる。端的に言って、これはもう、既にヒトじゃない。僕の意見からすれば、人間じゃない。そんな感情が芽生えた。
「ケーサツ呼びますよ?」
だから吞まれないように。この空気、相手のペースに呑まれないよう、先ず先に言った。
「うっぜぇナァ…」
相手は懐からボールペンのような筒状のモノを取り出し、僕に向けた。そして僕に何かが当たると、僕は気絶した。電気だというのは分かった。でも、感電なんて普通大声が出たりするものだろうと思っていた。それがこんなにも、あっけないまでに、簡単に大の16歳が倒された。
私刑執行人
気が付いたのは、僕が引きずられてるところだった。そして次の間には、投げ飛ばされた。
「このガキ起きるの早いっすねぇ~~」
「そーだな。違法改造してあって犯されても起きねーとかザラなのになぁ。またやると多分死体になって後処理に金かかるからとりあえず縛っといて」
そんな会話が頭に響く。やけにクリアに。体はまだ痺れが残ってるようだ。が。動ける。
目玉が意識して動かす。ここは鈴木野が言ってた通りの部屋らしく、マンションの一室のようだ。これが大麻の匂いなのだろうか、臭い葉の匂いを感じる。これまで吸ったことの無い植物の匂いだ。
「ッグぅぅ」
両足を踏ん張らせて立ち上がろうにも、まだ痺れているらしく、立ち上がることに失敗して顔面から倒れこんだ。防音性のためか下にはマットが敷かれていたが、それでも鼻血が出たらしく鉄の匂いがした。
「おーおー兄ちゃん威勢ええなァ。好きやでそんなん。で、兄ちゃんどこのどいつやん?」
「…クラスメイトです、只の」
佐伯さんがいるらしく、声だけ聞こえた。
「おーおー、まさか引き止めに来たんかいな?こいつ。ぇー根性しとんなァ。最近の若人はこーゆー威勢の良さってのが無いわなぁ。打算的になってきとる。勝ち負けやって初めてケンカってのは違うんとちゃうって思うとるわ。んでなんや?どーしてそんな只のクラスメイトを引き止めに来とったんや?なんやギリギリっちゅー話なんやわな。こいつ。息切らして探しとったっちゅーんやな?」
「ですね。こいつ佐伯に惚れとるんちゃいますか?」
「マジかいな。んで探しにきとったんかいな!?おう坊主そうなんか?」
「うっさぃ!」
うるさい!と叫んだつもりが、思うように声が出なかった。まだ痺れてるようだ。
「おうにーやん。威勢ええのう。なんや、ガキにスタンガン食らわしたんかいな」
「はい。なんかサツにタレるとか往来の道中で叫んでたんで」
「んでお前交番の後ろからにーやん担いでここまで来たんかいな!?」
「はい。うざっちぃ感じだったんで」
「ヤクザでも職質かける気合入っとるおまわりやで~あそこ~~。バカな事しとんな~~~なんで捨ててこんやったんかいな?」
「兄貴が好物そうなもんで、北海道への土産にと」
「ほうほうようええこと言ってくれたなぁ。ピチピチのJKもええけど、こういう童顔の男の子も悪くないんよの~~」
そして笑い声。こいつらイカれてる。
「よっしゃ。今ええこと考えたわ」
動けるように。少しでも動けるように。立ち上がる意思を、力に変えて。なんとか。なんとか!
「このにーやんと佐伯ヤらせてあげたらおもしろない?こいつ童貞やろどうせ。佐伯もまだ処女やったよな?」
「そーっすね。鈴木野が嘘吐いてなきゃ」
「おう佐伯ちゃんまだやろ?まだなんやろ?」
「…はい」
「おぉおぅ!ええビデオ撮れそうやで!!ならはよせな!チンポおったてる用意や!!あかん、そういやうがい薬持ってきてなかったわ!」
そして爆笑。
「……ハァハァ」
「なんやにーやん。よう立てるよーなったわな」
多分、僕は今人生で一番怒っているであろうという事だけは、理解できた。不思議と恐怖は無かった。多分、おそらく、普通は怯むと思う。だってそこそこの広さのマンションの一室のリビングで、ヤクザ三人に僕一人と佐伯さん。オーラが違う、本職の悪。社会の隙間で看板を出して活動している悪の組織の構成員だ。ちょっとやそっと頑張ってたって普通の一般高校生がたった一人で立ち向かえるワケがない。それでも不思議と勇気が湧いてきた。多分、僕が底なしの馬鹿なだけだろう。それでも、勝つ算段を頭の中で組み立てる。
肝は、どうやったら相手を殺せるか。だ。
立ち上がった。なんとか、動けるようにはなった。手も握れる。踏ん張りも効く。しかし、どーする?ここはマンションのリビングのようだ。後ろは玄関口。奥にはカーテンで遮られているが、窓があるらしい。周囲の家具はほとんど無く、おそらく大麻であろうものが栽培されていた。大麻栽培専用の照明なのだろう、幾分か明るく感じる。
「110番に通報した」
多分、それでもぐちゃぐちゃな言い方になっていたとは思う。口がうまく回らなかったし、喉だって歪な動き方をやってる自覚もある。それでも、それなりの効果はあったのだろう。金髪のデカイチンピラ一人、そのチンピラが兄貴と呼んでいるスキンヘッドででっぷりと太った貫禄のあるスーツ姿の男が一人、もう一人は多分僕と同じくらいか十代ぐらいの気合の入った兄ちゃん。が。この人物だけ雰囲気が少し違う。多分、鈴木野と同じようなタイプだろう。気付いたら胸まで泥沼に浸かってたタイプか。少しビビってる感じがした。
「にーやん、ここどこやと思う?大久保のホテル街やぞ。まぁえーわ。それよりズボン脱ぎぃ。きっもちええぞ~~ホラホラァ!」
ライター。棚に置いてある安価なライターを手に取った。そして床に火をつけた。
「は!??お前何しとるん!?」
「絶対にぶっ殺してやる……!!!!!」
湿度は乾燥してない。けど床に敷かれたマットは可燃性だったらしく、容易く燃えた。
深呼吸した。多分、僕はこれから、死ぬ。けど、死ぬ時になってどうやったって生きたいって願うんだ。重要なのは、こいつらを始末する事だ。生かしてはおけない。
そう。僕は今、怒ってた。あらゆる事に対して。ハートに火をつけて。挙句何に対して怒ってるのかすら自分自身でも分からなくなった。この連中が佐伯さんに酷い事をする行為を怒ってたし、僕に対する仕打ちも怒ってた、大麻を栽培してた事は怒ってないけど、非合法的な活動をし他者に肉体的精神的な暴力行為をしていたであろう事には激怒してた。多分、コイツらはこれからも人も犯して奪って食い物にするのだろう。それが挙句のまるまるとでっぷり太った脂肪に代わるのだ。脂肪に詰まってるのは、きっと弱者の叫びと恨みと憎悪で出来ているのだろう。邪悪さで鼻が捻じ曲がりそうだ。
僕は何気に生まれて初めて自分で選択という行為を行ったのかもしれない。コンビニでどのパンを買うかだなんて事じゃない。どんな高校を選ぶかだなんて事でもない。どう生きるか。その選択だ。悪になってもいい。けどそれは成り下がったんじゃない。一歩前に進んだんだ。
「…」
肉弾戦なんかの接近戦じゃどうあがいても勝ち目なんてない。僕じゃどうやったってこいつ等には勝てない。正攻法じゃ無理だ。飛び道具も、天才的な閃きも僕には特別な事は一切できっこない。こんな連中に立ち向かうには、つまるところ、覚悟を持つしか手段は無かった。
だから僕は服を脱いで、その服に火を点けた。食物連鎖最強概念の炎だ。幸運にも、この炎はよく燃える。
「イカれてやがる…」
「おい、このにーやん片付けろや」
前を見た。5メートル先、炎の壁を挟んだ向かいの金髪のチンピラがポケットに手を入れてる。スタンガンを取り出すつもりだろう。マズイ。もう一度食らったら、間違いなく焼かれて死ぬのは僕だけだろう。逃げ場は、後ろ。燃え上がるシャツを投げつけ、後ろを振り返って一気に玄関ドアまで走ってドアノブを掴んだ。遅れたらどうしよう。後ろから食らったらどうしようだなんて考えが浮かぶけど、それらを無視して一気に扉を開けて外へ出た。
「ハァハァ……!」
どうしてだろうか、不思議と僕は今、なぜかしら。
「どうして笑ってんだろ」
心の底から喜びが溢れてくるのを強く感じた。悪と対峙するのが、嬉しくて嬉しくてたまらないのか。どうしてこんなに僕は、これほどまでに僕は、今、正にこんな状況なのに。
幸福感で心が満ち溢れているのだろうか。
一瞬の出来事、心の動き、多分、一時間後にはこんな感情間違いなく忘れてる。だけど、どうしてだろうか。心の動きを僕自身理解出来ていないなんて。そうか。僕はこれまでの人生で、誰かに対して、怒りを、暴力という形で行動していなかったんだ。
「…」
頭を振り払う。そんな感情じゃ駄目だ。飲まれちゃダメだ。感情に支配されては駄目だ。多分今の僕はアドレナリンが人生で一番噴出してるだろう。闘争本能丸出しという、未知の自分を押さえつけるのではなく、上手にコントロールしていくべきだ。
「…次の連中の行動は」
きっと僕を追ってくるだろう。そして炎の処分。追ってくるのは先ずはあの若い男、次にあの金髪のチンピラの順番か。スプリンクラーが作動する音、そしてドタドタと近づいてくる音がした。ドアの外はやはりマンションで、何気にイイトコのマンションそうだ。
「火災報知器…」
どうやらツキが回ってきているようだ。火災報知器が目に見える場所にあった。5メートル先の火災報知器へためらわずに、即座に移動してボタンを押した。途端にベルが鳴り響いた。これで消防車がやってくるのだろうか?少なくとも、人はやってくる。
「…」
ドアが開く音がした。5メートル先にチンピラが居た。背丈は僕と同じぐらいだ。恰好はアロハシャツにジーパン。瘦せ型。髪を短く整えている。多分、年もそう離れていないだろう。
「…」
そんな男が僕を見ると、喉を鳴らした。そしてこちらへ向かってきた。もちろん、僕を捕まえるために、だろう。緊急のベルが鳴り響く中、僕は生まれて初めての戦闘を行う。実戦経験。殺すか、殺されるか。僕にとってはそうだった。彼にとっては違うだろう。こういう時、悪意の強い人間は便利なのだと思う。純粋な格闘において、相手へ敵意を向け行動することは重要な要素の一つだからだ。僕は、これまで他人を傷つけるような人間性を持ち合わせていないのだと思っていた。事実そうだった。内向的で、攻撃性は常に内側に向けられていた。
それじゃ、駄目だ。それじゃ、終わる。佐伯さんを守れない。僕も死ぬ。生き延びるためには、そんな自分を殺さなければならないように思われる。本当にそう思った。死なないためには、自分を殺す必要があった。
「…」
こいつを、殺す。
「…」
相手は丸腰で向かってきてる。僕も武器になるようなものは何も持ってないし、上半身が今裸の状態だ。ライターぐらいだ。ライター。至近距離で燃やせるタイミングがあるだろうか。
「…」
距離2メートルの段階で、気付いた。こいつ、ビビってる。間違いなく、体術の訓練が無いように思われた。多分、鈴木野だ。そんな感じだ。僕とほぼ同じスペック。だとしたら、殺すつもりで攻撃する僕のほうが分がある。金的、目玉、口、喉、全部使う。全部使ってこいつを倒す。
人を倒すという行為は、真剣なことだ。映画やゲームみたいに、簡単に倒せるようなものじゃない。雑魚なんてありえない。相手は生身の人間で、知能を持って、悪意のある動物なんだ。それは僕も同じだ。だからこそ、覚悟の有る者が、強い。
「…」
ボクシングポーズ。これが実践で通用するのか。殺されないための動き。殺すための動き。
「…ッ」
近づいた時、こちらから殴りつけた。見様見真似のボクシングのジャブが見事に相手の顎に刺さった。怯んだ時、思い切り股間を蹴り上げた。全力で。相手は飛び上がった。痛いだろう。間違いなく。臓器が剥き出しで垂れ下がってるのだ。最重要器官への攻撃は間違いなく有効だった。怯んだ相手の頭を髪ごと持って、壁に叩きつけた。その後に地面に倒し、頭を三度硬いローファーで体重を乗せ勢いをつけて踏み下ろした。歯が何本もイカれたのだろう、凄まじいほどに血が波紋状に広がっている。気絶しているのか否かは分からなかった。だから右の膝をつま先でサッカーボールのように蹴り上げた。これで最悪こいつは追ってこれない。
「ハァハァ……」
殺しておくか?なんてことが一瞬頭を掠めた。しかしこれで十分だろう。金玉へのダメージ、頭蓋を踏みつけての脳震盪、膝の骨折、これでもう動けないはずだ。
「…」
もっと壊したいという破壊衝動が一瞬芽生える。
「ッフー」
一息入れ、意識を切り替える。今やるべき事、次の事はもう決まっていて、それでいて時間の余裕なんてありえない。次に、あのタッパの大きい金髪のチンピラだ。普段からスタンガンを持ち歩いてるあたり、私闘は慣れてるように思う。しかも、違法の武器。非殺傷武器の類としては最も能率が良いのではないだろうか。しかもケーブルをつけて発射することで射程距離を伸ばしてきてる。躊躇なく武器を使用するあたり、厄介なものだろう。同じなのだ。僕と。思考の指向性が。殺さなければ、生き残れない世界にいるであろう、本職ヤクザの人間のように思われる。見受けられたオーラ、印象がまず先ほどの男と違っていた。
「武器」
それが必要だ。相手は場慣れし、かつ武器を持っている。こっちは武器なしでおまけに上半身裸だ。皮膚からの雷撃を直撃した場合、最悪心臓が止まるリスクすらある。チラリと後ろを見る。まだ伸びてる男。
「そうだ」
服を拝借し、ズボンを物色した。
「!」
ナイフ。バタフライ式ナイフを持ってやがった。
「…」
一瞬胸が痛んだ。この男は、僕を殺すつもりなんかなかった。多分、簡単に倒せる相手だとみくびっていたのだろう。もし、この男が僕を殺すつもりでナイフを使用していたら、僕は血まみれで倒されていたかもしれない。
人は誰もが死ぬ。これは極ありふれた日常の光景であり、超高齢化社会なら当然だ。人は死ぬし、自分もやがては死ぬ。これをリアルに心に描いたら、脳に酸素をいきわたらせるように深呼吸をしてしまう。死ぬ前にやり残したことが、やりたいことがたくさんあるからだ。
人を殺すということは、これらは未来永劫奪うという行為。究極的に考えて最もやるべきではない行為だろう。それをわざわざ、やるという選択を考慮の一つに加え、行うという選択を行うという覚悟の度量。人生を一変させるほどの結果が伴うだろう。
「…」
この男と僕の差は、相手を倒すという行為を、どれだけ重く考えていたかという差なのだろうと思う。僕は殺すつもりで挑んだ。この男はナイフを使うまでもないと考えた。もしかしたらナイフを使用する必要はなかったのかもしれない。僕を生け捕りにする必要があったという事だ。それでも、それでも、人間一人を捕獲するのだ。手足の一本削ぐぐらいの覚悟は示す必要があったのではないかと思う。その差だ。
それでも、ビビってたこの男もまた、ひょっとしたら生来は優しい性格だったのかもしれないと考えると、多少なりともやり過ぎてしまったと考えてしまう自分もいた。
「…」
まぁいい。気にする必要はない。切り替えろ。切り替えろよ。次にすべきことが山のように残っている。服を着て、ナイフの刃を出し、尻ポケットに入れた。狙うのは、首、眼球、太ももの付け根、動脈。




